山形県上山市の映画館「トキワ館」を経営する実家で育ち、中学生のころは円谷英二のような特撮監督になりたいと思っていた[1]。早稲田大学ではテレビ芸術研究会に所属。大学生のころに現場を体験しようと「ライオン奥様劇場」と「土曜ワイド劇場」のADを体験し、演出は朝が早いので向かないと達観し脚本家を意識し始める[1]。テレビドラマの助監督やシナリオライターのアルバイトを始め、やがて大学は3年で中退した[1]がライターの仕事では食べられずに、アニメ業界へ足を踏み入れる[2]。
24歳のころ1年ほど続けた缶コーヒーの自動販売機のセールスの仕事を休んだ日にスポーツ新聞に日本サンライズの制作進行募集の求人広告を見付け応募[1]。テレビアニメ『サイボーグ009』で制作進行を務めた後、スタジオぴえろへ制作として入社。スタジオぴえろの第1回作品の『ニルスのふしぎな旅』でも制作進行を務め、ここで伊藤はその後のパートナーとなる押井守と知り合う。押井守がチーフディレクターに昇格した『うる星やつら』からは文芸を担当することになった[2]。
『うる星やつら』は伊藤が本格的に脚本家としての活動を始めるきっかけとなった作品であり、キャラクターデザインの高田明美とは後に結婚するなど転機となった作品である(後に離婚)。押井、高田らとは後に『機動警察パトレイバー』の原作チームヘッドギアを結成した。
伊藤は「平成ガメラシリーズ」の生みの親でもある。実家の映画館で怪獣映画を見ながら育った根っからの怪獣映画ファン。担当したアニメ作品ではよく怪獣映画のオマージュを取り入れた[3][注釈 1]。また、『ガメラ』を監督した映画監督である金子修介とは、かつての特撮テレビ『ウルトラQ』の劇場映画版を作る予定があったが、流れてしまった経緯がある。
方向性としては、「主人公より、周囲の脇役を克明に描写することで、逆説的に主人公のポジションを確立させる」[4]「事前に設定を固めて作品全体をコントロールするのではなく、サブライターが考えた設定を適宜・付け足しながら肉付けして、作り上げたキャラクターを走らせることで展開する」[5]手法を中心にしている。
大の『マジック:ザ・ギャザリング』好きであり、「平成ガメラシリーズ」にはその影響が随所に見られる。また、担当した特撮ドラマにシリコンの要素を含ませることが多い。
押井守は「企画を立案するアイディアマンであり、キャラクター同士の対話を書くセンスはうまかった」と評している[6]。
真下耕一は「主役を張れる様なわかりやすい情熱・正義感を持っているキャラクターではなく、卑怯だったり、悪意を持っていたり等、一番駄目な奴を敢えて主人公にすることで、現代の若い世代を象徴的に描いているのがすごい」と賞賛している[4]。
鳥海永行は「ダイアローグは大丈夫だ。縦筋の構成はでたらめだ」と批判している[6]。