べつかいちょう 別海町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 北海道地方 | ||||
都道府県 | 北海道(根室振興局) | ||||
郡 | 野付郡 | ||||
市町村コード | 01691-8 | ||||
法人番号 | 9000020016918 | ||||
面積 |
1,317.17km2 | ||||
総人口 |
13,989人 [編集] (住民基本台帳人口、2024年11月30日) | ||||
人口密度 | 10.6人/km2 | ||||
隣接自治体 |
根室市、標津郡標津町、中標津町 釧路総合振興局:厚岸郡浜中町、厚岸町、川上郡標茶町 | ||||
町の木 | ナラ | ||||
町の花 | センダイハギ | ||||
町の鳥 | ハクチョウ | ||||
別海町役場 | |||||
町長 | 曽根興三 | ||||
所在地 |
〒086-0205 北海道野付郡別海町別海常盤町280番地 北緯43度23分38秒 東経145度07分03秒 / 北緯43.39381度 東経145.11747度座標: 北緯43度23分38秒 東経145度07分03秒 / 北緯43.39381度 東経145.11747度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
別海町(べつかいちょう)は、北海道根室振興局管内の野付郡にある町。
北海道東端部に位置し、東は野付水道を挟んで北方領土を望む。面積は「町」としては日本で3番目に広く(1位は足寄郡足寄町、2位は紋別郡遠軽町でいずれも北海道内)、「市町村」としては道内6位(北方領土内の留別村を含む)。その広大な町域は大半が起伏のゆるやかな丘陵地帯で、原野を切り開いて造られた牧場が町域ほぼ全般に広がり、集落は別海(べつかい[2])、中西別(なかにしべつ[2])、中春別(なかしゅんべつ[2])、西春別(にししゅんべつ[2])、西春別駅前、上春別(かみしゅんべつ[2])、上風連(かみふうれん)、本別海(ほんべっかい[2])、尾岱沼(おだいとう[2])など町の全域に点在している。町役場は町域中央やや東寄りの別海市街に置かれているため、町の西部では標茶町の市街の方が近い地域がある。
南西部には防衛省陸上自衛隊別海駐屯地(航空自衛隊計根別飛行場)と矢臼別演習場が置かれる。その面積は17,192ha。沖縄県金武町県道104号線越えで行われていた砲撃訓練の移転を1997年(平成9年)から受け入れており、年に数回、アメリカ軍による大規模な射撃訓練が行われる。
ケッペンの気候区分によると、別海町は湿潤大陸性気候に属する。寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。降雪量が多く、豪雪地帯に指定されている。冬季は-25℃前後の気温が観測されることが珍しくなく、寒さが厳しい。
別海(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 8.4 (47.1) |
12.8 (55) |
17.0 (62.6) |
27.3 (81.1) |
36.6 (97.9) |
34.7 (94.5) |
35.1 (95.2) |
35.4 (95.7) |
31.9 (89.4) |
26.2 (79.2) |
21.0 (69.8) |
14.2 (57.6) |
36.6 (97.9) |
平均最高気温 °C (°F) | −1.2 (29.8) |
−0.9 (30.4) |
3.0 (37.4) |
9.3 (48.7) |
14.9 (58.8) |
17.8 (64) |
21.2 (70.2) |
22.8 (73) |
20.7 (69.3) |
15.5 (59.9) |
8.7 (47.7) |
1.6 (34.9) |
11.1 (52) |
日平均気温 °C (°F) | −6.7 (19.9) |
−6.5 (20.3) |
−1.9 (28.6) |
3.6 (38.5) |
8.7 (47.7) |
12.3 (54.1) |
16.2 (61.2) |
18.1 (64.6) |
15.4 (59.7) |
9.5 (49.1) |
2.9 (37.2) |
−3.8 (25.2) |
5.7 (42.3) |
平均最低気温 °C (°F) | −13.6 (7.5) |
−13.8 (7.2) |
−7.7 (18.1) |
−1.8 (28.8) |
3.1 (37.6) |
7.9 (46.2) |
12.4 (54.3) |
14.3 (57.7) |
10.5 (50.9) |
3.3 (37.9) |
−3.2 (26.2) |
−10.1 (13.8) |
0.1 (32.2) |
最低気温記録 °C (°F) | −31.3 (−24.3) |
−33.7 (−28.7) |
−25.4 (−13.7) |
−14.2 (6.4) |
−6.0 (21.2) |
−2.7 (27.1) |
1.8 (35.2) |
4.1 (39.4) |
−0.7 (30.7) |
−7.0 (19.4) |
−15.6 (3.9) |
−23.8 (−10.8) |
−33.7 (−28.7) |
降水量 mm (inch) | 38.2 (1.504) |
27.4 (1.079) |
55.2 (2.173) |
79.0 (3.11) |
107.2 (4.22) |
111.4 (4.386) |
121.9 (4.799) |
154.9 (6.098) |
184.2 (7.252) |
125.9 (4.957) |
79.0 (3.11) |
63.8 (2.512) |
1,148 (45.197) |
降雪量 cm (inch) | 84 (33.1) |
72 (28.3) |
75 (29.5) |
26 (10.2) |
1 (0.4) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
11 (4.3) |
66 (26) |
330 (129.9) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 6.4 | 5.0 | 7.8 | 9.0 | 10.7 | 9.7 | 11.1 | 12.1 | 11.6 | 9.4 | 8.7 | 7.9 | 109.4 |
平均月間日照時間 | 146.3 | 150.4 | 181.3 | 163.6 | 165.8 | 132.0 | 108.6 | 117.4 | 138.2 | 158.0 | 148.7 | 143.7 | 1,756 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[3] |
1923年(大正12年)に旧別海村を含む6村が合併し現在の別海町域に相当する別海村が発足した際、当初役場が置かれていた現在の本別海地区から。アイヌ語の「ペッカイ(pet-kai)」(川の・折れ目)「ペッカイェ(pet-kaye)」(川・を折る)に由来するとされ[4][5]、本別海地区で西別川が河口で曲がりくねる様子を表した名である[4]。現在の別海地区は当初アイヌ語の「ヌウㇱペッ(nu-us-pet)」(豊漁の・川)に由来する「西別(にしべつ)」と称されていたが[6][7][8]、役場移転後に改名している。
町名の読みについては古くから「べつかい」と「べっかい」が混在していたが、1971年(昭和46年)の町政施行を機に「べつかい」で統一された。公的な文書や放送各局では「べつかい」の読みが使われ、道路案内標識上のローマ字表記も「Betsukai」となっている。
しかし道道路線名中(例:北海道道123号別海厚岸線)や、かつて存在した標津線別海駅における読みは「べっかい」であり、地名においても、「別海」の発祥であった本別海地区の読みは「ほんべっかい」となっている[2]。
このため読みはどちらが正しいか長期間にわたって議論になっていたが、2009年(平成21年)3月10日の町議会にて当時の町長が「べつかい」と「べっかい」の双方の読み方を認めると宣言し、町として公的表記を求められた場合は引き続き「べつかい」とするとしている[9]。
最も開拓が早かったのは東部沿岸部で、主に漁業が行われていたが、明治30年代から内陸部への入植がはじまり、こちらでは畑作農業が中心におこなわれていた。開拓当初は沿岸の本別海地区(当時は「別海」と称した)に置かれていた役場も、内陸の入植者増加により、1933年(昭和8年)に別海地区(当時は「西別」と称した)に移転している。
昭和に入ると農業から酪農への転換が進み始めたが、土地の広大さゆえに開拓は遅れていた。そこで1956年(昭和31年)から世界銀行の融資を受け、根釧パイロットファーム方式が導入。機械による開拓がおこなわれ、1973年(昭和48年)には新酪農村の建設に着手、現在の広大な酪農地帯を形成した。
根室北部消防事務組合(管轄:別海町、中標津町、標津町、羅臼町)
別海町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 別海町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 別海町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
別海町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
2022年(令和4年)3月時点の各地区の人口・世帯数[13]。
増減率は2018年(平成31年)3月時点との比較[14]。
地区名 | 男性 | 女性 | 人口 計 | 増減 | 世帯数 | 増減 |
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別海 | 2,971人 | 3,019人 | 5,990人 | -3.04% | 3,053世帯 | 0.26% |
中西別 | 309人 | 293人 | 602人 | -4.89% | 264世帯 | 3.12% |
本別海 | 117人 | 111人 | 228人 | -2.97% | 86世帯 | 1.17% |
中春別 | 468人 | 473人 | 941人 | -0.63% | 413世帯 | 4.29% |
豊原 | 136人 | 130人 | 266人 | -5.67% | 100世帯 | -4.76% |
西春別 | 737人 | 515人 | 1,252人 | -8.81% | 642世帯 | ±0% |
西春別駅前 | 572人 | 569人 | 1,141人 | -6.24% | 611世帯 | -2.55% |
上春別 | 387人 | 384人 | 771人 | -4.34% | 343世帯 | 7.52% |
床丹 | 131人 | 118人 | 249人 | -2.35% | 86世帯 | 1.17% |
尾岱沼 | 653人 | 696人 | 1,349人 | -7.53% | 518世帯 | -2.07% |
上風連 | 198人 | 183人 | 381人 | -4.27% | 135世帯 | 10.65% |
その他 | 588人 | 553人 | 1,141人 | -4.67% | 454世帯 | 5.09% |
合計 | 7,267人 | 7,044人 | 14,311人 | -4.46% | 6,705世帯 | 0.93% |
2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている[15]。
平野部では酪農、本別海・尾岱沼等の沿岸部では漁業(サケ、コマイ、ホッキ、アサリ、ホタテ、ホッカイエビなど)が盛ん。生乳生産量は全国一位で、年間生産量は43万トン。町の人口の約8倍の数の牛(約11万3000頭)が町内で飼育されている。
道立
※以下は廃校
※以下は廃校
各学校の通学区域が広いため21台のスクールバスが運行されている。
別海町では概ね地域ごとに小学校と中学校が1校ずつ置かれるため、例えば上春別小の児童は全員上春別中に入学することになる。過去に中春別中のみ、中春別小・美原小・豊原小の3校からの入学であった。
2022年現在、人口1.4万人の町に16の小中学校が設置され、複式学級を持つ小学校は8校中4校である。一方1学年あたり2学級の学校は、別海中央小、別海中央中のみである。
1933年(昭和8年)12月1日、鉄道省によって標津線が開業。
1987年(昭和62年)4月1日、国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)へ継承。
1989年(平成元年)4月30日、標津線の廃止により、現在町内に鉄道路線はない。廃止以前、町内には以下の駅が設置されていた。
また、別海村時代には別海村営軌道、が存在したが、1971年(昭和46年)に廃止された。
別海村の開南地区にはかつて浜中町営軌道が伸びていたが、これも1971年(昭和46年)に廃止された。
生乳生産量の高さを生かした「福祉牛乳給付事業」が行われており、一定の条件[16]を満たす住民に対して牛乳の200mlパックを1週間ごとに5個、町より無料で給付している[1]。給付される製品はべつかい乳業興社が供給している。