引退 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
愛称 | ユカ | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||
生年月日 | 1968年6月5日(56歳) | ||||||||||||||
出身地 | 山口県周南市 | ||||||||||||||
血液型 | O型[1] | ||||||||||||||
身長(現役時) | 171cm (5 ft 7 in) | ||||||||||||||
体重(現役時) | 52kg (115 lb) | ||||||||||||||
キャリア情報 | |||||||||||||||
高校 | 藤蔭高等学校 | ||||||||||||||
ポジション | G | ||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||
1987-1996 | 共同石油→ジャパンエナジー | ||||||||||||||
受賞歴 | |||||||||||||||
| |||||||||||||||
代表歴 | |||||||||||||||
キャップ | 日本 1987-1996 | ||||||||||||||
|
原田 裕花(はらだ ゆか、1968年6月5日 - )は、山口県周南市(旧・新南陽市)出身の元バスケットボール選手、スポーツコメンテーター、バスケットボール女子日本リーグ会長である。ポジションはガード。
藤蔭高校で主将として活躍。全日本ジュニアにも選ばれる。
1987年、共同石油(現ENEOSサンフラワーズ)入社。1シーズン目より2冠に貢献し新人王を獲得。入社とともに全日本チーム加入。
1988年に靭帯断裂で戦線離脱を余儀なくされるも、翌シーズン復帰しカムバック賞を受賞。
ジャパンエナジー黄金時代の中心選手として活躍し、ベスト5やなど個人タイトルも多数獲得。
全日本でも1994年の世界選手権に出場。同年の広島アジア大会では主将を務め準優勝に貢献。
1996年にはアトランタオリンピックに出場。7位入賞に貢献。
大会後現役引退。
現在は解説者・講演・執筆・普及活動などを行い、同時にミズノのバスケットボールアドバイザリースタッフに就任。
ジャパンエナジーの同期である参河紀久子は親友であり、共同でコミュニティサイトを運営している。
2009年、「周南ふるさと大志」に任命される。
2011年11月11日、THE NEUTRALのドラマー(2016年脱退)・ビートダイスケ(三木だいすけ)と結婚[2]。
2023年6月、バスケットボール女子日本リーグ会長に就任[3]。