みなみの ようこ 南野 陽子 | |||||||||||
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2023年1月、外務省にて | |||||||||||
生年月日 | 1967年6月23日(57歳) | ||||||||||
出生地 | 日本・兵庫県 | ||||||||||
身長 | 161.8 cm | ||||||||||
血液型 | B型 | ||||||||||
職業 | 女優・歌手・タレント・アイドル | ||||||||||
ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台、アイドル歌謡、J-POP | ||||||||||
活動期間 | 1984年 - | ||||||||||
配偶者 | 一般男性(2011年3月 - 2023年11月) | ||||||||||
事務所 |
エスワン・カンパニー→ サザンフィールド(個人事務所)→ ケイダッシュ→ サザンフィールド | ||||||||||
公式サイト | 南野陽子オフィシャルHP | ||||||||||
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南野 陽子(みなみの ようこ、1967年〈昭和42年〉6月23日[4][5] - )は、日本の女優・タレント[6]、歌手[3]。愛称はナンノ[7][注 1][注 2]。兵庫県伊丹市出身[4]。1999年から2022年末までケイダッシュ所属[9]。現在の所属は個人事務所サザンフィールド。
1967年6月23日、近畿中央病院で産声を上げる[10]。父親が島田陽子のファンであったことと、太陽のように明るく育って欲しいとの思いから、「陽子」と名付けられる[11]。尼崎市立塚口小学校・伊丹市立伊丹小学校を経て[12]、神戸市の私立松蔭女子学院中学・高校へ入学[13]。同校在学中、友人と大阪の公開番組を観覧したときスカウトされる[14][注 3]。両親から猛反対を受けるが、「私の人生なんだから、私が決める」と芸能界入りを決意[14][15]。衣替えしていたのを見た母親は娘が家出すると勘違いし学校に相談。教師が「南野が歌手になるらしい」と他の生徒に発表して級友からお別れのカードを贈られるなどあとにひけない状況になったため、やむなく上京したという[16]。
高校2年生の夏に上京し、CBSソニーのオーディションを受けて合格する[17]。CBSソニーでは山口百恵をプロデュースした酒井政利のセクションの担当となる[18]。堀越高等学校に3学期から編入。1984年秋、テレビドラマ『名門私立女子高校』(日本テレビ系)の生徒役で女優デビュー[7]。
18歳の誕生日である1985年6月23日に「純だね、陽子」「可憐だね、陽子」のキャッチフレーズのもと、CBSソニーから「恥ずかしすぎて」で歌手デビュー[2][19]。この時講談社の週刊少年マガジン[20]で表紙を、「DELUXEマガジン」[21]でいきなり36ページの巻頭ページを飾る。
1985年8月:日生劇場「リトルウィミン-若草物語」で舞台デビュー。
1985年11月:フジテレビ系ドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で主人公の2代目・麻宮サキ役を演じる。アイドルが孤独と戦いながらハードアクションに挑むという過去に例を見ない設定は、小さい子供からハイティーンまで熱烈なファン層を生み[22][23]、一躍トップアイドルの座を獲得[2][7][24]。「おまんら、許さんぜよ!」の決め台詞も流行した[25]。1986年3月発売の写真集『陽子をひとりじめ……』は、それまで最高に売れたと言われる薬師丸ひろ子の記録を抜き[26]、当時の女性アイドルの写真集の発行部数でトップとなる。出演ドラマ・CMもヒットし、「10代の女神」と称されるなど当時のティーンエイジャー層に絶対的な人気を誇った[27]。
デビュー時からニッポン放送でラジオの冠番組「南野陽子 落書きだらけのクロッキー・ブック」でパーソナリティを務め、1986年10月2日からニッポン放送の『南野陽子 ナンノこれしきっ!』開始。1990年6月24日に終了。当時ニッポン放送で2番目にハガキの多かった番組の3倍のハガキが届く[28]伝説の番組となった。アイドル番組史上最も人気のあったラジオ番組のひとつとされ[29]、ドラマや歌番組では伝わらない素顔や魅力を、ラジオが最大限に引き出すことを証明した[2][30]。アイドルでありながらコメディエンヌ的な素養も評価されており、「ヴァラエティ番組全盛期なら、最高の存在になれる人」との評価もあった[31]。
1987年:2月、映画『スケバン刑事』主演[32]。主題歌の『楽園のDoor』で初のオリコンチャート第1位を獲得[2]。ドラマ、映画、レコード、写真集とヒット作を連発し、「カリスマアイドル」[33]「ナンバーワン・アイドル」[34]と称される活躍を示す。
1987年にリリースされた『楽園のDoor』『話しかけたかった』『パンドラの恋人』『秋のIndication』の4作全てで週間チャート1位を獲得し、この年の日本レコードセールス大賞アーティスト別年間シングルセールスで1位を獲得[35]。
その後も『はいからさんが通る』『吐息でネット。』『あなたを愛したい』『秋からも、そばにいて』などヒット曲を連発[2]。
8曲連続オリコン1位を記録[36](間をおいて「フィルムの向こう側」で1位を獲得。計9曲)[注 4]。1987年2月から1990年2月までの3年間で、1位を最も多く獲得した歌手となった[37]。
曲と同名映画『はいからさんが通る』では、主演・南野の衣装が評判を呼び、卒業式や成人式に女子が大正ロマン風に袴を履くスタイルが広まった[38][39][40][注 5]。
1988年:NHK大河ドラマ『武田信玄』に出演。1人2役を演じて注目を集める[7]。初回視聴率42.5%と歴代大河ドラマ初回視聴率の最高記録を塗り替え、"ナンノ現象"と呼ばれた[41]。この頃ハードスケジュールから腎盂腎炎を発症し13日間入院[42]。仕事は続けていたため病院からテレビ局に通い、当時のヒット曲『吐息でネット。』を歌った[43]。カネボウ化粧品の春のキャンペーンガールに起用され、CMソングとなった同曲は、自身最大のセールスを記録する代表曲となる[36][44]。3月リリースのベスト・アルバム『NANNO Singles』はオリコンアルバムチャートで2週連続1位、4月のマンスリーチャートでもアルバム・LP・カセット・CDの四部門全てでトップと四冠を達成する[45]。
またフジカラー、ONKYO、グリコ、富士通、JR西日本などCF出演クライアント数11社、関連商品数15件と、多数の企業のイメージキャラクターに起用されCMに出演[46]。
この年のフジテレビ系ドラマ『熱っぽいの!』『追いかけたいの!』の二作品に主演し、コミカルで愛らしいキャラクターを演じた[47]。当時の『ザテレビジョン』誌上のランキング人気投票では人気タレントやトップアイドルの名前が並ぶ中、俳優部門・歌手部門の両方で1位を獲得している[48][注 6]。全投票合計数でも、1987年から1990年まで4年連続で、女性タレントでトップであった[49]。
ブロマイド年間売上成績でも第1位を獲得[2]。また同年グレナダが発行する『世界のスター切手』にティナ・ターナー、マドンナ、エルトン・ジョン、ブルース・スプリングスティーンと共に、日本のスターとして切手の題材となる[50]。
1989年:7月リリースのスタジオ・アルバム『GAUCHE』がオリコンアルバムチャート1位を獲得[51]。8月、日本テレビ系列『24時間テレビ』のチャリティー・パーソナリティを務める[注 7]。東南アジアの各国(カンボジア・タイ王国・ベトナム)を取材し学校や病院、孤児院などを訪問。現地の子供たちと交流した様子をリポート。同国への小児病院建設のための募金を呼び掛けた[52]。また、自身の楽曲「思いのままに」が番組のメイン・テーマ曲として使われた。12月、フジテレビ系ドラマ『あいつがトラブル』主演。
同年、当時の所属事務所エスワン・カンパニーから独立、個人事務所サザンフィールド設立、歌手活動はビーイングと業務提携した[53]。
80年代後半に最も活躍した女性アイドル4人(南野、中山美穂、浅香唯、工藤静香)は当時アイドル四天王と呼ばれていた[54][29][55][56][注 8]。
別冊宝島の調査によると、1980年代のシングル総売上は年間ベスト50位以内に限っても232.2万枚と当時の女性アイドル中6位。年間ベスト50位以内ランクイン曲数も10曲と当時の女性アイドルでは中森明菜、松田聖子に次ぐ3位[注 9]であった[57]。
90年代以降は主に女優業を中心に活動。舞台を含め250作以上の作品に出演。文芸作品からサスペンス、時代劇、コメディなど、幅広いジャンルで活動を続けている[7]。
1990年:ウィーン・オーパンバルでデビュタントとして、社交界デビュー[58]。
1992年:歌手活動休止。女優業に専念。映画『寒椿』、映画『私を抱いてそしてキスして』主演。第16回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。
1995年3月:帝国劇場で公演された舞台『ゆずり葉の井戸』に出演。以後、舞台出演は年1本ペースで女優として活動の幅を広げる。
1999年:ケイダッシュへ移籍する。
2005年:歌手デビュー20周年で、ソニー・ミュージックエンタテインメントより6月22日全アルバムを収納したCD-BOX『南野陽子 ナンノ・ボックス』9月28日『ナンノ・DVDボックス』、ポニーキャニオンより7月27日「はいからさんが通る/吐息でネット」をセルフカバー・マキシシングルとして発売。
2006年:芸能生活20周年企画として、自身のドラマ・歌手・映画・舞台の各シーンを再現したフィギュア「NANNO FIGURE」を発売。同年12月、第2弾としてグラビア編も登場。
200610月2日:ニッポン放送のラジオ番組『南野陽子 今日はナンノ日っ!』がスタート。十数年のブランクを経てラジオ番組のパーソナリティを5年間にわたり務めた。
2007年4月4日:フジテレビ系『森田一義アワー 笑っていいとも!』の水曜日レギュラーとなった。
2008年4月3日:笑っていいとも木曜日レギュラーへ移動し、2009年10月1日まで2年6か月間出演した。
9歳から住んでいた兵庫県伊丹市から、同市をPRする「伊丹大使」の委嘱を受けた[59][60][61]。
2008年12月:テレビショッピング専門チャンネルのQVCにて、女優の普段着をコンセプトにした本人企画・デザインのブランド「Actress Princess」を立ち上げる。
2010年4月:NHKEテレ「芸能百花繚乱」進行役就任。2013年4月からは、番組リニューアルにより「にっぽんの芸能」全体の司会進行をNHKアナウンサーの古谷敏郎と共に務める。[62]
2010年11月:『ナンノ・アニバーサリー25th』、2011年2月『ReFined-Songs Collection 〜NANNO 25th Anniversary』リリース。
2011年3月:知人を介して焼肉店で知り合っていた4歳年下の会社経営者の男性[注 10]と結婚。報告会見で自身も晩婚と認めていたことと代表作がスケバンであったことから「スケバン(晩)婚」とギャグを行った[63]。
2012年6月13日:森口博子・西村知美とのユニットを結成。(「Blooming Girls」として「Knock!! Knock!! Knock!!」でCD発売。)
2013年8月:公式ファンクラブ「Nanno Club」会報100号(通巻101号)で9月30日付でファンクラブ活動終了を発表。9月2日: Facebook南野陽子公式ページ「Nanno Club part3」開設。
2015年12月9日: 歌手デビュー30周年記念盤として、『ゴールデン☆アイドル 南野陽子 30th Anniversary』をリリース[64]。
2016年2月:約25年ぶりとなるソロコンサート「~南野陽子デビュー30周年記念コンサート~NANNO 30th ANNIVERSARY」を大阪・東京で、計6公演開催[65][66]。同年6月26日:デビュー30周年記念コンサートの追加公演「〜南野陽子デビュー30周年記念コンサート〜NANNO 31st ANNIVERSARY〜シンデレラ城への長い道のり〜」を舞浜アンフィシアターにて開催。
2020年:TBS『半沢直樹』に出演。
2023年11月27日:夫と離婚したことを発表[68][69]。南野は「お互いに今向き合うべきことから目を背けることなく、今後の人生を歩んでいきたいと思います」とコメントしている[69]。
正統派アイドルと称された南野は、音楽志向の強かった中森明菜や本田美奈子と異なり、伝統的なアイドル・シンガーであった[121]。『ジェラート』から『GARLAND』の頃まではひとりの少女の成長を見守るように一曲一曲が作られ、山口百恵、松田聖子の系譜に並ぶ、ソニー謹製・正統派アイドルソングの宝庫となっている[122]。南野が学生時代を過ごした神戸三宮辺りのノーブルな佇まいを醸し出す上品でクオリティの高い楽曲群は、デビュー以来南野のサウンドを支えてきたCBSソニーの担当ディレクター・吉田格、編曲家の萩田光雄の功績に他ならない[122][123][124]。
CBSソニーの女性アイドルには、天地真理、南沙織、浅田美代子、キャンディーズなどが居たが、ディレクターの吉田は、そうしたエンターテインメントの時代の路線ではなく、自分のライフスタイルを歌にしてポップなメロディに乗せる、松任谷由実や竹内まりやのような路線を意識していたという[125][126]。作曲家陣も木戸やすひろ、岸正之、亀井登志夫、柴矢俊彦、国安わたるといったメンバーで、作詞者も小倉めぐみ、康珍化、戸沢暢美といった布陣。従来の歌謡曲やアイドル・ポップスを手掛けてきた職業作家達ではなく、バンド経験者やシティ・ポップ系のシンガー・ソングライターによる楽曲が主流であった[127]。
太田裕美や山口百恵が所属していたCBSソニーの吉田の制作部署では、"萩田光雄"という編曲家は絶対的な存在であったという[128]。南野のデビュー当時は既に打ち込みが主流の時代となっていたが、萩田はデジタルと生楽器をブレンドしてオーガニックな手触りを引き出す手法を用いて、軽やかな南野のボーカルを立たせるエレガントなサウンドを構築した。南野の清楚なお嬢様イメージには、萩田の上品なサウンドが大きく貢献していた[127]。
萩田は、個人的に最も楽しかった仕事は南野のプロジェクトであったとし、次のように語った。
例えば役者が台本を受け取り演出家監督に演技指導を受け、その役になりきろうと精一杯演じる。あの頃のアイドルはみんなそういったものだったが、次第にシンガー・ソングライターやアーティストが増えてくると、アイドルもセルフ・プロデュースなどと言い出すようになってきた。専門家の書いてきた台本を演じるのではなく、私にも書けるから自分で演出したい……というようなことになってくるのだ。それは私ら専門家の作るテイストがクサいと感じるようになっていったのかもしれないが、私らから見たらそちらのほうがアマチュアっぽく思えるのだが、どうだろうか。
その意味で、南野さんが最後の正統派アイドルと言われているのもよく分かる。彼女はディレクターなり作曲家やアレンジャーの「これはいいよね」「こういう方向でいこう」というアイデアを、ちゃんと演じることができる理解力と吸収力のある人なのだ。それが正統派アイドルというもので、決して馬鹿ではできない。彼女はお嬢さん育ちだし、多少わがままなところもあるが、プロ意識と根性は一級品だった。 — 萩田光雄、『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』[129]
※最高位はオリコン調べ
No. | タイトル | 発売日 | 最高位 | 備 考 |
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1 | 恥ずかしすぎて | 1985年6月23日 | 57位 | デビュー曲 |
2 | さよならのめまい | 1985年11月21日 | 15位 | |
3 | 悲しみモニュメント | 1986年3月21日 | 6位 | |
4 | 風のマドリガル | 1986年7月21日 | 5位 | |
5 | 接近 (アプローチ) | 1986年10月1日 | 6位 | |
6 | 楽園のDoor | 1987年1月10日 | 1位 | |
7 | 話しかけたかった | 1987年4月1日 | ||
8 | パンドラの恋人 | 1987年7月1日 | ||
9 | 秋のIndication | 1987年9月23日 | ||
10 | はいからさんが通る | 1987年12月2日 | ||
11 | 吐息でネット。 | 1988年2月26日 | ||
12 | あなたを愛したい | 1988年6月18日 | ||
13 | 秋からも、そばにいて | 1988年10月8日 | ||
14 | 涙はどこへいったの | 1989年2月15日 | 2位 | |
15 | トラブル・メーカー/瞳のなかの未来 | 1989年6月21日 | 両A面シングル | |
16 | フィルムの向こう側 | 1989年11月29日 | 1位 | |
17 | ダブルゲーム | 1990年6月1日 | 3位 | |
18 | へんなの!!/思い出を思い出さないように | 1990年7月1日 | 11位 | |
19 | 耳をすましてごらん | 1990年8月1日 | 7位 | 本田路津子のカバー |
20 | KISSしてロンリネス | 1990年11月21日 | 9位 | |
21 | 夏のおバカさん | 1991年6月8日 | 17位 | |
22 | はいからさんが通る/吐息でネット | 2005年7月27日 | 74位 | 既に発売されているシングルのセルフカバー |
23 | 空を見上げて/大切な人 | 2022年6月23日 | 位 | 『Four Seasons NANNO Selection』(2021年12月発売)にボーナストラックとして収録された16年ぶりの新曲「空を見上げて」「大切な人」の2曲を7インチ・アナログ盤でエントリー。 |
No. | タイトル | 発売日 | 最高位 | 備 考 |
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1 | ジェラート | 1986年4月21日 | LP 2位 CT 3位 CD 2位 |
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2 | VIRGINAL | 1986年11月1日 | LP 2位 CT 6位 CD 2位 |
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3 | BLOOM | 1987年5月2日 | LP 2位 CT 2位 CD 2位 |
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4 | GARLAND | 1987年11月1日 | LP 1位 CT 1位 CD 1位 |
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5 | GLOBAL | 1988年7月15日 | 総合3位 | CD初回限定盤は「なんの相性診断げえむ」を含む2枚組 |
6 | SNOWFLAKES | 1988年12月14日 | 総合2位 | |
7 | GAUCHE | 1989年7月12日 | LP 2位 CT 5位 CD 1位 |
CD初回生産分には52頁写真集付 |
8 | Dear Christmas | 1989年12月1日 | 総合5位 | |
9 | Gather | 1990年6月23日 | 総合7位 | |
10 | 夏のおバカさん | 1991年7月1日 | 総合13位 | 全曲本人作曲、栗林誠一郎がコーラスで参加 |
No. | タイトル | 発売日 | 最高位 | 備考 |
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1 | NANNO Singles | 1988年 3月21日 |
LP 1位 CT 1位 CD 1位 |
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2 | YOKO'S FAVORITES | 1988年 7月21日 |
総合7位 | シングルB面4曲とおしゃべりを収録したミニ・アルバム |
3 | NANNO SONGLESS | 1990年 7月15日 |
Instrumental集。マイケル・ランドウ、ジェフ・ポーカロ(TOTO)らロサンゼルスのセッションマンが参加。 | |
4 | NANNO Singles II | 1991年 1月1日 |
総合9位 | |
5 | Diamond Smile | 1992年 3月25日 |
総合51位 | 未発表曲「Misty Eyes」収録 |
6 | Pearl Tears | 総合52位 | 未発表曲「これっきりにしよう」収録 | |
7 | Affairs of Yesterday | 1992年 6月21日 |
総合79位 | 南野本人による選曲 |
8 | Dear My Best | 1992年 11月21日 |
2枚組 | |
9 | GOLDEN J-POP/THE BEST 南野陽子 | 1998年 8月21日 |
2枚組 | |
10 | 2000 BEST 南野陽子 | 2000年 6月21日 |
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11 | DREAM PRICE 1000 南野陽子/楽園のDoor | 2002年 10月9日 |
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12 | GOLDEN☆BEST 南野陽子 ナンノ・シングルス3+マイ・フェイバリット |
2003年 7月16日 |
2枚組 | |
13 | NANNO BOX | 2005年 6月22日 |
新曲を含めた全楽曲のCD10枚とDVD1枚 | |
14 | ナンノ・サウンドトラックス+ソングレス | 2006年 6月21日 |
主演映画のサウンドトラック、『NANNO SONGLESS』に「なんの相性診断げえむ」を加えた6枚組 | |
15 | ナンノ・アニバーサリー25th | 2010年 11月11日 |
既発表曲の新バージョンと新曲1曲を収録 | |
16 | ReFined-Songs Collection〜NANNO 25th Anniversary | 2011年 2月9日 |
95位 | 「ナンノ・アニバーサリー25th」の収録曲11曲 (内1曲は再レコーディング) に新バージョン5曲+1曲を追加収録した全17曲 |
17 | ゴールデン☆アイドル 南野陽子 30th Anniversary | 2015年 12月9日 |
38位 | デビュー30周年記念盤・CD5枚組 完全生産限定盤 |
18 | Four Seasons NANNO Selection | 2021年 12月8日 |
2枚組 |
No. | タイトル | 発売日 | 楽曲 | 備考 | 発売元 |
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1 | Connection | 2024年10月23日 | 「Rainforest (feat. Yoko Minamino)」 | Night Tempoのアルバム。 | ビクターエンタテインメント |
No. | タイトル | 発売日 |
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1 | スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説 オリジナル・サウンドトラック | 1986年5月21日 |
2 | スケバン刑事 オリジナル・サウンドトラック | 1987年3月5日 |
3 | はいからさんが通る オリジナル・サウンドトラック | 1987年12月21日 |
4 | 菩提樹リンデンバウム オリジナル・サウンドトラック | 1988年8月13日 |
5 | 幕末2001 OriginalSoundtrack | 2001年10月23日 |
No. | タイトル | 発売日 | 備考 |
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1 | ときめき、ください。 | 1986年6月21日 | ミュージック・ビデオ集 |
2 | ファースト・コンサート | 1986年11月1日 | ライブ・ビデオ |
3 | NANNO CLUB | 1987年7月22日 | ビデオ・マガジン |
4 | サマー・コンサート | 1987年11月21日 | ライブ・ビデオ |
5 | FROM サマー・コンサート | 1987年11月21日 | |
6 | COLORFUL AVE. | 1988年8月1日 | ミュージック・ビデオ集 |
7 | ETE DU CINEMA YOKO MINAMINO SUMMER CONCERT '88 | 1988年12月21日 | ライブ・ビデオ |
8 | 思いのままに YOKO MINAMINO SUMMER CONCERT '89 | 1989年11月22日 | |
9 | JUST SWEET LOVE | 1989年11月24日 | 江崎グリコ制作・非売品 |
10 | へんなの!! | 1990年9月21日 | ビデオシングルディスク |
11 | ABEND | 1990年11月21日 | ライブ・ビデオ |
12 | 時の流れに | 1991年11月21日 | |
13 | Dear My Best | 1992年11月21日 | ミュージック・ビデオ集 |
14 | NANNO DVD BOX | 2005年9月28日 | 全映像作品+未発売、未公開映像を収納したDVD12枚組 |
15 | NANNO 30th&31st Anniversary | 2017年2月22日 | 2016年に行われた30周年記念コンサートの模様(メインは舞浜での追加公演) |
曲名 | タイアップ |
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さよならのめまい | フジテレビ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』挿入歌 |
接近(アプローチ) | フジテレビ『時をかける少女』主題歌 |
悲しみモニュメント | フジテレビ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』主題歌 |
風のマドリガル | フジテレビ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』主題歌 |
楽園のDoor | 映画『スケバン刑事』主題歌 |
私の中のヴァージニア | ONKYO「ラディアン」CMソング(ラジオ) |
雪の花片 | ONKYO「ラディアン」CMソング |
昼休みの憂鬱 | 富士通パソコン「FM77AV40EX」CMソング |
秋のIndication | グリコ「セシルチョコレート」CMソング |
ひとつ前の赤い糸 | ONKYO「ラディアン」CMソング |
はいからさんが通る | 映画『はいからさんが通る』主題歌 |
富士フイルム「フジカラー」CMソング | |
雨のむこうがわ | ONKYO「ラディアン」CMソング |
吐息でネット。 | カネボウ「フィットネット口紅」「春のバザール」CMソング |
秋からも、そばにいて | グリコ「アーモンドチョコレート」「ポッキー」CMソング |
カリブへ行きたい | 富士通パソコン「FM77AV40EX」CMソング |
あなたを愛したい | 映画『菩提樹 リンデンバウム』主題歌 |
JR西日本「WENS」CMソング | |
JUST SWEET LOVE | グリコ「セシルチョコレート」CMソング |
リフトの下で逢いましょう | JR西日本「スキートレインJRシュプール号」CMソング |
涙はどこへいったの | JR西日本「WENS」CMソング |
トラブル・メーカー | JR西日本「リゾート列車」CMソング |
瞳のなかの未来 | NHK『青いブリンク』 オープニングテーマ曲 |
マニキュアがかわく間に | ONKYO「ラディアン」CMソング |
サマー・フレグランス | JR西日本企業CMソング |
耳をすましてごらん | 日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(1990年)スペシャルドラマ『いつか見た青い空』主題歌 |
思いのままに(New Version) | 日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(1990年)メッセージソング |
KISSしてロンリネス | 浅田飴「クール、ニッキ、バッション」CMソング |
Lonely Blue | 名鉄「メディアカード」CMソング |
アイドル時代の多数の歌番組のほか現在も各種バラエティなどにゲスト出演しており、司会の経験もある。
ほか
注釈
出典