党首(とうしゅ、英語: the Party Chief、または、英語: the Party leader)とは、政党の最高職を指すものである。
各政党によって党運営の考え方が異なるため総裁・代表・会長・議長・委員長など名称の他、権限などが異なる。独任制が普通であるが、党内抗争等の結果、暫定的に複数党首となることがある。例えば自由民主党総裁の座は結党から1年、鳩山一郎・緒方竹虎・三木武吉・大野伴睦の4人による代行委員制を取った。正総裁が任じられるのは1956年からである。民主党の発足時の鳩山由紀夫と菅直人、たちあがれ日本発足時の平沼赳夫と与謝野馨のように、有力な創設メンバー2人が「代行」等の付かない共同党首になったこともあるが、いずれも短期間で解消している。
いずれにしても現在の日本に於ける各党の最高責任者、即ちナンバー1である地位は名称こそ異なるが、「党首=総裁=委員長=代表」である。
議会制民主主義を取っている国では、一般的に党首が首相候補であり、イギリスなどの様に選挙で第1党となった党の党首が首相になることが多いが、ドイツのように選挙の際に党首とは別に首相候補が立てられることもある。
社会主義国の支配政党では、書記長、第一書記、総書記などの名称が使用されるが、共産主義政党が国家を指導するため、支配政党の党首が名誉職的な色合いの強い国家元首(国家主席、国家評議会議長など)よりも実質的な国家の最高指導者となっていることが多い(中華人民共和国や旧ソビエト連邦の様に国家元首と兼任している場合もあるが、権力の源泉は党首としての地位の方にある)。
日本の国政政党の党首の場合、国会議員を要件とするかどうかは党則によるが[1]、ほとんどの場合は国会議員である[注 1]。
内閣総理大臣指名選挙(首班指名選挙)は、原則として各国会議員が自党派の代表(党首)に投票する。連立政権を組んだ場合などで他党の国会議員(通常は該当政党党首)に投票する場合もあるが、この場合は内閣総理大臣の所属政党以外の政党の党首が閣僚入りするか、副総理となるかなどの人事が注目される。党首が国会議員でない政党は首班指名選挙において、他政党の党首に投票するか自党の国会議員の中で党内最高ポストにいる者に投票することになる。現役党首または党首経験者が国会議員在職中に死亡した場合、対立政党の党首が国会で追悼演説を行うことが慣例となっている。
首相擁立政党は党首を首相に選出している。しかし、過去に党首以外の自党議員を首相に起用して、首相擁立政党が党首と首相を別々にする構想が浮上したこともある。自民党政権下の場合は総理(内閣総理大臣)と総裁(自民党総裁)は別々の人間にする「総総分離」、民主党政権下の場合は総理と代表(民主党代表)は別々の人間にする「総代分離」とそれぞれ呼ばれた。しかし、戦後の日本政治史において、首相擁立政党が党首と首相を別々にする体制が持続されたことはない。明治から昭和初期までの戦前にさかのぼっても、与党党首でない者を首相とした政党内閣は存在しなかった(憲政の常道)。
公職選挙法では政党の「代表者[注 2]」について以下のことが規定されている。
政党助成法、政党法人格付与法では政党の「代表者」(又は「代表権を有する者」)について以下のことが規定されている。
政党助成法では政党の「代表者」が以下の行為をした政党の「会計責任者又は支部会計責任者」の選任及び監督について相当の注意を怠った場合は、50万円以下の罰金という刑事罰が規定されている。
政党法人格付与法では政党の「代表権を有する者」が以下の行為をした場合は、50万円以下の過料という刑事罰が規定されている。
かつて日本で「党首」の語は、総裁、委員長、代表など党ごとに名称の異なる最高職を包括する一般名称としての意味合いが専らで、「指導者」、「領袖」などと同じく正式名称として用いられることは滅多になかったが、1990年代以降は採用する政党が現れ始めている。
戦前の保守政党は、党首の名称に「総裁」を採用する例が多かった。「総裁」の名称は明治初期の政府の最高職で「万機を総べ、一切の事務を裁決す」として政治全般を統括したことが由来で、政党党首の名称として総裁を採用したのは1900年に結成された立憲政友会が最初とされる。一方で革新政党の党首は社会主義的な組織にならい、「委員長」や「書記長」を名乗った。
戦後の55年体制下では、保守政党の流れを汲む自由民主党が「総裁」を採用したのに対し、社会主義の流れを汲む日本社会党や民社党は「委員長」を採用した。1964年に中道政治を目指し結成された公明党も、当時社会主義運動が盛り上がっていた事もあり、党首の名称は「委員長」であった。主要な政党で党首の名称に「代表」を用いるようになったのは、1976年結成の新自由クラブからで、革新ではないが、自民党ほど古めかしくないとの意味も込められていた。
1990年代に新党ブームが巻き起こった際は、日本新党や新党さきがけなど、党首の名称に「代表」を用いる政党が増え、一大ムーブメントとなった。一方で、新生党は少し趣を変え党首の名称をそのまま「党首」とした。「党首」の名称は、新生党の流れを汲む新進党・太陽党・自由党・保守党や、1996年に社会党から改組した社会民主党などが採用していたが、新進党の失速以降は民主党や1998年に再結成された公明党のように党首名に「代表」を採用する事例の方が増え、自由党が解散した2003年以降は党首名に「党首」を採用している政党は長らく社民党のみであった(後に、次世代の党(2014-2015)、NHKから国民を守る党(2019- )などが党首名に「党首」を採用している)[2]。
中国共産党では現在は中央委員会総書記が党首である。かつては党主席の毛沢東が国家主席と国務院総理(首相)以上の権威を持った時期や、中国共産党中央軍事委員会主席の鄧小平が党総書記や国家主席や首相をしのいで最高実力者と称されていた時期もあったが、現在では党総書記が国家主席と中央軍事委員会主席を兼任し、最高指導者としての地位を確立している。
台湾(中華民国)では中国国民党・民主進歩党ともに主席が党首である。かつての国民党は一党独裁の支配政党で、主席はすなわち中華民国総統であったが、蔣経国時代の末期の自由化により現在は複数政党制である。
イギリスでは慣習法により、選挙で庶民院の第一党となった党の党首が国王(女王)から首相に任命される。また、野党第一党の党首は影の首相となる。
二大政党である保守党と労働党は、党首の任期は無く[3]、首相在任中は党首選挙を行わない。1990年にマーガレット・サッチャーが首相を退陣した際のきっかけとなったのは、人気低下から党首選を求める声が与党内に起こり、受けて立ったものの僅差に迫られたことで求心力低下が決定的となったためである。
労働党党首は、党員・登録サポーター(Registered supporter)・提携サポーター(Affiliated supporter)により公選される。
かつての保守党は党首公選制ではなく、党下院の有力者に加えて上院の貴族や更には国王を交えた人々のコンセンサスにより党首が選ばれていたが、1965年および1974年の改革で党下院議員による公選制を確立した。
ドイツではキリスト教民主同盟(キリスト教社会同盟)、社会民主党の二大政党は首相候補を立てて選挙戦を戦うが、この際党首とは別の人物を候補に立てることがある。社会民主党の党首は党理事会の議長であり、2名選出する。このうち1名は女性でなければならないと決められている。キリスト教民主同盟では連邦理事会の議長である[4]。
アメリカ合衆国の政党(共和党・民主党)では全国委員会委員長が党首に相当するが、裏方的もしくは座長的なポストであり他国の政党党首の地位とは大きく異なる。全国委員会委員長が大統領への近道という風潮も特に存在せず、民主・共和両党の全国委員会委員長経験者で大統領になったのはジョージ・H・W・ブッシュただ一人である。議会内においては上下両院の院内総務が党首役を務めるが、1920年以降の院内総務で大統領になったのはリンドン・ジョンソンとジェラルド・フォードの二人だけである(いずれも副大統領からの昇格。ジョージ・H・W・ブッシュも副大統領経験者である)。
ロシア連邦では統一ロシアは、結成当初は合併した3党党首による最高会議を設置、議長としていたが現在は党首とされている。公正ロシア、政党エル・デー・ペー・エルなど国政政党はすべて党首で統一されている。
フランスの政党は共和党と急進運動が総裁、社会党は第一書記、共産党、ヨーロッパ・エコロジー=緑の党は全国書記となっている。