ふるかわ としお 古川 登志夫 | |
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古川 登志夫 | |
プロフィール | |
本名 |
古川 利夫 (ふるかわ としお)[注 1][2][3][4][5][6][7] |
愛称 | TOPIO(トピオ)[8][9]、トシオちゃん[10] |
性別 | 男性 |
出身地 |
日本・栃木県栃木市[1][11][12] (旧下都賀郡大平町[13]) |
生年月日 | 1946年7月16日(78歳) |
血液型 | B型[12] |
職業 | 声優、俳優、ナレーター[14] |
事務所 | 青二プロダクション[15] |
配偶者 | 柿沼紫乃(声優)[16] |
公称サイズ(時期不明)[12] | |
身長 / 体重 | 164 cm / 56 kg |
スリーサイズ | 97 - 79 - 90 cm |
靴のサイズ | 25.0[17] cm |
声優活動 | |
活動期間 | 1974年 - |
ジャンル | アニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション |
デビュー作 |
『FBIアメリカ連邦警察』[2][18] 『ゼロテスター』(通信員)[19] |
俳優活動 | |
活動期間 | 1960年代 - |
ジャンル | テレビドラマ、舞台 |
古川 登志夫(ふるかわ としお[注 2]、1946年〈昭和21年〉7月16日[4][7][21][22] - )は、日本の声優、俳優、ナレーター[14]。元大阪芸術大学短期大学部教授。青二プロダクション所属[15]。妻は同じく声優の柿沼紫乃[16]。
栃木県栃木市(旧下都賀郡大平町[13])出身[1][11][12]。農家の10男5女の15人兄弟の末っ子として誕生[1][3][4][23][24][25]。古川自身は「僕ぁ、田舎育ちで……」と、声優界の千昌夫を自認し、気取らないところが、人間味あふれており、人を魅きつけているという[4][23]。長兄の善一郎は太平洋戦争時に重巡洋艦鳥海の機関砲手を務めていたが、艦が爆撃を受けてフィリピン海で没し、古川が生まれる前に22歳で戦死している[26][27][28][29][30]。古川が生まれた時、両親が「この子は善一郎の生まれ変わりだ」と言っていたという[31][32]。小さい頃はいい子で、「神童」と言われており、住んでいた家の前に、新しい道があったことから、「新道(通称、神童)」と呼ばれていた[10]。その頃から人前でヒョーキンなことをしているような陽性の面があったという[22]。小学校卒業後、早くも兄を頼って上京、その兄の勤務地が変わる度に転校し、東京都、千葉県の4つの中学校を転々としていた[4][23]。小学校時代から、漠然と「俳優になってみよう」、と考えており、「お金儲けができて、早く親を安心させることができる」と思ったからかもしれないという[4]。
古川が芸能界を目指すことになったきっかけを作ってくれたのも、東京都で働いていた[25]兄の忠治[33]で、「何かひょうきんでおもしろいからそういうことをやらせよう」と東京から児童劇団のパンフレットを送ってきた。そのパンフレットに掲載されていた子役が、当時普及し始めたばかりのテレビでよく観ていた『月光仮面』の出演者が多数掲載されていたため興味を持ち[34]、中学1年生の頃、12歳で劇団日本児童に入団することになった[1][4][20][24]。それまでは、銀行員になるつもりでいたという[10]。当初は栃木から東京へ通っていたが大変だったので、一年ほど経って親元を離れ東京の兄の元で暮らすようになった。とにかく坊主頭が嫌で、東京に出れば髪を伸ばせるということも動機になったとのこと[18]。父の「田舎で銀行員になれ」という猛反対を押し切って、俳優への道を踏み出す[1]。
東京都立第四商業高等学校に進学後は演劇部に所属しており、演劇部の先輩に富田耕生、関根信昭がいる[4][23]。ある日、先輩に連れられて劇団手織座公演のマクシム・ゴーリキー作『どん底』の公演で初めて新劇を観てのめり込み「よし、俺はなんとかしても役者になるぞ……」、「あっこれがやりたいっ!」と演劇を志す[4][23][22]。
大学は、演劇が学べる学科をということで1965年、日本大学芸術学部演劇学科[12]に進学[4][22]。役者志望と聞いて高校の教師も驚いていたが、それ以上に故郷の父が目を丸くしていたという[4][23]。在学中は、新劇史は秋庭太郎の授業を選考し、殺陣同志会に在籍した[34]。当時は、仲間と組んでコンビ、トリオで、キャバレーのフロアシューに出演、小遣い、学費を稼ぎ出していた[4]。チャンバラトリオのようなショーをストリップショーの合間にしており、刀、槍などの小道具は大学からちょいちょい無断借用させてくれた[4]。そのショーの台本はいつも書いており、興がのるとひと晩に何本も書いていたという[4]。自身の特技にも殺陣と書かれている[12]。このため『ジャンボーグA』『ファイヤーマン』では怪獣の中に入っていたという記述もあるが、本人は自身のホームページで、声での出演履歴であり、スーツアクター経験を否定している。また声優アニメディアのインタビューでも怪獣のスーツアクターもしていたという情報は間違いであり、役者として、そういう特撮作品には出演していたと語っている[25]。大学中退[11]後に舞台俳優になろうと劇団「櫂(KAI)」に参加[35]。同時に、貧乏生活のスタートでもあり、この劇団が食べていけず、困るほどの金のない毎日だった[3][4][10]。当時は新劇青年のお決まりコース、ウェイター、東京都新宿区のバーテン、コック見習いと、思い出せないくらいあらゆるアルバイトをしていた[3][4][23]。高校時代に「クラシックギターの手ほどきを受けたことがある」と聞いていた友人が、東京都港区新橋のバーの弾き語りの仕事を見つけてくれた[4][22]。毎夜、深夜までギターをつま弾きながら、知っている限りの曲を歌っていた[4]。実家に帰省するたび、父から「同級生は親に小遣いを渡すのに、おまえはまだ貰う側か」と小言を言われ、落ち込んだりもしていたという[25]。
その劇団の座長をやっていた中田浩二に誘われ、中田が出演していた海外ドラマを収録したスタジオを見学した際に[36]ディレクターやオーディションを紹介された。このことを古川は、「その劇団に入っていなかったら、たぶん、声優にはなっていなかった」と回想し、感謝していると述べている[18][35]。大学には3年半在籍したが大学紛争(日大闘争)が激化、卒業制作の芝居を作りに登校したところバリケードで入り口が封鎖され大学構内に入ることができず、そのままフェードアウトした[11][37]。
現代制作舎というプロダクションにも所属中の1975年前後には、『新宿警察』など実写のテレビドラマに出演[38]。当時の本業では食べていけず、アルバイトも掛け持ちしており、このことを「やりたいことを疑わず、いつかどこかでプロになれると思っていたからつらかったです」と回想している[1]。声優として最初に出会った作品は25歳の時の東北新社提供の『FBIアメリカ連邦警察』[2]、初レギュラーを『大草原の小さな家』と回想している[18]。大学中退後は洋画のアテレコをしていたが、1974年にアニメ『ゼロテスター』の隊員役で声をあてている[19]。古川自身はアニメ声優としてのデビューを1976年の『マグネロボ ガ・キーン』の北条猛役だと考えていた[6][20][10]。30歳の時にのちの青二プロダクションの社長を経て、現・相談役の古市利雄に「新作のアニメを作るんだけれど、声優のオーディションを受けてみないか」と声をかけてきて[1]、それまで、兵士Aなどの端役を演じたことがあったが、絶対に無理だろうと受けたオーディションで主役に抜擢され、以降アニメの仕事が一気に増えた。そのため、劇団の稽古に立てず舞台にも出られないため、永井一郎に誘われて、青二プロに移籍した[35][39]。声優として、飛躍するきっかけを作ってくれた古市への恩義もあるという[39]。参考にするため見学にいったスタジオで収録をしていた古谷徹の演技に衝撃を受けたという[20]。二枚目から三枚目まで、幅広い役をこなす。
もともとは二枚目役を演じていたが、『うる星やつら』の諸星あたるで初の三枚目を担当[40]。以降、二枚目半・三枚目が増えている。本人によると、役者・声優として大きな転機となったのは、初主演となった『マグネロボ ガ・キーン』の北条猛、初の三枚目役だった諸星あたる、悪役から改心して長期レギュラーとなった『ドラゴンボール』のピッコロ(マジュニア)、海外ドラマの『白バイ野郎ジョン&パンチ』のパンチだという[35]。
声優業以外にも、1980年には「テーマ主義に立脚したオリジナル作品の上演」を標榜して劇団青杜(げきだんせいとう)を創立[35]し、代表として多くの公演で作・演出を担当した(創作した戯曲は著作参照)。2003年に解散後も劇作活動を続けている。
1978年に古谷徹ら声優仲間とともにバンド「スラップスティック」を結成(古川はギター担当)し、数々の歌番組で歌を披露し、1986年まで活動した[41][42][43][44][45]。
2017年1月9日、テレビ朝日にて放映された『人気声優200人が本気で選んだ!声優総選挙!3時間SP』で第9位に選ばれる[46]。
2019年4月より、青二プロダクション附属俳優養成所・青二塾東京校の塾長に就任[47]。
2024年3月、『東京アニメアワードフェスティバル 2024』において「アニメ功労部門」を受賞[48]し、第18回声優アワードで功労賞を受賞した[49]。
好きな言葉は「人との出会い」[3]。
音域はA - F[50]。自身の声をハイバリトンであると語り[12]、演技に関しては「強い男の中にやさしさを盛り込む」といったような、「古川が演じたらどうなるか」というプラスαの演技を常に心掛けている[34]。方言は栃木弁[50]。
あたる等のイメージとは対照的に、本人は「女性と話すのは苦手」と発言しており[34]、また真面目な人柄で知られている。このため、初めて会った人物からは「本当にあの(あたる)役をやっていた古川さんですか」と訊ねられることも多いという。
東京に出る際に父から貰った「初志貫徹」を、挫折しそうになったりしたときの励ましとなり心に残っている言葉として、好きな言葉の1つに挙げている[18]。
クリスチャンであり、鈴置洋孝の訃報のファックスを受け取った時には、思わず「彼の魂を天に誘って下さい」と祈ったという。妻がプレゼントしてくれた聖書を愛読書として挙げており、座右の銘にもテサロニケの信徒への手紙一の「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」。を挙げている[12]。
時と場所を選ばず、すぐ眠る癖があり「歩く睡眠不足」という異名を持っていた。山手線に乗ると、寝過ごして1周することも多く、アフレコの出番待ちの際にも眠って台本を落とした音でNGになったことも頻繁にあったという[35]。バンドの練習中、ギターの音が消えたとメンバーが振り返ると、彼がギターを持ったまま寝ていたこともあったという。本人の談によれば、この癖は当時並行して行っていた劇団の脚本の執筆を仕事の合間、寝る時間も惜しんで作業していたためであるという[35]。
かなりのフィギュアマニアで、自分の演じたキャラクターや関連ロボットのフィギュアを収集することが趣味。特にお気に入りは自身の代表作であり一番好きなキャラクターと言う[51]ピッコロ(マジュニア)で、全てのバージョンのフィギュアを手に入れているという。自身では演じていない初代ピッコロ(ピッコロ大魔王。演じたのは青野武)も持っている[52]。鉄道模型やジオラマ、ミニカーにも造詣を持ち、自身のホームページで、ジオラマの制作風景とミニカーを紹介している。釣りにも造詣を持ち、『Do!スポーツ』のナレーションで釣り回のロケーションに行ったことと、宮川洋一からへら竿を貰ったことがきっかけで始めた[18]。年に数回、魚釣りにも行くと語ったことがある。また、この趣味が高じて釣り雑誌で12年間くらい連載を持っていた[18]。
下戸[53]で酒が飲めず、「一滴でも口にすると眠ってしまう」と『パトレイバー』座談会時に語っている[54]。体質的にダメで兄弟15人のうち、14人がダメであり、1人だけ酒豪がいるが、突然変異だという[6]。
資格は普通自動車運転免許[12]。好きな乗物は飛行機、船、車、列車[12]。
古谷徹とは、互いの家を行き来するほど仲が良く、『機動戦士ガンダム』や『ドラゴンボール』などで、それぞれ代表的な役を演じ共演している。
同学年の神谷明とは『うる星やつら』など、ライバル関係の役柄で共演することが多い。『劇場版ドラゴンボールZ』では古川はピッコロを演じていたため、監督が「古川さんのライバルといえば神谷さんだ!」という理由で、神谷がメインの敵キャラクター・ガーリックJr.役に抜選されたというエピソードもある。また『北斗の拳』『シティーハンター』の主役のオーディション争いで敗北した過去があり、同時に神谷の演技力や役作りに脱帽し、神谷との主役オーディション争いに勝利することが夢だと語っている[55]。その一方、主役以外で上記のピッコロ役のオーディションは神谷も候補として受けており、こちらは古川が勝利している[要出典]。なお『キン肉マンII世』では『キン肉マン』の初代キン肉マン / キン肉スグルを神谷に代わって演じている。『名探偵コナン』では、神谷演じる毛利小五郎を慕うドジな刑事・山村ミサオ役で共演している。
尊敬する声優に富山敬、永井一郎を挙げており、「とても優しい先輩であった」と述べている[56]。とくに富山に対する想いは強く、「ヤマトの頃から富山敬さんに憧れ、この方のような軽妙な演技ができるようになりたい一心で、演技は元より、シャツからセーターからブルゾンから眼鏡までなんでも真似した」と語っている[57]。
谷山紀章が声優になる影響を与えた人物の一人に古川の名前を挙げている[58]。また、神奈延年は、古川を自分の師として尊敬する人物に挙げている[59]。『お願い!ランキング』の「ヤング声優100人が本気で選んだ尊敬するアダルト声優ランキング」という企画では、古川は20位にランクインしており、名前を挙げた宮野真守が「衝撃をうけた時の声がリアルすぎる」と尊敬するポイントを挙げていた[60]。
家族は、妻であり声優の柿沼紫乃と愛犬(シーズーのオス)の「遊馬」。遊馬の名前は『機動警察パトレイバー』で演じた篠原遊馬にちなむ。また2014年の2月には同じくシーズーのオスの「エース」(こちらは『ONE PIECE』で演じたポートガス・D・エースにちなむ)もこれに加わった。以前飼っていた犬(こちらもシーズーのオス)は、自身の代表作である『うる星やつら』の諸星あたるから「あたる」という名前だった(2008年に15歳で亡くなり、その後に遊馬が来た)。25歳の時にデパートに勤めていた女性と結婚していた[3]。
軽井沢に敷地面積200坪におよぶ別荘を所有していることがワイドショーで紹介された[61]。また炊事が苦手な妻に代わってもっぱら本人がキッチンに立つと語っており、その際に本人手作りのあんぱんの映像が放映された。
故郷栃木県から『とちぎ未来大使』に任命され、併せて太平山県立自然公園広報官に任命された[62]。栃木の魅力について問われると、幼少時にいつも眺めて育った太平山を挙げている[34]。
2006年10月16日NHKラジオ番組『旅するラジオ こんにちは80ちゃんです』にゲスト出演した。放送地域が大平町だったためで、番組中幼なじみや恩師と再会、少年時代は仲間を引っ張って芝居や紙芝居の座長したり、牛に乗って遊んでいたなどのエピソードを語っていた[63]。
2009年6月1日に栃木県のとちぎ未来大使に就任[64]。
2016年に栃木市ふるさと大使に就任[65]。
『うる星やつら』の主人公・諸星あたるは古川の代表キャラクターの1つとされており、雑誌やテレビで古川の経歴が紹介される際、最初に載せられることも多い。オーディションは、漫画を見ながら台詞を読むものだったとのこと[34]。古川本人は、後年「三枚目役は初めてだったため、開始当初はどう演技すれば良いのか困っていた」[66]「二枚目でありつつ、三枚目。三枚目はどうやって演じていいのかわからず、セリフが速く表情は千変万化し、展開も二転三転。真面目な顔の次の瞬間には大きな口を開けて笑っている。一行のセリフ中で前半は真面目、後半は三枚目でふざけている。ものすごく難易度の高いセリフが多く、本当に大変だった」[40]などと語っている(それまでは二枚目がほとんどだった[40])。
斯波重治によると、番組開始当初は局側から「あまり良くない」と言われていたとのことで「連続の非連続をやってほしい」と要求したところ、良くなっていったとのこと[67]。「『うる星やつら』録音監督の斯波さんから『降板コールの手紙がたくさん来ているんだけど、演技を変えられるかなあ』と言われたとき、足がガクガク震えて止まらなくなったのを思い出しました。声優の仕事を本気でやめようかと思いました。」と後に自身のTwitterで語っている。降板依頼の多さにキャスト変更を決意したスタッフが、その旨を伝えるべく原作者の高橋留美子の元に行ったところ、切り出す前に高橋から「キャストは全員イメージに近く、特にあたるは完璧」との高評価を伝えられ、その意向に従う形で急転直下続投が決まったという[68]。高橋は後に『うる星やつら』ムック本のインタビュー記事で以前から古川の大ファンだったこと、また古川の演技自体も彼女のあたるのイメージにぴったりだったと述べている。
後に『銀河英雄伝説』ではオリビエ・ポプランを演じているが、ポプランは女性好きのキャラクターでファンからは「イゼルローンの諸星あたる」とあだ名されていた(これは『銀河英雄伝説』の小説の後書きで作者の田中芳樹が述べている)ため、それならばあたる役の古川がよいだろう、というのが起用のきっかけだったとのこと。
競演した平野文は、蹴り飛ばされて飛んでいくドップラー効果のようなフェードアウトまで声だけで古川が表現してしまい、収録時笑いをこらえるのが大変だったと回想している[40]。
2022年版アニメではキャストが変更されているものの(あたる役は神谷浩史)、古川はあたるの父として平野と共に引き続き出演することになった[69]。
OVA『ルパン三世 風魔一族の陰謀』でルパン三世を1度だけ演じたことがある。古川自身、憧れ影響を受けた声優に山田康雄を挙げており、ゲスト出演したときに衝撃を受け、その芸を盗もうと山田が出演する番組をすべて録画しそれを基に練習していた[34]。ある日、OVAを1本作るということでルパン役のオファーが入ったが、「そっくりに演じればマネ、似ていなければお前ごときがと批判される」[55]「そんな負ける商売はしたくない」と最初は断るつもりだったが、マネージャーから「他のキャストは皆受けており、逃げるのか?」と言われ、しょうがないと仕事を受けた[34]。「古川でやるしかなく、それで構わないか?」ということで、ルパンを演じた際は「物真似では演じず自分ならではのルパン」をと自分の声そのもので演じたが、それでも絵や山田が作ったイメージに引っ張られてうっかり真似していたと語っている[35]。後日、OVAが発売されると大量のファンレターが届き、中身が批判的な内容だらけだったため落ち込んだとのこと[34]。ただし2020年以降は作品自体の質を再評価する感想もあり[70]「最近は『良かった』と言ってくださる方も出てきて『1作だけどルパンに関われて良かった』と言えるようになりました[71][72]。一回でも演じれたことを誇りに思えるようになったため、やっとプロフィールの出演履歴に加筆できました」と話している[73][74][75]。 その後、2022年よりDMM TVで配信される『LUPIN ZERO』ではルパン三世(同作では畠中祐が演じている)の父親であるルパン二世を演じている[76]。
『ドラゴンボールZ』に出演していた際、戦うときの掛け声がすぐに底を突きたため、収録時にその場にあった物などを掛け声のごとく叫んでその場を凌いだこともある。『お願い!ランキング』出演時には悟飯をしごくシーンで、八奈見乗児から子供をいじめるなと怒られたと話し[77]、25年目になるドラゴンボールはスタッフの気遣いで台本の文字が大きくなっていたと語っている[55]。自身の声がハイバリトンで、悪役を演じるにあたり自分の一番低い声のさらに下を要求されるため、息で表現していた。そのため、マイクで拾われづらく大変だったと回想している[34]。
上記の神谷明との共演でも述べたように、『名探偵コナン』では群馬県警の山村ミサオ警部を演じている。原作者の青山剛昌によると、最初はチョイ役程度のつもりで登場させたが、担当声優の古川の声が好きだったため、「もっと聞きたい」と考えているうちに原作でも登場回数が増え、結果的に準レギュラー的な役どころになったという。古川もこの作中で「へっぽこ」と渾名される山村のキャラを気に入っていて、どこか憎めない感じが出るように演じているとのこと[要出典]。
『ポプテピピック』では前半と後半でほぼ同じ内容ながらポプ子とピピ美を別の声優が演じるという試みがなされていたが、古川は第2話の後半でポプ子を、ピピ美役の千葉繁と組んで演じている(古川は「他の声優の代役であったらしい」と語っている[78])。この独特のキャスティングを「声優個々の演技論の違いが明確にわかる」と評価し、本作については「俳優教育、声優教育に一石を投じるコンテンツにも思える」「演技論はプロの表現者の数だけ有る」は成り立つ」と論じるツイートを投稿、4万4千回以上リツイートされるなど話題を呼んだ[79][80]。また、「大御所なんだから仕事選べ」という一部視聴者の声に対し、古川は「冗談ではない。アニメのキャラ声は本職だ。第一仕事を選べるほど偉い立場に無い」と反論、「一本の仕事を取るのにマネージャーさんが何度頭を下げるかご存知か!」と問うた[81][82]。
『ゲゲゲの鬼太郎』においては、第3作でねずみ男を演じていた富山敬が以前から好きだったため、ねずみ男を演じることが夢だったと語っている(第3作10話では響ワタル役でゲスト出演しており、そこで富山の芝居を生で見て衝撃を受けたという)[83]。第5作のねずみ男役のオーディションでは落ちたが[83][84](なお古川はその後、準レギュラーの蒼坊主役で出演)、第6作で念願叶ってねずみ男役を担当することになった[83][85][86]。
太字はメインキャラクター。