前田日明

前田 日明
前田 日明の画像
プロフィール
リングネーム 前田 日明
クイック・キック・リー
前田 明
ニックネーム 格闘王
UWFのカリスマ[1]
スターティング・オーバー
七色のスープレックスを持つ男
スパークリング・フラッシュ
スーパー・デンジャラス・ヒーロー
黒髪のロベスピエール
身長 192 cm
体重 145.3 kg[2](現役時 115 kg)
誕生日 (1959-01-24) 1959年1月24日(65歳)
出身地 大阪府大阪市大正区
所属 新日本プロレス
→UWF
→リングス
スポーツ歴 空手
少林寺拳法
トレーナー アントニオ猪木
カール・ゴッチ
山本小鉄
藤原喜明
佐山聡
シーザー武志
田中正悟
デビュー 1978年8月25日
引退 1999年2月21日
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前田日明チャンネル
人物
生誕 高 日明(コ・イルミョン)
国籍 大韓民国の旗 韓国[3]日本の旗 日本
公式サイト
YouTube
別名 UWFのカリスマ[4]
チャンネル
活動期間 2019年 -
ジャンル エンターテイメント
登録者数 21.8万人
総再生回数 5327万回
事務所(MCN リングス
挨拶 どうもみなさん、前田日明チャンネルです
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年1月21日時点。
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前田 日明(まえだ あきら、1959年昭和34年〉1月24日 - )は、大阪府大阪市大正区出身の格闘技プロモーターYouTuber、元プロレスラー在日韓国人三世として生まれ、その後日本に帰化した韓国系日本人である。韓国名は高 日明(コ・イルミョン、: 고일명)。

リングスCEO、元THE OUTSIDERプロデューサー。

来歴

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少年時代

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少年時代は特撮テレビドラマウルトラマン』に熱中し、1967年4月9日に放送された最終話「さらばウルトラマン」の作中でウルトラマンがゼットンに倒されたシーンを見てショックを受け、ウルトラマンの仇を討つためにゼットンを倒そうと、少林寺拳法を習い始めた[5](小学生で初段を取得)。両親が離婚(後述)する前までは普通の生活をしていたが、両親は戦前生まれであったため食べ物を残すことには厳しく、前田の嫌いなニンジンピーマンは無理にでも食べさせられた[6]

北陽高校時代は空手オートバイに熱中した。オートバイは家庭をほったらかしにして家にあまり帰って来ない父親がいなくても食事にありつく手段に辿り着けるように、父親に無理を言って買わせた[6]。空手は、当時の友人から「お前よりも強いやつがいる」として紹介された田中正悟[注釈 1]に師事したほか、無想館拳心道館長の岩崎孝二から学んで二段を取得し、極真空手大山倍達の弟子たちのようにアメリカで空手道場を開きたいという夢を持っていた。北陽高校の一学年先輩には岡田彰布がいた。大学受験に失敗し、アメリカに行く金を貯めようとアルバイトに明け暮れる[7]。職種は運送業の仕事を中心に行ったといい、たまに長距離トラックの助手となり、運転手に食事を奢ってもらうなどした[6]

新日本プロレス

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1977年新日本プロレスへ入門。入門の経緯については、前田本人が「田中正悟が夜中に公園で空手の練習をしていたところ佐山聡と出会い、その流れで佐山と1週間ほど共に練習をしていたところ、佐山から新間寿に話が行った」と語っている。前田はプロレスをやるつもりはなく新間に「ボクシングならやりたい」と語ったところ、新間から「モハメド・アリのジムと提携してるので、新日本のジムで体作りをしてアリのところでデビューすれば良い」と言われ、前田もその気になったという[8]。金を貯めなくてもアメリカに行け、ベニー・ユキーデと戦うこともできると考えていた[7]。しかし実際には提携の事実はなく、新間が半ばだました形で入団をさせた(当時、ユキーデは新日本の主催興行に出場していたが、前田とは対戦する機会はなかった)。

入門して1ヶ月ほどで、アントニオ猪木付き人だった佐山が『格闘技大戦争』出場に向けたトレーニングに専念するため、代わりとして猪木の付き人となった[9]。以後1年ほど、藤原喜明らとスパーリングを行う日々を過ごす。

1978年8月25日、長岡市厚生会館山本小鉄戦でデビュー。デビュー戦は長岡大会当日の試合開始前のトレーニング中に、猪木から「本日デビューさせる」と直接告げられた[10]

若手時代当時の夏場の練習に関しては、当時冷房も無く室温が最高40度の高温に達する蔵前国技館愛知県体育館、改装前の大阪府立体育館に適応できるように、47度か48度に達する密閉状態の道場でやらされたといい、しかも当時の時代柄上練習中の水分補給は禁止されていた。あまりに喉が渇くため、トイレの便器の水を飲もうかと迷う程であった。プロレス界の仕来りである1日2食のまとめ食いも、入門前は1日に5食から6食に小分けにして食べていた前田にとっては苦痛であった[6]。入門半年が経過した頃、花見の席でミスター高橋が「お前らこれからなにかとを飲まなきゃいけなくなるから、酒癖が悪いかどうかチェックするぞ」と無理やり前田に酒を飲ませたが、前田は泥酔して包丁を持って暴れたという[6]

体格が大型であることから、新日本からは将来のエース候補として期待され、1982年2月に海外修行でイギリスへ渡り、「サミー・リー」(佐山聡)の弟というギミックのもと、クイック・キック・リーKwik-Kik Lee)のリングネームで活躍[11]1983年1月25日にはウェイン・ブリッジ英語版を破り、かつてはビル・ロビンソンホースト・ホフマンも戴冠したヨーロッパ・ヘビー級王座を獲得[12]。英国マットでは、マーク・ロコピート・ロバーツパット・ローチフィット・フィンレイクラッシャー・ブラニガンマル "キングコング" カーク英語版ジャイアント・ヘイスタックス英語版とも対戦した[13]

1983年4月21日の凱旋帰国試合では、ポール・オーンドーフを相手にリバース・アームサルトにてピンフォール勝ちを収めた。5月開幕のIWGP決勝リーグ戦には「欧州代表」として[11]、11月開幕の第4回MSGタッグ・リーグ戦には藤波辰巳とのタッグチームで出場した[14]。凱旋当時は「七色のスープレックスを持つ男」と紹介され、相手をロープに飛ばしてのフライング・ニール・キックなど、ダイナミックな技で人気レスラーとなった。また、甘いマスクで女性ファンも多く、帰国した年のファンクラブの集まりでは女性が多かったことが週刊プロレスで報じられている。

若手時代、前田はジョージ高野に1勝35敗15分と大きく負け越しており、前田は「新日本プロレスの歴史上、最も素材が良く素質もあったのは間違いなくジョージ高野だ」と断言しているが、ジョージ高野は「新日本プロレスは強さを追求する大型の前田をエースにするべきだった」と述べている[15]

第1次UWF

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1984年2月29日の合同練習を最後に前田は新日本プロレスを離脱し、WWF会長でもある新間寿の仲介で3月より、WWFに遠征[16]。同月25日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてカナダのピエール・ラファエルを破り、新設されたWWFインターナショナル・ヘビー級王座を獲得[17]。ベルトには「UWF」の文字が中央に大きく施されており、その後、前田は第1次UWFへの移籍を表明した[16]。なお、このWWF遠征における前田はベビーフェイスのポジションで、アイアン・シークレネ・グレイワイルド・サモアンズジェリー・バリアントタイガー・チャン・リーミスター・フジデビッド・シュルツジョージ・スティールなどのヒール勢と対戦し、トニー・アトラスS・D・ジョーンズトニー・ガレアらとタッグを組む一方、ロッキー・ジョンソンブライアン・ブレアーなど同じベビーフェイス陣営との試合ではヒールの役割を担った[16][18]。また、新日本プロレスでの若手時代に世話になったロディ・パイパーや、前年の凱旋帰国時の対戦相手だったポール・オーンドーフとも再会して旧交を温めたという[16]アンドレ・ザ・ジャイアントマスクド・スーパースターサージェント・スロータージミー・スヌーカティト・サンタナなどが参加したバトルロイヤルにも出場した[19]

UWF参加は理想や夢のためではなく、母親が怪我で入院したため移籍金が必要だったと前田は証言している[20]。母親の件がなければ「試合の経験を積みたいと思っていたから藤波(辰爾)さんみたいに海外へ行っただろう」というが、結局「俺らの時代は "イエス" しかないから "UWFに行け" と言われたら行くしかない」として入団を決めた[21]。また前田は、猪木が当時アントン・ハイセル事業の失敗で抱えていた多額の借金返済に付き添っていたため、猪木側の資金繰り事情も知っており、後にそれを踏まえ「そこで苦労してる姿も目撃してるから "まあまあ" ってね」とも語っている[21]

UWFでは若きエースとして迎えられ、4月11日に開幕したオープニング・シリーズでは、旗揚げ戦のメインイベントでダッチ・マンテルに勝利[22]。最終戦の蔵前国技館大会では、当時まだ新日本プロレスに所属していた藤原喜明と流血戦を演じた(裁定は両者KO)[23]。その後、UWFは佐山聡の影響によりキックと関節技を中心とした格闘技色の濃いプロレススタイル(後にUWFスタイルと呼ばれる)に移行するが、「格闘技の試合は月に一度」と言う“競技志向”の佐山と「会社が大変なんだから試合を増やそう」という“興行志向”の前田が対立し、佐山は退団、後にUWFは解散。後の第2次UWFリングスでは、佐山の提唱していた「試合は月に一度」という形を踏襲しているが、この点について前田は後に「第1次の時は信用もないし、協力者もいないし、カネもないし、観客動員もなかった。やりたくてもできなかった」「新生UWFはニッポン放送マザーエンタープライズが応援してくれたから」と語っており、周辺環境が異なることを指摘している[24]

新日本プロレス提携時代

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1985年12月6日、藤原、木戸修高田伸彦山崎一夫らと共に業務提携という形で新日本プロレスに復帰。前田はリング上で「1年半UWFとしてやってきたことが何であるか確かめに来ました」とマイクアピールを行った。

1986年1月3日に開幕した「ニューイヤーダッシュ'86」でアントニオ猪木への挑戦権を賭けUWF所属選手総当たりの「UWF代表者決定リーグ戦」を開催。2月5日大阪城ホールでリーグ戦同点の藤原喜明と対戦し延長戦の末、足固めで敗れ猪木への挑戦権を逃した。翌2月6日、両国国技館で行われた猪木vs藤原戦の終了直後リングに雪崩込み猪木を蹴撃、3月26日東京体育館において前田と猪木の一騎打ちが発表されるも中止になり、新日本vsUWFの5対5イリミネーションマッチとなった。

新日本再上陸直後は力抜山星野勘太郎などの中堅レスラーを蹴りと関節技で蹂躙し、UWFの脅威を植え付けた。ロープワークを拒み従来のプロレスの技を受けないUWFのスタイルと新日本スタイルのかみ合わない試合が独特の緊張感をもたらし、格闘技的雰囲気が濃くなった。かつて格闘技世界一と呼ばれた猪木との対戦が待望されたが、復帰後にシングルマッチで実現することはなかった。

1986年4月29日、三重県津市体育館において新日本サイドの不可解なマッチメイクで、アンドレ・ザ・ジャイアントと対戦。セメントマッチだと言われているが、最後はアンドレが試合を放棄してしまい、26分35秒ノーコンテストに終わる。復帰後の新日本プロレスではディック・マードックとの対戦が23回と対外国人では最多、日本人選手では越中詩郎が34回、木村健吾が33回、上田馬之助が29回。

1986年10月9日、両国国技館で行われた「INOKI 闘魂 LIVE」における異種格闘技戦で、ドン・中矢・ニールセン逆片エビ固めでギブアップを奪い勝利。この試合を期に「新格闘王」と呼ばれ、プロレス界以外からも注目を浴びるようになった。この試合について、後年、ニールセンは「ここはこうやって、その次はこう、と流れを決めたわけではなかった。でも、ボクが言われたのは“試合を盛り上げてくれ”ということ。そして、1Rにいいパンチが入ったのに、セコンドに“アーリーノックアウトはダメだ”って言われた」と、プロレス雑誌『kamipro』で証言した。

1987年11月19日[25]後楽園ホールにおけるUWF軍対維新軍の6人タッグマッチにおいて、木戸にスコーピオン・デスロックをかけていた長州力の背後から正面へ回り込み、長州の顔面をキック(敵の固め技から味方を救う同様の攻撃はカットまたはセーブと呼ばれる)、長州に右前頭洞底骨折、全治1か月の重傷を負わせた(長州vs前田 顔面蹴撃事件。前田本人は「長州さんに蹴りを入れる前に肩を叩き ”今から蹴りますよ” と合図を送ったが肩を叩かれた長州さんが横を向いてしまった」「事件ではなく事故」と語っている[26])。このことを理由に、新日本プロレスは前田に無期限出場停止の処分を下す。その後、出場停止解除の条件として、メキシコ遠征することを指示されたが[26]、それを拒否したことにより1988年2月1日に新日本プロレスからプロレス道にもとる行為を理由に解雇される。後に前田は、プロレス雑誌「Gスピリッツ」[要ページ番号]におけるインタビューで、全日本プロレスでの天龍輪島戦の衝撃に対抗するため顔面蹴りを試みたところ、長州が顔を逸らしてしまったためにアクシデントに至ってしまったと証言している(和解済み)[要出典]。また当時マッチメイカーであり、またこの試合でレフェリーを務めていたミスター高橋によれば、セーブとしては激しい攻撃でありまた当たり所も悪く、「プロレスでやってはいけない攻撃」ではあり[25]、長州の怪我の状態が深刻であること、および長州がリング上での報復を意図していた事を鑑み予定を変えその場で試合終了とした[25]。高橋によればこのように、強力な攻撃が急所に入ってしまう事故は珍しいものではなく、通常は後に謝罪すれば収まるものであるのだが[25]、そこを猪木が(危険な攻撃は)「プロレス道にもとる」として追放処分にしてしまった判断は、「プロレスとは相手に怪我をさせないように執り行う物である」と言ったようなものだと疑問視し、むしろ遺恨試合というアングルに繋げるべきではなかったかと指摘している。しかし、実際に前田を追放したのは長州派閥であり、猪木は前田を伴って座禅を組みに行く等離脱前に関係は修復されていた。[25][注釈 2]

第2次UWF

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第2次UWFは、1988年5月12日に後楽園ホールにて「STARTING OVER」と銘打ち旗揚げ戦を行った。当時、創刊されたばかりの格闘技通信は「プロレスという言葉が嫌いな人この指とまれ」と、前田を表紙に抜擢した。

その後、前田とUWF社長の神新二との間で、神社長の会社の株式の無断の独占問題と不明朗な経理で問題が発生。1990年10月、前田は船木誠勝戦直後に、フロントを非難。これを受けたフロントは前田を出場停止処分とする。この一連の前田とフロントとの確執は前田と所属選手間にも波及。翌1991年初頭に、前田は自宅マンションに選手を招集し団体の存続性を探ろうとしたが、「前田さんの言う事だけを一方的に信用するのは不可能。」(宮戸優光)、「なんか強制されてるみたいで嫌だなぁ・・・。」(安生洋二)、などの不協和音も飛び出し、話し合いは紛糾。やむを得ず前田は解散を宣言し、第二次UWFは隆盛を極めながらも、活動期間僅か2年8ケ月という短い歴史にピリオドを打った。

リングス

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リングス設立

第2次UWF解散後の1991年春、リングスを設立。同年5月11日に横浜アリーナで旗揚げ戦を行った。リングスの興行はWOWOWで生放送された。さらには、UWF時代の人脈からオランダクリス・ドールマンの全面協力を得ることになった。正道会館からは、石井和義館長が佐竹雅昭ら空手家をリングスに派遣した。石井館長はリングス参戦によって大型興行のノウハウを蓄積しそれが後のK-1の飛躍へとつながった。

前十字靭帯の断裂、側副靭帯損傷

旗揚げ第2戦前の練習で、前田は前十字靭帯断裂、側副靭帯の重傷を負った。その後しばらくはニーブレスをつけて強行出場を続けるが、最終的には手術を行い長期欠場となった。エース不在の興行的な穴はディック・フライヴォルク・ハン高阪剛田村潔司山本宜久長井満也成瀬昌由らが埋めることになる。この頃、リングスは旗揚げ当初より続いた外国人頼りのカードから脱却する。

KOKルールの採用

1993年から始まったUFCの影響を受けて、1999年からリングスもバーリトゥードに近い完全な真剣勝負であるKOKルールを採用した。KOKルールは、グラウンド状態での顔面への打撃は禁止であったが、スタンド状態での顔面打撃を認めた画期的なルールであった。また、従来の(一部の特別な試合を除く)リングスの試合とは異なり完全な総合格闘技の試合形式で行われた。佐山は初期の修斗ルールと同じと言っていたが、グラウンドでの腹部・腰部・足部への打撃有無の違いがある。

ヒクソン・グレイシーとの対戦宣言

1997年に開催されたPRIDE.1では、高田延彦がヒクソン・グレイシーに敗北。これを機に、前田はヒクソンとの対戦を宣言し交渉を進めるが、ヒクソン側が高田延彦との試合を決めたため、実現することはなかったと1998年に前田が記者会見を開き説明した。

リングス活動停止

1999年2月21日、前田の引退試合としてアレクサンダー・カレリンと対戦し、判定(ポイント)負け。しかしながら、ロシアの英雄であるカレリンをレスリング以外の場に唯一立たせた意義は大きい。カレリンとの引退試合は民放ニュース番組で特集されるほど、世間から注目されていた。後に前田は、引退試合の相手にカレリンを選んだ理由について「本当に強い人間っていうのは、こういうことだよっていうのを証明したかった」と語っている。[27]

WOWOWによる次年度よりの放映打ち切り決定により、2002年にリングスは活動停止。しかし、リトアニア、オランダ、ロシアでは大会は継続され、日本国内でもリングス出身スタッフが運営し、リングスKOKルールを採用した格闘技イベントZSTが開催されている。

ビッグマウス(ビッグマウス・ラウド)

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2005年、元新日本プロレスの上井文彦に請われ、上井が旗揚げした新プロレスイベントビッグマウスにスーパーバイザーとして参画。同時に、船木誠勝と和解。

2006年2月26日、新生ビッグマウス・ラウド旗揚げ記念大会・徳島興行で、前田は船木と共にビッグマウス・ラウドを脱退。上井による会社資金の横領の露見、それによる資金難による団体所属選手および社員の給与未払い、道場を用意しようとしなかった等、上井の資金の使い込みをめぐる確執が脱退理由であった。

HERO'S

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ビッグマウスとK-1との提携で、「HERO'S」(総合格闘技イベント)発足時より「スーパーバイザー」として参加。同興行の看板役の他に、試合ルールの運用、選手発掘などを行う。しばしば記者会見等の公の場に姿を現した。

2007年10月5日、「HERO'S KOREA 2007」の開催発表記者会見に出席。前日10月4日にPRIDE事務所が閉鎖され活動停止となったことに関し「天網恢々粗にして漏らさず」と発言。同日深夜、HERO'S公式サイトで谷川貞治が「不適切な発言」と謝罪文を掲載する事態となった[28]

同年12月31日、「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」で田村潔司vs所英男の試合後のリング上にプレゼンターとして登場。勝利者賞のトロフィーを田村に放り投げるように押しつけるトラブルを起こした[29]

2008年2月15日、「THE OUTSIDER」(後述)の記者会見を開き、HERO'Sの発展的解消に伴い同イベントのスーパーバイザーを降板したことが発表された。それまで確執が取り沙汰されていた旧PRIDEとHERO'Sとの連立イベントDREAMについては「めでたいこと」と述べた[30]

THE OUTSIDER

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2008年1月21日、RINGS公式サイトで、いわゆる「不良」を主な対象としたアマチュアの格闘技大会「THE OUTSIDER」の立ち上げを発表し[31][32]、3月30日にディファ有明において旗揚げ大会を開催した[33]

タイトル歴

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得意技

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キャプチュード

キャプチュード(Captured:捕獲投げ)は前田が開発した変形のフロント・スープレックス。相手のキックをキャッチし、腕と片足をフックして後ろに反り投げる。投げた後そのままピンフォールが出来る。落とす角度によっては相手を脳天から落とす事も出来る。技の名は入場テーマ曲のタイトル(『CAPTURED』)に由来(それ以前は「アキラ・スペシャル」と称されていた)。

各種スープレックス

イギリス修行から凱旋した当時は「七色のスープレックスを持つ男」とリングアナウンサー古舘伊知郎が紹介した。実際には、ジャーマン・スープレックス・ホールドドラゴン・スープレックス・ホールドリバース・アームサルトダブルリストアームサルトウンターグルフ・サルトリバース・サルトスロイダーハーフハッチサルトダブルアームロック・サルト、クォーターネルソン・サルト、デアポート・スロイダーの12種類を使用していた。またタイガー・スープレックスも1986年11月21日に行われたケンドー・ナガサキ戦で披露している。

各種関節技
トーチャロイド

縦四方固からの肩関節技。両腕で相手の頭部の後ろで相手の両上腕部を抱え相手の両肩、首を極める[34]

V2アームロック

V2アームロック[35]は前田が考案した[要出典]変形の袈裟固め。デアポートスロイダーで相手をマットに叩きつけ、そのまま両腕を離さず相手の腕関節と首を極めて絞り上げる[36]サブミッション・ホールド。別名ピローアームロック

各種キック

藤波辰爾は「橋本キックや蹴りは、ある程度リーチが分かり距離が取れるけど、前田のキックや蹴りは、膝下が勢いよく伸びるため、距離が取れず避け難い」と語っている。

フライング・ニールキック

前田独特の軌道を描くニールキック(スタン・ハンセンのラリアットを足でという発想から生まれたと言われている)。横にひねりを加えつつジャンプし、踵を相手の顔面や胸元に当てる。

大車輪キック

縦回転で放たれるニールキック。足の長い前田が使用するのが「大車輪」の由来。藤波辰爾を大流血に追い込んだこともある(藤波を流血に追い込んだ時はコーナーに追い詰めてから「直角蹴り」(膝への前蹴り)からのコンビネーション)。また、藤波の額には前田の大車輪キックで負った傷が未だに残っている [37]

ジャンピング・ニー・バット

ジャンピング・ニー・バットは新日での凱旋帰国後、坂口征二とタッグの際に多用。これは、対戦相手として多く組まれた外人選手がニールキックを受けるのを嫌ったことに起因する。

膝蹴り

膝蹴りは首相撲から相手の腹部や顔面に膝蹴りを叩きこむ。繋ぎで使うことが多い。新生UWF時代に田村潔司を長期欠場(眼底骨折)に追い込んだのもこの技である。

戦績

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第1次UWF

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旧UWF(1984年4月~1985年9月2日)
勝敗 対戦相手 タッグパートナー 試合結果 会場  開催年月日  備考
 ダッチ・マンテル 8分33秒 ジャーマンスープレックス 大宮スケートセンター 1984年4月11日 UWF旗揚げ戦
 ボブ・スウィータン 11分14秒 片エビ固め 熊谷市体育館 1984年4月12日
 ダッチ・マンテル 6分48秒 体固め 下関市体育館 1984年4月14日
 スコット・ケーシー 11分41秒 体固め 萩原町あさぎり体育館 1984年4月16日
 藤原喜明 10分37秒 両者フェンスアウト 蔵前国技館 1984年4月17日
 高田伸彦
 ザ・タイガー
藤原喜明 16分24秒 
○藤原(原爆固め)高田×
後楽園ホール 1984年7月23日
 フレンチ・マーテル 8分53秒 三角絞め 後楽園ホール 1984年7月24日
 ランバージャック
 ジェリー・オルスキー
 ジャック・スヌーカ英語版
藤原喜明
高田伸彦
22分11秒
高田(三角絞め)ランバージャック×
高崎市中央体育館 1984年8月29日
 ピエール・ラファエル
 フレンチ・マーテル
高田伸彦 16分47秒
○前田(三角絞め)ラファエル×
岡谷市民会館 1984年8月30日
 ジャック・スヌーカ 14分35秒 体固め 古河市体育館 1984年8月31日
 ジェリー・オルスキー
 ジャック・スヌーカ
藤原喜明 20分17秒
○前田(アバラ折り)スヌーカ×
戸倉町体育館 1984年9月2日
 フレンチ・マーテル 10分29秒 体固め 上田市民体育館 1984年9月4日
 ピエール・ラファエル
 フレンチ・マーテル
高田伸彦 16分49秒
○高田(逆十字固め)マーテル×
館林市民会館 1984年9月5日
 マーク・ルーイン 14分01秒 卍固め 後楽園ホール 1984年9月7日
 ピエール・ラファエル
 ジャック・スヌーカ
藤原喜明 18分50秒
○前田(卍固め)ラファエル×
越谷市体育館 1984年9月8日
 ザ・UFO 13分20秒 寝技式卍固め 足利市体育館 1984年9月10日
×  スーパータイガー 18分55秒 羽根折り顔面絞め 後楽園ホール 1984年9月11日 実力No.1決定戦
×  木戸修
 藤原喜明
S・タイガー 25分35秒
○藤原(羽根折り顔面絞め)タイガー×
後楽園ホール 1984年10月5日
 ジェリー・オルスキー 13分32秒 卍固め 用賀駅前広場特設リング 1984年10月6日
 キューバン・アサシン 10分08秒 卍固め 熊本市体育館 1984年10月9日
 フィル・ラファイアー 10分08秒 逆卍固め 博多スターレーン 1984年10月10日
 スティーブン・ペティパス
 スイート・ダディ・シキ
藤原喜明 22分13秒
○前田(卍固め)シキ×
飯塚市体育館 1984年10月11日
 スイート・ダディ・シキ 15分41秒 三角絞め 萩市体育館 1984年10月13日
 フィル・ラファイアー
 スティーブン・ペティパス
山﨑一夫 25分05秒
○前田(卍固め)ラファイアー×
宇佐市サンリブ
四日市店駐車場特設リング
1984年10月14日
 フィル・ラファイアー
 タブー・サモア
木戸修 16分33秒
○前田(卍固め)サモア×
姫路市厚生会館 1984年10月17日
 フランク・モレロ 14分27秒 卍固め 松江市総合体育館 1984年10月19日
 高田伸彦 20分17秒 変形三角絞め 徳山市体育館 1984年10月20日
 山﨑一夫 17分23秒 変形三角絞め 広島県立体育館 1984年10月22日
 フィル・ラファイアー 15分29秒 変形三角絞め 山形県体育館 1984年10月24日
 キューバン・アサシン 12分35秒 卍固め 福島市体育館 1984年10月25日
×  木戸修
 藤原喜明
S・タイガー 40分16秒
○藤原(三角絞め)タイガー×
後楽園ホール 1984年11月15日
 スコット・マギー 21分36秒 変形三角締め 東部町町民体育館 1984年11月17日
 マッハ隼人 17分07秒 原爆固め 大津市皇子が丘公園体育館 1984年11月20日
 サイクロン・ネグロ
 ピート・ロバーツ
藤原喜明 22分07秒
○前田(卍固め)ネグロ×
西尾市体育館 1984年11月21日
 サイクロン・ネグロ 13分57秒 卍固め 犬山市体育館 1984年11月23日
 キース・ハワード 19分43秒 首固め 飛騨高山市体育館 1984年11月24日
スコッティ・ウイリアムス 14分32秒 卍固め 穂高町総合体育館 1984年11月28日
 スコット・マギー
 キース・ハワード
S・タイガー 28分37秒
○タイガー(羽根折顔面絞め)ハワード×
佐野市民体育館 1984年11月29日
 サイクロン・ネグロ 7分01秒 卍固め 浜松市体育館 1984年12月4日
 キース・ハワード
 木戸修
ピート・ロバーツ 30分00秒
時間切れ引き分け
後楽園ホール 1984年12月5日
×  スーパータイガー 22分18秒 横三角締め 後楽園ホール 1985年1月7日 格闘技ロード公式リーグ
 ウェイン・ブリッジ英語版 20分11秒 横三角締め 松戸市運動公園体育館 1985年1月8日
 ウェイン・ブリッジ
 ジョニー・ロンドス
藤原喜明 24分04秒
○藤原(三角締め)ロンドス×
市原市臨海体育館 1985年1月10日
 テリー・ロッヂ 14分50秒 卍固め 福生市民体育館 1985年1月11日
 空中正三 14分32秒 三角締め 豊川市体育館 1985年1月13日
 デーブ・フィンレー
 バーナード・ライト
高田伸彦 15分11秒
○高田(三角締め)ライト×
飯田勤労者体育センター 1985年1月15日
 山﨑一夫 19分09秒 飛龍原爆固め 大阪府立臨海スポーツセンター 1985年1月16日
 デーブ・フィンレー 14分09秒 卍固め 海南市立総合体育館 1985年1月17日
×  木戸修 25分46秒 レフリーストップ 後楽園ホール 1985年1月20日 格闘技ロード公式リーグ
 山﨑一夫 22分12秒 三角締め 後楽園ホール 1985年2月18日 格闘技ロード公式リーグ
 マッハ隼人 17分32秒 横三角締め 横須賀市立総合体育館 1985年2月20日
 ラウル・マタ英語版 16分35秒 横三角締め 松阪市総合体育館 1985年2月22日
 高田伸彦 23分20秒 逆エビ固め 泉佐野市民体育館 1985年2月23日 格闘技ロード公式リーグ
 マーティン・ジョーンズ英語版 18分53秒 卍固め 博多スターレーン 1985年2月24日
 ミレ・ツルノ 14分16秒 横三角締め 北九州市西日本総合展示場 1985年2月26日
 ジョニー・サウス
 ミレ・ツルノ
藤原喜明 25分40秒
○前田(横三角締め)サウス×
熊谷市民体育館 1985年2月28日
×  藤原喜明 25分59秒 三角締め 後楽園ホール 1985年3月2日 格闘技ロード公式リーグ
 ディーン・ソルコフ 24分17秒 横三角締め 戸田市スポーツセンター 1985年3月3日
 マッハ隼人 11分08秒 三角締め 木更津市倉形スポーツ会館 1985年4月6日 格闘技ロード公式リーグ
 カズウェル・マーティン
 オマール・アトラス英語版
藤原喜明 21分51秒
○前田(卍固め)マーティン×
越谷市民体育館 1985年4月8日
 空中正三 10分14秒 羽根折り顔面絞め 後楽園ホール 1985年4月12日 格闘技ロード公式リーグ
×  木戸修
 藤原喜明
S・タイガー 29分29秒
○藤原(肩固め)タイガー×
万博お祭り広場 1985年4月14日
 山崎一夫
 藤原喜明
高田伸彦 23分42秒
○前田(変形足首固め)山崎×
相模原市総合体育館 1985年4月16日
 レイ・スチール 16分02秒 変形足首固め 松本市総合体育館 1985年4月17日
 マッハ隼人 10分27秒 変形足首固め 諏訪湖スポーツセンター 1985年4月18日
 カズウェル・マーティン
 タルバー・シン
S・タイガー 19分27秒
○前田(変形足首固め)シン×
長野県民体育館 1985年4月20日
 オマール・アトラス
 タルバー・シン
藤原喜明 15分55秒
○前田(変形足首固め)アトラス×
青森市民体育館 1985年4月23日
 タルバー・シン 15分15秒 卍固め 五所川原市民体育館 1985年4月24日
 オマール・アトラス 8分32秒 卍固め 後楽園ホール 1985年4月26日
 高田伸彦 19分20秒 横三角絞め 下関体育館 1985年5月18日 格闘技ロード4位決定戦
 キース・ハワード 16分03秒 腕固め 広島県立体育館 1985年7月8日 Aリーグ公式戦
×  藤原喜明 16分03秒 アキレス腱固め 静岡産業館 1985年7月13日 Aリーグ公式戦
 高田伸彦 14分34秒 逆エビ固め 大阪府立臨海スポーツセンター 1985年7月17日 Aリーグ公式戦
×  木戸修 15分46秒 逆エビ固め 後楽園ホール 1985年7月21日 Aリーグ公式戦
 スーパータイガー 16分01秒 逆エビ固め 大田区体育館 1985年7月25日 Aリーグ公式戦
×  藤原喜明 16分01秒 アキレス腱固め 岐阜産業館 1985年8月25日 公式リーグ戦
 高田伸彦 13分50秒 ヒザ固め 大宮スケートセンター 1985年8月29日 公式リーグ戦
×  スーパータイガー 18分57秒 反則負け 大阪府立臨海スポーツセンター 1985年9月2日 公式リーグ戦

UWFと新日本プロレスの業務提携時代

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新日業務提携時代(1986年1月3日~1987年11月19日)
勝敗 対戦相手 タッグパートナー 試合結果 会場  開催年月日  備考
 高田伸彦 11分59秒 逆片エビ固め 後楽園ホール 1986年1月3日 UWF代表者決定リーグ戦
 小杉俊二
 越中詩郎
木戸修 11分07秒
○前田(腕ひしぎ十字固め)小杉×
本庄市民体育館 1986年1月8日
×  藤原喜明 15分58秒 脇固め 船橋市運動公園体育館 1986年1月10日 UWF代表者決定リーグ戦
 金秀洪
 星野勘太郎
山崎一夫 11分07秒
○前田(腕ひしぎ十字固め)金×
豊岡市民体育館 1986年1月14日
 高田伸彦 8分46秒 リングアウト 姫路市厚生会館 1986年1月15日 UWF代表者決定リーグ戦
 山崎一夫
 藤原喜明
木戸修 12分05秒
○前田(ヒザ十字固め)山崎×
鳥栖市民体育館 1986年1月16日
 木戸修 13分16秒 ヒザ十字固め 博多スターレーン 1986年1月18日 UWF代表者決定リーグ戦
 後藤達俊
 ドン荒川
木戸修 12分52秒
○前田(体固め)後藤×
飯塚市体育館 1986年1月20日
 橋本真也
 力抜山
木戸修 11分04秒
○前田(逆十字固め)橋本×
徳山市体育館 1986年1月22日
 山崎一夫 10分59秒 ヒザ十字固め 静岡産業館 1986年1月24日 UWF代表者決定リーグ戦
 藤原喜明 11分31秒 羽根折り腕固め 豊川市体育館 1986年1月26日 UWF代表者決定リーグ戦
×  木戸修 11分58秒 反則負け 古河市体育館 1986年1月31日 UWF代表者決定リーグ戦
 山崎一夫 11分04秒 ヒザ十字固め 本吉総合体育館 1986年2月2日 UWF代表者決定リーグ戦
 山崎一夫
 藤原喜明
木戸修 13分28秒
○前田(脇固め)山崎×
白石市体育館 1986年2月3日
×  藤原喜明 12分21秒 両者リングアウト
延長7分26秒 足固め
大阪城国際文化ホール 1986年2月5日 UWF代表者決定リーグ戦
 力抜山 10分45秒 片エビ固め 熊谷市民体育館 1986年2月28日
×  越中詩郎
 木村健吾
 藤波辰巳
高田伸彦
藤原喜明
13分28秒
○藤波(原爆固め)高田×
後楽園ホール 1986年3月1日
 ザ・ジャッカル 5分57秒 体固め 黒磯公会堂 1986年3月3日
 星野勘太郎
 越中詩郎
 木村健吾
木戸修
藤原喜明
14分51秒
○前田(アキレス腱固め)星野×
横浜文化体育館 1986年3月4日
 ブラック・キャット
 星野勘太郎
 藤波辰巳
山崎一夫
木戸修
16分45秒
前田(アキレス腱固め)キャット×
勝田市総合体育館 1986年3月5日
×  越中詩郎
 木村健吾
 藤波辰巳
高田伸彦
藤原喜明
20分19秒
○藤波(反則勝ち)前田×
上田市民体育館 1986年3月7日
 星野勘太郎
 ザ・コブラ
 木村健吾
高田伸彦
藤原喜明
10分52秒
木戸(両者リングアウト)コブラ
館山市民センター 1986年3月8日
 ブラック・キャット
 星野勘太郎
 藤波辰巳
山崎一夫
藤原喜明
14分35秒
前田(アキレス腱固め)キャット×
徳島市立体育館 1986年3月10日
 後藤達俊
 越中詩郎
 木村健吾
高田伸彦
木戸修
18分31秒
○前田(三角絞め)後藤×
柳井市体育館 1986年3月12日
 ニック・キニスキー 7分44秒 体固め 大野城市体育館 1986年3月13日
 星野勘太郎
 木村健吾
 藤波辰巳
高田伸彦
藤原喜明
19分02秒
○前田(アキレス腱固め)星野×
鹿児島県立体育館 1986年3月14日
 マット・ボーン 5分40秒 体固め 柳川市民体育館 1986年3月15日
 ニック・キニスキー 6分00秒 体固め 直方市体育館 1986年3月17日
×  星野勘太郎
 坂口征二
 藤波辰巳
木戸修
藤原喜明
12分54秒
○坂口(反則勝ち)木戸×
倉敷市水島体育館 1986年3月19日
 後藤達俊
 越中詩郎
 木村健吾
高田伸彦
木戸修
14分56秒
○前田(レフリーストップ)後藤×
長浜市体育館 1986年3月20日
×  上田馬之助
 アントニオ猪木
藤原喜明 14分56秒
○猪木(反則勝ち)藤原×
岐阜産業館 1986年3月21日
 力抜山
 越中詩郎
 上田馬之助
木戸修
藤原喜明
15分45秒
○前田(片エビ固め)力抜山×
尾鷲市体育文化会館 1986年3月22日
 星野勘太郎
 坂口征二
 木村健吾
木戸修
藤原喜明
12分49秒
△木戸(両者リングアウト)木村△
犬山市体育館 1986年3月23日
 ニック・キニスキー 6分18秒 片エビ固め 戸田市スポーツセンター 1986年3月24日
×  星野勘太郎
 上田馬之助
 木村健吾
 藤波辰巳
 アントニオ猪木
山崎一夫
高田伸彦
木戸修
藤原喜明
○木村(逆さ押さえ込み)山崎×
○藤原(アキレス腱固め)星野×
前田(リングアウト)木村×
△藤波(両者リングアウト)藤原△
△上田(両者リングアウト)前田
○猪木(裸絞め)高田×
○猪木(体固め)木戸×
33分38秒
東京体育館 1986年3月26日
新日本vsUWF 5対5時間無制限 イリミネーションマッチ (勝ち残りタッグ戦)猪木が一人残りで新日本の勝利
 ケリー・ブラウン英語版
 ゲシュタポ
木戸修 11分07秒
○前田(体固め)ブラウン×
後楽園ホール 1986年4月11日
 小杉俊二
 越中詩郎
藤原喜明 13分11秒
○藤原(脇固め)小杉×
所沢青果市場 1986年4月13日
 後藤達俊
 越中詩郎
 上田馬之助
木戸修
藤原喜明
11分10秒
○木戸(反則勝ち)上田×
米沢市営体育館 1986年4月15日
 後藤達俊
 小杉俊二
 上田馬之助
木戸修
藤原喜明
12分24秒
○前田(逆十字固め)後藤×
鶴岡市体育館 1986年4月16日
 ランディ・コーレイ 4分29秒 体固め 一関体育文化会館 1986年4月17日
 ゲシュタポ
 マスクド・スーパースター
木戸修 12分13秒
○前田(原爆固め)ゲシュタポ×
伊勢崎市民体育館 1986年4月18日
×  越中詩郎
 上田馬之助
山崎一夫 10分44秒
○上田(体固め)山崎×
富士市吉原体育館 1986年4月19日
 ゲシュタポ 7分21秒 体固め 木更津市倉形スポーツ会館 1986年4月20日
 ケリー・ブラウン 3分48秒 体固め 山口県体育館 1986年4月21日
 マスクド・スーパースター 9分10秒 両者リングアウト 宇部市俵田翁記念体育館 1986年4月22日
 ランディ・コーレイ 5分39秒 体固め 西都市体育館 1986年4月24日
 ディック・マードック 14分51秒 反則勝ち 熊本市体育館 1986年4月25日
 ブラック・キャット
 星野勘太郎
木戸修 10分44秒
○前田(体固め)キャット×
下関市体育館 1986年4月26日
 ランディ・コーレイ 6分1秒 片エビ固め 大阪府立臨海スポーツセンター 1986年4月27日
-  アンドレ・ザ・ジャイアント 26分35秒 無効試合 津市体育館 1986年4月29日 不穏試合
 ケリー・ブラウン 4分34秒 体固め 岡崎市体育館 1986年4月30日
 先鋒:山田恵一
 次鋒:坂口征二
 中堅:越中詩郎
 副将:木村健吾
 大将:藤波辰巳
先鋒[要曖昧さ回避]:高田伸彦
次鋒:山崎一夫
中堅:木戸修
副将[要曖昧さ回避]:藤原喜明
大将[要曖昧さ回避]:前田日明
○高田(14分27秒 アキレス腱固め)山田×
○坂口(4分40秒 カナダ式背骨折高田×
○坂口(5分22秒 逆エビ固め)山崎×
○木戸(3分33秒 首固め)坂口×
○木戸(8分13秒 反則勝ち)越中×
○木村(4分41秒 逆片エビ固め)木戸×
○藤原(6分56秒 脇固め)木村×
○藤波(8分56秒 逆さ押さえ込み)藤原×
前田(6分30秒 レフリーストップ)藤波×
両国国技館 1986年5月1日
新日本vsUWF 5対5シングル勝ち抜き戦 (20分1本勝負)前田の一人残りでUWFの勝利
×  マスクド・スーパースター
 ディック・マードック
木戸修 11分04秒
○マードック(首固め)木戸×
後楽園ホール 1986年5月16日
×  ディック・マードック 18分57秒 反則負け 川崎市体育館 1986年5月17日 IWGP王座決定リーグ戦
 越中詩郎
 上田馬之助
高田伸彦 12分04秒
○高田(反則勝ち)越中×
東金中学校体育館 1986年5月16日
 ケリー・フォン・エリック 7分55秒 両者リングアウト 後楽園ホール 1986年5月19日
×  ワイルド・サモアン
 マスクド・スーパースター
木戸修 8分32秒
○スーパースター(首固め)木戸×
池の川中央体育館 1986年5月21日
 キューバン・アサシン英語版
 ワイルド・サモアン
藤原喜明 9分44秒
○前田(片エビ固め)アサシン×
福山市体育館 1986年5月22日
 トニー・セント・クレアー
 キューバン・アサシン
 クラウス・ワラス
木戸修
藤原喜明
10分32秒
前田(片エビ固め)セントクレアー×
久留米県立体育館 1986年5月23日
×  K・V・エリック
 ワイルド・サモアン
木戸修 13分14秒
○エリック(首固め)木戸×
八代市総合体育館 1986年5月24日
 越中詩郎
 ザ・コブラ
 上田馬之助
高田伸彦
藤原喜明
15分11秒
○高田(反則勝ち)越中×
佐賀スポーツセンター 1986年5月25日
 後藤達俊
 星野勘太郎
 上田馬之助
山崎一夫
木戸修
12分38秒
○前田(片エビ固め)後藤×
大分荷揚町体育館 1986年5月26日
 小杉俊二
 星野勘太郎
木戸修 12分27秒
○前田(片エビ固め)小杉×
福岡国際スポーツセンター 1986年5月27日
 トニー・セント・クレアー
 キューバン・アサシン
 K・V・エリック
山崎一夫
藤原喜明
13分56秒
○前田(片エビ固め)アサシン×
岡山武道館 1986年5月29日
 ジミー・スヌーカ
 アンドレ・ザ・ジャイアント
藤原喜明 10分40秒
藤原(両者リングアウト)スヌーカ×
広島県立体育館 1986年5月30日
 ワイルド・サモアン 8分50秒 片エビ固め 兵庫県立文化体育館 1986年5月31日 IWGP王座決定リーグ戦
 越中詩郎
 上田馬之助
藤原喜明 7分23秒
○藤原(反則勝ち)上田×
福島県営白河市体育館 1986年6月1日
 ワイルド・サモアン
 クラウス・ワラス
 ジミー・スヌーカ
高田伸彦
木戸修
10分45秒
○前田(片エビ固め)ワラス×
青森市民体育館 1986年6月2日
 上田馬之助
 木村健吾
木戸修 7分6秒
前田(両者フェンスアウト)上田
帯広市総合体育館 1986年6月3日
 ワイルド・サモアン
 マスクド・スーパースター
木戸修 10分27秒
△前田(両者リングアウト)スーパースター△
室蘭市体育館 1986年6月4日
 上田馬之助 5分23秒 反則勝ち 札幌中央体育センター 1986年6月6日 IWGP王座決定リーグ戦
 ワイルド・サモアン 10分33秒 片エビ固め 小樽市総合体育館 1986年6月7日
 キューバン・アサシン 6分39秒 片エビ固め 八戸市体育館 1986年6月8日 IWGP王座決定リーグ戦
×  ワイルド・サモアン
 ディック・マードック
木戸修 13分29秒
○マードック(片エビ固め)木戸×
弘前市体育館 1986年6月9日
×  ワイルド・サモアン
 マスクド・スーパースター
山崎一夫 11分36秒
○スーパースター(体固め)山崎×
宮城県スポーツセンター 1986年6月10日
 上田馬之助
 木村健吾
藤原喜明 13分18秒
○前田(反則勝ち)上田×
南足柄市総合体育館 1986年6月11日
 藤波辰巳 22分05秒 両者KO 大阪城国際文化ホール 1986年6月12日 IWGP王座決定リーグ戦
 クラウス・ワラス
 マスクド・スーパースター
藤原喜明 10分25秒
○藤原(逆さ押さえ込み)ワラス×
川越市民体育館 1986年6月13日
 キューバン・アサシン
 ディック・マードック
木戸修 14分39秒
○木戸(首固め)アサシン×
浜松市体育館 1986年6月14日
 ジミー・スヌーカ 12分34秒 片エビ固め 稲毛マリンピア Sアリーナ 1986年6月15日 IWGP王座決定リーグ戦
 ワイルド・サモアン
 マスクド・スーパースター
 ディック・マードック
木戸修
藤原喜明
11分26秒
○前田(片エビ固め)サモアン×
愛知県体育館 1986年6月17日
×  ディック・マードック 16分22秒 リングアウト 松戸市運動公園体育館 1986年6月18日 IWGP王座決定リーグ戦
 ワイルド・サモアン
 ジミー・スヌーカ
木戸修 11分55秒
○前田(逆さ押さえ込み)サモアン×
両国国技館 1986年6月19日
 木村健吾 6分58秒 両者フェンスアウト 京都府立体育館 1986年6月20日 佐川急便杯トーナメント
 上田馬之助
 木村健吾
藤原喜明 10分20秒
△前田(両者フェンスアウト)木村△
後楽園ホール 1986年7月4日
 ジョニー・マンテル 8分33秒 片エビ固め 草加市健康都市記念体育館 1986年7月5日
 後藤達俊
 星野勘太郎
 越中詩郎
高田伸彦
藤原喜明
12分25秒
○前田(体固め)後藤×
萩原町あさぎり体育館 1986年7月8日
 ジョニー・マンテル 8分41秒 片エビ固め 長野スケートセンター 1986年7月9日
 ブラック・キャット
 越中詩郎
 木村健吾
山崎一夫
藤原喜明
13分22秒
○前田(膝十字固め)キャット×
恵那市体育館 1986年7月10日
 ジョージ高野
 木村健吾
木戸修 17分32秒
○前田(反則勝ち)高野×
春日井市総合体育館 1986年7月11日
 上田馬之助
 木村健吾
木戸修 11分31秒
△前田(両者フェンスアウト)上田△
秩父市民体育館 1986年7月14日
 ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
木戸修 11分02秒
○木戸(反則勝ち)ポーゴ×
富山市体育館 1986年7月15日
 バッドニュース・アレン
 ハクソー・ヒギンズ
藤原喜明 7分23秒
○前田(体固め)ヒギンズ×
高崎市体育館 1986年7月16日
-  ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
藤原喜明 12分16秒
無効試合
松本市総合体育館 1986年7月18日
 越中詩郎
 木村健吾
 藤波辰巳
木戸修
藤原喜明
12分04秒
○前田(片エビ固め)越中×
後楽園ホール 1986年7月19日
 木村健吾 8分52秒 両者フェンスアウト 東急建設甲府駐車場特設リング 1986年7月20日
×  アレックス・スミルノフ
 スティーブ・ウィリアムス
木戸修 8分01秒
×木戸(体固め)ウィリアムス
新潟市体育館 1986年7月22日
 ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
藤原喜明 10分48秒
△藤原(両者フェンスアウト)ポーゴ△
会津市体育館 1986年7月23日
 ジョニー・マンテル
 バッドニュース・アレン
 アレックス・スミルノフ
山崎一夫
木戸修
11分56秒
○前田(体固め)マンテル×
大船渡市体育館 1986年7月24日
 スティーブ・ウィリアムス
 バッドニュース・アレン
藤原喜明 14分58秒
△藤原(両者リングアウト)アレン△
秋田県立体育館 1986年7月25日
 バッドニュース・アレン
 ハクソー・ヒギンズ
木戸修 9分04秒
△前田(両者リングアウト)アレン△
大館市体育館 1986年7月26日
 ジョニー・マンテル 10分10秒 片エビ固め 十和田市民体育館 1986年7月27日
 ブラック・キャット
 星野勘太郎
木戸修 9分49秒
○前田(体固め)キャット×
西明石弁財天町広場特設リング 1986年7月29日
 ハクソー・ヒギンズ 6分49秒 両者リングアウト 三田市ニチイ駐車場特設リング 1986年7月27日
×  ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
木戸修 11分35秒
○ナガサキ(首固め)木戸×
福井市営体育館 1986年7月31日
 ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
木戸修 12分00秒
○木戸(エビ固め)ポーゴ×
姫路市厚生会館 1986年8月1日
 ジョニー・マンテル
 バッドニュース・アレン
高田伸彦 11分36秒
○前田(片エビ固め)マンテル×
堺大浜相撲場特設リング 1986年8月2日
 上田馬之助 7分1秒 反則勝ち 大田原市城山公園特設リング 1986年8月3日
×  上田馬之助
 木村健吾
木戸修 10分53秒
○木村(反則負け)前田×
諏訪湖スポーツセンター 1986年8月4日
 木村健吾
 藤波辰巳
木戸修 13分52秒
○木戸(首固め)木村×
両国国技館 1986年8月5日
IWGPタッグ選手権 王座獲得(第2代王者)
 ジョニー・マンテル
 ハクソー・ヒギンズ
木戸修 9分50秒
○前田(片エビ固め)マンテル×
露橋スポーツセンター 1986年8月7日
 木村健吾
 藤波辰巳
木戸修 14分01秒
両軍リングアウト
後楽園ホール 1986年8月29日
IWGPタッグ王座 防衛1
 越中詩郎
 上田馬之助
 木村健吾
高田伸彦
木戸修
12分23秒
△高田(両者フェンスアウト)越中△
南浦和競馬駐車場特設リング 1986年8月31日
 星野勘太郎
 上田馬之助
 木村健吾
山崎一夫
藤原喜明
9分51秒
○藤原(反則勝ち)上田×
小諸市総合体育館 1986年9月1日
 ケビン・ケリー 1分25秒 片エビ固め 池田町総合体育館 1986年9月2日
 ジョージ高野
 上田馬之助
木戸修 10分20秒
○前田(片エビ固め)高野×
栃木体育館 1986年9月4日
 マッド・マックス英語版
 スーパー・マックス
木戸修 8分19秒
○木戸(反則勝ち)マックス×
千葉公園体育館 1986年9月5日
 ジェリー・グレイ 9分37秒 片エビ固め 新柏駅特設リング 1986年9月7日
 ケビン・ケリー
 ジェリー・グレイ
木戸修 8分27秒
○前田(片エビ固め)ケリー×
棚倉町総合体育館 1986年9月8日
 エンゼル・オブ ・デス英語版
 ブラック・タイガー
高田伸彦 9分14秒
○前田(片エビ固め)デス×
大東町民体育館 1986年9月9日
 ジェリー・グレイ 6分49秒 片エビ固め 十文字総合文化センター 1986年9月10日
 エンゼル・オブ ・デス
 ジェリー・グレイ
藤原喜明 10分50秒
○藤原(逆さ押さえ込み)デス×
岩手県営体育館 1986年9月11日
 ケビン・ケリー
 エンゼル・オブ ・デス
藤原喜明 9分19秒
○前田(片エビ固め)ケリー×
山形県体育館 1986年9月12日
 エンゼル・オブ ・デス
 ジェリー・グレイ
木戸修 9分24秒
○前田(片エビ固め)デス×
五所川原市体育館 1986年9月13日
 ケビン・ケリー 6分24秒 片エビ固め 那智勝浦町体育文化会館 1986年9月15日
 星野勘太郎
 越中詩郎
 ジョージ高野
 木村健吾
 藤波辰巳
山崎一夫
高田伸彦
木戸修
藤原喜明
○木村(逆さ押さえ込み)木戸×
前田(羽根折顔面絞め)木村×
○藤波(サソリ固め)山﨑×
○藤原(脇固め)高野×
△藤原(両者リングアウト)星野△
前田(両者リングアウト)藤波△
○高田(変形後方回転エビ固め)越中×

21分22秒
大阪城ホール 1986年9月16日
新日本vsUWF 5対5 時間無制限エリミネーションマッチ(勝ち残りタッグ戦Ⅱ)高田が一人残りでUWFの勝利
 エンゼル・オブ ・デス
 ジェリー・グレイ
木戸修 8分52秒
○前田(片エビ固め)グレイ×
長崎国際体育館 1986年9月18日
 ケビン・ケリー
 ジェリー・グレイ
木戸修 7分20秒
○前田(片エビ固め)ケリー×
福岡スポーツセンター 1986年9月19日
 ジェリー・グレイ 9分20秒 片エビ固め 熊本市体育館 1986年9月20日
×  木村健吾
 藤波辰巳
木戸修 15分18秒
○木村(エビ固め)木戸×
後楽園ホール 1986年9月23日
IWGPタッグ王座 防衛失敗
 ケビン・ケリー
 ジェリー・グレイ
藤原喜明 11分18秒
○前田(片エビ固め)ケリー×
四日市体育館 1986年9月24日
 ジェリー・グレイ 8分04秒 片エビ固め 鹿島町立体育館 1986年9月25日
 ドン・中矢・ニールセン 5R 2分26秒 逆片エビ固め 両国国技館 1986年10月9日
INOKI闘魂LIVE 異種格闘技戦 10回戦 1R 3分
 マスクド・スーパースター
 ディック・マードック
木戸修 10分40秒
木戸(首固め)スーパースター×
後楽園ホール 1986年11月14日 ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦
×  ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
 マスクド・スーパースター
高田伸彦
木戸修
10分39秒
スーパースター(体固め)木戸×
高崎市中央体育館 1986年11月15日
×  トンガ・キッド
 マスクド・スーパースター
高田伸彦 8分28秒
スーパースター(体固め)高田×
日産自動車村山工場
グラウンド特設リング
1986年11月16日
 ミスター・ポーゴ 8分11秒 片エビ固め 一宮市産業体育館 1986年11月17日
×  武藤敬司
 藤波辰巳
木戸修 16分54秒
○藤波(リングアウト)木戸×
大田区体育館 1986年11月18日 ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦
 ワイルド・サモアン 7分52秒 体固め 十日町市民体育館 1986年11月20日
 ケンドー・ナガサキ 11分21秒 反則勝ち 新潟市体育館 1986年11月21日
 越中詩郎
 木村健吾
木戸修 10分16秒
△木村(両者フェンスアウト)木戸△
長岡市厚生会館 1986年11月22日
 坂口征二 9分55秒 反則勝ち 札幌中島体育センター 1986年11月24日
 越中詩郎
 木村健吾
木戸修 10分58秒
△山崎(両者フェンスアウト)越中△
滝川青少年体育センター 1986年11月25日
 トンガ・キッド
 ワイルド・サモアン
木戸修 11分19秒
○前田(片エビ固め)キッド×
函館市民体育館 1986年11月26日 ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦
 ワイルド・サモアン
 ジミー・スヌーカ
 マスクド・スーパースター
高田伸彦
木戸修
11分34秒
前田(片エビ固め)サモアン×
八戸市体育館 1986年11月27日
 ジョージ高野
 木村健吾
木戸修 11分24秒
○木村(首固め)木戸×
郡山市総合体育館 1986年11月28日 ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦
 マスクド・スーパースター 7分46秒 両者リングアウト 沼津市体育館 1986年11月29日
 ワイルド・サモアン 7分29秒 体固め 川内市立体育館 1986年12月1日
 トンガ・キッド 4分34秒 片エビ固め 都城市体育館 1986年12月2日
 ディック・マードック 11分28秒 反則勝ち 鹿児島県立体育館 1986年12月3日
 トンガ・キッド
 ジミー・スヌーカ
木戸修 10分58秒
○前田(片エビ固め)キッド×
大分県立荷揚町体育館 1986年12月4日
 ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
木戸修 8分18秒
○前田(片エビ固め)ポーゴ×
高知県民体育館 1986年12月6日 ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦
 マスクド・スーパースター 7分39秒 反則勝ち 松阪市総合体育館 1986年12月7日
 高田伸彦
 越中詩郎
木戸修 22分52秒
○木戸(首固め)越中×
愛知県体育館 1986年12月8日 ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦
 トンガ・キッド 6分27秒 片エビ固め 静岡産業館 1986年12月9日
 藤原喜明
 アントニオ猪木
木戸修 17分33秒
○前田(リングアウト)猪木×
大阪城ホール 1986年12月10日 ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦
 マスクド・スーパースター
 ディック・マードック
木戸修 14分43秒
前田(回転エビ固め)スーパースター×
両国国技館 1986年12月11日 ジャパンカップ争奪
タッグリーグ戦
×  藤原喜明
 アントニオ猪木
木戸修 13分32秒
○猪木(卍固め)木戸×
両国国技館 1986年12月11日 優勝戦
ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦 準優勝
 キューバン・アサシン 4分24秒 片エビ固め 後楽園ホール 1987年1月2日
 トニー・セント・クレアー
 ブラック・バート
木戸修 9分15秒
木戸(逆エビ固め)セントクレアー×
後楽園ホール 1987年1月3日
×  ブレット・ソイヤー英語版
 バズ・ソイヤー
木戸修 9分15秒
○バズ(片エビ固め)木戸×
川越市民体育館 1987年1月4日
 越中詩郎
 上田馬之助
藤原喜明 11分23秒
○前田(反則勝ち)越中×
多賀城市総合体育館 1987年1月5日
 ブラック・バート 8分36秒 片エビ固め 石巻市総合体育館 1987年1月6日
 バズ・ソイヤー 10分43秒 反則勝ち いわき市総合体育館 1987年1月7日
 コンガ・ザ・バーバリアン 7分22秒 両者フェンスアウト 銚子市体育館 1987年1月9日
 ブラック・バート
 バズ・ソイヤー
藤原喜明 10分39秒
○前田(体固め)バート×
館山市民センター 1987年1月10日
 キューバン・アサシン
 トニー・セント・クレアー
木戸修 11分13秒
○木戸(逆エビ固め)アサシン×
桐生市体育館 1987年1月12日
 トニー・セント・クレアー
 コンガ・ザ・バーバリアン
藤原喜明 9分24秒
前田(片エビ固め)セントクレアー×
君津市体育館 1987年1月13日
 上田馬之助
 ジョージ高野
木戸修 10分05秒
○前田(片エビ固め)高野×
東大阪市立中央体育館 1987年1月16日
 越中詩郎
 上田馬之助
 藤波辰巳
木戸修
藤原喜明
10分14秒
△木戸(両者リングアウト)藤波△
高松市民文化センター 1987年1月17日
 コンガ・ザ・バーバリアン 7分10秒 反則勝ち 武雄市白岩体育館 1987年1月19日
×  ブレット・ソイヤー
 バズ・ソイヤー
木戸修 9分58秒
○バズ(片エビ固め)木戸×
島原市民体育館 1987年1月20日
 越中詩郎
 ジョージ高野
木戸修 10分57秒
○前田(リングアウト)越中×
熊本市体育館 1987年1月21日
 ブラック・バート 8分30秒 片エビ固め 本渡市民センター 1987年1月22日
×  ブレット・ソイヤー
 バズ・ソイヤー
木戸修 10分15秒
○木戸(回転エビ固め)ブレット×
水俣市体育館 1987年1月23日
 キューバン・アサシン 7分48秒 片エビ固め 飯塚市体育館 1987年1月24日
 バズ・ソイヤー 7分24秒 反則勝ち 北九州市若松体育館 1987年1月25日
 キューバン・アサシン
 ブレット・ソイヤー
木戸修 7分54秒
○前田(片エビ固め)アサシン×
小野田市体育館 1987年1月26日
 コンガ・ザ・バーバリアン
 ブラック・バート
藤原喜明 9分47秒
○藤原(反則勝ち)バート×
岩井町[要曖昧さ回避]立町民総合体育館 1987年1月28日
×  バズ・ソイヤー 8分01秒 反則負け 福山市体育館 1987年1月29日
 上田馬之助
 ジョージ高野
木戸修 9分01秒
○木戸(反則勝ち)上田×
兵庫県立文化体育館 1987年1月30日
 越中詩郎
 藤波辰巳
高田伸彦 23分49秒
○高田(KO)越中×
加須市民体育館 1987年2月2日
 上田馬之助
 坂口征二
藤原喜明 8分59秒
○藤原(反則勝ち)坂口×
岐阜産業館 1987年2月4日
 武藤敬司
 藤波辰巳
藤原喜明 12分34秒
△前田(両者フェンスアウト)武藤△
両国国技館 1987年2月5日
 武藤敬司
 越中詩郎
高田伸彦 18分06秒
△高田(両者フェンスアウト)武藤△
伊勢崎市民体育館 1987年2月23日 IWGPタッグ王座
争奪リーグ戦
 ルーク・ウィリアムス 5分12秒 片エビ固め 原町市民体育館 1987年2月24日
×  越中詩郎
 武藤敬司
 ジョージ高野
高田伸彦
木戸修
10分10秒
○高野(反則勝ち)木戸×
名取市総合体育館 1987年2月25日
 ジェリー・グレイ 7分10秒 片エビ固め 豊橋市体育館 1987年2月27日
 ジョージ高野
 武藤敬司
 藤波辰巳
木戸修
藤原喜明
17分46秒
○前田(飛龍原爆固め)武藤×
後楽園ホール 1987年2月28日
 リック・スタイナー 8分02秒 反則勝ち 高萩市民体育館 1987年3月1日
 ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
高田伸彦 10分19秒
○前田(羽根折り顔面絞め)ポーゴ×
草加市スポーツ健康
都市記念体育館
1987年3月2日 IWGPタッグ王座
争奪リーグ戦
×  ジョージ高野
 藤波辰巳
高田伸彦 13分15秒
○高野(反則負け)高田×
愛知県体育館 1987年3月4日 IWGPタッグ王座
争奪リーグ戦
 ジェリー・グレイ 7分48秒 片エビ固め 津山総合体育館 1987年3月5日
 ミスター・ポーゴ
 ケンドー・ナガサキ
高田伸彦 11分4秒
○高田(反則勝ち)ナガサキ×
益田市民体育館 1987年3月6日
×  木戸修
 藤原喜明
高田伸彦 14分38秒
○藤原(ヒザ十字固め)高田×
博多スターレーン 1987年3月7日 IWGPタッグ王座
争奪リーグ戦
 ジェリー・グレイ 6分10秒 片エビ固め 直方市体育館 1987年3月8日
 ジョージ・ウェルズ 5分2秒 片エビ固め 池田会館 1987年3月9日
 ジェリー・グレイ
 リック・スタイナー
高田伸彦 9分24秒
○高田(体固め)グレイ×
岡山武道館 1987年3月11日
 ブッチ・ミラー
 ルーク・ウィリアムス
高田伸彦 8分34秒
○前田(片エビ固め)ウィリアムス×
丸亀市体育館 1987年3月12日 IWGPタッグ王座
争奪リーグ戦
 ジョージ・ウェルズ 8分34秒 片エビ固め 豊橋市民体育館 1987年3月14日
 ブッチ・ミラー
 ルーク・ウィリアムス
高田伸彦 11分10秒
○前田(片エビ固め)ミラー×
淡路勤労センター 1987年3月15日
 スティーブ・ウィリアムス 10分22秒 反則勝ち 岡崎市体育館 1987年3月16日
 ジェリー・グレイ 6分35秒 片エビ固め 南足柄市総合体育館 1987年3月18日
 リック・スタイナー
 スティーブ・ウィリアムス
高田伸彦 11分51秒
○前田(片エビ固め)スタイナー×
勝田市総合体育館 1987年3月19日 IWGPタッグ王座
争奪リーグ戦
×  越中詩郎
 武藤敬司
高田伸彦 17分4秒
○越中(首固め)高田×
後楽園ホール 1987年3月20日 IWGPタッグ王座
優勝戦
IWGPタッグ選手権争奪リーグ戦 準優勝
 越中詩郎
 武藤敬司
高田伸彦 15分29秒
○高田(ヒザ十字固め)越中×
INOKI闘魂LIVEパート2
大阪城ホール
1987年3月26日
IWGPタッグ選手権 王座獲得(第5代王者)
×  レイ・キャンディ
 バッドニュース・アレン
木戸修 9分19秒
○アレン(体固め)木戸×
後楽園ホール 1987年4月6日
 バッドニュース・アレン 7分30秒 両者フェンスアウト 秩父市民体育館 1987年4月7日
 越中詩郎
 木村健吾
木戸修 12分47秒
○木戸(キドクラッチ)越中×
後楽園ホール 1987年4月8日
 デイック・マードック 7分43秒 両者リングアウト 横須賀市民総合体育館 1987年4月11日
 越中詩郎 10分43秒 片エビ固め 広島サンプラザ 1987年4月13日
 バッドニュース・アレン 7分44秒 反則勝ち 玉野総合体育館 1987年4月14日
×  マット・ボーン
 デイック・マードック
藤原喜明 12分47秒
○マードック(首固め)藤原×
新見市体育館 1987年4月15日
 バッドニュース・アレン
 C・B・ビガロ
木戸修 8分34秒
○ビガロ(体固め)木戸×
米子産業体育館 1987年4月16日
 レイ・キャンディ 6分31秒 片エビ固め 松江市総合体育館 1987年4月17日
 マット・ボーン
 C・B・ビガロ
木戸修 8分34秒
△前田(両者リングアウト)ビガロ△
柳井市体育館 1987年4月18日
×  C・B・ビガロ 7分49秒 首固め 下関市体育館 1987年4月20日 新日復帰初フォール負け
 越中詩郎
 木村健吾
藤原喜明 12分55秒
△藤原(両者フェンスアウト)越中△
姫路市厚生会館 1987年4月21日
×  バッドニュース・アレン
 C・B・ビガロ
藤原喜明 11分2秒
○ビガロ(体固め)藤原×
伊丹スポーツセンター 1987年4月22日
×  越中詩郎
 木村健吾
山崎一夫 14分41秒
○越中(エビ固め)山﨑×
堺市大浜相撲場 1987年4月23日
 レイ・キャンディ
 バッドニュース・アレン
木戸修 10分25秒
○木戸(反則勝ち)アレン×
半田市民ホール 1987年4月24日
 バッドニュース・アレン 7分32秒 両者フェンスアウト 東松山青果市場特設リング 1987年4月25日
 デイック・マードック 8分36秒 両者リングアウト 焼津市民体育館 1987年4月26日
×  越中詩郎
 木村健吾
木戸修 7分33秒
○木村(エビ固め)木戸×
両国国技館 1987年4月27日
 ハクソー・ヒギンズ 6分10秒 片エビ固め 後楽園ホール 1987年5月11日 IWGPヘビー級王者決定リーグ戦
 山崎一夫
 藤原喜明
木戸修 12分32秒
○前田(ヒザ十字固め)山崎×
札幌中島体育センター 1987年5月13日
 ジョージ高野
 木村健吾
山崎一夫 12分7秒
○前田(反則勝ち)木村×
札幌中島体育センター 1987年5月14日
 トニ・セントクレアー
 コンガ・ザ・バーバリアン 
藤原喜明 11分29秒
○前田(片エビ固め)セントクレアー×
苫小牧市そうごう体育館 1987年5月15日
 アレックス・スミルノフ
 ハクソー・ヒギンズ 
木戸修 9分40秒
△前田(両者リングアウト)ヒギンズ△
旭川市常磐体育館 1987年5月16日
×  マサ斎藤 4分22秒 リングアウト 千葉公園体育館 1987年5月16日 IWGPヘビー級王者決定リーグ戦
 アレックス・スミルノフ 6分27秒 片エビ固め ニチイ高野口店特設リング 1987年5月24日 IWGPヘビー級王者決定リーグ戦
 山崎一夫
 藤原喜明
高田伸彦 15分13秒
○前田(羽根折り顔面絞め)山崎×
宮城県営スポーツセンター 1987年5月25日
IWGPタッグ選手権 王座防衛1
×  ジョージ高野 不戦敗 大分県立荷揚町体育館 1987年5月27日 IWGPヘビー級王者決定リーグ戦
×  上田馬之助 不戦敗 熊本市体育館 1987年6月4日 IWGPヘビー級王者決定リーグ戦
 保永昇男
 小林邦昭
 S・S・マシーン
高田延彦
木村健吾
13分24秒
○木村(体固め)保永×
後楽園ホール 1987年6月29日
 マイク・ムーア 7分32秒 片エビ固め 水戸市民体育館 1987年7月1日
×  バイオレンス・ウォーロード
 バズ・ソイヤー 
木戸修 9分59秒
○ソイヤー(片エビ固め)木戸×
八戸市体育館 1987年月3日
 マイク・ムーア 7分3秒 片エビ固め 十和田市民体育館 1987年7月4日
 バッドニュース・アレン 9分28秒 反則勝ち 函館市民体育館 1987年7月6日
×  星野勘太郎
 マサ斎藤
 アントニオ猪木
木戸修
木村健吾
13分48秒
○斎藤(片エビ固め)木戸×
千葉市スポーツセンター 1987年7月7日
 ジョージ高野
 藤原喜明
 マサ斎藤
木戸修
木村健吾
11分15秒
△木戸(片エビ固め)藤原△
帯広市民総合体育館 1987年7月8日
 マイク・ムーア 6分46秒 体固め 青森県営体育館 1987年7月11日
 バイオレンス・ウォーロード 9分24秒 片エビ固め 秋田県立体育館 1987年7月12日
 星野勘太郎
 マサ斎藤
 アントニオ猪木
木戸修
木村健吾
10分6秒
○前田(片エビ固め)星野×
岩手県営体育館 1987年7月13日
 ジョニー・スミス
 バッドニュース・アレン
高田延彦 10分31秒
○前田(片エビ固め)スミス×
山形県営体育館 1987年7月14日
 マイク・ムーア 7分46秒 体固め 猪苗代町民体育館 1987年7月15日
×  バッドニュース・アレン
 C・B・ビガロ
木戸修 11分10秒
○ビガロ(片エビ固め)木戸×
新潟市体育館 1987年7月16日
 バイオレンス・ウォーロード 7分32秒 片エビ固め 長岡厚生会館 1987年7月17日
 C・B・ビガロ 4分1秒 反則勝ち 後楽園ホール 1987年7月18日
 藤原喜明
 マサ斎藤
木村健吾 10分32秒
△前田(両者リングアウト)藤原△
太田市高林ニチイ特設リング 1987年7月20日
×  藤原喜明
 マサ斎藤
 アントニオ猪木
高田延彦
木村健吾
11分48秒
○藤原(脇固め)高田×
上田市民体育館 1987年7月21日
×  藤原喜明
 マサ斎藤
高田延彦 6分33秒
○斎藤(体固め)高田×
石川県産業展示館 1987年7月22日
 バイオレンス・ウォーロード 6分47秒 片エビ固め 碧南市臨海体育館 1987年7月23日
×  星野勘太郎
 藤原喜明
 アントニオ猪木
高田延彦
木村健吾
11分53秒
○猪木(片エビ固め)木村×
泉佐野市総合体育館 1987年7月24日
 バッドニュース・アレン 6分47秒 片エビ固め 稲沢市総合体育館 1987年7月25日
 バイオレンス・ウォーロード 8分49秒 片エビ固め 八鹿町民総合体育館 1987年7月26日
 バズ・ソイヤー 8分00秒 反則勝ち 隠岐島西郷町運動グラウンド 1987年7月27日
×  星野勘太郎
 マサ斎藤
 アントニオ猪木
高田延彦
木村健吾
8分13秒
○猪木(体固め)高田×
浜田市民会館 1987年7月29日
 バイオレンス・ウォーロード 6分27秒 片エビ固め 徳山市体育館 1987年7月30日
 C・B・ビガロ 8分8秒 反則勝ち 萩市民体育館 1987年7月31日
 バズ・ソイヤー 5分40秒 両者フェンスアウト 和歌山県立体育館 1987年8月1日
 小林邦昭
 S・S・マシーン
高田延彦 17分21秒
○高田(逆さ押さえ込み)小林×
両国国技館 1987年8月2日
IWGPタッグ選手権 王座防衛2
 武藤敬司
 星野勘太郎
 藤原喜明
 坂口征二
 アントニオ猪木
S・S・マシーン
木村健吾
長州力
藤波辰巳
○長州(体固め)坂口×
○猪木(卍固め)マシーン×
○藤原(ヒザ十字固め)木村×
△前田(両者リングアウト)猪木△
○藤波(逆さ押さえ込み)藤原×
○長州(体固め)星野×
○藤波(原爆固め)武藤×
25分50秒
両国国技館 1987年8月19日
ニューリーダーvsナウリーダー 5対5時間無制限 イリミネーションマッチ 藤波・長州2人残りで新世代軍の勝利
 スーパー・ストロング・マシーン 18分19秒 レフリーストップ 両国国技館 1987年8月20日
 星野勘太郎
 藤原喜明
 坂口征二
木戸修
長州力
11分17秒
○長州(体固め)星野×
後楽園ホール 1987年8月24日
×  オーエン・ハート
 ディック・マードック
木戸修 11分18秒
○マードック(体固め)木戸×
福島市体育館 1987年8月25日
 ケンドー・ナガサキ
 上田馬之助
高田延彦 9分35秒
○前田(反則勝ち)上田×
名取市体育館 1987年8月26日
 キューバン・アサシン
 ディック・マードック
木戸修 8分59秒
○前田(片エビ固め)アサシン×
扇屋ジャスコ木更津店屋上 1987年8月27日
 オーエン・ハート
 スコット・ホール
 ディック・マードック
小林邦昭
長州力
10分12秒
○長州(体固め)ホール×
東映大泉撮影所特設リング 1987年8月28日
×  藤原喜明 18分22秒 ヒザ十字固め 後楽園ホール 1987年8月29日 UWF自主興行
 エンゼル・オブ・デス 6分5秒 片エビ固め 行徳駅前通り特設リング 1987年8月30日
×  山崎一夫
 藤原喜明
高田伸彦 17分39秒
○山崎(原爆固め)高田×
福岡国際センター 1987年9月1日
IWGPタッグ選手権 王座防衛失敗
 ジョージ高野 8分13秒 片エビ固め 長崎国際体育館 1987年9月3日
 スコット・ホール 7分44秒 両者フェンスアウト 唐津文化会館 1987年9月4日
 ディック・マードック 9分20秒 両者リングアウト 中間市体育文化センター 1987年9月5日
 エンゼル・オブ・デス 7分39秒 片エビ固め オークタウン大和高田駐車場 1987年9月6日
 藤原喜明
 アントニオ猪木
藤波辰巳 11分54秒
○前田(エビ固め)藤原×
京都府立体育館 1987年9月7日
 ケンドー・ナガサキ
 上田馬之助
 ディック・マードック
S・S・マシーン
長州力
10分34秒
○長州(体固め)上田×
岩国市体育館 1987年9月9日
 ジョージ高野 8分39秒 片エビ固め 三原リージョン体育館 1987年9月10日
 スコット・ホール 9分11秒 両者フェンスアウト 小野市ニチイ駐車場 1987年9月11日
 ジョージ高野 8分20秒 片エビ固め 平塚市平果地方卸売市場 1987年9月12日
 藤原喜明
 アントニオ猪木
長州力 9分39秒
△前田(両者リングアウト)藤原△
アイワールド相模原店 1987年9月13日
 ディック・マードック 15分5秒 反則勝ち 岡山武道館 1987年9月14日
×  マサ斎藤
 藤原喜明
高田延彦 10分51秒
○藤原(首固め)高田×
徳島市立体育館 1987年9月16日
×  ディック・マードック
 藤原喜明
 坂口征二
 マサ斎藤
 アントニオ猪木
高田延彦
S・S・マシーン
長州力
藤波辰巳
○マードック(両者リングアウト)長州×
○藤波(首固め)坂口×
○藤原(脇固め)マシーン×
○前田(首固め)藤原×
○斎藤(監獄固め)前田×
○斎藤(片エビ固め)高田×
○猪木(体固め)藤波×
28分8秒
大坂府立体育館 1987年9月17日
ニューリーダーvsナウリーダー 5対5時間無制限 イリミネーションマッチ 猪木・斎藤2人残りで旧世代軍の勝利
×  スコット・ホール
 ディック・マードック
木戸修 12分23秒
○マードック(体固め)木戸×
大宮スケートセンター 1987年9月18日
 星野勘太郎
 ケンドー・ナガサキ
 上田馬之助
木戸修
S・S・マシーン
11分17秒
○マシーン(反則勝ち)上田×
後楽園ホール 1987年9月19日
 ケンドー・ナガサキ
 上田馬之助
藤波辰巳 8分0秒
○藤波(逆さ押さえ込み)ナガサキ×
成田市体育館 1987年9月20日
 武藤敬司
 高田延彦
 ジョージ高野
 藤原喜明
 坂口征二
S・S・マシーン
木村健吾
長州力
藤波辰巳
○坂口(リングアウト)前田×
○マシーン(魔神風車固め)高田×
○藤波(リングアウト)坂口×
○藤波(首固め)武藤×
○木村(体固め)高野×
○長州(片エビ固め)藤原×
14分50秒
月寒グリーンドーム 1987年10月6日
 スコット・ホール 7分0秒 両者フェンスアウト 宜野湾市立体育館 1987年11月12日
 ロン・リッチ 5分39秒 片エビ固め 奥武山体育館 1987年11月13日
 ロン・リッチ
 ロン・スター
S・S・マシーン 10分58秒
○マシーン(片エビ固め)リッチ×
四日市体育館 1987年11月14日 ジャパンカップ公式戦
×  ディック・マードック
 アントニオ猪木
S・S・マシーン 14分12秒
○マードック(片エビ固め)マシーン×
宮城県スポーツセンター 1987年11月16日 ジャパンカップ公式戦
 武藤敬司
 高田延彦
S・S・マシーン 12分40秒
○前田(裸絞め)高田×
静岡産業館 1987年11月17日 ジャパンカップ公式戦
 ディック・マードック 12分17秒 両者リングアウト 高崎市中央体育館 1987年11月18日
×  ヒロ斎藤
 マサ斎藤
 長州力
木戸修
高田延彦
10分51秒
○長州(体固め)高田×
後楽園ホール 1987年11月19日 新日本最終試合

第2次UWF

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新生UWF(1988年5月12日~1990年10月25日)
勝敗 対戦相手 試合結果 会場 開催年月日  備考
日本の旗 山崎一夫[要曖昧さ回避] 24分56秒 片羽締め 後楽園ホール 1988年5月12日 第2次UWF旗揚げ戦
日本の旗 高田延彦 25分18秒 片羽締め 札幌中島体育センター 1988年6月11日
オランダの旗 ジェラルド・ゴルドー 4R1分10秒 裏アキレス腱固め 有明コロシアム 1988年8月13日 異種格闘技戦
日本の旗 山崎一夫 10分50秒 KO 博多スターレーン 1988年9月24日
× 日本の旗 高田延彦 20分4秒 TKO 露橋スポーツセンター 1988年11月10日
イングランドの旗 ノーマン・スマイリー 8分42秒 片羽締め 大阪府立体育館 1988年12月22日
日本の旗 高田延彦 28分58秒 逆エビ固め 日本武道館 1989年1月10日
アメリカ合衆国の旗 バート・ベイル 10分44秒 腕十字固め 徳島市体育館 1989年2月27日
日本の旗 山崎一夫 12分43秒 ドクターストップ 後楽園ホール 1989年4月14日
オランダの旗 クリス・ドールマン 4R30秒 膝十字固め 大阪スタヂアム 1989年5月4日 異種格闘技戦
日本の旗 山崎一夫 13分36秒 横三角絞め 東京ベイNKホール 1989年5月21日
日本の旗 高田延彦 20分5秒 足首固め 愛知県体育館 1989年6月14日
日本の旗 安生洋二 10分42秒 逆片エビ固め 博多スターレーン 1989年7月24日
日本の旗 藤原喜明 18分15秒 TKO 横浜アリーナ 1989年8月13日
アメリカ合衆国の旗 ジョニー・バレット 6分49秒 チキンウイングフェースロック 長野市運動公園総合体育館 1989年9月7日
日本の旗 宮戸成夫 6分15秒 腕ひしぎ逆十字固め 後楽園ホール 1989年10月1日
日本の旗 田村潔司 2分19秒 レフェリーストップ 札幌中島体育センター 1989年10月25日
オランダの旗 ウィリー・ウィリヘルム 2R1分28秒 膝十字固め 東京ドーム 1989年11月29日 異種格闘技戦
× 日本の旗 高田延彦 23分4秒 裏アキレス腱固め 日本武道館 1990年1月16日
日本の旗 藤原喜明 14分14秒 裸絞め 大阪府立体育館 1990年2月9日
日本の旗 山崎一夫 9分52秒 裏アキレス腱固め 南足柄市体育センター 1990年2月27日
日本の旗 中野龍雄 7分42秒 膝十字固め 博多スターレーン 1990年4月15日
日本の旗 船木誠勝 18分2秒 片羽締め 日本武道館 1990年5月4日
日本の旗 鈴木みのる 13分11秒 裸絞め 宮城県スポーツセンター 1990年5月28日
日本の旗 高田延彦 18分2秒 膝十字固め 大阪府立体育館 1990年6月21日
× 日本の旗 藤原喜明 12分47秒 脇固め 札幌中島体育センター 1990年7月20日
日本の旗 安生洋二 13分52秒 裏アキレス腱固め 横浜アリーナ 1990年8月13日
日本の旗 高田延彦 10分35秒 飛びつき逆十字固め 愛知県体育館 1990年9月13日
日本の旗 船木誠勝 16分56秒 裸絞め 大阪城ホール 1990年10月25日

リングス

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総合格闘技 戦績
61 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
49 5 44 0 0 1 0
11 2 8 1 0
RINGS(1991年5月11日~1999年2月21日)
勝敗 対戦相手 試合結果 会場 開催年月日  備考
オランダの旗 ディック・フライ 11分5秒 逆片エビ固め 横浜アリーナ 1991年5月11日 リングス旗揚げ戦
× オランダの旗 ディック・フライ 8分1秒 TKO 大阪府立体育館 1991年8月1日
オランダの旗 ウィリー・ウィリヘルム 10分00秒 膝十字固め 札幌中島体育センター 1991年9月14日
ロシアの旗 ヴォルク・ハン 12分14秒 足首固め 有明コロシアム 1991年12月7日
オランダの旗 ディック・フライ 9分19秒 足首固め 東京ベイNKホール 1992年1月25日
ジョージア (国)の旗 ブザリアシビリ・ラマジ 11分18秒 逆片エビ固め 尼崎市記念公園総合体育館 1992年3月5日
日本の旗 木村浩一郎 5分00秒 エキシビジョンマッチ 東京体育館 1992年3月26日 格闘技オリンピック
× ロシアの旗 ヴォルク・ハン 17分28秒 ヒザ固め 広島サンプラザホール 1992年4月3日
オランダの旗 ハンク・ニューマン 5分25秒 KO 有明コロシアム 1992年5月16日
オランダの旗 ハンス・ナイマン 6分35秒 足首固め 宮城県スポーツセンター 1992年6月25日
アメリカ合衆国の旗 ウィリー・ウィリアムス 3R2分3秒 足掛け腕ひしぎ固め[要出典] 大阪府立体育館 1992年7月16日
ロシアの旗 アンドレイ・コピィロフ 18分18秒 腕ひしぎ十字固め 横浜アリーナ 1992年8月21日
ロシアの旗 ヴォルク・ハン 23分27秒 TKO 名古屋レインボーホール 1992年10月29日 メガバトルT1992 1回戦
ブルガリアの旗 ディミータ・ペトコフ 8分11秒 膝固め 大阪府立体育館 1992年11月13日 メガバトルT1992 2回戦
× オランダの旗 クリス・ドールマン 10分41秒 膝固め 有明コロシアム 1992年12月19日 メガバトルT1992 準決勝
オランダの旗 ヘルマン・レンティング 8分58秒 膝十字固め 東京ベイNKホール 1993年1月23日 メガバトルT1992 3位決定戦
メガバトル・トーナメント1992 3位入賞
ブルガリアの旗 ソテル・ゴチェフ 6分16秒 逆片エビ固め 福岡国際センター 1993年10月23日 バトルディメンションT1993 1回戦
オランダの旗 ヘルマン・レンティング 5分54秒 肩固め 両国国技館 1993年11月18日 バトルディメンションT1993 2回戦
オランダの旗 クリス・ドールマン 7分00秒 腕ひしぎ十字固め 大阪府立体育館 1993年12月8日 バトルディメンションT1993 準決勝
日本の旗 長井満也 5分02秒 膝十字靱帯固め 新潟市体育館 1993年12月25日
ジョージア (国)の旗 ビターゼ・タリエル 8分57秒 変形足首固め 日本武道館 1994年1月21日 バトルディメンションT1993 決勝
バトルディメンション・トーナメント1993 優勝
ロシアの旗 アンドレイ・コピィロフ 8分51秒 KO 横浜アリーナ 1994年3月19日
オランダの旗 ピーター・ウラ 7分12秒 腕ひしぎ十字固め 広島サンプラザホール 1994年4月23日
アメリカ合衆国の旗 ウィリー・ウィリアムス 2分38秒 腕ひしぎ十字固め 仙台市体育館 1994年5月17日
ロシアの旗 ヴォルク・ハン 18分06秒 変形足首固め 有明コロシアム 1994年6月16日
オランダの旗 ディック・フライ 2分54秒 足首固め 大阪府立体育館 1994年7月14日
ジョージア (国)の旗 ツタハゼ・ザオール 4分16秒 交差式足首固め 横浜文化体育館 1994年8月20日
× オランダの旗 ディック・フライ 2分54秒 TKO 大阪府立体育館 1994年9月21日
フィンランドの旗 トニー・ホーム 6分21秒 逆片エビ固め 有明コロシアム 1994年11月19日 メガバトルT1994 3回戦
日本の旗 山本宜久 9分47秒 アキレス腱固め 愛知県体育館 1994年12月16日 メガバトルT1994 準決勝
日本の旗 山本宜久 11分44秒 アキレス腱固め 新潟市体育館 1994年12月24日
× ロシアの旗 ヴォルク・ハン 14分19秒 踵固め 日本武道館 1995年1月25日 メガバトルT1994 決勝
メガバトル・トーナメント1994 準優勝
× オランダの旗 クリス・ドールマン 3R 51秒 腕ひしぎ十字固め アムステルダム 1995年2月19日 ドールマン自国引退試合[注釈 3]
オランダの旗 ディック・フライ 5分38秒 踵固め 有明コロシアム 1995年3月18日
オランダの旗 クリス・ドールマン 5分26秒 踵固め 東京ドーム 1995年4月2日 週刊プロレス主催興行
ジョージア (国)の旗 ビターゼ・タリエル 6分25秒 裸絞め 大阪府立体育館 1995年4月28日
ロシアの旗 ニコライ・ズーエフ 10分10秒 裸絞め 鹿児島アリーナ 1995年5月20日
ロシアの旗 バロージャ・クレメンチェフ 3分36秒 裸絞め 有明コロシアム 1995年6月17日
ジョージア (国)の旗 ダヴィド・ハハレイシヴィリ 3分30秒 裸絞め 大阪府立体育館 1995年6月17日
× ロシアの旗 アンドレイ・コピィロフ 9分29秒 膝靱帯固め 東京ベイNKホール 1995年8月27日
ロシアの旗 ヴォルク・ハン 9分41秒 腕ひしぎ十字固め 札幌中島体育センター 1995年9月22日
オランダの旗 ディック・フライ 4分58秒 アキレス腱固め 福岡国際センター 1995年10月21日
ジョージア (国)の旗 ビターゼ・タリエル 5分12秒 裸絞め 愛知県立体育館 1995年11月16日 メガバトルT1995 2回戦
オランダの旗 ハンス・ナイマン 3分48秒 膝十字固め 大阪府立体育館 1995年12月19日 メガバトルT1995 準決勝
日本の旗 山本宜久 17分59秒 踵固め 日本武道館 1996年1月24日 メガバトルT1995 決勝
メガバトル・トーナメント1995 優勝
ロシアの旗 アンドレイ・コピィロフ 4分59秒 腕ひしぎ十字固め 愛知県立体育館 1996年10月25日
日本の旗 藤原喜明 10分55秒 裸絞め 大阪城ホール 1996年11月22日
ロシアの旗 バロージャ・クレメンチェフ 3分17秒 裸絞め 福岡国際センター 1996年12月21日
アメリカ合衆国の旗 モーリス・スミス 5分35秒 前方首折り固め 日本武道館 1997年1月22日
日本の旗 田村潔司 7分54秒 裸絞め 東京ベイNKホール 1997年3月28日
× ロシアの旗 ヴォルク・ハン 8分47秒 膝固め 大阪府立体育館 1997年4月22日
ジョージア (国)の旗 ビターゼ・タリエル 7分18秒 裸絞め 宮城県スポーツセンター 1997年5月23日
オランダの旗 ハンス・ナイマン 9分4秒 首決め固め 大阪府立体育館 1997年7月22日
日本の旗 高阪剛 9分14秒 首決め固め 鹿児島アリーナ 1997年8月13日
ロシアの旗 アンドレイ・コピィロフ 8分32秒 裸絞め 札幌中島体育センター 1997年9月26日
ロシアの旗 ニコライ・ズーエフ 5分17秒 顔面絞め 東京ベイNKホール 1997年10月25日 ワールド・メガバトルT1997 1回戦
日本の旗 長井満也 17分00秒 首決め固め 大阪府立体育館 1997年11月20日 ワールド・メガバトルT1997 2回戦
× 日本の旗 田村潔司 14分14秒 腕ひしぎ十字固め 福岡国際センター 1997年12月23日 ワールド・メガバトルT1997 準決勝
ロシアの旗 ヴォルク・ハン 4分24秒 膝十字固め 日本武道館 1998年1月21日 ワールド・メガバトルT1997 3位決定戦
ワールド・メガバトル・トーナメント1997 3位入賞
× ロシアの旗 ヴォルク・ハン 5分43秒 腕ひしぎ十字固め 大阪府立体育館 1998年4月16日
日本の旗 山本宜久 20分00秒 引き分け 横浜アリーナ 1998年7月20日 リングスラストマッチ
× ロシアの旗 アレキサンダー・カレリン 2R終了10分00秒 判定負け 横浜アリーナ 1999年2月21日 引退試合

人物

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  • 2006年12月、15年来の親友であったフリーカメラマンの女性と入籍した(2007年3月3日に自身のブログで発表)[38]。2007年5月には長男が誕生。2009年1月17日に結婚披露宴を行った。
  • 現役引退後に自身が在日韓国人三世(韓国名:高 日明<コ・イルミョン>)であることを公にした。後に韓国訪問での体験などを経て帰化を決意。1983年に日本に帰化申請を行い、翌年受理された[3]
  • 中学生の時に両親が離婚。父親について行き兵庫から大阪に引っ越したが、父親は二ヶ月に一度くらいしか家に帰らず、前田は貧困と孤独と一階の町工場からの騒音と煙に苦しめられた。当時の趣味は大日本帝国軍に関する戦記を読む事で、中学校卒業後に自衛官かタンカーの船員になろうと考えたが、自衛隊も高等専門学校も日本人である事が応募資格であり、先述の事情から諦めざるを得なかった[7]
  • 父は終戦直後の19歳くらいの頃、買い出しに行った帰りの列車で連結部分に掴まり、それを起因とした事故で左腕が不自由になっていた。父は前田が中学3年生になったあたりから日本人の家庭とは別に持っていた韓国人の家庭へ出かけていたという。父は左腕が不自由であったがその分右腕を鍛えていたため腕っ節が強く、空手を習い始めていた中学時代の前田の70 kgの体を右腕一本で吊り上げ、組手でも前田は勝てなかったという。後年の前田の分析によると前田の父親は「発達障害の元祖」とのことであり、常識的なコミュニケーションを知らない人物であった[39]
  • 自分のことを「引きこもりが社会問題化する前から引きこもり的な要素があった」と2019年のインタビューで分析を披露しており、自分の家も家から出なくても何でもできるように調整されているという[40]
  • 自身をストリートファイトで1万戦無敗と称している[41]
  • 新日本デビュー当時のリングネームは「前田明」であったが、旧UWF旗揚げ時にリングネームを本名の「日明」に改名した。祖父への思いから「前田日明」に改名したと、後に「週刊プレイボーイ」で語っている。また、リングネームを本名に改名した当時の週刊プロレスの巻末クイズには、「Q.前田日明の日はどういう意味? A.日本という意味」と記載されている。
  • 1987年7月には極真会館空手道選手松井章圭と巻頭対談が『ゴング格闘技』八月号誌上で行われ、彼らは極真会館の空手家キックボクサー山崎照朝から直接指導受けたときの体験を語り合い、前田は山崎の人柄や指導内容を尊敬していると語っていた[42]
  • 若手時代、最も負けたくなかったライバルは、同期のジョージ高野。当時の前田は対ジョージ戦には大きく負け越しており、「ちきしょー、どうやったらジョージに勝てるんだろう」と思って練習していた。また前田は「新日本プロレス史上、最も素材がよく、最も素質があったのは間違いなくジョージ高野」と断言している。
  • 近年の若手レスラーに対しては批判的なスタンスをとることが多いが、KENTA(のちのヒデオ・イタミ)だけはその反骨的なスタイルが気に入ったのか、高い評価を与えている(月刊Gスピリッツ Vol.3より)。
  • 『ウルトラマン』がゼットンに倒された事が格闘技を始めるきっかけとなったが、2014年1月29日のニコニコ生放送で行われた「ウルトラマン Blu-ray BOX III」発売記念番組にてゼットンとの対決が実現している[43]
  • 前述の少年時代にケンカに明け暮れていた頃、下位の力士に喧嘩を売ろうとしてたら当時横綱だった輪島大士に遭遇した、遠目で見ていてもあまりにも凄い威圧感を受けたためたじろいでしまった、後に輪島がプロレス転向した際は複雑な心境だったとのこと(その当時すでに前田はトップレスラーだったため)[44]
  • ダイナマイト・キッドが死去した際、キッドを苦しめたアナボリックステロイドなどの薬物の害について「新日は選手のケアがしっかりしていたからともかく、1970年代のアメリカやカナダのレスリング界なら試合に穴を開けたら使ってもらえなくなり何の保証もないため、もしアメリカやカナダで活動していたなら俺も薬物を使用していたかもしれない」と語り、キッドに同情を寄せていた。また、1970年代のアメリカやカナダのレスラーにおける薬物事情に関して「当時のレスラーの中ではアンフェタミンが流行していたが、使用すると眠れなくなるので睡眠薬を飲み、起きられなくなるのでまたアンフェタミンを使用する」「1回1錠の痛み止めを手に山盛りにしてビールと一緒に飲む選手もいた」と証言した。当時のアメリカやカナダのレスラーはレンタカーを1000kmから1500kmの距離走らせて会場から会場へ移動するのが日常茶飯事で、食事もジャンクフード中心であったため、薬物を使用しないと筋肉が育たないのは当然であったと述べている。その点日本でプロレスをやっていて精神を病むことは無いと話しており、もし日本でやって精神を病むのであればその者はプロレスに向いていないということであるとしている[45]
  • 若手時代の食生活は豪勢でありながら量が物凄かったといい、ある時外食に行くと満漢全席を1日で食べさせられたと本人が話していた。またある時は勝新太郎小林旭に100万円もの食事を1度に奢ってもらった[6]
  • 新弟子時代はあまり酒が強くなかったが、道場のレスラーや琴ヶ梅益荒雄などの飲み仲間に鍛えられ、海外遠征から帰った頃には飲めるようになった。1991年にロシアに選手を探しに行った時、現地のレスラーから「倒れなかったのはアントニオ猪木と前田だけだ」と評されるほどの酒豪ぶりを見せたが、メタノールの果実酒を勧められたのは断った[6]
  • 2021年9月9日、8月に新型コロナウイルスに感染し、肺炎を発症して入院治療を受けていたことを公表した[46]
  • 2024年、プロレスリング・ノアの道場で25年ぶりにリング復帰。丸藤正道と1分1本勝負が実現した。

政治

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2009年12月28日に2010年夏の参議院比例代表民主党公認で出馬予定だったが[47]2010年3月3日には第1次公認候補が見送られ[48]、同年3月21日には出馬辞退の意向が伝えられている[49]。理由としては、外国人参政権について本人は反対しており民主党との意見の違いがあったほか、党の出馬時の金銭的支援についての食い違いがあったという。また前田側は党の姿勢と石井一選対委員長に対し激怒した場面もあったとされる[50]

その後、民主党と連立与党を組む国民新党が前田と接触を持ち、参議院東京都選挙区に同党公認候補として擁立する方針を打ち出す[51]。しかし、東京都選挙区からの立候補を望む同党と、比例区からの出馬を希望する前田との意思は合致せず、結果、同党からの出馬もなかった[52]

趣味

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  • 釣り - 釣りのために小型船舶も所有している。
  • 読書 - ポルノから哲学、戦記物まで読むというほど読書好き。特に太宰治や、孔子論語に傾倒し、第二次UWFを旗揚げした際に「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり」という、太宰治が「」(『晩年』所収)で引用したポール・ヴェルレーヌの「叡智(Sagesse)」の言葉を、孫引きした挨拶を行っている。また、作家の山田詠美とも交流がある。
  • 日本刀の収集・研究。日本刀は50振以上所有している。また、日本刀に限らず、骨董品を見て回るのが好き(『オーラの泉』に出演したときに発言)。
  • 航空機が好きで、結婚した際「子供はパイロットにしたい」とコメントしている[38]。夢は零式艦上戦闘機太平洋を横断することと語っている。テレビ番組「所萬遊記」で、所ジョージに「一緒にムスタングに乗りましょう」と誘っている。また、元帝国海軍中尉でエースパイロットの坂井三郎を慕っており、対談もおこなった。また富士通AirWarriorからフライトシミュレーターも続けている。2010年まではFighter Aceプレイヤーだったがサービスが終了してしまった。
  • 熱烈なMacintosh信者(エバンジェリスト)。数十MBが主流の時代に1,000MBを超えるメモリーを搭載したMacを使っており、Mac専門誌で取材されたことも有る。
  • サバイバルゲーム - M4カービンのカスタム等、複数の銃を所有し装備や銃等、本気モード全開で楽しんでいる模様。銃や装備は、本人がショップまで出向き、米軍放出品等こだわりを持って購入している。ゲームフィールドが開催する定例会等にも、THE OUTSIDERの選手や複数の関係者らと参加していることがあり、一緒にゲームを楽しめたりすることもある。
  • パイプタバコと葉巻が好きである。
  • 無類のニンニク好き。自身のユーチューブチャンネルの料理動画でも大量のニンニクを使用している。

トラブル

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  • 2000年5月、パンクラス社長だった尾崎允実(尾崎正実)が、リングスに出場していた外国人選手とホテルロビーの喫茶スペースで談話していたのを発見し、これを引き抜き工作と判断。尾崎の胸倉を掴み、その際に尾崎がかすり傷を負ったとして傷害罪で起訴された。前田は暴行の事実を否定し無罪を主張し、事件の際に尾崎と談話していたジェレミー・ホーンは「リングスに招聘されている時に、尾崎が連絡をよこしパンクラスへの参戦に興味はないかと聞いてきた。でもそれは日本の文化ではずるいやり方なんだ。前田は怒っていたよ。でも、彼は尾崎の肩を掴んで揺すっていたけど、弟の襟首を掴んでるような感じで暴力はふるっていなかった。だから前田が提訴されたという話を聞いて、僕は日本に飛んで彼の為に法廷で証言したのさ」と語った[53] が、東京地方裁判所の山室恵裁判長は「粗暴で悪質な犯行だが衝動的なものだった」として、2003年4月22日に25万円の罰金刑を言い渡した[54]。その後、この事件とそれに絡む発言で民事提訴され、2002年6月7日に東京地方裁判所は前田に約155万円の支払いを命じた[55]。2003年1月22日に東京高等裁判所は前田の控訴を棄却[56]
  • 1994年10月に開催された極真空手第26回全日本大会に前田が来賓として出席。そこに居合わせた『フルコンタクトKARATE』編集長・山田英司を会場の女子便所内の個室に連れ込んだ[57]。当時、山田はリングスを真剣勝負と八百長混在のプロレス、また前田と友好関係にあった正道会館を八百長と批判していた[58]。事件後、山田は「掌底をスウェーでよけた」「ヒザ蹴りをヒジで受けた」と格闘技経験が功を奏した旨を語ったが[59][60]、それに対し前田は「スウェーでかわした? なんなら、裁判官立会いで再現したろか」とコメントした。
  • 1994年にリングスとUWFインターナショナルとの対抗戦[61]の交渉が不調に終り、元弟子でもある安生洋二との舌戦に発展する。その際、前田は安生を家族の前で制裁してやると発言するが、これが安生の自宅襲撃を示唆したものとして、UWFインターは名誉毀損と脅迫で前田を告訴。前田は謝罪会見を開いて事態を収拾した[62]。また、1996年6月にはFIGHTING TV サムライ開局のパーティーで前田が安生と言葉を交わし裏拳で小突いた[63][64](レスラーやマスコミ等が周囲にいる中での出来事で、アントニオ猪木が仲裁)。その3年後の1999年11月14日、UFC-J会場において、安生はマスコミと談話中の前田の背後に忍び寄り、後ろからの不意打ちでアゴを殴打。前田は失神し、この姿は衝撃的な事件としてプロレス誌の表紙を飾った。安生は襲撃直後にパンクラスの高橋和生とガッチリ握手をかわす姿をプロレス誌に掲載されたが、安生、高橋ともに事件との関連性を否定している。その後、前田は安生を訴え、安生は略式起訴で20万円の罰金刑を受ける[65]。安生としては、殴った後に「文句があったらリング上でやろう」という話にするつもりだったという[64]
  • 2001年5月30日付の東京スポーツに「有罪判決 リングス前田 暴行女性は元妻」という記事が1面に掲載されたことに対し、500万円の損害賠償を求めた訴訟を起こす。東京地裁(菅野博之裁判長)は、『米国で有罪判決を受けた』事実、および前田が『暴行,結婚していた』ことは「真実と認められない」と判断し、東スポに200万円の支払いと謝罪広告掲載を命じた(2002年9月13日判決)出典なし。
  • 2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!田村潔司所英男戦のプレゼンターを務めるが、試合後に勝利者トロフィーを至近距離から力任せに田村の胸へ投げつけた。

入場テーマ曲

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  • 「KATANA」
  • 「THE ROOM (BRAINWASH) PART ONE」 - リック・ウェイクマンのアルバム『1984』の4曲目。英国より凱旋帰国した時の入場テーマとして使用していたが、前年から既に小林邦昭の入場テーマ曲として定着しており、なぜ使用に至ったかは不明。
  • ダンバインとぶ」(歌詞は入れずブリッジで繋いで編集したものを使用) - 1983年から1984年に掛けて新日本で使用。
  • 「スパークリング・フラッシュ 風雲児のテーマ」 - つのだ☆ひろ作詞作曲。第1次UWF草創期(ラッシャー木村剛龍馬の在籍期)に使用。1984年のLP盤アルバム『Pro-Wrestling Super Fighters' Themes』の2曲目として収録[66]、1992年にCD盤『THE U.W.F』にて復刻[67]
  • GOLD」 - スパンダー・バレエのアルバム『トゥルー』の4曲目。第1次UWF時代に使用[68]
  • 「キャプチュード」 (Captured) - 第1次UWF崩壊後、新日本へ復帰した1986年より使用された、前田の代表的な入場テーマ。新日本時代は曲の随所に機関銃の銃声がSEとして挿入されていた。「キャプチュード」が日本では呼称となってしまっているが、英語の実際の発音は「キャプチュード」より「キャプチャード」に近い[69]。オリジナル音源は、イギリスプログレッシブ・ロックバンドであるキャメルの、1981年にリリースしたアルバム『ヌードの物語 〜Mr.Oの帰還〜英語版』の11曲目として収録されているもので、日本の敗戦の後29年間に渡りルバング島に潜伏を続けた残留日本兵として著名な、小野田寛郎をモチーフとした敗残兵の「ヌード(Mr.Oの現地での渾名)」が、救助隊との間で激しい争いの果てに「保護(Captured)」されるシーンを描写した楽曲でもある[70]
  • 「JUST A HERO」 - リングス旗揚げ時に使用された新田一郎作曲のオリジナル曲だったが、すぐに「キャプチュード」に戻している。ただしWOWOWのリングス中継でのBGMとしては長期間に渡って使用された。

著作

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単著

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  • 『格闘王への挑戦』(1988年10月28日、講談社ISBN 4-06-204081-6
  • 『パワー・オブ・ドリーム』(1988年12月、角川書店ISBN 4-04-173701-X
  • 『誰のために生きるか』(1992年4月24日、PHP研究所ISBN 4-569-53635-2
  • 『最強の自分をつくる――オーバー・ザ・レブ・リミット』(1994年4月、PHP研究所)ISBN 4-569-54202-6
  • 『真格闘技伝説 RINGS』(1994年9月、ピンポイント[要曖昧さ回避]ISBN 4-87031-189-5
  • 『前田日明超語録集』(2002年3月、日本スポーツ出版社)
  • 『前田日明が語るUWF全史〔上〕』(2017年12月8日、河出書房新社)ISBN 978-4309921365
  • 『前田日明が語るUWF全史〔下〕』(2017年12月8日、河出書房新社)ISBN 978-4309921372
  • 『日本人はもっと幸せになっていいはずだ』(2021年6月9日、サイゾー)ISBN 978-4866251424

共著

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  • 『禁談――前田日明 究極の因縁対談三本勝負』(1997年11月、集英社)
  • 福田和也共著)『真剣勝負』(1999年10月、草思社ISBN 4794209177
  • (山本小鉄共著)『日本魂』(2009年9月16日、講談社)ISBN 978-4062154024
  • (成瀬雅春共著)『今を生き抜く絶対不敗の心と体を得るために 「男の瞑想学」』(2011年8月31日、BABジャパン)ISBN 978-4862206237
  • 『証言UWF 最後の真実』(2017年5月、宝島社)
  • 『告白 平成プロレス10大事件 最後の真実』(2018年1月、宝島社)
  • 『証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実』(2018年12月、宝島社)
  • 『証言 「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実』(2019年3月、宝島社)
  • 『証言 長州力 「革命戦士」の虚と実 単行本』(2019年5月、宝島社)
  • 『証言「プロレス」死の真相』(2019年6月、河出書房新社)
  • 『証言 新日本プロレス「ジュニア黄金期」の真実』(2019年10月、宝島社)
  • 『シュートマッチ プロレス「因縁」対談 10番勝負』(2020年2月、宝島社)
  • (片田直久共著)『シン・日本プロレス――すべてはここから始まった、総合格闘技の源流と末流』(サイゾー、2022年)

伝記

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  • 佐々木徹『無冠 前田日明 』(1998年11月、集英社ISBN 408780285X
  • 塩澤幸登『格闘者――前田日明の時代〔1〕』(2015年6月、茉莉花社)
  • 塩澤幸登『格闘者――前田日明の時代〔2〕』(2016年4月、河出書房新社)

連載

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その他

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テレビ・ラジオ

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映画

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  • YAWARA!(1989年、東宝) - 本人 役
  • WARU(2006年、真樹プロダクション) - 主人公の友人 役
  • タイトロープ ~アウトサイダーという生き方~(2013年、トラヴィス) - 本人 役
  • 9 〜ナイン〜(2018年2月17日、MIRAI) - 長谷川凌一 役[71]

Web番組

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CM

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ゲーム

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脚注

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注釈

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  1. ^ 前田よりも1歳年下だが、当時ある空手道場の支部長だった。
  2. ^ 高橋によればほとんどの選手が「あれを言ってはおしまいだ」などと同様の指摘を行っていたという。なお高橋によれば、長州は網膜剥離を起こし長期欠場。引退も危惧される状態であったという。また、猪木は前田を危険分子として見ていたのではないかとも指摘している。
  3. ^ サンボジャケットマッチ
  4. ^ 前田本人が『スーパーマリオ64』などを好んでプレイしていたことから起用されたという[73]
  5. ^ シリーズ3作品には前田本人がイメージキャラ・使用キャラクターとして実名で登場。

出典

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  1. ^ 【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編”. 日刊スポーツ (2022年10月1日). 2022年12月20日閲覧。
  2. ^ 前田日明チャンネル (24 February 2021). ダイエット企画始動!和田良覚とパーソナルトレーニングで目指せマイナス30キロ!. YouTube,Google LLC. 該当時間: 2:35. 2021年3月2日閲覧
  3. ^ a b 前田日明、在日コリアンの叫び【週刊 前田日明】 カクトウログ 2005年11月28日
  4. ^ 【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編”. 日刊スポーツ (2022年10月1日). 2022年12月20日閲覧。
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  8. ^ 【前田日明氏コラム】「新日で体をつくってモハメド・アリのジムに入りなさい」 - 東京スポーツ・2022年9月3日
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  10. ^ 「新人集合!」猪木にデビューを告げられた前田日明 のちの格闘王のレアな直立不動”. 東京スポーツ (2022年9月4日). 2022年11月1日閲覧。
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  30. ^ 前田日明氏がSV降板、アマMMA大会「THE OUTSIDER」開催へ スポーツナビ 2008年2月15日(2008年2月21日時点のアーカイブ
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  32. ^ THE OUTSIDER 参加者募集 RINGS公式サイト 2008年1月21日(2008年2月18日時点のアーカイブ
  33. ^ 第1回THE OUTSIDERを、前田CEOは「70点」「(乱闘の数は)想定以下」と評価 angle JAPAN 2008年3月31日
  34. ^ 『藤原喜明の必殺十番勝負―スーパー・テクニックII』(第1刷)講談社、日本、1987年11月10日、116-117頁。ISBN 406101515X。「トーチャロイド」 
  35. ^ 麻生秀孝『実戦!サブミッション』ケイブンシャ、1991年3月25日、15,30頁。「V2アームロック」 
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  37. ^ 『藤波辰巳vs前田日明』の大流血試合を船木誠勝はどう見たのか? 当時、藤波のセコンドについた船木誠勝の証言
  38. ^ a b 【HERO'S】新婚の前田日明SV「息子にはパイロットになって欲しい」 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年3月8日
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  53. ^ Exclusive: Jeremy Horn on Japan, Bellator and the UFC
  54. ^ リングスの前田日明社長に傷害罪で25万円の罰金刑判決 asahi.com 2003年4月22日
  55. ^ 前田日明さんに賠償命令/暴行と名誉棄損で150万 四国新聞社 2002年6月7日
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  57. ^ 『kamipro』No.146。山田英司インタビュー
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  61. ^ 1994年に現金1億円と当時のメジャー5団体のエース(橋本真也三沢光晴天龍源一郎前田日明船木誠勝)への招待状を用意して記者会見を開き「プロレスリング・ワールドトーナメント」の開催を突如発表。唯一前向きな反応を示した前田がリングス対Uインターの対抗戦を逆提案したが、これに対して宮戸優光がリングスの参戦外国人選手を指して「どこの馬の骨ともわからない選手を参加させるわけにいかない」、「出てほしいのは前田のみ」といった反論を展開。前田も「お前(宮戸)こそどこの馬の骨だって話」などとやり返してマスコミを通じた舌戦に発展。さらには安生洋二も前田に対して「UWFで終わった人間」、「200%勝てる」などと発言して最終的に前田に対して法的手段を執るまでに発展した。
  62. ^ 鈴木健『最強のプロレス団体 UWFインターの真実』エンターブレイン、2002年、pp.20-22
  63. ^ 谷川貞治「疑惑の男FILE1 前田日明」『別冊宝島274 プロレス謎読本 リングのタブーを解き明かせ!』宝島社、1996年、p.97
  64. ^ a b 大谷泰顕監修『トリプルクロス 電撃プロレス=格闘技読本』メディアワークス、2000年、p.182
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  66. ^ OTHER - CHA-LA'S HP
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  68. ^ 前田日明の入場テーマ曲 - 澤木一貴オフィシャルブログ「パーソナルトレーニング24」 - アメーバブログ
  69. ^ 山崎智之 (2016年5月16日). “『ヌード』の「キャプチャード(保護)」が日本のプロレスラー前田日明のテーマ曲として使われたことは知っていますか? (シングル盤のタイトルは「キャプチュード」)”. Yahoo!ニュース. 2023年5月6日閲覧。
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参考文献

[編集]
  • ミスター高橋『流血の魔術・第2幕―プロレスは誇るべきエンターテインメント―』 (講談社、2010年)ISBN 978-4-06-216516-7

関連項目

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外部リンク

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前優勝者
クリス・ドールマン
リングス メガバトルトーナメント1993優勝
1994年1月21日
次優勝者
前田日明
前優勝者
前田日明
リングス メガバトルトーナメント1995優勝
1996年1月24日
次優勝者
ヴォルク・ハン