印順 | |
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プロフィール | |
出生: | 1906年4月5日(清光緒32年3月12日) |
死去: | 2005年(民国94年)6月4日 |
出身地: | 浙江省海寧県 |
職業: | 僧侶・仏教学者 |
死没地: | 中華民国花蓮県 |
各種表記 | |
繁体字: | 印順 |
簡体字: | 印顺 |
拼音: | Yìnshùn |
和名表記: | いんじゅん |
発音転記: | インシュン |
印順(いんじゅん、1906年4月5日 - 2005年6月4日)は、中華民国の僧侶・仏教学者。俗名は張鹿芹。農家に生まれ、小学校の教員となるが、1929年、父の死後、出家して法名を印順と称した。
太虚が主導する福建省廈門の南普陀寺にある閩南仏学院で修道し、後には教鞭を執るまでになった。
1943年、湖北省武漢の武昌仏学院の教授となる。日本軍の攻撃が激化したことで、四川省重慶の漢蔵教理院に移る。ここで、やはり太虚の弟子でチベット留学経験のある法尊と交流を持つ。
その後、四川省の法王仏学院の院長などを歴任し、戦禍を避けて香港を経て台湾へと移った。台湾では、台北の慧日講堂を活動拠点とし、布教活動や講演活動を行い、また、師の太虚の全集の編纂などを行なった。
1973年、大正大学にて『中国禅宗史』で文学博士(乙種)[1]。
1997年には印順文教基金会が設立された。