国防担当閣外大臣 (Ministers of Defence) は、英国の国防と安全保障の調整を担った職である。1940年設置、1964年廃止。同職は閣僚級の職であり、一般に3軍各省の大臣の上級職とされたが、一部の3軍大臣は閣内にあり続けた。
第二次世界大戦勃発に先立ち、英国軍の兵力不足が懸念された。この結果、1936年にスタンリー・ボールドウィン首相によって国防調整担当大臣 (Minister for Coordination of Defence) の職が設置された。同職は、ボールドウィンの後任のネヴィル・チェンバレンによって1940年4月に廃止された。
1940年5月に首相に任命されたウィンストン・チャーチルは、国防担当閣外大臣職を新設して自ら大臣に就任した。同職は、第二次世界大戦の遂行を担当する大臣が1人もいないとの批判に対応するために設置された。1946年、同職は軍を代表する唯一の閣僚級の役職となり、3軍の大臣(戦争大臣、海軍大臣及び空軍大臣)は正式に国防担当閣外大臣に従属することになった。
1964年、統合された国防省が創設され、3軍の各省は廃止された。これに伴い、国防大臣(Secretary of State for Defence、通俗的には国防相Defence Secretary)が新設された。
氏名 | 肖像 | 就任 | 退任 | 政党 | 首相 | |
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ウィンストン・チャーチル | 1940年5月10日 | 1945年7月27日 | 保守党 (連立政権) |
ウィンストン・チャーチル | ||
クレメント・アトリー | 1945年7月27日 | 1946年12月20日 | 労働党 | クレメント・アトリー | ||
A・V・アレグザンダー | 1946年12月20日 | 1950年2月28日 | Labour Co-op | |||
エマニュエル・シンウェル | 1950年2月28日 | 1951年10月26日 | 労働党 | |||
ウィンストン・チャーチル | 1951年10月28日 | 1952年3月1日 | 保守党 | ウィンストン・チャーチル | ||
ハロルド・アレグザンダー | 1952年3月1日 | 1954年10月18日 | 無所属 | |||
ハロルド・マクミラン | 1954年10月18日 | 1955年4月7日 | 保守党 | |||
セルウィン・ロイド | 1955年4月7日 | 1955年12月20日 | 保守党 | アンソニー・イーデン | ||
ウォルター・モンクトン | 1955年12月20日 | 1956年10月18日 | 保守党 | |||
アントニー・ヘッド | 1956年10月18日 | 1957年1月9日 | 保守党 | |||
ダンカン・サンズ | 1957年1月13日 | 1959年10月14日 | 保守党 | ハロルド・マクミラン | ||
ハロルド・ワトキンソン | 1959年10月14日 | 1962年7月13日 | 保守党 | |||
ピーター・ソーニークロフト | 1962年7月13日 | 1964年4月1日 | 保守党 | |||
アレック・ダグラス=ヒューム |
国防担当閣外大臣職は1964年に廃止され、替わって国防大臣 (Secretary of State for Defence) 職が新設された。