吉野 正芳 よしの まさよし | |
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復興大臣時に公開された肖像写真 | |
生年月日 | 1948年8月8日(76歳) |
出生地 | 日本 福島県 |
出身校 | 早稲田大学商学部卒業 |
前職 | 吉野木材取締役 |
所属政党 | 自由民主党(安倍派→無派閥) |
称号 | 商学士(早稲田大学・1971年) |
公式サイト | 自由民主党衆議院議員 吉野正芳(よしのまさよし)公式サイト |
内閣 |
第3次安倍第2次改造内閣 第3次安倍第3次改造内閣 第4次安倍内閣 |
在任期間 | 2017年4月26日 - 2018年10月2日 |
選挙区 |
(福島5区→) (比例東北ブロック→) (福島5区→) (比例東北ブロック(福島3区)→) (比例中国ブロック→) 福島5区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 2000年6月26日 - 2024年10月9日 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1987年 - 1999年 |
吉野 正芳(よしの まさよし、1948年〈昭和23年〉8月8日 - )は、日本の政治家、実業家。
衆議院議員(8期)、復興大臣(第7・8代)、環境副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、文部科学大臣政務官(第3次小泉改造内閣)、福島県議会議員(3期)、社会福祉法人ハートフルなこそ理事長等を務めた。
福島県出身。福島県立磐城高等学校、早稲田大学商学部(日下部ゼミ:会計学[1])卒業[2]。大学卒業後、家業の吉野木材株式会社に入社した[2]。
1987年、福島県議会議員選挙に出馬し、初当選した。以後、1999年まで3期12年務める。2000年、第42回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で福島5区から出馬し、民主党新人で磐城高の同級生にあたる吉田泉を破り、当選した。以後、6期連続当選。1996年の第41回衆議院議員総選挙で福島5区から新進党公認で出馬し、当選した坂本剛二が1999年に自民党に復党していたため、コスタリカ方式が採られ、2005年の第44回衆議院議員総選挙までは吉野、坂本の両名がそれぞれ福島5区、比例東北ブロックから交互に出馬して当選し続けていた。2005年、(第3次小泉改造内閣で文部科学大臣政務官に任命された[2]。2008年、福田康夫改造内閣で環境副大臣に任命され、麻生内閣まで務める[2]。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、空席となっていた福島3区に国替えして出馬[3]。民主党前職の玄葉光一郎に10万票超の大差をつけられ惨敗したが、比例東北ブロックの名簿順位が国替えにより優遇されていたため、比例復活により4選。一方、福島5区から出馬した坂本剛二は、民主党の吉田泉に敗れ、落選した。
2012年の第46回衆議院議員総選挙に際しては、選挙区調整により坂本が福島5区で公認を受け、吉野は比例中国ブロックへ転出[4]。中国地方は安倍晋三、高村正彦、石破茂ら自民党幹部が多く、比例枠の余裕が見込めるための異例の措置であり、吉野自身も「(名簿は)中国ブロックだが、体は福島5区の人間だ。あまりにも例のないことでびっくりしているが、バッジをつけて、復興のお役に立ちたい」と支援者らに釈明した[4][5]。比例中国ブロックの選挙区内には入らず福島5区で坂本を応援する選挙運動を行い[4]、自身は比例中国ブロックで当選した[2]。当選後、衆議院環境委員長に就任。
2014年、衆議院原子力問題調査特別委員長に就任。同年の第47回衆議院議員総選挙に際しては、再び吉野、坂本の両名が福島5区からの立候補を表明し、党本部の調整により吉野が福島5区で公認を受け、坂本は比例近畿ブロックへ転出[6]。党本部による調整がもつれ込み、公認が決定したのは公示日の前日で[6]、坂本は比例近畿ブロック単独40位に登載された[7]。福島5区で吉野が民主党前職の吉田泉を破って再選された一方で、比例近畿ブロックに国替えした坂本は名簿順位の下位登載が響き、落選した。
2016年9月、衆議院東日本大震災復興委員長に就任[8]。2017年4月26日、東北地方太平洋沖地震に関する東北地方の被災地への問題発言を理由に更迭された今村雅弘の後任の復興大臣に任命され、初入閣した[9]。就任後の記者会見で、前任の今村雅弘について、「まだ東北で良かった」という発言に関しては「私は被災地(選出)だから、絶対に許せない」と批判したが、「今村氏は頻繁に被災地に来ているし、被災地を思っていたのはよく分かっている。ただ、ああいう言葉になったのは残念だ」とも述べた[10]。2017年8月3日、第3次安倍第3次改造内閣において復興大臣に留任。同年の第48回衆議院議員総選挙では希望の党公認となった吉田を再び降して7選。2018年10月2日の第4次内閣改造で復興大臣を退任。
2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で8選。
2022年12月23日、区域変更された新・福島4区の支部長に決まった[12]。
復興大臣退任後に脳梗塞を発症し、さらに2021年の総選挙中に足を痛めて以降は車椅子での生活となり、議員活動もままならない状況となっていると報じられた。2023年6月には地元紙・福島民報において引退の意向を周囲に伝えたことおよび後任の支部長として坂本の長男である福島県議会議員(当時)・坂本竜太郎[13]を軸に調整が進められていることが報道されたが、この時点では本人はこの報道内容を否定していた[14]。2023年秋には車椅子で転倒し、以後は国会でも欠席が続いた[15]。
2024年9月30日、「体力の回復を目指していたが、選挙活動をやり遂げる確信を持てなくなった」として次期衆院選に立候補しない意向を後援会を通じて正式に発表した[16][17]。
兄に吉野文敏(吉野木材代表)、息子に吉野嘉晃(実業家、福陽自動車教習所・ハートフルなこそ・ケアサポート慶・とらべるぱーくオリバー代表)
2001年に統一教会のダミー組織である天宙平和連合(UPF)が東京都内のホテルで開催した天宙平和統一国日本大会に参加した[23]。
公職 | ||
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先代 今村雅弘 |
復興大臣 第7・8代:2017年 - 2018年 |
次代 渡辺博道 |
先代 桜井郁三 |
環境副大臣 2008年 - 2009年 |
次代 田島一成 |
先代 小泉顕雄 下村博文 |
文部科学大臣政務官 有村治子と共同 2005年 - 2006年 |
次代 水落敏栄 小渕優子 |
議会 | ||
先代 森英介 |
衆議院政治倫理審査会会長 2021年 - 2023年 |
次代 塩谷立 |
先代 武藤容治 |
衆議院農林水産委員長 2019年 - 2020年 |
次代 高鳥修一 |
先代 今村雅弘 |
衆議院東日本大震災復興特別委員長 2016年 - 2017年 |
次代 鈴木俊一 |
先代 森英介 |
衆議院原子力問題調査特別委員長 2014年 - 2016年 |
次代 三原朝彦 |
先代 横光克彦 |
衆議院環境委員長 2012年 - 2013年 |
次代 伊藤信太郎 |