吉田 穂高 (よしだ ほだか、1926年9月3日[1] - 1995年11月2日[1]) は、日本の版画家。
東京都北豊島郡出身[1]。洋画家・吉田博の次男であり[1]、吉田遠志の弟である[1]。
東京高等師範学校付属中学校を経て[1]、第一高等学校(旧制)理科甲類に入学する[1]。1945年理科乙類に転類し[1]、油彩画の制作を始める[1]。1952年日本版画協会第20回展に出品して入選[2]、以後同会会員となる[2]。1956年第1回シェル美術賞に出品した「石と人」が3等賞を受賞する[1][2]。1972年第2回ソウル国際版画ビエンナーレに「沈黙の風景」「水辺の神話」「真昼の神話」を出品して大賞を受賞[1]。1973年第1回世界版画コンペティションに「NINJAPOINT」を出品して第1部特別エディション賞を受賞[1]。1977年第5回リエカ国際オリジナルドローイング展に「扉のある風景A.B」を出品して国際審査員名誉賞を受賞[1]。
1980年日本美術家連盟理事[2]。1990年紫綬褒章[2]。
なお、穂高が伝えた「吉田博旧蔵不同舎資料」(水彩・素描など94点)は、府中市美術館に所蔵されている。[要出典]