土屋 昌巳 | |
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出生名 | 土屋昌巳 |
別名 | ツッチー |
生誕 | 1952年8月22日(72歳) |
出身地 | 日本・静岡県富士市 |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1969年 - |
レーベル |
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事務所 | クール・コーポレーション |
共同作業者 | りりィ & バイバイセッションバンド、大橋純子 & 美乃家セントラル・ステイション、一風堂、ジャパン、アーケイディア、The d.e.p、VITAMIN-Q featuring ANZA、KA.F.KA |
公式サイト | Masami Tsuchiya Official Web Site |
土屋 昌巳(つちや まさみ、1952年8月22日 - )は、日本のシンガーソングライター、ミュージシャン、音楽プロデューサー、ギタリスト。
ロックバンドである一風堂のリーダーおよびボーカル、ギターを担当、「すみれ September Love」 (1982年)のヒットで知られる。一風堂の活動休止後はソロ活動において「スターライト・シャワー」(1984年)や「東京バレエ」(1985年)などの楽曲をリリース。1990年代以降はロックバンドであるTHE BLANKEY JET CITYやGLAYのプロデュースを手掛ける。静岡県富士市出身、血液型はAB型。
姉と共に幼少期よりクラシックピアノを習わされたが好きではなかった。ロックやギターに興味を持つも、父親の強い反対を受け、深夜に自宅の屋上でこっそり練習を重ねる毎日であった。その後、地元で開かれた数々のギターコンクールで優勝するなど、ギターテクニックに磨きをかけていき15歳で家出。
ボブ・ディランの「窓からはい出せ」のタイトルの通り、文字通り風呂の窓からはい出し、1969年(昭和44年)に上京。年齢を偽りザ・ゴールデン・カップスのバンドボーイを勤めるも、ほどなく家族に連れ戻される。
日本大学芸術学部放送学科入学を機に再度上京。初めてのアルバイトで購入したヴィンテージ・ギターを校庭で弾いていたところを、斉藤ノブに声をかけられ、以来音楽の世界で身を立てることとなる。本人も「僕が音楽業界に入るきっかけを作ってくれたのはノブちゃん」の通り、この出会いが土屋の運命を大きく変える事になる。
1970年代に入ってからはスタジオ・ミュージシャンとして活動を開始。りりィのバックバンド「バイバイ・セッション・バンド」、大橋純子のバックバンド「美乃家セントラル・ステイション」を経て、1978年に見岳章、藤井章司、平田謙吾らと「一風堂」を結成し、1984年まで活動。イギリスのバンド・ジャパンのワールドツアーにサポートメンバーとして参加したことがある。それを機に1985年には同じイギリスのバンド・デュラン・デュランのサイモン・ル・ボン、ニック・ローズ、ロジャー・テイラーが結成したアーケイディアのレコーディングにも参加。その後ソロに転じ5枚のアルバムを発表。
1990年1月1日よりロンドンに移住。1990年代はTHE WILLARD、BLANKEY JET CITY、マルコシアス・バンプのプロデュースを次々と手掛ける。その後LUNA SEAのギタリスト・SUGIZOの勧めで再びソロアーティストとしても復帰した。
2001年には佐久間正英の呼びかけで屋敷豪太、ミック・カーン、ビビアン・スーと共にThe d.e.pを結成。アルバム1枚とシングル2枚をリリースした他、単独ライブやGLAYのライブへゲスト出演している。
2008年3月、加藤和彦、小原礼、屋敷豪太、ANZAとVITAMIN-Q featuring ANZA結成。12月にアルバムをリリース。2007年9月、ロック・フェスティバル「BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE」にソロ名義で出演。スティーヴ エトウ、TOKIE、ひぐちしょうこがバックを務めた。
2013年11月に15年振りに自身主宰のレーベルよりソロ・アルバムを発表。
2019年、吉川晃司の35周年記念ツアーにギタリストとして参加[1]するも、演奏スタイルの違いから途中離脱することとなった[2]。
ロンドンでは約14年間生活したが、移住当初は、受けた仕事がなかなか収入に結びつかなかったり、外国人という理由で銀行口座を開くことさえ容易ではないなど、文化・風習の違いに苦労した。
2003年12月にロンドンより帰国、以後日本に生活の場を移す。愛猫はKIKIという名前。ギターラボのインタビューでは、「自分はインターネットはやらない」と否定的なコメントをしていたが、2011年8月22日からFacebookを開設。定期的に更新している。
自身のFacebookやインタビューなどで「20代のころからベジタリアンになった」「お酒は30代の頃に既に止めているが、タバコだけは止められない。」と記載している。
一風堂時代は身長174cm、体重は44 - 47kgと非常にスリムな体型で、還暦を過ぎた現在でもデビュー当時と体型は変わっていない。
一風堂時代から担当楽器は基本的にはギターだが、ベース、キーボード、ドラムなども担当している。
2013年6月[3]、新たなロックバンドKA.F.KAを結成、配信音源発表。
初ライブは京都のライブハウス「磔磔」にて行われた金子マリ主催イベント。このため急遽集結されたバンドであったと言われている(KenKenはこのライヴのみ参加)。
2014年1月[3]、東京でお披露目となるライブが行われ、バンドとしてのオリジナル曲を一曲も持たない状況で行われた前代未聞のデビューライブであった。
2015年6月28日、LUNA SEA主催『LUNATIC FEST.』に出演。