金庸小説の登場人物 | |
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老頑童 | |
姓名 | 周伯通 |
称号 | 中頑童 |
小説 |
『射鵰英雄伝』 『神鵰剣俠』 |
門派 | 全真教 |
師父 | 王重陽 |
弟子 | 耶律斉 |
武術 | |
内功 |
全真教內功 九陰真経 |
得意技 |
全真教武功 空明拳 左右互搏術 九陰真経 |
周伯通(しゅう はくつう、拼音: )は、金庸の武俠小説、『射鵰英雄伝』・『神鵰剣俠』に登場する架空の人物。初登場の時点で推定60歳前後と高齢ながら武術の達人。日本語訳では関西弁を話す陽気な老人になっている。あだ名は「老頑童」。のちに天下五絶の筆頭となる。
全真教の開祖、王重陽の義弟であり、全真派武術の第一世代。王重陽と義兄弟であったため、王重陽の弟弟子扱いになってはいるが、武芸は王重陽から教わっており、実際は弟子である。全真教内での地位は高く、全真教第二世代、全真七子の師叔にあたる。しかし、全真教の堅苦しさを嫌がり、王重陽の死後はあまり立ち寄っていない。
初回の華山論剣には王重陽に付き添いで参加したが、この時点では天下五絶となるほどの実力はなかった。その後、王重陽が大理国に赴き、皇帝(後の一灯大師)と会談している間、皇帝の貴妃である劉瑛(後の瑛姑)と関係を持ってしまい、妊娠させてしまう。本人が言うには、「いけないことだとは知らなかったと」の弁。いたたまれなさに瑛姑のもとを逃げ出し、以後女性に対してはトラウマを抱えることになった。
王重陽の死後は、彼の遺言に従い「九陰真経」を守る。しかし、これがもとで黄薬師と対立。この時点で黄薬師に敗北し、両足の骨を折られ、15年もの間桃花島で軟禁されていた。本人が言うには、「自分がこの場所を出て行かないだけで、負けてはいない」とのこと。この間、暇に飽かせて「左右互縛術」、あるいは「両手の拳法」とも言われる奇妙な武術を身に付け、また「空明拳」という「柔」と「虚」の極限に達する武術を考案。大いに力をつけた。
監禁15年目、当時18歳の郭靖が桃花島にやってくると、彼と義兄弟になる。郭靖は恩師・馬鈺の師叔にあたる周伯通と義兄弟になることをためらうが、そのような常識は周伯通には通じなかった。その後、偶然に九陰真経を発見すると、自分は王重陽にこれの習得を禁じられていたため、郭靖にそれと知らせず九陰真経を指導。自分もその過程で九陰真経を身に着けてしまい、ついに黄薬師を超える武功を身に付け、長い軟禁生活に終止符を打った。
その後も、『射鵰英雄伝』ではあちこち放浪し、気まぐれから郭靖に協力したり、悪ふざけがもとで逆に手を煩わせたりした。
『神鵰剣俠』では、自分に対し卑屈にならず反抗的な態度をとる楊過をかなり気に入っている。逆に、12歳前後の耶律斉を弟子にしたが、子供ながら折り目正しい耶律斉をもてあましていた。また、楊過を絶情谷につれてきたことで小龍女からは感謝されており、小龍女と養蜂技術と引き換えに「左右互縛術」を伝授している。この養蜂は大いに気に入ったらしく、隠居後はひたすら蜂を育てていた。
また、推定90代後半になって何十年も逃げ回ってきた瑛姑と向き合い、一緒に暮らし始めた。
かなり子供っぽい部分が目立ち、いたずらが大好き。そのため、あだ名は「老頑童」と呼ばれている。武術に傾倒しており、桃花島に15年にわたり軟禁されていたときもひたすら研鑽をしていた。
執着心が強すぎることと、「俠」の心がないことから全真教では出家をさせてもらっていない。ただ、本人はまったく気にかけることなく武術に専念していた。また、「執着心が強い」のは武術に対してだけであり、富・名声には極めて無頓着。だが、たまに黄蓉らに見栄を張る程度のことはあった。
武芸を愛しており、暇さえあれば修練を怠らない。作中では郭靖らとともに成長を重ね、かなりの強さになっている。ことに『神鵰剣俠』においては、ますます武功に磨きがかかり、毒や集団戦法などによらなければ基本的に負けはないが、楊過との腕比べでは高齢のため息が上がってしまった。