とがむら 利賀村 | |||
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廃止日 | 2004年(平成16年)11月1日[1] | ||
廃止理由 |
新設合併 福野町、城端町、平村、上平村、利賀村、井波町、井口村、福光町 → 南砺市[1] | ||
現在の自治体 | 南砺市[1] | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 | 中部地方(北陸地方) | ||
都道府県 | 富山県 | ||
郡 | 東礪波郡 | ||
市町村コード | 16404-6 | ||
面積 | 177.58 km2 | ||
総人口 |
855人 (2005年国勢調査) | ||
隣接自治体 | 八尾町、山田村、庄川町、城端町、平村、井波町、井口村、白川村、飛騨市 | ||
村の木 | ササユリ | ||
村の花 | トチ | ||
利賀村役場 | |||
所在地 |
〒939-2595 富山県東礪波郡利賀村利賀171番地 | ||
座標 | 北緯36度27分27秒 東経137度01分35秒 / 北緯36.4575度 東経137.02636度座標: 北緯36度27分27秒 東経137度01分35秒 / 北緯36.4575度 東経137.02636度 | ||
ウィキプロジェクト |
利賀村(とがむら)は、かつて富山県東礪波郡におかれていた村。2004年(平成16年)11月1日に周辺町村と合併、南砺市の一部となった[1]。
演劇の村として知られる。
富山県の南西部に位置し、岐阜県に接する。標高1,000mを越える山々に囲まれた村域は南北に細長く、庄川の支流である利賀川、神通川の支流である百瀬川が縦断する村。
非常に急峻な峡谷地形であり、河川の間は険しい山塊に遮られる。同じ村内でも別流域間のアクセスは困難であり、新楢尾トンネルにより村としての一体性が保たれている。村外へのアクセスも峡谷を抜けるために困難で、県内で唯一アクセスが困難な自治体である。
村の中心部は利賀川流域である。
利賀川の押場・北豆谷・大豆谷・利賀村(大字)・岩渕地区に、飛騨変成岩類を断ち切った新第三紀グリーンタフ層である岩稲累層が北東・南西方向に伸びており利賀地溝と呼ばれる。地構内の小断層において熱水変性が多くみられ、地滑り多発の原因となっていると考えられる。[3]その地滑り面群は利賀盆地といわれ、村内で数少ない平坦地であることから耕地や人口が集中する。
初代 | 小谷吉太郎 | 1890年5月-1893年5月 |
2代 | 野村市郎 | 1893年5月-1894年5月 |
3,4代 | 谷内有元 | 1894年5月-1901年4月 |
5代 | 高倉十平 | 1901年4月-1902年5月 |
6代 | 吉田清左衛門 | 1902年5月-1906年4月 |
7代 | 高倉彦九郎 | 1906年4月-1907年9月 |
8代 | 岡部平千 | 1908年5月-1909年5月 |
9代 | 高藤覚五郎 | 1909年5月-1913年5月 |
10代 | 岩腰義保 | 1913年6月-1915年2月 |
11代 | 高桑正吉 | 1915年4月-1917年3月 |
12代 | 宮崎作郎 | 1917年3月-1921年3月 |
13代 | 村井粂次郎 | 1921年4月-1925年4月 |
14-17代 | 須河信一 | 1925年10月-1940年3月 |
18代 | 城岸和市 | 1941年3月-1945年3月 |
19代 | 池田傅藏 | 1945年4月-1946年12月 |
20,21代 | 高田耕 | 1947年3月-1951年4月5日 |
22,23代 | 宮崎博至 | 1951年4月24日-1959年4月29日 |
24,25代 | 田中盛好 | 1959年4月30日-1967年4月29日 |
26,27代 | 野原清治 | 1967年4月30日-1975年4月29日 |
28-30代 | 野原啓藏 | 1975年4月30日-1987年4月29日 |
31-33代 | 宮崎道正 | 1987年4月30日-1999年4月29日 |
34,35代 | 米澤博孝 | 1999年4月30日-2004年10月31日 |
一般国道
都道府県道
典型的な過疎の村であったが、1976年に演出家鈴木忠志が率いる早稲田小劇場が拠点を利賀村に移したことに、村は様々な側面から支援を行った。1982年から毎年、世界演劇祭利賀フェスティバルを行うことになり、内外の演劇界から注目を浴びるほどのイベントとなった。これらの演劇を中心とした事業が、高い成果を上げ、過疎の村が世界的知名度を得たことから、過疎地域の活性化モデルとして有名になった。
2009年頃から利賀村に定期的に訪れている、首都圏の社会人・学生を中心とした団体。「村の生活を学ぶ」「各自関心に基づきプロジェクトを実施する」の二つの軸を持って活動しており、具体的な活動としては、都内での利賀村紹介イベント“まち、ときどきむら”の開催、利賀村のイベントや祭りへの参加、上畠アート展の開催、手業(てわざ)プロジェクト(てご、わらじ、ヒンメリの作成)などが挙げられる。近年では、都内の大学生の参加者数が増えてきており、都市部の若者と農村部のコミュニティが交流する先進的な事例となっている。