品川駅 | |
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高輪口全景(2011年5月) | |
しながわ Shinagawa | |
所在地 | 東京都港区 |
所属事業者 |
品川駅(しながわえき)は、東京都港区高輪三丁目および港南二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)・京浜急行電鉄(京急)の駅である。
山手線南部のターミナル駅である。駅名は東海道の宿場町である品川宿に由来するが、所在地は品川区ではなく港区である。
駅東側の港南口はもともと戦前からの埋立地として企業の工場や倉庫などが立ち並んでいたような場所だったが、1998年に旧国鉄品川駅東口貨物ヤード跡地に品川インターシティと呼ばれる大規模な複合商業ビル群が開業。2003年に東海道新幹線の品川駅が開業して以降は、再開発により大規模なオフィスビルやタワーマンションを中心とした超高層ビル街へと発展し、駅利用者数が大幅に増加した。京急線で羽田空港に乗り換えなしでアクセス出来ることや、さらに東海道新幹線の駅の開業により中京圏・近畿圏とのアクセスが大幅に向上したこともあって、港南口を中心に企業の本社などの集積が進んでいる。もともとの表玄関であった駅西側の高輪口はプリンスホテル(西武グループ)などの大規模なシティホテルがいくつも集積しているとともに、高級住宅街が広がっている。
当駅は世界有数の利用者数を誇るターミナル駅であるが、現在のところは、京急本線を通して都営地下鉄浅草線と相互直通運転を行っているものの、直接的に地下鉄は1路線も乗り入れていない。2022年3月28日、東京メトロは、南北線延伸(品川 - 白金高輪間)の鉄道事業許可を国土交通大臣より受けた。開業目標は、2030年代半ばと発表されている[報道 1]。
2027年以降に開業するJR東海リニア中央新幹線の首都圏側の始発駅になることが正式に決定しており、中京圏や近畿圏へのさらなるアクセス向上が期待されている。
JR東日本の在来線各線(後述)、JR東海の東海道新幹線、京浜急行電鉄(京急電鉄)の本線が乗り入れる。全国でも有数の規模のターミナル駅である。
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線と山手線の2路線で、そのうち、東海道本線を当駅の所属線とし、山手線は当駅が起点となっている。東海道本線は川崎駅経由の本線と新川崎駅・西大井駅経由の支線(通称:品鶴線)とが当駅で分岐する。この中で東海道本線東京駅方面を除く3方向ではJR貨物が第二種鉄道事業者として貨物営業を行っている。旅客列車の運転系統は次の4系統であり、それぞれ専用の線路が割り当てられている。旅客案内でも以下の系統名称が使用される。
京浜急行電鉄は、当駅を経由し、都営地下鉄浅草線、京成電鉄、北総鉄道北総線、芝山鉄道芝山鉄道線まで最大で5社の相互直通運転を実施している。
JR品川駅の事務管コードは、▲460106である。
JR東日本・JR東海の駅は、特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属する。
品川駅の西口側は三田 - 高輪台に跨る台地の裾野に位置する。開業当初、線路は海岸線に沿って建設され、線路よりも東側は海(東京湾)だった。港南側の大部分は明治時代以降に埋め立てにより造成された土地である。
日本初の鉄道として知られる新橋 - 横浜間の正式開業は1872年10月14日(明治5年9月12日)、一般運輸開始は翌10月15日(旧暦9月13日)からであるが、これに先行して同年6月12日(旧暦5月7日)に品川 - 横浜間で仮開業しており、乗務員の訓練が行われた。
古くからの当地の周辺地名、東海道の宿場町品川宿およびその北側の江戸湾沿岸部の呼称品川湊に由来する。江戸時代は江戸湾内での海上旅客交通にも規制があり、品川宿の伝馬制度を保護する目的で、大山参詣や富士山参詣などで江戸湾を船で南下して神奈川方面へ向かう旅客もそのまま海路で直行できず、品川宿入口の北側(八ツ山または谷ツ山)で下船し陸路東海道品川宿を通って神奈川宿方面に向かうよう規制されていた。また、品川宿があった目黒川河口付近(利田神社付近が砂嘴の先端部)より北側の江戸湾は浅瀬で外洋航路の大型船は入船できず、この付近では外洋航路の大型船から小型船に積み荷を載せ替えが行われ、海上交通の結節点として船舶で賑わった(品川湊の項も参照)[17]。
品川駅の所在地は東京都品川区ではなく東京都港区であるが、これは開設当時、目黒川河口付近が「品川湊」と呼ばれていたこと、また、品川駅計画時点ではこの地域が「品川県」であったことによる。
西側から京急、JR東日本、JR東海と大きく分けて3つの部分で構成される。
JR東日本 品川駅 | |
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コンコース(2022年4月) | |
しながわ Shinagawa SGW | |
所在地 | 東京都港区高輪三丁目26-27 |
所属事業者 | |
電報略号 | シナ |
駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
ホーム | 8面14線 |
乗車人員 -統計年度- |
274,221人/日(降車客含まず) -2023年- |
開業年月日 | 1872年6月12日(明治5年5月7日) |
乗入路線 5 路線 | |
所属路線 |
■東海道線[* 1] (東海道本線列車線) (■■常磐線直通含む) |
駅番号 | JT03 |
キロ程 | 6.8 km(東京起点) |
◄JT 02 新橋 (4.9 km) (11.4 km) 川崎 JT 04► | |
所属路線 |
■京浜東北線[* 1] (東海道本線電車線) |
駅番号 | JK20 |
キロ程 |
6.8 km(東京起点) 大宮から37.1 km |
◄JK 21 高輪ゲートウェイ (0.9 km) (2.4 km) 大井町 JK 19► | |
所属路線 |
■山手線[* 1] (山手線電車線・東海道本線電車線) |
駅番号 | JY25 |
キロ程 | 0.0 km(品川起点) |
◄JY 26 高輪ゲートウェイ (0.9 km) | |
所属路線 |
■横須賀線[* 1] (東海道本線地下別線・品鶴線) |
駅番号 | JO17 |
キロ程 |
0.0 km(品川起点)[* 3] 東京から6.8 km |
◄JO 18 新橋 (4.9 km) | |
備考 | |
駅長・助役配置の直営駅で、当駅の他に大井町駅と高輪ゲートウェイ駅を管理している[18][19]。当駅の駅長が当駅所在の品川営業統括センターのセンター長を兼任し、当センターは山手線の田町駅から当駅まで、横須賀線の西大井駅、京浜東北線の大井町駅を統括している[20]。構内の中央に位置し、西側から山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線のホームがある。島式ホーム6面12線と単式ホーム2面2線で構成され、西から1番線、3番線 - 15番線と並ぶ。東海道線は6・12番線が本線である。京浜急行電鉄と1・2番線ホームの間には山手線の留置線が6本あったが、京急本線の連続立体交差事業に先立ち2019年3月に廃止された[21]。また、東海道下り本線にある電留線(札の辻群線3 - 22番)や洗浄線(白金群線)などは当駅構内の所有である。本線からの到着以外のルート構成は品川駅にある高輪信号所が扱っている。
改札内コンコースは、駅の北側と南側にそれぞれ東西に伸びるものがある。中央にある改札外のコンコースで分断され、直接にはつながっておらず、両コンコース間をホームや改札を通らずに行き来することはできない。
南側の改札内コンコースの西側には京急のきっぷうりばや京急連絡改札口があり、京急の下りホームに直結している。構内には駅ナカ商業施設として「エキュート品川」がある。
1番線の東京寄りに、山手線の0キロポストがある。
開業から130周年の2002年から東海道本線ホームの発車メロディが『鉄道唱歌』となっている[8]。同歌において品川は、第1集東海道編第3番に「窓より近く品川の 台場も見えて…」と歌われている。
9・10番線はかつて7・8番線と共に臨時ホームとして機能していて、戦前は軍用列車が、戦後は団体列車など臨時列車の発着ホームとして使われていた。また東海道線が早朝・深夜に設定している当駅発着の列車も臨時ホームを使用していた。時折行われるジョイフルトレインなどの鉄道車両の展示イベント以外に、東海道線や横須賀線のダイヤ乱れの場合にはこのホームが使用され、湘南新宿ラインが大崎駅ではなくこのホームを使用することもある。2015年3月14日からは上野東京ラインが使用し、主に常磐線が発着するホームとして機能している。
上野東京ラインの開業により、常磐線の始発駅となっていることから、利用客の待ち合わせも多いこともあり、大型ディスプレイと複数のベンチを並べた待合スペース(仕切り等なしの屋外型)が設けられている。2015年3月14日の上野東京ライン開業日には、開通記念セレモニーが9・10番線ホームで行われ、最初の列車となった「ひたち」1号の先頭車両10号車付近のホーム上に赤絨毯等を敷いてイベントスペースが設けられた。
上野東京ライン開業前の臨時ホームの駅名標は、両隣の駅が川崎駅・新橋駅と東海道線に準拠した表示になっていた。また、下り方は東海道線以外に横須賀線(西大井方面)・山手貨物線(渋谷・新宿方面)の発着が各番線で可能である。
第二次世界大戦前、鉄道省では品川 - 東京間に複線を増設し、京浜線(後の京浜東北線)の急行(快速に相当)と横須賀線を走らせる「京浜急行線計画」が存在していた。その計画では、1番線が山手線内回り、2番線が山手線外回り、3番線が京浜緩行線北行、4番線が「京浜急行線」北行、5番線が京浜緩行線南行、6番線が「京浜急行線」南行、7・8番線が東海道線上り、9番線が横須賀線上り、10番線が横須賀線下り、11・12番線が東海道線下りとなる予定であった。臨時ホームはこの計画に基づいて建設されたものである。この計画は対米戦により未成に終わったが、その一部は、京浜東北線と山手線の分離運転(「東京縦貫複々線工事」という)に活用された。なお、この「京浜急行線」は現在当駅に乗り入れている京浜急行電鉄本線とは関係なく、あくまで「京浜線の急行」という意味である。現在の京急本線の当時の名称は「京浜電気鉄道」だった。
田町寄りには本来横須賀線が使用するはずだった高架橋の一部が残されていたが、高輪ゲートウェイ駅の建設により取り壊された。
1960年代には新幹線が東海道新幹線しかなく、高速道路網も未整備で鉄道輸送のシェアが大きかった。年末や旧盆の帰省ラッシュ時に東北本線、奥羽本線や磐越西線方面への下り臨時列車が当駅臨時ホーム始発、山手貨物線経由で運行されたことがある[22][23]。(一部は東京駅・上野駅経由、ただし両駅での客扱いなし[24])。当駅始発の最初は1960年(昭和35年)12月28日から31日までの4日間で、15本の列車がその対象となり、1975年(昭和50年)まで続いた[22]。当時の東北方面へのターミナル駅である上野駅の混雑を緩和する目的で設定されたのである。乗客は提灯に導かれて駅の東側に回り、多数張られた白いテントの中で列車を待った[25]。このテント待合所は俗にテント村と呼ばれた。1965年5月に3000人収容の団体待合室が完成して、待合場所が変更された[26]。
全ホームに東京圏輸送管理システム(ATOS)が導入されている。
特急「成田エクスプレス」は、横浜駅・大船駅発着の列車(臨時を除く)と横浜駅・大船駅発着設定のない時間帯の新宿駅方面発着の列車が停車し、その他の列車は通過する。新幹線の全列車が停車する駅で昼行特急列車が通過する設定をしているのは国内では当駅が唯一である。寝台特急のサンライズ瀬戸・出雲も通過するが、上り列車が事故などで遅延した場合、当駅で運転を打ち切る場合がある。
山手線には、深夜に当駅止まりの電車が設定されている(東京総合車両センターに引き上げ)。東海道線には、常磐線直通系統の当駅発着列車以外に早朝の当駅始発下り横浜方面への列車・朝の宇都宮線および高崎線からの当駅止まりの列車・深夜の東海道線横浜方面からの当駅止まり列車の設定もある。横須賀線は、下り始発列車が当駅始発、上り最終列車が当駅止まりとなっている。総武快速線直通は、平日朝夕方に当駅発着列車が設定されている。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
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1 | 山手線 | 内回り | 東京・上野・駒込方面 | |
3 | 外回り | 渋谷・新宿・池袋方面 | ||
4 | 京浜東北線 | 北行 | 東京・大宮方面 | |
5 | 南行 | 大井町・大森・蒲田・横浜・大船方面 | ||
6・7 | 上野東京ライン ( 宇都宮・高崎線) |
上り | 東京・上野・大宮・宇都宮・高崎方面 | 東海道線上り東京行き列車を含む。 平日朝の一部列車のみ7番線から発車。それ以外の列車はすべて6番線から発車。 |
8 | ■(臨時ホーム) | 定期旅客列車は特急「湘南」6号のみ使用。 その他、臨時・イベント列車や、ダイヤ乱れ時に寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」を当駅にて運転を打ち切る際に使用[23]。 | ||
9 | 上野東京ライン (■ 常磐線) |
- | 水戸・いわき方面 ■常磐線特急「ひたち」「ときわ」 |
|
10 | 上野東京ライン ( 常磐線) |
柏・土浦方面 | ||
11 | ||||
東海道線 | 下り | 横浜・小田原方面 | 朝の当駅始発の列車は10・11番線から発車。 それ以外の列車はすべて12番線から発車。 | |
12 | 横浜・小田原方面 □特急「(サフィール)踊り子」「湘南」 | |||
13 | 総武線(快速) | 上り | 錦糸町・船橋・千葉・成田空港方面 ■特急「成田エクスプレス」 |
平日朝夕の当駅始発の列車のみ14番線から発車。 それ以外の列車はすべて13番線から発車。 |
14 | 錦糸町・船橋・千葉方面 | |||
15 | 横須賀線 | 下り | 鎌倉・逗子・久里浜方面 | 一部列車は9・14番線から発車。 それ以外の列車はすべて15番線から発車。 |
(出典:JR東日本:駅構内図)
2021年(令和3年)12月完成のホーム改良計画にて3・4番線ホームを9メートルから13メートルまで拡張した[報道 13]。順番としては、
この工事により、新3番線(山手線(外回り))と新4番線(京浜東北線(北行き))が同一ホームで乗り換え可能になった。これにより1番線ホームは山手線(内回り)専用となり、2番線は欠番となった。また、北側コンコースを拡張し品川駅北口、港南口付近に改札口を2か所新設するとともに、バリアフリー化を進めるため各ホームにエレベーターを設置する[報道 18]。
JR東海 品川駅 | |
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東海道新幹線ホーム(2016年7月) | |
しながわ Shinagawa | |
◄東京 (6.8 km) (22.0 km) 新横浜► | |
所在地 | 東京都港区港南二丁目1-78 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | ■東海道新幹線 |
キロ程 | 6.8 km(東京起点) |
電報略号 | シナ |
駅構造 | 地上駅(橋上駅)[9] |
ホーム | 2面4線[9] |
乗車人員 -統計年度- |
14,794人/日(降車客含まず) -2020年- |
開業年月日 | 2003年(平成15年)10月1日[9] |
備考 |
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東側に位置する16両編成対応の島式2面4線のホーム(有効長:410m。ホーム幅:5.4 - 9.3 m(上り)、5.2 - 9.8 m(下り)[27])で、S字状に緩くカーブしている。22・23番線から東京寄りに有効長445mの引き上げ線が3本あり、列車の折り返しが可能である[27]。
東海道新幹線ホームやその東側は、1990年代半ばまで品川機関区や貨物取り扱い施設、新幹線の車両基地があった。東海道新幹線開業から2003年の同線の品川駅開業までは、東京第一運転所(開業時より開設)およびその支所である大井支所(1973年開設)への入出庫を目的とした信号場として、品川信号場の名称で設置していた。
駅上部のJR東海品川ビルには、JR東海東京本社が入居する。
東海道新幹線品川駅の構想自体は日本国有鉄道(国鉄)時代から存在し、国鉄分割民営化時にJR東海に継承された。JR東海がJR東日本から新幹線ホーム建設用地を購入する際、JR東海はJR東日本が品川駅周辺の土地を旧国鉄から簿価で引き継いだことを持ち出し、簿価で売却するようJR東日本に要求したが、JR東日本は時価売却を主張した。最終的に、バブル崩壊後で地価が下落していたこともあり、JR東海が時価での売却に合意した[新聞 7]。駅舎などの設備は1997年5月26日に着工し[6]、6年4か月かけて2003年9月15日に完成した。東海道新幹線の駅としては最も新しい駅である。
東海道新幹線品川駅が建設された理由として、当駅折り返し列車の設定による東海道新幹線の輸送力増強が大きな目的とされ、東京駅から東京第一車両所・東京第二車両所に出入りする回送列車との競合を、当時の品川信号場構内扱いであった分岐点より西側に駅を設置することで回避して、1時間に4本の増発が可能であるとされたが、2003年10月1日の開業以降しばらくの間当駅折り返し定期列車が設定されていなかった。2007年7月1日ダイヤ改正にて、N700系による当駅始発列車「のぞみ」99号博多行(6時00分発)が新設された。
ホーム上には売店などの店舗はない。売店等はホーム上階のコンコース・改札内に出店している。改札内の待合室を兼ねるコーナーには一部に無線LANコーナー(電源付き)がある。新幹線ホームは駅舎の内側にあるため、地下駅のようになっている。上下線とも外側が本線(通過線)となっており、転落防止のために可動式安全柵(ホームドア)が21・23・24番線に設置されている。また内側は副本線(待避線)であり、22番線には固定柵が設置されている。なお、21番線に設置されているホームドアは、東海道新幹線の他駅とは異なり旧型可動柵のため、開閉時にメロディ(乙女の祈り)が流れないが「安全柵の扉が開きます(閉まります)。ご注意ください」と東海道新幹線では唯一の音声が可動柵から流れる。
2008年3月15日ダイヤ改正から全列車が停車[12]。これにより、一部相互発着という手法で列車を停車させている。改正前日までは新大阪駅発着の「ひかり」のみ全列車が停車し「のぞみ」は約6割停車、広島駅・岡山駅発着の「のぞみ」と一部の「ひかり」は通過となっていた。
東海道新幹線のホームが供用開始となったのが、他駅と比べ比較的新しいこともあり、当駅は東海道新幹線の駅で初めて、開業当初からフルカラーLED式発車標が設置されていた。
新幹線北乗換改札・出札が新幹線メンテナンス東海に委託されている他は直営である。
2023年11月現在、東海道新幹線ホーム周辺の地下で中央新幹線の島式プラットホーム2面4線が工事中である。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
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21・22 | 東海道新幹線 | 上り | 東京方面 |
23・24 | 下り | 名古屋・新大阪方面 |
(出典:JR東海:駅構内図)
この節の加筆が望まれています。 |
以下の表は当駅地上ホームの変遷を記したものである。なお、下表に示す以外に工事等によりホームが一時的に撤去されている場合もある。
時期 | 第1ホーム | 第2ホーム | 第3ホーム | 第4ホーム | 第5ホーム | 第6ホーム | 第7ホーム | 第8ホーム | 第9ホーム | 第10ホーム |
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1976年 10月1日 - |
1番線 ■山手線 内回り 2番線 ■山手線 外回り |
3番線 ■京浜東北線 北行 4番線 ■京浜東北線 南行 |
5・6番線 ■東海道線 上り ■横須賀線 上り |
7・8番線 ■臨時ホーム |
9・10番線 ■臨時ホーム |
11・12番線 ■東海道線 下り ■横須賀線 下り |
13・14番線 ■総武線(快速) |
未設置 | 未設置 | 未設置 |
1980年 10月1日 - |
5・6番線 ■東海道線 上り |
11・12番線 ■東海道線 下り |
13番線 ■総武線(快速) 14番線 ■横須賀線 | |||||||
2003年 10月1日 - |
21・22番線 ■東海道新幹線 上り |
23・24番線 ■東海道新幹線 下り | ||||||||
2008年 3月15日 - |
13番線 ■総武線(快速) 14番線 ■総武線(快速) |
15番線 ■横須賀線 | ||||||||
2011年 10月2日 - |
9番線 ■臨時ホーム 10番線 ■東海道線 下り |
11番線 ■東海道線 下り 12番線 使用停止 | ||||||||
2012年 9月23日 - |
9・10番線 使用停止 |
11・12番線 ■東海道線 下り | ||||||||
2013年 11月24日 - |
7・8番線 使用停止 |
9・10番線 ■臨時ホーム | ||||||||
2014年 12月7日 - |
5番線 ■東海道線 上り 6番線 使用停止 |
7番線 使用停止 8番線 ■東海道線 上り | ||||||||
2015年 3月14日 - |
5番線 ■上野東京ライン (■宇都宮・高崎線) 6番線 使用停止 |
7番線 使用停止 8番線 ■上野東京ライン (■宇都宮・高崎線) |
9番線 ■上野東京ライン (■常磐線(特急)) 10番線 ■上野東京ライン (■■常磐線(快速)) |
11番線 ■東海道線 ■上野東京ライン (■■常磐線(快速)) 12番線 ■東海道線 | ||||||
2016年 11月20日 - |
5番線 使用停止 6番線 ■上野東京ライン (■宇都宮・高崎線) |
7番線 ■臨時ホーム 8番線 ■上野東京ライン (■宇都宮・高崎線) | ||||||||
2017年 3月4日 - |
7番線 ■上野東京ライン (■宇都宮・高崎線) 8番線 ■臨時ホーム | |||||||||
2017年 10月14日 - |
7番線 ■上野東京ライン (■宇都宮・高崎線) 8番線 ■上野東京ライン (■常磐線) | |||||||||
2018年 3月17日 - |
7番線 ■上野東京ライン (■宇都宮・高崎線) 8番線 ■臨時ホーム | |||||||||
2018年 6月17日 - |
3番線 ■京浜東北線 北行 4番線 使用停止 |
5番線 ■京浜東北線 南行 6番線 ■上野東京ライン (■宇都宮・高崎線) | ||||||||
2019年 11月17日 - |
3番線 使用停止 4番線 ■京浜東北線 北行 | |||||||||
2021年 12月5日 - |
1番線 ■山手線 内回り |
3番線 ■山手線 外回り 4番線 ■京浜東北線 北行 |
京急 品川駅 | |
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高輪口改札(2021年6月) | |
しながわ Shinagawa | |
◄A 07 泉岳寺 (1.2 km) (0.7 km) 北品川 KK02► | |
所在地 | 東京都港区高輪三丁目26-26 |
駅番号 | KK01 |
所属事業者 | 京浜急行電鉄(京急) |
所属路線 | ■本線 |
キロ程 | 0.0 km(品川[* 1]起点) |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗降人員 -統計年度- |
168,324人/日 -2020年- |
開業年月日 | 1933年(昭和8年)4月1日 |
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構内の西側に位置し、2面3線のホームを有する高架駅である。東側(JR品川駅側)に単式ホーム(1番線)、西側に島式ホーム(2・3番線)が配置され、3番線は泉岳寺方が行き止まりとなっている。横浜・羽田空港方面(1番線)のホーム上に中間改札があり、JRのコンコースに直結する。この中間改札は、裏面が黒(磁気)でJR・京急線にまたがる前提の乗車券か、PASMOおよび相互利用可能なICカードで利用可能である。裏面に磁気のない切符や、京急線・JR線いずれかの切符で本駅下車ののち、他方の会社線に乗る場合は、改札横の窓口(京急→JRは右、JR→京急は左)で、使用したきっぷの回収とこれから乗車する会社線の乗車券を購入することで、中間改札を利用できる。
各ホームには「イブニング・ウィング号」の座席指定券自動券売機が設置され(改札外にも設置)、跨線橋にはJR東海のエクスプレス予約乗車券類受取機が設置されている。
2番線に到着した当駅止まりの列車は、泉岳寺寄りにある引き上げ線に入って折り返し、1番線に転線する(なお、この引き上げ線には業務用のホームがあり、京急の品川駅職員は「新品川」と呼称している[報道 22]。)。一部列車は3番線に入線し、そのまま折り返す。ただし、ダイヤの乱れで引き上げ線が使用できない場合は、3番線に入線した列車が一旦北品川方面への本線へと転線し、そこから1番線へ入線する場合もある。
1・2番線のホーム有効長は12両編成分、3番線は10両編成分である。
当駅は途中駅ではあるが京急本線の正式な起点であり、当駅 - 泉岳寺駅間は支線の扱いとなっている。泉岳寺方面へ直通する列車は、当駅から「普通」または「快速」「通勤特急」「アクセス特急」など、京成電鉄の種別に変更される。ただし泉岳寺行きは種別は変更されず、都営浅草線内「エアポート快特」で運転する種別は押上駅で京成の種別に変更される。
当駅と泉岳寺駅は京成の列車種別を含めると、京急の全列車種別が停車する駅である(「ウィング[注釈 3]」「エアポート快特」「快特(京急)・快速特急(京成)[注釈 4]」「アクセス特急」「特急」「通勤特急[注釈 5]」「快速」「急行」「普通」の9種別)[注釈 6]。
1番線のみ大原さやかによる自動放送が導入されている。早朝やダイヤ乱れ時は簡易放送に変更される。当駅では下り列車の今度の発車案内放送を流すが、羽田空港第1・第2ターミナル行以外の場合はその発車時刻が最後に放送される。2008年11月18日より、羽田空港第1・第2ターミナル行列車の入線時の案内放送の冒頭に羽田空港旅客ターミナルで使用されているチャイム音をアレンジしたものが追加された。また、羽田空港第1・第2ターミナル行の列車の案内では英語放送も実施される。
発車標は、1998年までは京急川崎駅などに設置されている反転フラップ式発車標より一世代前の反転フラップ式の発車標が使用されていたが、1998年に3色LED式へ交換、そして2009年2月にフルカラーLED式へ交換され、同時に後述の「駅メロディ」も開始された。最初は2・3番線のものが交換され、その次に1番線のものが交換された。この発車標は日本語・英語以外にも中国語・朝鮮語も表示されるようになった。また同時にLCD式の乗車位置案内も設置された。なお、1階改札前の発車標も2009年2月にLCD式へ交換された。2017年6月には1番線の横浜寄りの発車標が新型のものに交換され、7月には全て新型へ交換された[報道 23][29]。
京急の駅では、スルッとKANSAI 3day (2day) チケットを発売していた。
開業当初の番線は山側(上りホーム)から付番され、6番線(4線)まであった。旧1・2番線は3番線と同様に泉岳寺方面は行き止まりであった。またホームは行先別に使用されており、旧1・2番線が穴守線(現:空港線)直通列車、旧3・4番線(現3番線)が黄金町行列車、旧5番線(現2番線)が湘南線直通列車(浦賀方面)、旧6番線(現1番線)が団体臨時列車用であった。また、旧5・6番線を除き奇数番線は降車ホーム、偶数番線は乗車ホームであった。
京急が管轄する駅としては最北端に位置し[注釈 7]、唯一港区に所在する。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 本線 | 下り | 羽田空港方面 / 横浜・三浦海岸方面 | 「イブニング・ウィング14・16号」乗車ホーム |
2 | 上り | 新橋・日本橋・成田空港方面 | 「モーニング・ウィング1・3号」降車ホーム | |
3 | 下り | 羽田空港方面 / 横浜・三浦海岸方面 | 「イブニング・ウィング2 - 12号」乗車ホーム[30] | |
平日朝ラッシュ時の普通[30] |
(出典:京急電鉄:駅構内図)
2009年2月25日から、京急のイメージソングであるくるりの『赤い電車』をアレンジしたものを接近メロディとして使用している[報道 15]。編曲はくるりのメンバーの岸田繁が自ら手掛けた(オペレーションは福嶋尚哉が担当)[31]。下りホームでは羽田空港第1・第2ターミナル駅で使用しているものと同じアレンジのメロディ、上りホームでは同駅と異なるアレンジのメロディを使用している。
JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、現在は定期貨物列車の発着はない。ただし、JR東日本の甲種車両輸送列車が年数回発着することがある[注釈 8]。
1994年までは定期列車として紙輸送列車が発着しており、日本製紙が使用していた倉庫の専用線があった。列車は石巻港駅や伏木駅などを発駅とし、有蓋車(ワム80000形)で列車は編成されていたが、コンテナ化されて廃止になった。なお、倉庫は改修され、田町CKビルとなっている。
また、1980年に廃止されるまで駅南東には広大な貨物ターミナルが広がり、コンテナホームや海上コンテナの荷役作業に用いるクレーンなどが設置されていた。
主な駅弁は下記の通り[32]。過去には常盤軒が駅弁販売を行っていたが、2010年に撤退した。
2016年(平成28年)における各社の1日平均乗降人員は約100万人(計算値で約109.3万人)である[報道 24]。また、近年は増加が著しく2014年度(平成26年度)に1日平均乗降人員が100万人を超えた。
各年度の1日平均乗降人員は下表の通り(JRを除く)。
年度 | 京浜急行電鉄 | |
---|---|---|
1日平均 乗降人員 |
増加率 | |
2002年(平成14年) | 237,881 | |
2003年(平成15年) | 240,942 | 1.3% |
2004年(平成16年) | 241,995 | 0.4% |
2005年(平成17年) | 240,469 | −0.6% |
2006年(平成18年) | 242,804 | 1.0% |
2007年(平成19年) | 251,393 | 3.5% |
2008年(平成20年) | 254,093 | 1.1% |
2009年(平成21年) | 250,177 | −1.5% |
2010年(平成22年) | 250,414 | 0.1% |
2011年(平成23年) | 248,778 | −0.7% |
2012年(平成24年) | 253,920 | 2.1% |
2013年(平成25年) | 261,780 | 3.1% |
2014年(平成26年) | 264,309 | 1.0% |
2015年(平成27年) | 272,500 | 3.1% |
2016年(平成28年) | 279,218 | 2.5% |
2017年(平成29年) | 284,888 | 2.0% |
2018年(平成30年) | 288,196 | 1.2% |
2019年(令和元年) | 285,582 | −0.9% |
2020年(令和 | 2年)168,324 | −41.1% |
各年度の1日平均乗車人員は下表の通り。
年度 | 日本鉄道 / 国鉄 |
出典 |
---|---|---|
1872年(明治 | 5年)[備考 1] | 250 |
1878年(明治11年) | 510 | [東京府統計 1] |
1879年(明治12年) | 503 | [東京府統計 1] |
1880年(明治13年) | 555 | [東京府統計 2] |
1881年(明治14年) | 642 | [東京府統計 2] |
1882年(明治15年) | 777 | [東京府統計 2] |
1883年(明治16年) | 700 | [東京府統計 2] |
1884年(明治17年) | 647 | [東京府統計 3] |
1885年(明治18年) | 601 | [東京府統計 3] |
1886年(明治19年) | 535 | [東京府統計 4] |
1888年(明治21年) | 703 | [東京府統計 5] |
1889年(明治22年) | 792 | [東京府統計 6] |
1890年(明治23年) | 879 | [東京府統計 7] |
1891年(明治24年) | 728 | [東京府統計 8] |
1892年(明治25年) | 919 | [東京府統計 9] |
1893年(明治26年) | 959 | [東京府統計 10] |
1895年(明治28年) | 1,421 | [東京府統計 11] |
1896年(明治29年) | 2,000 | [東京府統計 12] |
1897年(明治30年) | 2,493 | [東京府統計 13] |
1898年(明治31年) | 2,653 | [東京府統計 14] |
1899年(明治32年) | 3,048 | [東京府統計 15] |
1900年(明治33年) | 2,533 | [東京府統計 16] |
1901年(明治34年) | 2,814 | [東京府統計 17] |
1902年(明治35年) | 2,591 | [東京府統計 18] |
1903年(明治36年) | 2,960 | [東京府統計 19] |
1904年(明治37年) | 2,905 | [東京府統計 20] |
1905年(明治38年) | 2,606 | [東京府統計 21] |
1907年(明治40年) | 1,794 | [東京府統計 22] |
1908年(明治41年) | 1,715 | [東京府統計 23] |
1909年(明治42年) | 1,812 | [東京府統計 24] |
1911年(明治44年) | 3,024 | [東京府統計 25] |
1912年(大正元年) | 3,359 | [東京府統計 26] |
1913年(大正 | 2年)3,524 | [東京府統計 27] |
1914年(大正 | 3年)3,446 | [東京府統計 28] |
1915年(大正 | 4年)4,208 | [東京府統計 29] |
1916年(大正 | 5年)5,817 | [東京府統計 30] |
1919年(大正 | 8年)9,107 | [東京府統計 31] |
1920年(大正 | 9年)10,525 | [東京府統計 32] |
1922年(大正11年) | 12,890 | [東京府統計 33] |
1923年(大正12年) | 15,028 | [東京府統計 34] |
1924年(大正13年) | 15,878 | [東京府統計 35] |
1925年(大正14年) | 18,825 | [東京府統計 36] |
1926年(昭和元年) | 19,215 | [東京府統計 37] |
1927年(昭和 | 2年)19,407 | [東京府統計 38] |
1928年(昭和 | 3年)20,152 | [東京府統計 39] |
1929年(昭和 | 4年)19,448 | [東京府統計 40] |
1930年(昭和 | 5年)19,229 | [東京府統計 41] |
1931年(昭和 | 6年)18,167 | [東京府統計 42] |
1932年(昭和 | 7年)17,005 | [東京府統計 43] |
1933年(昭和 | 8年)17,186 | [東京府統計 44] |
1934年(昭和 | 9年)16,412 | [東京府統計 45] |
1935年(昭和10年) | 17,346 | [東京府統計 46] |
年度 | 国鉄 / JR東日本 |
京浜急行電鉄 | 出典 |
---|---|---|---|
1953年(昭和28年) | 34,671 | [東京都統計 1] | |
1954年(昭和29年) | 36,695 | [東京都統計 2] | |
1955年(昭和30年) | 38,305 | [東京都統計 3] | |
1956年(昭和31年) | 43,190 | 48,011 | [東京都統計 4] |
1957年(昭和32年) | 46,824 | 53,872 | [東京都統計 5] |
1958年(昭和33年) | 49,342 | 59,991 | [東京都統計 6] |
1959年(昭和34年) | 54,972 | 64,437 | [東京都統計 7] |
1960年(昭和35年) | 62,679 | 70,261 | [東京都統計 8] |
1961年(昭和36年) | 63,111 | 79,635 | [東京都統計 9] |
1962年(昭和37年) | 69,191 | 85,246 | [東京都統計 10] |
1963年(昭和38年) | 74,114 | 87,581 | [東京都統計 11] |
1964年(昭和39年) | 78,646 | 25,330 | [東京都統計 12] |
1965年(昭和40年) | 77,616 | 25,815 | [東京都統計 13] |
1966年(昭和41年) | 79,942 | 26,574 | [東京都統計 14] |
1967年(昭和42年) | 81,649 | 27,594 | [東京都統計 15] |
1968年(昭和43年) | 81,502 | 29,454 | [東京都統計 16] |
1969年(昭和44年) | 77,050 | 30,834 | [東京都統計 17] |
1970年(昭和45年) | 75,591 | 33,041 | [東京都統計 18] |
1971年(昭和46年) | 88,186 | 33,913 | [東京都統計 19] |
1972年(昭和47年) | 90,830 | 35,685 | [東京都統計 20] |
1973年(昭和48年) | 94,471 | 36,613 | [東京都統計 21] |
1974年(昭和49年) | 101,665 | 37,150 | [東京都統計 22] |
1975年(昭和50年) | 95,098 | 36,421 | [東京都統計 23] |
1976年(昭和51年) | 136,318 | 78,115 | [東京都統計 24] |
1977年(昭和52年) | 139,558 | 79,709 | [東京都統計 25] |
1978年(昭和53年) | 144,605 | 82,810 | [東京都統計 26] |
1979年(昭和54年) | 148,268 | 83,975 | [東京都統計 27] |
1980年(昭和55年) | 143,362 | 84,748 | [東京都統計 28] |
1981年(昭和56年) | 144,531 | 84,726 | [東京都統計 29] |
1982年(昭和57年) | 148,101 | 86,663 | [東京都統計 30] |
1983年(昭和58年) | 150,798 | 88,536 | [東京都統計 31] |
1984年(昭和59年) | 152,789 | 90,822 | [東京都統計 32] |
1985年(昭和60年) | 154,876 | 92,915 | [東京都統計 33] |
1986年(昭和61年) | 165,038 | 96,169 | [東京都統計 34] |
1987年(昭和62年) | 170,456 | 99,615 | [東京都統計 35] |
1988年(昭和63年) | 189,690 | 104,329 | [東京都統計 36] |
1989年(平成元年) | 196,438 | 106,761 | [東京都統計 37] |
1990年(平成 | 2年)206,035 | 110,619 | [東京都統計 38] |
1991年(平成 | 3年)213,929 | 114,590 | [東京都統計 39] |
1992年(平成 | 4年)215,477 | 114,805 | [東京都統計 40] |
1993年(平成 | 5年)219,071 | 115,077 | [東京都統計 41] |
1994年(平成 | 6年)227,460 | 86,805 | [東京都統計 42] |
1995年(平成 | 7年)233,197 | 115,478 | [東京都統計 43] |
1996年(平成 | 8年)234,699 | 112,359 | [東京都統計 44] |
1997年(平成 | 9年)231,668 | 109,581 | [東京都統計 45] |
1998年(平成10年) | 233,959 | 111,337 | [東京都統計 46] |
1999年(平成11年) | [JR東 1]247,564 | 115,678 | [東京都統計 47] |
2000年(平成12年) | [JR東 2]253,575 | 119,238 | [東京都統計 48] |
年度 | JR東日本 | JR東海 | 京浜急行電鉄 | 出典 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
定期外 | 定期 | 合計 | ||||
2001年(平成13年) | [JR東 3]257,361 | 120,252 | [東京都統計 49] | |||
2002年(平成14年) | [JR東 4]264,815 | 121,101 | [東京都統計 50] | |||
2003年(平成15年) | [JR東 5]283,705 | [JR海 1] 8,394 | 121,473 | [東京都統計 51] | ||
2004年(平成16年) | [JR東 6]295,949 | 122,578 | [東京都統計 52] | |||
2005年(平成17年) | [JR東 7]302,862 | [JR海 2] 21,871 | 121,910 | [東京都統計 53] | ||
2006年(平成18年) | [JR東 8]308,681 | [JR海 3] 23,800 | 123,112 | [東京都統計 54] | ||
2007年(平成19年) | [JR東 9]324,253 | 125,822 | [東京都統計 55] | |||
2008年(平成20年) | [JR東 10]328,439 | 126,233 | [東京都統計 56] | |||
2009年(平成21年) | [JR東 11]321,739 | 124,142 | [東京都統計 57] | |||
2010年(平成22年) | [JR東 12]321,711 | 29,000 | 124,112 | [東京都統計 58] | ||
2011年(平成23年) | [JR東 13]323,893 | 30,000 | 123,473 | [東京都統計 59] | ||
2012年(平成24年) | [JR東 14]138,788 | [JR東 14]190,890 | [JR東 14]329,679 | 31,000 | 126,266 | [東京都統計 60] |
2013年(平成25年) | [JR東 15]142,078 | [JR東 15]193,582 | [JR東 15]335,661 | 33,000 | 130,221 | [東京都統計 61] |
2014年(平成26年) | [JR東 16]146,777 | [JR東 16]195,680 | [JR東 16]342,458 | 33,000 | 131,550 | [東京都統計 62] |
2015年(平成27年) | [JR東 17]154,681 | [JR東 17]206,785 | [JR東 17]361,466 | 34,000 | 135,148 | [東京都統計 63] |
2016年(平成28年) | [JR東 18]159,278 | [JR東 18]212,508 | [JR東 18]371,787 | 35,000 | 138,507 | [東京都統計 64] |
2017年(平成29年) | [JR東 19]161,810 | [JR東 19]216,755 | [JR東 19]378,566 | 36,000 | 141,249 | [東京都統計 65] |
2018年(平成30年) | [JR東 20]163,942 | [JR東 20]219,499 | [JR東 20]383,442 | 37,000 | 142,907 | [東京都統計 66] |
2019年(令和元年) | [JR東 21]157,065 | [JR東 21]220,272 | [JR東 21]377,337 | 36,000 | 141,232 | [東京都統計 67] |
2020年(令和 | 2年)[JR東 22]75,483 | [JR東 22]145,447 | [JR東 22]220,930 | 14,794 | ||
2021年(令和 | 3年)[JR東 23]91,923 | [JR東 23]120,579 | [JR東 23]212,502 | |||
2022年(令和 | 4年)[JR東 24]123,857 | [JR東 24]124,792 | [JR東 24]248,650 | |||
2023年(令和 | 5年)[JR東 25]140,860 | [JR東 25]133,360 | [JR東 25]274,221 |
各年度の車扱貨物の年間発着トン数は下表の通り。2006年度以降は実績なし。またコンテナ貨物の取扱はない。
年度 | 総数 | 車扱貨物 | コンテナ貨物 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
発送トン数 | 到着トン数 | 発送トン数 | 到着トン数 | 発送トン数 | 到着トン数 | |
1990年(平成 | 2年)1,684 | 198,162 | 1,684 | 198,162 | ||
1991年(平成 | 3年)5,211 | 187,078 | 5,211 | 187,078 | ||
1992年(平成 | 4年)2,802 | 148,886 | 2,802 | 148,886 | ||
1993年(平成 | 5年)1,937 | 138,975 | 1,937 | 138,975 | ||
1994年(平成 | 6年)1,151 | 66,681 | 1,151 | 66,681 | ||
1995年(平成 | 7年)||||||
1996年(平成 | 8年)1,200 | 1,200 | ||||
1997年(平成 | 9年)800 | 800 | ||||
1998年(平成10年) | 1,600 | 1,600 | ||||
1999年(平成11年) | 800 | 800 | ||||
2000年(平成12年) | 2,000 | 2,000 | ||||
2001年(平成13年) | 2,800 | 2,800 | ||||
2002年(平成14年) | 3,200 | 3,200 | ||||
2003年(平成15年) | 800 | 800 | ||||
2004年(平成16年) | 4,000 | 4,000 | ||||
2005年(平成17年) | 1,200 | 1,200 | ||||
2006年(平成18年) |
駅ビルと呼べるほどの施設はないが、国道15号(第一京浜)を挟んで、京急グループの複合商業施設「ウィング高輪」(旧・ウィング高輪WEST)がある。かつては「ウィング高輪EAST」が駅に併設されていたが、連続立体交差事業の着手に伴い、2020年3月31日に閉店した[33]。長距離バスの始発点である品川バスターミナルにもほど近い。第一京浜沿いのビジネス街に並んでいるほか、高輪、御殿山などの高級住宅街を背後に控えている。
1977年1月4日に発生した青酸コーラ無差別殺人事件は、当時の品川スポーツランド(現:品川プリンスホテル本館)前にあった電話ボックスで発生した。
駅周辺には西武グループのプリンスホテルを中心に大規模なシティホテルやビジネスホテルが集積している。「品川駅西口地区」再開発に伴い、SHINAGAWA GOOS(旧ホテルパシフィック東京)が2021年3月31日閉館している。
従来、駅東側は昭和初期からの埋立地として工場や倉庫などが広がる地帯で西側に比べ発展が遅れ、橋上駅舎化するまでは地方の単線駅と見まごうような駅出入口があるだけだった。各線ホームと東口との間には長大な操車場が横たわるため、構内から出るには下を抜ける長い地下通路を経由する必要があった。その頃の駅周辺で名立たる企業はファッションアパレルメーカーのJUN本社、東洋水産本社、コクヨ東京オフィス、中日新聞東京本社(2006年に千代田区内幸町に移転)程度で、少し先には荒涼とした空き地が広がっていた。
1990年代から貨物ターミナルや新幹線車両基地(旧東京第一車両所、1992年移転)の跡地が再開発され、1994年に品川インターシティ、さらに2001年 - 2002年頃より再開発によるタワーマンションと高層ビルの建設が始まり、2004年3月には港南地区におけるタワーマンションの先駆けである品川Vタワーを含む品川グランドコモンズがオープン、以降、タワーマンションの開発が進んで人口が増加した。こうして2000年代後半には大規模なオフィス街およびマンション街へと変貌を遂げた。これらの再開発事業はバブル景気以降の不景気に起因する負債圧縮のため企業が数多く所有していた工場や倉庫などの敷地を不動産業者へ売却処分したためとされる。京急で羽田空港に乗り換えなしでアクセスできることや、さらに東海道新幹線の駅が開業し、中京圏・近畿圏とのアクセスが向上したこともあって、企業の本社などの集積が進んでいる。
朝ラッシュ時は駅通路や歩道が港南口方面の企業へと出社する大勢の会社員で混雑するため、港南口へ向かう利用客は連絡通路中央部を、港南口からJR線・京急線へと進む利用客は通路両端部を進むよう推奨されている。
また、東京湾アクアラインを経由する千葉県方面の高速バスのうち品川駅 - 袖ケ浦バスターミナル - 木更津駅東口線、品川駅 - 袖ケ浦バスターミナル - 袖ケ浦駅 - 長浦駅北口線が発着しており、木更津市や袖ケ浦市といった房総半島西部への玄関口ともなっている。これらの路線は定期券の導入・深夜バス運行などにより、東京地区への通勤路線の一端を担っている。
一般路線バスでは都営バス・東急バス・フジエクスプレスなどが運行、高速路線バスでは京浜急行バス・東京空港交通・富士急行グループなどが運行。その他、東口の港南口からJR東海道新幹線沿いに、品川区の大井埠頭方面などへ向かう企業輸送向け専用バスが発着する(ワールド自興・中日臨海バスなど)。
乗り場 | 運行事業者 | 系統・行先 | 備考 |
---|---|---|---|
品川駅前・品川駅高輪口 | |||
1 | 都営バス | 反96:五反田駅 | |
2 | 品93:大井競馬場前・都立産業技術高専品川キャンパス前 | ||
3 | 品93:目黒駅前 | ||
5 | 反96:六本木ヒルズ | ||
6 | 品93・反96:品川車庫前 | ||
東急バス | 品94:蒲田駅・池上駅前 | ||
7 | 都営バス | 品97:新宿駅西口 | |
- | はとバス | ||
A | 東急バス | 渋43・井50:高輪ゲートウェイ駅 | |
B | 東急バス | ||
品川駅西口 | |||
- | フジエクスプレス | ちぃばす高輪ルート:三田駅前方面 / 品川駅東口 | |
品川プリンスホテル、グランドプリンスホテル高輪他 | |||
- | 東京空港交通 | リムジンバス:成田空港 | |
西武観光バス | 高速バス:苗場プリンスホテル | 冬季のみ運行。品川プリンスホテルのみ発着 |
乗り場 | 運行事業者 | 系統・行先 | 備考 |
---|---|---|---|
品川駅港南口・品川駅東口 | |||
1 | 都営バス |
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2 |
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3 | 「深夜07」系統は深夜バス・平日のみ | ||
4 | 降車専用 | ||
5 | 品96:りんかい線天王洲アイル駅前 | ||
6 | |||
7 |
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「田99出入」系統は本数少、平日のみ | |
東京空港交通 | リムジンバス:成田空港 | 運休中 | |
平和交通 | 深夜急行バス「マイタウンライナー」:山田インター入口 | ||
西岬観光 | 深夜急行バス「マイタウンライナー」:五井駅 | ||
はとバス | 定期観光バス | ||
8 | 都営バス |
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「品99折返」系統は平日昼間のみ |
こうなん星の公園 | 高速バス:木更津駅東口・袖ケ浦駅・長浦駅北口 | ||
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高速バス:三井アウトレットパーク 木更津 | ||
京急バス |
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高速バス:富士急ハイランド・河口湖駅・富士山駅 | ||
ちぃばす | フジエクスプレス |
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kmモビリティサービス | お台場レインボーバス:お台場地区循環・台場一丁目 |
JR東海が整備中のリニア中央新幹線について、当駅は東京側の始発駅になることが決定している。当初から社長の松本正之は「始発は東京駅か品川駅」という見解を示していたが、横浜・羽田アクセスや東京駅付近の地下使用状況などを考慮している。JR東日本も協力的で[新聞 8]、同社がボーリング調査を施した。これを受け、JR東海は同線の始発駅を品川駅とする方針を固め、JR東日本と東京都に伝えた[新聞 9]。 2011年6月7日に開かれた記者会見において、品川駅は中央新幹線の首都圏側の始発駅となることが正式に発表された[35]。2016年1月27日に駅建設工事が着工されている[新聞 10]。
東京メトロ南北線・都営地下鉄三田線白金高輪駅から当駅まで地下鉄を建設する構想があり、2016年4月の国土交通省交通政策審議会による答申第198号では[36]、「国際競争力の強化に資する鉄道ネットワークのプロジェクト」として取り上げられている。 また、2019年2月に国土交通省のスーパーメガリージョン研究会に東京都が報告した「品川駅・田町駅周辺地域のまちづくり」資料においても、同地下鉄の整備構想が言及された[37]。
2022年3月28日、東京メトロは、南北線延伸(品川・白金高輪間)の鉄道事業許可を国土交通大臣より受けた。開業目標は、2030年代半ばと発表されている[報道 1]。
泉岳寺駅 - 新馬場駅間において連続立体交差事業が開始された。2027年度に地平化[16] を進めるとともにホームを2面4線にする予定[38]。計画図では20m程度、現在のJR側によることになりこれは2019年3月まで山手線の電留線だった場所が当てられる。また北品川寄りから地平へ降りる関係で、ホームが100m程度北へ移動し、JRとほぼ同じ位置になる。2020年度より事業着手しており、2029年度の事業完了を予定している[報道 17]。
工事手順は、東京都がHPで公表している資料によれば、
となっている[39]。
品川駅西口駅前広場は、国土交通省が国道15号上空を活用した未来型の駅前空間に関する整備方針をとりまとめ、有識者や民間事業協力者(京急電鉄・西武プロパティーズ(現・西武リアルティソリューションズ)・東日本旅客鉄道)が事業計画の検討を進めている。2018年9月14日には「次世代型交通ターミナルの整備を含む事業計画の中間とりまとめ」を策定し公表、2019年3月27日には未来の品川駅前空間(西口)計画 - 国道15号・品川駅西口駅前広場事業計画の最終とりまとめを公表した。品川駅に北側自由通路、南側自由通路を増設するほか、中央の東西自由通路を西側に延伸して国道上部に構築する人工地盤で周辺の街と駅を接続させ、人工地盤上部には商業施設ならびに自動運転による次世代型モビリティターミナルを設置する構想である[40][41]。
品川駅街区地区は、事業主体をJR東日本と京急で、土地区画整理事業の施工者は都市再生機構[42][42]として、京浜急行電鉄が行っている泉岳寺駅〜新馬場駅間の連続立体交差事業によって整備される京急本線品川駅の新ホームの直上およびその周辺に建設される[43]。
※東日本旅客鉄道(JR東日本)の特急、京浜急行電鉄「モーニング・ウィング号」、「イブニング・ウィング号」の停車駅は各列車記事を参照。