和田 春生(わだ はるお、1919年3月15日 - 1999年10月17日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。
東京府東京市四谷区四谷左門町生まれ[1]。三重県伊勢市出身。1939年鳥羽商船学校(現鳥羽商船高等専門学校)卒、山下汽船に航海士として入社。1945年全日本海員組合に参加し、1948年組織部長。1950年総評結成に参加して常任幹事となるが、1952年秋季闘争での総評の敗北を機に総評主流の左傾的傾向を批判、海員組合・全繊同盟・全映演・日放労の「四単産批判」取りまとめの中心となる。その後、日放労を除いた3単産を中心に総評内の右派系単産をまとめ1954年に全労会議を結成して初代書記長となり、解散まで右派労働戦線の旗手的存在だった[1]。1964年に同盟が結成されると副会長になった。1965年国際自由労働組合総連盟アジア地域会長[1]。
1969年の総選挙で東京7区から民社党公認で立候補し衆議院議員に当選するが、1972年の総選挙で落選。1974年の参院選で全国区選出の参議院議員となるが、任期途中の1979年に辞職し同年の総選挙、翌1980年の総選挙と連続して東京3区から立候補するも振るわず国政復帰は叶わなかった。また、鳥羽商船学校出身という出自から、議員在職中に請われて全日本船舶職員協会の会長に就任している[2]。
その後は富士政治大学校の講師を務めながら労働問題、政治問題の評論家を務めた。
1999年10月17日、肺炎のため兵庫県西宮市のアガペ甲山病院で死去、80歳[3]。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、従四位に叙される[4]。