四十七人の刺客 | ||
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著者 | 池宮彰一郎 | |
発行日 | 1992年9月 | |
発行元 | 新潮社 | |
ジャンル |
長編小説 時代小説 | |
国 |
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言語 | 日本語 | |
形態 | 上製本 | |
ページ数 | 437 | |
コード |
ISBN 978-4-10-387201-6 ISBN 978-4-10-140811-8(文庫判) | |
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『四十七人の刺客』(しじゅうしちにんのしかく)は、池宮彰一郎の長編時代小説。「新潮書下ろし時代小説」として1992年9月に新潮社から書き下ろしで刊行。1995年8月に新潮文庫より、2004年4月に角川文庫より文庫化された。第6回(1993年)山本周五郎賞候補、第12回(1993年度)新田次郎文学賞受賞作。
赤穂浪士討ち入りに至るまでを、主君への忠義といった要素を排して、大石ら赤穂浪士と吉良家・上杉家との謀略戦として描く。
四十七人の刺客 | |
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47 Ronin | |
監督 | 市川崑 |
脚本 |
池上金男 竹山洋 市川崑 |
原作 | 池宮彰一郎 |
製作 |
高井英幸 萩原敏雄 稲見宗孝 |
製作総指揮 |
堀内實三 漆戸靖治 永井紀芳 |
出演者 |
高倉健 中井貴一 宮沢りえ 西村晃 石坂浩二 浅丘ルリ子 森繁久彌 |
音楽 | 谷川賢作 |
撮影 | 五十畑光勇 |
編集 | 長田千鶴子 |
製作会社 | 東宝映画 |
配給 | 東宝 |
公開 |
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上映時間 | 129分 |
製作国 |
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言語 | 日本語 |
配給収入 | 5億円[1] |
「日本映画誕生100周年記念作品」として東宝の威信を賭けて製作され、市川崑監督、高倉健主演により1994年10月22日に公開された。ベネチア国際映画祭「ベネチアの夜」部門特別招待作品。
己の権勢を誇示するために浅野内匠頭に切腹を命じ、赤穂藩を取り潰した幕府を仇討ちによって、その面目を叩き潰そうと目論む大石内蔵助。吉良上野介をそれから守ることによって幕府の権勢を維持しようとする米沢藩江戸家老・色部又四郎。この2人の謀略戦と大石と一文字屋の娘・かるとの恋を中心にした『忠臣蔵』(赤穂事件)を描いている。
本作では、『忠臣蔵』で定番とされてきた江戸城松の廊下での刃傷事件の描写は省略されている[注 2]。また、浅野が吉良を斬り付けた理由は最後まで謎とされた[注 3]。
脚本には映画脚本家でもあった原作者の池宮も参加している(池上金男名義)。
主演の高倉健にとっては、1968年の『祇園祭』(松竹)以来、かつ生涯最後の時代劇作品である。
『帰って来た木枯し紋次郎』に製作協力したC.A.Lの社長だった松前洋一が市川崑に原作を持ち込み、東宝の自社製作という形で映画化が実現した。市川は長年に亙って『仮名手本忠臣蔵』の映画化を望んで企画を出し続けていたが、大映や松竹での映画化がことごとく流れており、念願叶っての映画化となった。上映時間が2時間弱を想定されることから、話の展開はテンポ良くスピーディーな構成となり、ファーストカットの赤穂浪士が要塞化された吉良邸の図面を眺める場面と、ラストカットの大石内蔵助の愛人が身重の体で習字をする場面は、大作だからこそ小さく終わるという市川の構想の下、製作の初期段階で決定された[2]。本作は、市川作品に常連だった美術担当の村木忍が病気で不参加となり、替わって村木の夫である村木与四郎が担当したが、長年にわたって黒澤明の下で美術を担当した村木の美術はリアルで本格的に作り込むスタイルであり、砧の東宝撮影所の空き地に再現された吉良邸のオープンセットも、塀を外して撮影場所を設けることが不可能なほど造り込まれるなど、市川の撮影スタイルと噛み合わない事態が発生した。また、東宝側が集客用に高倉健を主役起用したことで、高倉の殺陣に関しては高倉と親しい宇仁貫三が殺陣師に起用されたため、長年殺陣師の美山晋八とコンビを組んで来た市川は、高倉の撮影場面での殺陣スタイルの変更に伴う画面設計を一から再構築する破目となった[3]。
出典:東宝WEB SITE・資料室(四十七人の刺客)[4]
回数 | 放送日 |
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初回 | 1995年12月15日 |
2回目 | 1997年12月12日 |
3回目 | 1999年12月10日 |
4回目 | 2001年12月14日 |