かつの ひろし 勝野 洋 | |||||
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本名 | 勝野 六洋(かつの むつひろ)[1][注釈 1]。 | ||||
生年月日 | 1949年7月27日(75歳) | ||||
出生地 | 日本熊本県阿蘇郡[3] | ||||
国籍 | 日本 | ||||
民族 | 日本人 | ||||
身長 | 181 cm | ||||
血液型 | A型 | ||||
職業 | 俳優 | ||||
ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台 | ||||
活動期間 | 1972年 - | ||||
配偶者 | キャシー中島(1978年 - ) | ||||
著名な家族 |
勝野七奈美(長女) 勝野雅奈恵(次女) 勝野洋輔(長男) | ||||
主な作品 | |||||
テレビドラマ 『太陽にほえろ!』 『俺たちの朝』 『姿三四郎』 『仮面ライダーゴースト』 映画 『ブルークリスマス』 『地震列島』 CM リポビタンD | |||||
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勝野 洋(かつの ひろし、1949年〈昭和24年〉7月27日[2][5][6] - )は、日本の俳優。熊本県[2]阿蘇郡[7]出身。株式会社ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。妻はキャシー中島。長女は勝野七奈美、次女は勝野雅奈恵、長男は勝野洋輔。
九州学院高等学校[4]、青山学院大学卒業[2][8]。劇団雲[9]、劇団昴[2][10]、三船プロダクション[11]、田中プロモーション[2]、アクターズプロモーション[12]、しまだプロダクションを経て、株式会社ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。
生まれは熊本県阿蘇郡小国町[13]、杖立温泉がある町で、実家は旅館を営んでいた[13]。中学、高校時代は熊本市内で下宿生活、高校卒業後は大学へ進学するために上京[13]。
大学在学中にモデル活動を始め、CMに出演。その際、CMの共演者であった俳優大橋一元の薦めで劇団・現代演劇協会に入団し、役者の道へ進んだ[14]。
芸名はじっくり考える時間が無い中、本名ではシャープなイメージに欠け、「この方がスッキリして響きも良い」と考えて本名から「六」を取り除いて芸名とした[15]。
1974年、『太陽にほえろ!』へのテスト出演を経て、“テキサス刑事”こと「三上順」役に抜擢され、一躍人気者になり[6]、太陽では2年間出演して、38話に主演した[16]。テキサス刑事殉職回は、同ドラマ史上最高視聴率42.5%が記録された[17]。
1976年『俺たちの朝』では主演し、熱血軽妙な好青年を演じきった。
1978年映画『夜が崩れた』で映画デビュー[4]、同年日本テレビの『姿三四郎』に主演した。同年の東宝映画『ブル-クリスマス』は、トップクレジット経験者8人が居並ぶオールスター大作だったが、初の映画主演をつとめた。
時代劇では『柳生あばれ旅』で剣豪・柳生又十郎宗冬を演じたほか、『鬼平犯科帳』では第3シリーズより鬼平FINALまで同心・酒井祐助役を演じていた。
1977年から1986年までは大正製薬『リポビタンD』のCMに起用され、宮内淳(後に渡辺裕之)との名コンビで人気を博した[18]。
発売日 | 規格 | 規格品番 | 面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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ビクターレコード | |||||||
1976年 | EP | SV-6022 | A | ひとり立ち[注釈 7] | 加藤登紀子 | 山木幸三郎 | |
B | 一輪の花 | ||||||
1976年12月 | EP | SV-6131 | A | 海が呼んでる[注釈 8] | 加藤登紀子 | チト河内 | |
B | はじめて人を[注釈 8] | 野上彰
補:加藤登紀子 |
加藤登紀子 | ||||
1977年7月25日 | EP | SV-6257 | A | 青春わすれもの[注釈 8] | 東海林修 | 徳久広司 | 竜崎孝路 |
B | さよならの詩 | ||||||
テイチクレコード | |||||||
1981年 | EP | RE-518 | A | 幸福になれよ | 池田充男 | 鶴岡雅義 | 竜崎孝路 |
B | おもかげ | 中山大三郎 |