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呂 洞賓(りょ どうひん、貞元12年4月14日(796年5月4日) - ?)は、中国の代表的な仙人である八仙の一人。
名は嵒(嵓、巌、巖、岩とも書く。もとの名は煜)といい、洞賓は字である。号は純陽子。純陽真人とも呼び、或いは単に呂祖(りょそ)とも呼ばれる。
民間信仰の対象となり人々に敬愛されたことから、13世紀に元の武宗から「純陽演正警化孚佑帝君」の称号を贈られ、正式な神仙となった。以後の王朝からも神と公認され、道教での普遍的な称号は孚佑帝君と称される[1]。
蒲州永楽県(現在の山西省運城市芮城県)の人。祖父は唐の礼部侍郎の呂渭。父は海州刺史の呂譲。
師は鍾離権であり、終南山で秘法(飛剣を飛ばし魔を退治する「天遁剣法」、また雷雨を操る「雷法」)を授かり、道士となったとされる。その姿は背に剣を負った書生で、青年あるいは中年男性として描かれる。
呂洞賓に関する資料として「純陽呂真人文集」「呂祖志」「呂祖全書」「呂祖彙集」などがある。 科挙受験者であり、教養のある出自であることから優れた詩歌を幾つも残したという伝承があり、現代にも呂洞賓作と名乗る修行書や詩歌作品が多数残されているが、宋風の特徴を持つ作品が多く、他の作者がその人気に肖って仮託したものと考えられる[1]。
生まれながらに金形木質・鶴頂亀骨・左眉の角に黒子があるなどの異形だった、母親が一羽の白鳥が室内に入る夢を見たあとに出生した、などの異常誕生譚がある[1]。 幼い頃から聡明で、一日に万言を記したという。身長8尺2寸、好んで華陽巾を被り、黄色の襴衫を着て、黒い板をぶら下げていた。20歳になっても妻を娶ろうとはしなかった。
出世を目指し、科挙を二回受けたが、落第してしまう。長安の酒場にて、雲房と名乗る一人の道士(鍾離権)に出逢い、修行の誘いを受けるが、出世の夢が捨て切れず、これを断った。
鍾離権が黄粱を炊いている間、呂洞賓はうたた寝をし、夢を見る。科挙に及第、出世し、良家の娘と結婚し、たくさんの子供をもうけた。そうして40年が過ぎるが、ある時重罪に問われてしまい、家財を没収され、家族は離れ離れとなり、左遷されてしまう。
そこで目が覚めるが、まだ黄粱は炊けていなかった。俗世の儚さを悟り、鍾離権に弟子入りを求めると、十の試練を課されることとなる。これを見事こなした呂洞賓は、晴れて鍾離権の弟子となり、しばし修行した後、仙人となった[2]。
この話は、『枕中記』の「黄粱の夢」と酷似している[1]。また、この「黄粱の夢」に登場する呂翁が呂洞賓のことであるともされる。
『八仙得道伝』『八仙東遊記』など、明や清の章回小説においては、呂洞賓は鍾離権の師である東華帝君の生まれ変わりである、という記述が多く見られる。
呂洞賓が鍾離権から受けた十の試練は以下のようなものである[2]。
すると突然、空中に大声が響き渡ったかと思うと、鬼神達はみな姿を消した。ただ一人、手を叩いて大笑いする者がいる。見ると、それは鍾離権であった。「あなたを10回試してみたが、心が堅く何事にも動じない。きっと仙人となることができるだろう」と言い、彼は呂洞賓を弟子とした。
中国四大名楼の一つである黄鶴楼の言い伝えに登場する仙人が、呂洞賓であるとも言われている。
また、彼は楊家将演義にも登場する。宋と遼が争っている頃、呂洞賓と鍾離権が言い争をした。怒った呂洞賓が椿樹の精を連れて外界に下り、遼を助けることとし、それを知った鍾離権は宋に味方する。
呂洞賓が悪政に苦しむ民衆を助けるために出現したという伝承は各地にあり、三国時代の武将である関羽と肩を並べるほどの人気がある。癒神、武神、試験の神、財神(砂金採りの神)、御神籤・占いの神、理髪師・文具・遊女の業神として、道教では主神として祭る廟も多い[1]。
また、全真教の開祖である王重陽に田舎の酒屋で金丹道の口訣を与えたという説話から、全真教では特に重要視されており[1]、江南の全真教道士であった苗善時は宋・元代の呂洞賓の奇跡譚をまとめた「純陽帝君神化妙通紀」を編纂した。