前田 利定(まえだ としさだ 1874年(明治7年)12月10日 - 1944年(昭和19年)10月2日)は、日本の政治家、華族(子爵)。逓信大臣(第26代)、農商務大臣(第34代)を務めた。東京府出身。
加賀前田家の分家の一つである旧七日市藩主家に、最後の藩主(藩知事)前田利昭の子として生まれる。
1894年、日清戦争に歩兵中尉として従軍。1902年、東京帝国大学法科大学を卒業[1]。その後、司法官試補となる[1]。1904年7月10日、貴族院子爵議員に選出され[2]、研究会に所属し1944年2月2日に辞職するまで在任した[1][3]。
1922年に加藤友三郎内閣の逓信大臣となり初入閣[4]。1924年、清浦内閣の農商務大臣として再び入閣[4]。1944年1月、体調を崩し、10月に死去した。死後、勲一等瑞宝章を受章した。
他に、研究会常務委員、鉄道会議議員、議員制度調査会委員などの要職を歴任した[1]。
公職 | ||
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先代 岡野敬次郎 |
農商務大臣 第33代:1924年 |
次代 高橋是清 |
先代 野田卯太郎 |
逓信大臣 第26代:1922年 - 1923年 |
次代 犬養毅 |
日本の爵位 | ||
先代 前田利昭 |
子爵 (七日市)前田家第2代 1896年 - 1944年 |
次代 前田利民 |