よしおか ひでたか 吉岡 秀隆 | |||||||||||
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第32回東京国際映画祭にて(2019年10月) | |||||||||||
本名 |
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生年月日 | 1970年8月12日(54歳) | ||||||||||
出生地 | 日本・埼玉県蕨市 | ||||||||||
身長 | 172 cm | ||||||||||
血液型 | A型 | ||||||||||
職業 | 俳優・ミュージシャン・ナレーター | ||||||||||
ジャンル | 映画・テレビドラマ | ||||||||||
活動期間 | 1975年 - | ||||||||||
配偶者 | 内田有紀(2002年 - 2005年) | ||||||||||
事務所 | Office Bow! | ||||||||||
公式サイト | 吉岡秀隆 OFFICIAL SITE | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ 『北の国から』シリーズ / 『Dr.コトー診療所』シリーズ 『警官の血』 / 『最後の赤紙配達人〜悲劇の召集令状64年目の真実〜』 『大仏開眼』 / 『猫弁』シリーズ 『トクソウ』 / 『流星ワゴン』 『富士ファミリー』シリーズ / 『朗読屋』 『悪魔が来りて笛を吹く』 / 『八つ墓村』 『エール』 / 『新聞記者』 『犬神家の一族』 映画 『遙かなる山の呼び声』 / 『男はつらいよ』シリーズ 『八月の狂詩曲』 / 『ラストソング』 『学校』シリーズ / 『虹をつかむ男』シリーズ 『半落ち』 / 『隠し剣 鬼の爪』 『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズ / 『ゴールデンスランバー』 『小さいおうち』 / 『海賊とよばれた男』 『Fukushima 50』 / 『Dr.コトー診療所』 『Winny』 / 『ゴジラ-1.0』 | |||||||||||
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備考 | |||||||||||
劇団若草 |
吉岡 秀隆(よしおか ひでたか、1970年〈昭和45年〉8月12日 - )は、日本の俳優・ミュージシャン・ナレーター。埼玉県蕨市出身。所属事務所はOffice Bow!。
4歳の頃、人見知りを治す目的で両親の勧めで劇団若草に入団し、5歳の頃にテレビ時代劇『大江戸捜査網』で子役としてデビュー[1]。当時、吉岡 ひでたかの芸名で、子供向けの歌をいくつか吹き込んでいる。1976年に「山口さんちのツトム君」人気[注 1]を受けて制作されたアルバム『ユミちゃんの引越し・山口さんちのツトム君 みなみらんぼうのこどものうた』[注 2]の中で「山口さんちのツトム君」を歌っている[注 3]。
1977年、野村芳太郎監督の『八つ墓村』で主人公・寺田辰弥の少年時代役を演じ、映画初出演。1980年公開の『遙かなる山の呼び声』の武志役のオーディションにて監督の山田洋次に見出された。これにより翌1981年公開の『男はつらいよ』シリーズ第27作『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』から第50作まで寅次郎の甥・諏訪満男役でレギュラー出演し[2]、代表作となる。『男はつらいよ ぼくの伯父さん』以降は、主演の渥美清が病気により派手な演技が難しくなったことに伴い、吉岡の登場シーンが増えたことから事実上の主役となった。
1981年より2002年まで、『北の国から』に黒板純役でレギュラー出演し、妹・螢役の中嶋朋子と共に名子役と云われ、こちらも代表作になった。
2003年、『Dr.コトー診療所』に主演して高視聴率を獲得。また、2005年からの映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズでも主演を務め、日本アカデミー賞で最優秀主演男優賞を受賞するなど高い評価を得た。
山田洋次監督作品への出演が多く常連である。黒澤明作品にも多く起用されている。
1994年に主演した、映画『ラストソング』では同名の劇中歌を作詞作曲。47万枚を売り上げるヒットとなり、オリコンでも最高7位を記録した。
体の線が細く繊細な演技が持ち味で、若い頃は思い悩む等身大の青年役を多く演じてきたが、近年は冷静に人をなだめる知的な役を演じることが多い。
2002年12月『北の国から2002遺言』で共演した女優の内田有紀と結婚。倉本聰がプロデュース『北の国から』の舞台・富良野市での挙式が話題になったが、2005年12月21日に離婚。内田との間に子どもはいなかった。
両親と3人姉弟(姉が2人)の末っ子として育つ。当時父は東宝舞台の大道具、母は舞台衣装のデザインを担当していた[1]。自由の森学園高校を経て、亜細亜大学中退。 伯母(母の姉)は宝塚歌劇団女優の中澤澄恵。
人前で喋るのは苦手であるとして、TVのバラエティ番組やトーク番組にはめったに出演しないが、たまに出演するラジオ番組では、黒澤明監督との思い出話からバイクでの失敗談、スタジオジブリアニメが好きでロケ先にまでDVDを持って行った話まで、比較的プライベートな話題も語っている。
10代の頃は、映画『男はつらいよ』シリーズで演じていた諏訪満男という若者に内心ダサく感じていた[注 4]。
『男はつらいよ』では、寅さん役の渥美清やさくら役の倍賞千恵子とのシーンで吉岡が上手く芝居できない時は、彼らが助け舟を出してくれた。渥美の場合は、台本の台詞や喋る間をとっさに変えて「満男、お前今こういうことを言いたいんだろう?」と言って、本来吉岡が言うべきことを代わりに言ってくれたという[注 5]。
子役として初めて本シリーズに出演した際、渥美から「君はたぶん役者を一生やっていくよ」と予言された[注 6]。この予言は当たり、本人はその後も内心辞めよう辞めようと思いながらも役者を続けている[1]。
本人曰く「僕は若い頃から生意気な所がある」とのこと。18歳の頃にドラマ『北の国から』で倉本聰からある回の脚本の感想を聞かれ、「つまんない」と答えたこともある[注 7]。
『北の国から』の演出家・杉田成道について「僕が子供の頃は大嫌いだった」と回想している[1]。当時の撮影現場では倉本など他のスタッフはOKを出すのに、杉田だけなかなか納得しなかった。何度もリテイクしたため撮影日が延び、学校の遠足も運動会も休む羽目になったのが嫌いだった理由である。しかし、反抗期を迎えた時に一番理解してくれたのが杉田だったことから、以後親しくなった[1]。
2012年6月29日、『北の国から』ほかで共演した地井武男が心不全で死去。8月6日に営まれた『お別れの会』に田中邦衛、中嶋朋子らと参列し、田中が参列者を代表して祭壇に向けて「お礼の言葉」を述べる際には、介添え役を務めている[4]。田中邦衛が死去した際には、「いつか、この日が来ることを心のどこかで覚悟しておりました。今は邦衛さんの笑顔しか思い浮かびません。自分の覚悟の小ささとあなたの大きな優しさに涙しかありません」とコメントをした[5]。
大学に受かった時点[注 8]で役者を引退するつもりだったため、この頃(当時の)所属事務所を辞めている[1]。しかし、ほどなくして自宅に直接、黒澤明作品の『八月の狂詩曲』のオーディションの話が舞い込み[注 9]、面接を受けることになった[1]。
面接当日は他の参加者たちは皆スーツだったのに対し、本人はラフな格好[注 10]で参加した[1]。黒澤[注 11]から服装を注意されそうになったが、彼の隣に座る娘で衣裳デザイン担当の黒澤和子がフォローを入れたことで事なきを得た[注 12]。
また、面接には映画『優駿 ORACIÓN』で共演していたカメラマンの斎藤孝雄も同席しており、黒澤は彼に同作での吉岡の様子を尋ねた。斎藤が「いいですよ、彼は」と伝えると黒澤は「あっそー。分かった」と言うと、吉岡は何も質問されないままオーディションに合格した[注 13]。
黒澤組での『八月の狂詩曲』の撮影では、「一つの映画を皆で作る。役者もその一部である」と感じた。このことから自身の撮影を終えた後も、スタッフに混じって照明運びをするなど裏方の作業を手伝った[1]。また作中のアリが歩くシーンの撮影でスタッフたちが集まって相談していると、突然黒澤に呼ばれた。すると黒澤から「見てみろ。アリ一匹に大の大人がこんなに夢中になってんだぞ。映画作りって面白いだろう?」と言われた[注 14]。
長い俳優のキャリアの中で、『ゴジラ』シリーズをはじめとする怪獣映画に自分が出演の話は一度もなかったことから「ゴジラだけは遠い存在」だと思っていたと語っている[6]。
そんな中でゴジラを倒すための作戦を考える「学者」という役柄のオファーを受けた際、役作りにゴジラの実物感をつかむために『西武園ゆうえんち』のゴジラ・ザ・ライドを体験してイメージを掴んだという。
山崎監督からは他のキャラクターと違いゴジラに対する好奇心のあるマッドサイエンティストの役柄と言われ、ゴジラに対して笑顔を見せるような表情や狂気じみた顔つきを求められたという[6]。 また「男はつらいよで」自分の祖父の役柄を演じた志村喬が初代作品で自分と同じ科学者的な立ち位置を演じたことから不思議な縁でつながっていると感じたという。
※太字は主要キャラ。
以下、特記のない限りナレーター
発売年月日 | レーベル | 規格 | 規格品番 | 面 | タイトル | 備考 |
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吉岡ひでたか名義 | ||||||
1976年 | ビクター音楽産業 | EP | KV-45 | A | ユミちゃんの引越し 〜さよならツトム君〜 | 川橋啓史 & 大塚佳子の同名曲のカバー |
B | ネコという名前の猫 | |||||
1977年6月 | 日本コロムビア | EP | SCS-357 | A | 名物おばあちゃん(台詞:野沢雅子) | |
B | パパが出張から帰ったら | 味の素冷凍食品CMソング | ||||
1977年 | ビクター音楽産業 | EP | KV-49 | A | お酒でロックンロール | |
B | パパと僕のワルツ | |||||
吉岡秀隆名義 | ||||||
1994年1月7日 | ポニーキャニオン | 8cmCD | PCDA-505 | 1 | ラストソング | 映画『ラストソング』主題歌 |
2 | 光あるうちに行け | 映画『ラストソング』挿入歌 | ||||
1994年4月21日 | 8cmCD | PCDA-564 | 1 | 月 | ||
2 | 僕を探しに |
発売年月日 | レーベル | 規格 | 規格品番 | タイトル |
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吉岡ひでたか名義 | ||||
1976年 | ビクター音楽産業 | LP | JBX-114 | ユミちゃんの引越し・山口さんちのツトム君 みなみらんぼうのこどものうた |
吉岡秀隆名義 | ||||
1994年1月21日 | ポニーキャニオン | CD | PCCA-492 | ラストソング オリジナルサウンドトラック |
1994年5月20日 | ポニーキャニオン | CD | PCCA-568 | 分岐点 |
1996年3月21日 | ポニーキャニオン | CD | PCCA-896 | つづく |
2002年7月24日 | Jomon Records | CD | JR-1 | 裏 |