伊集院 静 (いじゅういん しずか) | |
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誕生 |
趙 忠來(チョ・チュンレ、조충래)[1] 1950年2月9日 ![]() |
死没 | 2023年11月24日(73歳没) |
職業 | 作家、作詞家 |
言語 | 日本語 |
国籍 |
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教育 | 文学士 |
最終学歴 | 立教大学文学部日本文学科 |
活動期間 | 1970年代 - 2023年 |
ジャンル | 小説、随筆、作詞 |
代表作 |
『乳房』(1990年) 『受け月』(1992年) 『機関車先生』(1994年) 『ごろごろ』(2001年) 『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』(2013年) |
主な受賞歴 |
吉川英治文学新人賞(1991年) 直木三十五賞(1992年) 柴田錬三郎賞(1994年) 吉川英治文学賞(2002年) 司馬遼太郎賞(2014年) 紫綬褒章(2016年) |
デビュー作 | 『皐月』(1981年) |
配偶者 |
一般人( - 1980年) 夏目雅子(1984年 - 1985年死別) 篠ひろ子(1992年 - ) |
子供 | 西山繭子(二女) |
親族 |
西山栄子(姉) 沼澤聖一(義兄) 小達敏昭(義弟) 青山隼(義甥) 楯真由子(義姪) |
公式サイト | 作家・伊集院静の公式サイト |
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出生名 | 趙 忠來(チョ・チュンレ、조충래) |
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別名 |
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生誕 |
1950年2月9日![]() |
死没 | 2023年11月24日(73歳没) |
学歴 | 立教大学文学部卒業 |
職業 | 作家、作詞家 |
公式サイト | 作家・伊集院静の公式サイト |
伊集院 静(いじゅういん しずか、1950年〈昭和25年〉2月9日 - 2023年〈令和5年〉11月24日[2])は、山口県出身の作家、作詞家。作詞家としての筆名は伊達 歩(だて あゆみ)、本名は西山 忠来(にしやま ただき)[1]。
1950年生まれ、山口県防府市出身の在日韓国人2世である。出生当時の氏名は「趙 忠來」(チョ・チュンレ、ハングル表記では조충래)であったが、日本に帰化した際、西山 忠来(にしやま ただき)に変えた[1]。
山口県立防府高等学校、立教大学文学部日本文学科卒業。同大学ではなく美術大学に進学するつもりでいたが、当時義兄(実姉の夫)の高橋明が読売ジャイアンツの野球選手だった影響で高校の夏休みを利用して東京に行った折、長嶋茂雄本人から「野球をするのならセントポール(立教)に行きなさい」と言われ、その一言で立教大学への進学を決めた[3][4]。野球部の寮に文学全集を持ち込んで入寮したため、変わった新入部員として注目の的になった[5]。肘を壊したため野球部は途中で退部した。1972年に大学を卒業[6]。
広告代理店シマ・クリエイティブハウスに勤務[7]を経てCMディレクターになる。一般女性と最初の結婚[8]。二児[注 1]をもうけるが、1980年に離婚。松原みき、松任谷由実(1979年「OLIVE」〜1981年「水の中のASIAへ」)、松田聖子、薬師丸ひろ子、和田アキ子らのツアーのほかファッションショーも手がける。またレイジーのプロデュースも手掛け、レイジーがそれまでのアイドル路線を捨てハードロック路線に転換するきっかけを作った[9]。
1981年、『小説現代』に『皐月』を発表し作家デビュー。代表作に『機関車先生』。山口県防府市を舞台とした自伝性の強い『海峡』三部作等がある。1984年8月27日に、かつてカネボウ化粧品の「クッキーフェイス」のCMキャンペーンガールで一緒に仕事をした女優の夏目雅子と7年の不倫交際の後再婚したが、夏目は1985年9月11日に急逝。
伊達歩(だて あゆみ)の名で作詞家としても活動。近藤真彦にはデビュー当時から多数の作詞を提供しており、その中でも『愚か者』が1987年に第29回日本レコード大賞を受賞した。他にも『ギンギラギンにさりげなく』などのシングル・ヒット曲があり、2015年には伊達歩提供作品のみの楽曲を集めたアルバム三十五周年 近藤真彦×伊集院静=二十四曲が発売されている。
1992年7月15日、『受け月』で直木賞を受賞する。同年8月7日に現在の妻で女優の篠ひろ子と再々婚した。
1993年、『乳房』『クレープ』が映画化、1997年、『機関車先生』がアニメ映画化し声優として参加している。更に2004年には実写映画化された。その他、テレビ化されたのは「夕空晴れて」「海峡」「あづま橋(橋の雨)」など。 また、2005年「ツキコの月」が帝国劇場、中日劇場において舞台化された。
2020年1月21日、くも膜下出血で倒れて病院に救急搬送され、翌22日に手術を受ける[10]。2月に退院し、3月12日にコメントを発表[11]。同月下旬、リハビリ病院を退院[12]。
2023年10月27日、肝内胆管がんとの診断を受け、治療と静養のため執筆活動を休止することを明らかにしていた[13]。しかし、その約1か月後の同年11月24日に死去した[2][14]。73歳没。訃報は妻である篠ひろ子(名義は西山博子)が発表したコメントにより公表された[14][2]。冨士霊園の文学者の墓に埋葬された[15]。
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過去に『週刊文春』で掲載されていた「二日酔い主義」、堂本剛と共著の「きみとあるけば」「ずーっといっしょ」、角川文庫等エッセイも数多く出しており、その小説やエッセイの随所に様々な花が登場するほどの花好きな作家としても知られる。
生前はサントリーが出す新聞広告コラムとして、初代担当者の山口瞳の後を引き継ぐ形で二代目担当として4月1日の『新社会人おめでとう』、成人の日の『新成人おめでとう』を執筆していた。
女優で作家の西山繭子は最初の妻との実娘、ファッションコーディネーターの西山栄子は実姉にあたる。かつて読売ジャイアンツに在籍した高橋明投手は元義兄(長姉の夫[28][4])。また、小達敏昭は2人目の妻である夏目雅子の実弟、沼澤聖一は3人目の妻である篠ひろ子の兄、青山隼は篠の甥にあたる。楯真由子は夏目の実姪、田中好子の継子にあたり、篠との交流から女優を志したという。
特記以外は伊達歩名義で作詞している。