倪匡 | |
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倪匡(香港樹仁大学、2007年11月)。 | |
誕生 |
1935年5月30日 中華民国上海市 |
死没 | 2022年7月3日(87歳没) |
職業 | 小説家、脚本家、俳優 |
活動期間 | 1956年 - 2005年 |
ジャンル | 武侠、サイエンス・フィクション |
ウィキポータル 文学 |
倪匡 | |||||||||||
中国語 | 倪匡 | ||||||||||
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出生名 | |||||||||||
繁体字 | 倪聰 | ||||||||||
簡体字 | 倪聪 | ||||||||||
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字 | |||||||||||
中国語 | 亦明 | ||||||||||
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倪 匡(げい きょう、ニー・クァン、1935年5月30日 - 2022年7月3日[1])は、香港在住の中国系アメリカ人の小説家、脚本家である。300を超える中国語の武侠小説とサイエンス・フィクション小説、400以上の映画脚本を手掛けた。本名は倪聡、字は亦明、ペンネームは衛斯理など[2]。
上海市で生まれた。本貫は寧波府鎮海県。1950年代には内モンゴル自治区で中国共産党政府の下で公安として働き、死刑判決を書く仕事を課された。倪匡は一度、ある特定の人物について地主になろうととしたという罪でなぜ死刑が宣告されるか地元の党書記に質問した。党書記は質問を続けるならば処刑すると倪匡を脅した。倪匡によれば、自身の命が脅かされたため死刑命令をまとめた。
1955年から1956年の冬、雪と風で燃料がないため仲間とともに粗末な木橋を解体し、暖をとるための火を起こしたところ、労働改造所大隊書記から「交通を妨害した」と非難され、反革命の罪を問われた[3]。倪匡は処罰を避け、1956年5月に脱出し南方へ逃亡。大連、上海、広州を経て1957年7月に香港へと脱出することに成功した[4]。
倪匡のSF小説は大抵、オカルトと非現実的なことを説明するためのデウス・エクス・マキナとして地球外生命が登場する刑事/ミステリー物の形態を取る。最も良く知られた著作は『ウェズリーシリーズ』(衛斯理)と原振俠シリーズである。どちらも映画化およびテレビシリーズ化されている。倪匡の共産主義への批判はこれらの著作の一部で明白である。
倪匡はショウ・ブラザーズ・スタジオのために『片腕必殺剣』(1967年)、『大刺客』(1967年)、『残酷復讐拳』(1978年)などでチャン・チェと共同で脚本を執筆した。1972年の映画『ドラゴン怒りの鉄拳』の脚本家として、ブルース・リー演じる主人公陳真のキャクラター造形について功績を認められなかった。功績は監督のロー・ウェイのものとされた。陳真は人気の中国文化ヒーローとなり、『ドラゴン怒りの鉄拳』の膨大なリメイクと翻案の題材となった。ジェット・リーやドニー・イェンといった著名な俳優がブルース・リーの後を継いで陳真を演じた。倪匡は中国発のスーパーヒーロー映画『中国超人インフラマン』(1975年)の脚本を執筆した。
倪匡は武侠作家の金庸の友人、ファンである。倪匡は、金庸がヨーロッパ旅行中に、金庸の小説『天龍八部』の少なくとも1部分を代筆した。しかし、倪匡が代筆した部分の大半は金庸の最初の改訂で削除されている。倪匡は『天龍八部』に登場するキャクラー阿紫を物語中で盲目にした。
イギリスが香港の主権を中国政府に移譲することを計画していることを聞き、1992年、倪匡はアメリカ合衆国へ移住し、著作活動を続けた。しかし、倪匡の妻がアメリカでのライフスタイルに馴染めなかったことから、2006年に香港に戻った。
2022年7月3日に死去[1]。
倪には4人の兄弟(倪亦方・倪亦倹・倪亦平・倪亦靖)と2人の姉妹(倪亦秀・倪亦舒)がいる。倪匡は李果珍と結婚し、弟の倪亦平は李果珍の妹と結婚した。
倪匡と李果珍には息子が1人、娘が1人いる。息子の倪震は、香港のエンターテインメント業界で働いており、女優のビビアン・チョウと結婚した。娘は倪穂である。
倪匡は知名度の高い反共主義者である。あるインタビューで、中国における不正に関する意見について尋ねられた時、倪匡は、中国共産党が存在し続ける限り人々は苦しみ続けるだろう、と述べた。倪匡は、世界で最も重要な価値は個人の自由であり、これには他者の自由を尊重することも含まれる、と言及した。
以下は作品の不完全な一覧である[5]