一般国道 | |
---|---|
国道197号 | |
地図 | |
総延長 | 277.0 km |
実延長 | 205.9 km |
現道 | 194.1 km |
陸上区間 | 247.0 km |
海上区間 | 30.0 km |
制定年 | 1963年(昭和38年)指定(1970年(昭和45年)延伸) |
起点 | 高知県高知市 県庁前交差点 (北緯33度33分29.24秒 東経133度31分56.00秒 / 北緯33.5581222度 東経133.5322222度) |
主な 経由都市 |
高知県須崎市、高岡郡檮原町 愛媛県大洲市、西宇和郡伊方町 |
終点 | 大分県大分市 大道入口交差点 (北緯33度14分13.24秒 東経131度36分8.62秒 / 北緯33.2370111度 東経131.6023944度) |
接続する 主な道路 (記法) |
国道56号 国道320号 国道378号 国道217号 国道10号 国道210号 |
■テンプレート(■ノート ■使い方) ■PJ道路 |
国道197号(こくどう197ごう)は、高知県高知市から大分県大分市に至る一般国道である。
四国と九州を結ぶ海上区間がある一般国道の路線で、高知県の県庁前交差点を起点に西へ四国山地を迂回し、愛媛県の佐田岬半島まで陸上区間が続き、関サバ・関アジの漁場で知られる豊予海峡を挟んで大分県の佐賀関半島から終点の大分市に至る[2]。高知県内の高知市から須崎市にかけてと、愛媛県大洲市内の一部では共に国道56号と重複している。また、四国・九州間の豊後水道は海上国道方式で、旧日本道路公団が開設し後に民間事業者の国道九四フェリーへ移管したフェリー航路によって、三崎・佐賀関両港間が結ばれている[2]。地域高規格道路豊後伊予連絡道路の構想もある[3]。
愛媛県の八幡浜市より西側に細長く伸びる佐田岬半島のルートは、愛称「佐田岬メロディーライン」とよばれる尾根部を走る快走路である[4]。一方、大分県内の区間は愛媛街道と呼ばれ、古くから幹線道路として知られている。
高知県の津野山地域は、幕末のころ土佐から伊予へ抜け長州に渡る利便性によって志士たちの脱藩ルートとなり、坂本龍馬や吉村寅太郎ら土佐勤王党の志士たちも脱藩するために通った道が、現在の国道197号だといわれる[5]。このルートは「脱藩道」や「維新の道」とも呼ばれており[6]、このことから高知県高岡郡津野町 - 同郡檮原町梼原の30.8 km区間は、土佐勤王の志士脱藩の歴史ある道として、1986年(昭和61年)8月10日の道の日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」にも選ばれている[7]。
一般国道の路線を指定する政令[8][注釈 1]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
1953年(昭和28年)に、現行の道路法(昭和27年法律第180号)に基づき、松山市 - 高知市間が二級国道197号松山高知線として初回指定された[11]が、同路線は1963年(昭和38年)に一級国道56号に昇格。
同日新たに大分市 - 大洲市間が国道197号大分大洲線として指定された[12][13]。国道指定当初は大分市の国道10号と大洲市の国道56号を結ぶ路線であったが、1970年(昭和45年)に起終点を交換するとともに、新たな起点側を大洲市から高知市まで延伸した[14]。
四国側は、かつては高知県高岡郡津野町の布施ヶ坂や愛媛県佐田岬半島の区間を代表とする悪路・狭隘路として知られており、四国では197号のことを数字の語呂合わせで「イクナ(行くな)国道」と呼称されることもあった[4][15]。佐田岬半島のかつての旧道は、半島南側の海岸線に沿うルートが採られていた[4]。この地域の改築に関しては、権限代行により建設省(現国土交通省)が1970年(昭和45年)から佐田岬メロディーライン、日吉・高研地区、大洲西地区、鹿野川地区の道路改築事業に着手し、佐田岬半島については山の尾根を貫くよう大幅なルート変更が施され、その後にも愛媛・高知両県で逐次行われた数々の改良工事により、2021年12月25日からは大洲市内の一部と名坂トンネルとその前後を除いて2車線道路となっている[16]。
四国山地を越えなければならないという険しい地理的条件により、最後の難所とされていた布施ヶ坂(高知県津野町)を最後に1991年度(平成3年度)に道路は全面改良されている[17]。
高知県檮原町と津野町の間の野越トンネルが1.5車線と狭小トンネルであることから、高知県は2010年度(平成22年度)より「野越バイパス」の整備に着手した[28]。
大洲市内には柚木と田口の間に狭路区間が残されている。この区間は大洲道路で迂回可能であり大洲道路が実質的なバイパスとなっている。
佐田岬半島周辺は地質がもろいため、地すべり等が発生しやすい。同地区にある名取トンネル(愛媛県西宇和郡伊方町 - 旧三崎町)は内部の漏水によって崩壊しかねない状況となっており、2005年(平成17年)5月から八幡浜方面から別ルートで再掘削し、旧トンネル内で合流などの工事が行われていて1 kmほどの迂回路が設置されていたが、2007年(平成19年)7月25日に復旧・開通した。佐田岬半島区間は「メロディーライン」の愛称がつけられており、尾根伝いの中心線に沿うことからスカイラインのような道となっている[4]。
愛媛県内区間の一部は地域高規格道路の大洲・八幡浜自動車道として抜本的に改良整備中であり[29]、2013年3月17日に一部区間が開通した[25]。
四国の佐田岬の突端に位置する三崎港(愛媛県伊方町)と九州の佐賀関港(大分県大分市)を結ぶ海上区間(海上国道)は、国道九四フェリーによって所要時間1時間10分で結ばれ、1時間に1便の就航数があり夜間の往来もある[4][注釈 8]。
大分県側の佐賀関地区では、幅員が狭く急カーブが連続する古宮 - 小志生木区間等で拡幅や線形の改良が行われてきた。2012年(平成24年)からは大志生木地区で道路改良事業が進められている[24]。
大分市中心部の通称昭和通りの区間(舞鶴橋西交差点 - 中春日交差点)では、2016年(平成28年)に再整備の方針(リボーン197)を定め、歩道橋の撤去や街路樹の移植等が進められている[30]。