十二金人(じゅうにきんじん)は、中国・秦の始皇帝が紀元前221年に中国統一後に鋳造させたと伝えられる12体の青銅巨人像。十二銅人、金人十二とも称される。主に『史記』などの歴史書や民間伝承に記録が残るが、現存せず考古学的実証もない伝説的文物とされる。
『史記』秦始皇本紀によると、秦の天下統一後、全国から収集した兵器を溶解して鋳造したと記載[1]。賈誼の『過秦論』にも「銷鋒鏑,鑄以為金人十二」との記述がある。後漢の班固が編纂した『漢書』芸文志では、各金人の高さ「五丈(約11.55メートル)」、重量「各千石(約30トン)」と記録[2]。
- 形状:『三輔旧事』では「坐高三丈(約6.93メートル)」「胸前に銘文」と描写
- 装飾:『水経注』河水篇に「匈奴を象った」との説あり
- 銘文:『長安志』巻十二に李斯篆書説を記載
現代の研究では以下の説が提唱されている:
- 政治象徴説:宮崎市定らが主張する中央集権の視覚的アピール説[3]
- 冶金技術説:銭穆による青銅器生産力誇示説
- 伝説創作説:白鳥庫吉が指摘する漢代の反秦プロパガンダ説
- 唐代『酉陽雑俎』:洛陽郊外で一部出土との伝説
- 明代『帝京景物略』:永楽帝が北京城造営時に発見試みた記録
- 現代では西安市政府が2010年に「金人復元プロジェクト」を発表(学術界から考古学的根拠不足を指摘され中止)[4]
- ^ 司馬遷 (紀元前1世紀). 史記
- ^ 班固 (1世紀). “芸文志”. 漢書
- ^ 宮崎市定 (1955). “秦代金属器政策の研究”. 東洋史研究.
- ^ “西安「十二金人」復元計画中止”. 中国新聞社. (2012年3月15日)
- 馬承源 (2003). 中国青銅器. 上海古籍出版社. ISBN 9787532533138 (文物博物館系列教材・学術的に権威ある総合概説書):cite[1]:cite[3]:cite[5]
- 馬承源 他 (1996-1999). 中国青銅器全集. 文物出版社 (全16巻構成の図録集,第1巻ISBN 9787501008896):cite[4]:cite[8]:cite[9]
- 李学勤 (2003). “秦代金属器管理政策再考”. 考古学報 (4).