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2008年9月、場所入りする土佐ノ海関 | ||||
基礎情報 | ||||
四股名 | 土佐ノ海 敏生 | |||
本名 | 山本 敏生 | |||
愛称 | トシオ、としおちゃま | |||
生年月日 | 1972年2月16日(52歳) | |||
出身 | 高知県安芸市 | |||
身長 | 186cm | |||
体重 | 162kg | |||
BMI | 46.83 | |||
所属部屋 | 伊勢ノ海部屋 | |||
得意技 | 突き、押し、右四つ、上手投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東関脇 | |||
生涯戦歴 | 732勝735敗16休(101場所) | |||
幕内戦歴 | 569勝615敗16休(80場所) | |||
優勝 |
十両優勝2回 幕下優勝1回 | |||
賞 |
殊勲賞7回 敢闘賞5回 技能賞1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1994年3月場所 | |||
入幕 | 1995年7月場所 | |||
引退 | 2010年11月場所 | |||
引退後 | 年寄・立川 | |||
備考 | ||||
金星11個 (曙3個、貴乃花4個、若乃花3個、武蔵丸1個) | ||||
2014年4月5日現在 |
土佐ノ海 敏生(とさのうみ としお、1972年2月16日 - )は、高知県安芸市出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は山本 敏生(やまもと としお)。現在は年寄・立川。得意手は突き・押し・右四つ・上手投げで、最高位は東関脇(1997年7月場所・同年9月場所、2004年1月場所)。安芸市立安芸中学校、高知高校、同志社大学商学部卒業。趣味は映画鑑賞、愛称は「トシオ」、好物はケーキ、星座はみずがめ座、血液型はB型、干支は子年[1]。
漁師の長男に生まれる。小学校の低学年の時は野球少年だったが高学年より相撲に転向する。野球部で球拾いばかりだったが、相撲部のコーチから「大きい体をしているなぁ。相撲ならすぐに試合に出られるぞ。」と言われ、翌日には廻しをつけていた。中学・高校と徐々に頭角を現し、同志社大学相撲部時代は1年生からレギュラーとなった。1992年から西日本体重別115キロ以上級・全日本体重別115キロ以上級で2年連続で優勝。同年、大学実業団対抗でも優勝。大学では歴代6位の通算15個のタイトルを獲得し、「東の尾曽(大関・武双山)、西の山本(土佐ノ海)」と並び称され、高校・大学時代を通じて良きライバルであった[1]。真面目で温厚な人柄だが、学生時代には主審の判定への不服から、タオルを投げるパフォーマンスを演じたこともある。また学生時代は本来は押し相撲であるが、格下相手には、とりこぼしを防ぐために安全策として四つ相撲で勝負することもあった。
学生時代には数々のタイトルを獲得し、鳴り物入りで名門部屋である伊勢ノ海部屋に入門し、1994年3月場所に幕下付出で初土俵。ちなみに四股名の「土佐ノ海」は師匠の伊勢ノ海親方が命名したもので、「土佐の太平洋のように、大きな存在となれ」という願いがあった。プロ入り当時から「将来の横綱」と注目され、期待に違わず出世。負け越し知らずで1995年7月場所に西前頭7枚目で新入幕(5月場所に西十両筆頭で14勝1敗で優勝)。新入幕での前頭7枚目という地位は、戦後2番目の大躍進である。日本相撲協会の期待の表れから、新入幕の初日にいきなり大関若乃花、2日目は横綱貴乃花と対戦[注 1](結果は2番とも土佐ノ海の負け)した。新入幕の場所で横綱と対戦した力士は、戦後では土佐ノ海を含め過去4人だけである。この場所では7勝8敗に終わり、初土俵以来初の負け越しとなった。
しかし、翌9月場所では大関貴ノ浪を破るなどの活躍で11勝4敗の成績を修め、入幕2場所目にして敢闘賞を受賞した。西前頭筆頭まで躍進し、本格的な幕内上位進出となった翌11月場所では曙、貴乃花の両横綱を立て続けに破るダブル金星で9勝をあげ、殊勲賞と技能賞を受賞。翌場所の1996年1月場所に新小結となり、この場所も勝ち越し。その後も1997年1月場所で、2横綱1大関に勝ち2回目のダブル金星で殊勲賞。さらに1997年5月場所に新関脇で10勝を挙げると共に、同年は4場所連続で三役に在位するなどして、大関候補の1人と目されるようになった。
1998年は平幕で低迷していたが、休場明けの東前頭9枚目で迎えた11月場所に12勝3敗の成績を残し、この場所を制した琴錦と平幕同士でのデッドヒートを繰り広げた。この11月場所から翌1999年5月場所にかけては4場所連続、合計6個の金星という史上初且つ現在も歴代最高となる記録を樹立。特に1999年3月場所と5月場所は2場所連続ダブル金星(ダブル金星は4回目)であった。7月場所からは三役に復帰して11勝を挙げると共に、貴乃花に勝利したことで5場所連続での横綱戦勝利という史上2位の記録を達成。西関脇で迎えた9月場所は惜しくも1点負け越したが、西小結に下がった翌11月場所には初日から3日連続大関に勝ち6連勝し、横綱・武蔵丸にも勝って優勝争いにも加わる活躍で10勝を挙げた。以後2000年7月場所まで7場所連続で三役に在位し[1]、更に上を期待されるも、この間に5場所連続で小結在位を記録するなど番付運の悪さに泣かされた(麒麟児…後の大麒麟、琴光喜と共に歴代1位)。2001年は平幕で低迷したが、2002年7月場所から再び三役に復帰。西小結の地位で10勝5敗の成績を残し、この場所を制した千代大海に唯一の黒星をつけると共に「千秋楽で自身の勝敗に関わらず千代大海の優勝が決定する」という他力型の条件を満たす形で敢闘賞も受賞した[注 2]。
その後も三役常連として存在感を示し続けたが、上位に強いものの格下相手への取りこぼしも多いなど安定感に欠けるのは変わらず、結局大関昇進は果たせなかった。2003年11月場所では横綱武蔵丸に引退の引導を渡す通算11個目の金星(当時史上3位の記録、現在は4位)をあげたり優勝した栃東に勝つなどの活躍で二桁勝利を記録し、翌2004年1月場所を東関脇で迎えるが、この場所から3場所連続で負け越し、7月場所には自身初めて前頭2桁台まで番付を落としてしまった[1]。しかしその場所では11番勝って格の違いを見せつけた。同年12月25日には、年寄名跡・立川を取得した。
その後少しずつ番付を戻し、2005年3月場所には2大関を破るなどの活躍で、10勝5敗の好成績をあげ、5月場所は関脇に復帰した。33歳での関脇復帰は平成に入って初めての記録であり、33歳3ヶ月の関脇は歴代10位の年長記録であった。だがその後は一転して負けがこみ、西関脇だった5月場所から2006年1月場所にかけて5場所連続負け越した。2005年は年間37勝53敗と、その年の幕内力士の中で年間最多敗となってしまう。特に2006年1月場所では東前頭14枚目で5勝10敗と負け越してしまい、翌3月場所では11年振りに十両に陥落した。関脇復帰から僅か5場所での陥落であり、衰えが顕著になっていた。かつての実績や年齢から引退の可能性を指摘する向きもあったが、1月場所千秋楽を終えた時点で、3月場所に十両に落ちても現役を続行することを明言した。
翌3月場所では西十両筆頭で9勝6敗と勝ち越して、5月場所での返り入幕を果たした。その5月場所では、2005年3月場所以来7場所ぶりの幕内での勝ち越しを決めた。以後は幕内中、下位と十両の往復を繰り返す状況が続き、2008年9月場所までに4度の十両陥落を経験したが、いずれも翌場所は勝ち越し、1場所で幕内に復帰した。しかし、2009年3月場所に東前頭15枚目で4勝11敗と大敗し、翌5月場所に5度目の十両陥落を経験してからは十両が定位置となっていった。
2010年7月場所で8勝7敗と勝ち越し、翌9月場所で9場所ぶりに5度目の再入幕を果たす。この場所は西十両7枚目ながらも大相撲野球賭博問題による幕内からの大量降格により異例の番付アップとなった。38歳6ヶ月での幕内復帰は寺尾の38歳0ヶ月を超え、昭和以降では当時歴代1位となる最年長記録であった[注 3]。だが、その場所では西前頭16枚目で2勝13敗と大きく負け越したため翌11月場所では十両に陥落した。続く2010年11月場所では東十両8枚目で4勝11敗と大きく負け越し、次場所での幕下陥落が確定的となった。そこで、場所後の2010年12月15日に、体力の限界を理由に現役引退を表明した。引退相撲(断髪式)は、当初は2011年5月場所後に予定していたが、大相撲八百長問題の煽りを受けて延期せざるを得ず、2012年2月4日に開催した[2]。通算金星11個は歴代4位、三賞受賞13回は同7位タイの記録である。
現役引退後は年寄・立川を襲名して、伊勢ノ海部屋で後進の指導に当たっている。相撲協会の業務では、引退して間もない時期に発生した八百長問題の再発防止策を協議するための大相撲新生委員会に新米親方ながら所属し、その後は巡業部に所属した。2014年4月3日付の職務分掌で、主任に昇格し、審判部へ異動した[1]。2016年3月30日付の職務分掌で、委員に昇格した。
2021年7月3日、同年7月場所を休場することが日本相撲協会より発表された。代役は富士ヶ根[3]。25日、新型コロナウイルス感染が協会より発表された[4]。
全盛期は立合いの馬力と突き押しを武器に、三役、幕内上位に定着して活躍[1]。魁皇、武双山とともに御三家と称され、大関候補と目された時期もあった。全盛期の立合いの馬力は幕内で一二を争う威力を誇り、立合いでの頭からの強烈な当たりから突き押しに転じ、再度頭からぶちかます取り口である。しかし、腰高で上半身に比べ下半身が脆く、はたきや引き技に屈して前に落ちる悪癖によって負けるケースも多かった。土俵際まで追い詰めておきながら、捨て身の叩きや突き落としに屈することもしばしば見受けられた。ベテランの域に入ってからは馬力・足腰の衰えが顕著で、自分より軽い相手でも容易に押せない展開になることが増えたり自らが引き技に出る展開が増えた。副次的な手段として右四つで相撲を取ったり、頭を付けて食い下がる事もあったが、基本的には愚直に押す相撲を貫いていた。
入幕当初は均整の取れた体つきであり動き勝つ相撲が多かったが、2年ほど経過した頃には20kg増量して足腰に対して上半身の大きさが目立つようになり、筋力は増したが突き押しか叩きという大味な相撲に傾いた。
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1994年 (平成6年) |
x | 幕下付出60枚目 5–2 |
東幕下38枚目 優勝 7–0 |
東幕下4枚目 5–2 |
西幕下筆頭 5–2 |
東十両13枚目 優勝 11–4 |
1995年 (平成7年) |
東十両6枚目 11–4 |
東十両2枚目 8–7 |
東十両筆頭 優勝 14–1 |
西前頭7枚目 7–8 |
東前頭8枚目 11–4 敢 |
西前頭筆頭 9–6 殊技★★ |
1996年 (平成8年) |
東小結 8–7 |
東小結 6–9 |
西前頭筆頭 5–10 |
東前頭5枚目 6–9 |
西前頭6枚目 8–7 |
西前頭筆頭 8–7 殊 |
1997年 (平成9年) |
東前頭筆頭 9–6 殊★★ |
東小結 8–7 |
西関脇 10–5 敢 |
東関脇 8–7 |
東関脇 5–10 |
西前頭筆頭 7–8 |
1998年 (平成10年) |
東前頭3枚目 5–10 |
東前頭6枚目 10–5 敢 |
西前頭2枚目 4–11 |
東前頭7枚目 7–7–1[注 5] |
東前頭9枚目 休場 0–0–15 |
東前頭9枚目 12–3 敢★ |
1999年 (平成11年) |
西前頭筆頭 7–8 ★ |
東前頭2枚目 8–7 ★★ |
東前頭筆頭 8–7 殊★★ |
東小結 11–4 敢 |
西関脇 7–8 |
西小結2 10–5 殊 |
2000年 (平成12年) |
東小結 8–7 |
東小結 8–7 |
東小結 9–6 |
東小結 7–8 |
東前頭筆頭 5–10 |
東前頭4枚目 7–8 |
2001年 (平成13年) |
東前頭5枚目 6–9 |
東前頭8枚目 10–5 |
西前頭3枚目 7–8 |
東前頭4枚目 8–7 |
東前頭3枚目 8–7 |
西前頭2枚目 5–10 |
2002年 (平成14年) |
東前頭7枚目 9–6 |
西前頭筆頭 7–8 |
西前頭2枚目 8–7 |
西小結 10–5 殊 |
西関脇 6–9 |
西前頭筆頭 8–7 |
2003年 (平成15年) |
東前頭筆頭 8–7 |
西小結 8–7 |
東小結 4–11 |
東前頭5枚目 10–5 |
西小結 7–8 |
西前頭2枚目 10–5 殊★ |
2004年 (平成16年) |
東関脇 4–11 |
西前頭4枚目 5–10 |
西前頭9枚目 7–8 |
東前頭11枚目 11–4 |
西前頭4枚目 7–8 |
東前頭6枚目 9–6 |
2005年 (平成17年) |
西前頭2枚目 7–8 |
東前頭3枚目 10–5 |
西関脇 4–11 |
東前頭4枚目 5–10 |
東前頭8枚目 6–9 |
東前頭11枚目 5–10 |
2006年 (平成18年) |
東前頭14枚目 5–10 |
西十両筆頭 9–6 |
西前頭12枚目 8–7 |
西前頭9枚目 6–9 |
西前頭12枚目 7–8 |
西前頭12枚目 5–10 |
2007年 (平成19年) |
東前頭16枚目 8–7 |
西前頭14枚目 6–9 |
西十両筆頭 8–7 |
西前頭13枚目 8–7 |
西前頭8枚目 6–9 |
東前頭11枚目 7–8 |
2008年 (平成20年) |
西前頭12枚目 5–10 |
東十両筆頭 10–5 |
東前頭12枚目 6–9 |
東前頭14枚目 5–10 |
東十両2枚目 9–6 |
東前頭16枚目 9–6 |
2009年 (平成21年) |
東前頭9枚目 5–10 |
東前頭15枚目 4–11 |
西十両6枚目 8–7 |
西十両2枚目 5–10 |
東十両9枚目 7–8 |
東十両11枚目 9–6 |
2010年 (平成22年) |
東十両5枚目 8–7 |
西十両3枚目 6–9 |
西十両6枚目 7–8 |
西十両7枚目 8–7 |
西前頭16枚目 2–13 |
西十両8枚目 4–11 |
2011年 (平成23年) |
東幕下筆頭 引退 –– |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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蒼樹山 | 7 | 2 | 安芸乃島 | 15 | 12 | 安芸ノ州 | 1 | 0 | 曙 | 4 | 14 |
朝青龍 | 6(1) | 18 | 朝赤龍 | 5 | 5 | 朝乃翔 | 6 | 2 | 朝乃若 | 7 | 0 |
旭豊 | 4 | 4 | 安壮富士 | 2 | 0 | 安美錦 | 5 | 5 | 阿覧 | 0 | 3 |
岩木山 | 4 | 10 | 潮丸 | 2 | 1 | 皇司 | 7 | 2 | 小城錦 | 4 | 4 |
魁皇 | 10 | 30 | 海鵬 | 10 | 5 | 臥牙丸 | 0 | 1 | 垣添 | 4 | 10 |
鶴竜 | 0 | 4 | 春日王 | 4 | 5 | 春日錦 | 6(1) | 2 | 春日富士 | 1 | 0 |
片山 | 3 | 2 | 巌雄 | 3 | 2 | 稀勢の里 | 0 | 1 | 北桜 | 3 | 2 |
北太樹 | 1 | 0 | 木村山 | 1 | 2 | 旭鷲山 | 13 | 10(1) | 旭天鵬 | 5 | 9 |
旭道山 | 3 | 0 | 旭南海 | 1 | 0 | 鬼雷砲 | 1 | 0 | 金開山 | 0 | 2 |
剣晃 | 4 | 4 | 豪栄道 | 1 | 1 | 光法 | 2 | 0 | 光龍 | 2 | 1 |
五城楼 | 1 | 1 | 黒海 | 3 | 8 | 琴稲妻 | 3 | 0 | 琴欧洲 | 1 | 2 |
琴春日 | 1 | 1 | 琴奨菊 | 1 | 2 | 琴錦 | 10 | 8 | 琴ノ若 | 14(1) | 17 |
琴別府 | 1 | 0 | 琴光喜 | 6 | 7 | 琴龍 | 9 | 3 | 小錦 | 2 | 1 |
敷島 | 1 | 0 | 霜鳳 | 5 | 3 | 十文字 | 5 | 2 | 駿傑 | 3 | 0 |
翔天狼 | 0 | 1 | 蒼国来 | 0 | 1 | 大翔鳳 | 0 | 1 | 大善 | 2 | 0 |
大真鶴 | 1 | 0 | 貴闘力 | 10 | 12 | 貴ノ浪 | 13 | 25 | 貴乃花 | 7 | 21 |
隆乃若 | 9 | 6 | 高見盛 | 7 | 14 | 隆三杉 | 2 | 0 | 豪風 | 2 | 2 |
玉飛鳥 | 1 | 0 | 玉春日 | 18 | 13 | 玉乃島 | 7 | 14 | 玉力道 | 1 | 0 |
玉鷲 | 0 | 2 | 千代大海 | 10 | 21 | 千代天山 | 4 | 1 | 千代白鵬 | 2 | 2 |
出島 | 16 | 20 | 寺尾 | 6 | 2 | 闘牙 | 9 | 4 | 時津海 | 13 | 5 |
時津洋 | 2 | 0 | 時天空 | 2 | 3 | 栃東 | 16 | 18 | 栃煌山 | 2(1) | 4 |
栃栄 | 5 | 0 | 栃ノ心 | 1 | 3 | 栃乃洋 | 18 | 13 | 栃乃花 | 4 | 4 |
栃乃和歌 | 3 | 0 | 智ノ花 | 0 | 1 | 豊桜 | 5 | 4 | 豊ノ島 | 2 | 2 |
豊響 | 2 | 1 | 浪乃花 | 4 | 0 | 白鵬 | 1 | 6 | 白露山 | 6 | 3 |
濵錦 | 0 | 1 | 濱ノ嶋 | 4 | 1 | 追風海 | 2 | 3 | 把瑠都 | 1 | 1 |
春ノ山 | 1 | 0 | 日馬富士 | 1 | 1 | 肥後ノ海 | 7 | 2 | 武州山 | 2 | 1 |
普天王 | 5 | 6 | 武雄山 | 4 | 1 | 寶智山 | 2 | 0 | 豊真将 | 4 | 2 |
北勝力 | 5 | 10 | 舞の海 | 1 | 0 | 将司 | 2 | 0 | 水戸泉 | 5 | 1 |
湊富士 | 8 | 1 | 雅山 | 15 | 12 | 武蔵丸 | 6 | 28 | 武双山 | 18 | 17 |
山本山 | 1 | 0 | 嘉風 | 5 | 8 | 力櫻 | 0 | 1 | 龍皇 | 2 | 0 |
琉鵬 | 1 | 0 | 露鵬 | 2 | 6 | 若麒麟 | 1 | 1 | 若翔洋 | 1 | 1 |
若兎馬 | 0 | 2 | 若の里 | 8(1) | 19 | 若ノ城 | 2 | 0 | 若乃花 | 6 | 12 |
若ノ鵬 | 0 | 2 | 和歌乃山 | 3 | 2 |