この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
内田 嘉吉 うちだ かきち | |
---|---|
| |
生年月日 |
1866年11月18日 (旧暦慶応2年10月12日) |
出生地 | 武蔵国江戸 |
没年月日 | 1933年1月3日(66歳没) |
出身校 | 帝国大学法科大学法律学科卒業 |
前職 | 逓信次官 |
所属政党 | (貴族院院内会派:同和会) |
称号 |
正三位 勲一等旭日大綬章 法学士(帝国大学・1891年) |
選挙区 | (種別:勅選) |
在任期間 | 1918年9月21日 - 1933年1月3日没 |
第9代 台湾総督 | |
在任期間 | 1923年9月6日 - 1924年9月1日 |
内田 嘉吉(うちだ かきち、1866年11月18日(慶応2年10月12日) - 1933年(昭和8年)1月3日)は、日本の逓信官僚、政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。
逓信省管船局長、台湾総督府民政長官、逓信次官、台湾総督(第9代)、貴族院議員などをつとめた。
東京出身。内田正八の長男として生まれる。岡山中学、第一高等学校を経て、1891年(明治24年)7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年7月、司法官試補、翌月、逓信省試補となり逓信省に入る。逓信事務官、逓信書記官(兼務)、船舶司検所司検官兼逓信省参事官、逓信大臣秘書官、官房秘書課長、人事課長(兼務)、高等海員審判所所長などを歴任。1901年(明治34年)7月、管船局長に就任。
1910年(明治43年)8月、台湾総督府民政長官となり台湾に赴任、1915年(大正4年)10月までこれをつとめた。他に1915年(大正4年)までは鉄道部長を兼務した。1917年(大正6年)3月、逓信次官に就任。1918年(大正7年)9月にこれを辞したのち、同月21日、貴族院勅選議員に勅任され[1]、同和会に属して死去するまでこれをつとめた。
その間、1923年(大正12年)9月には第9代台湾総督に就任、翌年9月までこれをつとめた他、鉄道会議議員、日本無線電信株式会社社長、財団法人滝乃川学園理事などもつとめた。
公職 | ||
---|---|---|
先代 宮尾舜治 事務取扱 |
台湾総督府民政長官 第6代:1910 - 1915 |
次代 下村宏 |