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喜びも悲しみも幾歳月 | |
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監督 | 木下惠介 |
脚本 | 木下惠介 |
原作 | 木下惠介 |
出演者 |
高峰秀子 佐田啓二 |
音楽 | 木下忠司 |
主題歌 | 若山彰 |
撮影 | 楠田浩之 |
製作会社 | 松竹 |
公開 | 1957年10月1日 |
製作国 |
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言語 | 日本語 |
配給収入 | 3億9109万円[1] |
『喜びも悲しみも幾歳月』(よろこびもかなしみもいくとしつき)は、1957年に松竹が制作・公開した木下惠介監督の映画作品である。
海の安全を守るため、日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦の、戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマである。
1956年に雑誌掲載された福島県塩屋埼灯台長(当時)田中績(いさお)の妻・きよの手記から題材を得て、木下監督自身が脚本を執筆した。全編にわたりカラー映像で撮影され、単なるホームドラマの枠を超えて日本各地の美しく厳しい風景を活写した大作で、公開当時大ヒット作となり、同年の芸術祭賞を受賞した。
若山彰の歌唱による同名主題歌の「喜びも悲しみも幾歳月」も大ヒットし、後世でも過去の著名なヒット曲としてしばしば紹介されている。
観音崎、御前崎、安乗崎、野寒布岬、三原山、五島列島、瀬戸内海の男木島、女木島など全国でロケーション撮影を敢行し、ロードムービーの一種としても楽しめる作品である。
後年、3度に渡りテレビドラマ化されたほか、1986年には木下監督自身により時代の変化を加味したリメイク版『新・喜びも悲しみも幾歳月』も映画化されている。
夫が転勤になると、画面に日本地図が映り現在の勤務地から次の勤務地へ移動してその所在地が示される。
劇中の地図に出てきた灯台
太平洋戦争中に殉職者が出た灯台(空撮、機銃掃射の効果音あり)
1932年(昭和7年)、新婚早々の灯台守・有沢四郎と妻・有沢きよ子は、四郎の勤務先の観音埼灯台で暮らし始める。北海道の石狩灯台で雪野・光太郎の2人の子を授かり、九州の五島列島の先の女島灯台では夫婦別居も経験する。その後、弾崎灯台で日米開戦を迎え、戦争で多くの同僚を失うなど苦しい時期もあったが、後輩の野津と野津の妻・真砂子に励まされながら勤務を続ける。また、空襲を逃れて東京から疎開してきた一家と親しくなるなど、新たな出会いもあった。
戦後、男木島灯台勤務の時、息子の光太郎が不良とのケンカで刺殺される。しかし、そうした悲しみを乗り越えた先には喜びも待っていた。御前埼灯台の台長として赴任する途中、戦時中に知り合った疎開一家の長男・進吾と娘の雪野との結婚話がまとまったのだ。御前埼灯台から四郎ときよ子の2人は灯台の灯をともして、新婚の雪野と進吾がエジプトのカイロに向かうために乗り込んだ船を見守る。遠ざかる船を見ながら、四郎ときよ子は「娘を立派に育てあげて本当によかった。灯台職員を続けていて本当によかった」と、感慨深く涙ぐむのだった。娘夫婦を燈台の光と霧笛で見送る両親に、娘夫婦は船長に依頼した汽笛で応える。
1965年4月6日 - 9月28日、TBS系列の『木下恵介劇場』(火曜21:00 - 21:30。大正製薬一社提供)で放送。全26回。
1972年7月10日 - 8月25日、TBS系列の花王 愛の劇場枠で放送。全35回。
1976年9月28日 - 1977年1月4日、日本テレビ系列「火曜劇場」枠で放送。全15回。
TBS 木下恵介劇場 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
石の薔薇
(1965.3.2 - 1965.3.30) |
喜びも悲しみも幾歳月
(1965.4.6 - 1965.9.28) |
二人の星
(1965.10.5 - 1966.3.29) |
TBS 花王 愛の劇場 | ||
愛染椿
(1972.5.8 - 1972.7.7) |
喜びも悲しみも幾歳月
(1972.7.10 - 1972.8.25) |
月よりの使者
(1972.8.28 - 1972.10.27) |
日本テレビ 火曜劇場 | ||
かげろうの家
(1976.7.6 - 1976.9.21) |
喜びも悲しみも幾歳月
(1976.9.28 - 1977.1.4) |
愛の嵐
(1977.1.11 - 1977.4.12) |