劉継宗 | |
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チャンパ王 | |
在位 | 986年? - 989年 |
死去 |
989年 |
王朝 | 第7王朝 |
劉 継宗(りゅう けいそう、ルー・ケ・トン[1]、ベトナム語:Lưu Kế Tông / 劉繼宗、生年不詳 - 989年[2])は、チャンパ王国(占城国)第7王朝の第6代(最後)の国王。
元は安南の管甲であったが、チャンパに亡命した[3]。982年に黎桓率いる前黎朝大瞿越軍がチャンパに侵攻し[1][4][5](チャンパ=大瞿越戦争 (982年))、国王インドラヴァルマン4世が南方に逃れる[1]という混乱に乗じて権力を握り[2]、インドラヴァルマン4世の死後に[2]占城王を称した[1]。李朝仙を朝貢の使者として986年5月4日に宋へ派遣し[1][2]、通犀象・龍脳・丁香・速香・箋香・沈香を献じた。劉継宗の支配していた時期、多くのチャム人がチャンパから抜け出して[2][6]宋の儋州や広州に逃れた。
後に黎桓の養子率いる大瞿越軍の侵攻を受け、捕えられて殺害された。