土屋 武士 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1972年11月4日(52歳) |
出身地 | 神奈川県藤沢市 |
SUPER GT ニュルブルクリンク24時間での経歴 | |
所属 |
つちやエンジニアリング LEXUS GAZOO Racing |
選手権タイトル | |
2016年 | SUPER GT GT300 |
土屋 武士(つちや たけし、1972年11月4日 - )は、日本のレーシングドライバー・エンジニア。神奈川県藤沢市出身[1]。神奈川県立湘南高等学校出身。父はレーシングチーム監督・エンジニアの土屋春雄[2]。
幼少期はプロ野球選手になりたいと思っていたが、小学5年の時に初めて自分1人で電車とバスを乗り継ぎサーキットに行き、父・春雄のレースガレージ「つちやエンジニアリング」の活動を見てレースに強く興味を持ち、レーサーになろうと決心する。しかし父はこれに猛反対し、県内有数の進学校の高校に進学することを条件に認めるといったところ、これをクリアした。こうした熱意により父にレーサーを目指すことを認められた。
1989年にカートレースデビュー。1992年に19歳でFJ1600参戦を開始し四輪レースデビューすると、そのデビュー戦で優勝。また、この年には日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の企画「めざせ!ポールポジション」に参加。1994年には全日本F3選手権にステップアップ。F3には1997年までフル参戦し、2000年にも参戦している。
1995年には全日本GT選手権(JGTC)にスポット参戦を開始。1997年にはGT300クラスに春雄が手掛けた「つちやMR2」でフル参戦を果たす。1998年はGT500クラスに初のフル参戦(日産・スカイラインGT-R)。1999年には再びGT300クラスに戻りザナヴィより日産・シルビア(S15型)をドライブし、シリーズ2位を獲得。2000年にはGT500へ再昇格しTOM'Sよりトヨタ・スープラで参戦した。
当時はJGTCでは良い結果を出していたものの、フォーミュラではあまり良い結果が出なかったため「典型的なハコドライバー」としての評価が一般的だったが、本人自身はフォーミュラ志向が非常に強く、そのチャンスを得るために2000年には自費でフォーミュラ・ニッポンにスポット参戦(参戦枠はKONDO Racingのものを借り、マシンは前年使用していたノバエンジニアリングのものを借りての参戦で、チーフエンジニアは当時ノバ代表の猪瀬良一が務めるなど、レース仲間が支援してくれた部分も多い[3])。それまでプロドライバーとして貯めこんだ貯金を全てはたいたというこの参戦は10位という結果に終わるものの、この時のドライビングが関係者の注目を浴び、2001年にはARTAよりフォーミュラ・ニッポンへのフル参戦が実現し、2002年には自己最高位であるシリーズ4位の成績を収めている。2003年はARTAが撤退したためチームルマンに移籍し参戦した(~2005年)。2006年はフォーミュラ・ニッポンのレギュレーションが大幅に変更された(TOYOTAエンジンの参入・新シャシーの導入)改革元年であり、新規に参戦するチームが増加したが、その新規チームの一つであるトムスから参戦している。
一方JGTCでは、2003年に元F1ドライバーのエリック・コマスをパートナーに、いくつかのレースで優勝争いに加わるが、あと一歩のところで逃している。その後2004年は、マルコ・アピチェラをパートナーに参戦。SUPER GTに名称が変更された2005年はジェームス・コートニーをパートナーに参戦した。この年は未勝利ながらシーズンの途中までポイントリーダーに立ち、最終戦までチャンピオン争いをするが、惜しくも逃してしまった。2006年からはつちやエンジニアリングに復帰し参戦するが、予想外の苦戦となり、2002年の第3戦以来続いていた連続ポイント獲得記録がこの年の第5戦でストップしている。
2007年はフォーミュラ・ニッポンのシートを喪失したが、SUPER GTには前年と同様の体制で臨んでいる。
2008年はDoCoMo DANDELIONからフォーミュラ・ニッポンに参戦したが、シーズン終了後、チャンピオンを狙う体力が無くなったことを理由にフォーミュラ・ニッポンからの引退を表明した[4]。一方で前年と同じ体制で参戦したSUPER GTでは現役続行を宣言している[5]。
2009年は一ツ山レーシングからアストンマーティンDBR9でGT500クラスに参戦する。一方で、フォーミュラ・ニッポンに参戦するドライバー達で構成される「フォーミュラ・レーシング・ドライバー・アソシエイション(FRDA)」の会長に就任し、フォーミュラ・ニッポン参戦経験者としての立場からドライバーの要望を主催者側に伝える役割を担うことになった[6]。
2010年は、GT300クラスに自らのチームである「Team SAMURAI」で、第3戦よりGT300クラスにポルシェ997GT3RSRで参戦する。さらに、友人である青木拓磨と共に新たに「takuma-gp team KOMACHI」を結成し、スーパー耐久・ST4クラスに参戦する。これに伴い、藤沢市に自ら経営するメンテナンスガレージとして「サムライガレージ」をオープンさせた。2013年3月に「チームサムライ」と合併する形で一般車向けのショップガレージ「25 Racing (ニーゴーレーシング)」に店名を変更。つちやエンジニアリングの活動を引き継ぎつつ、一般車向け業務を拡大する。その目的は「レースで培った技術と、レースを愛するすべての皆さまが集えるコミュニティの提供」「車好き・レース好きが集まり、その輪が広がっていくことで多くの人のカーライフが楽しく素晴らしいものになるそのお手伝いをしたい。」と語り、開発者ならではのノウハウを届けたいという構想の実現に動く[7]。
2011年からはチームルマンから独立しフォーミュラ・ニッポンに参入するキグナス・スノコ(ドライバーは石浦宏明)の監督に就任。2013年、全日本F3選手権に参戦するB-MAXエンジニアリングのアドバイザー謙エンジニアに就任。2013・2014年にはマカオグランプリ、2014年にはアジアン・ル・マン・シリーズなど海外のGTレースにも参加した。
2015年は、2008年限りで活動休止となっていた「つちやエンジニアリング」の名称を引き継ぎ、マザーシャシーを用いて独自開発したトヨタ・86でGT300クラスに参戦する。第6戦SUGOにおいて今シーズン初優勝とともに、1999年以来、実に16年ぶりの優勝を果たす。
2016年も、前年と同じく松井孝允とのコンビでGT300に参戦。この年でレギュラードライバーを勇退することを発表したため、最後のフルシーズン参戦となる。そして最終戦を含め2勝を飾り、マザーシャシー勢初にして、最後のチャンスで自身初のチャンピオンに輝いた。またこの年TOYOTA GAZOO Racingの一員としてレクサス・RC Fでニュルブルクリンク24時間にデビュー。SP-PROクラス優勝を収めている。
2016年を最後にレギュラードライバーから勇退。しかしレーシングドライバーとして完全引退するわけでは無いことを常々語っており、2018年にはニュルブルクリンク24時間にLEXUS GAZOO Racingからレクサス・LCで参戦した[8]。またスーパー耐久でもレクサス・RC F GT3を駆るMAX Racingのチーフエンジニアに就任した[9]。2021年シーズン途中からは、日本のフォーミュラ4(JAF-F4)のシリーズアドバイザーも務め、2023年からJAF-F4が「Formula Beat」にシリーズ名称を改める契機を作った[10]。
サーキット以外ではJ SPORTSのモータースポーツ中継(フォーミュラ・ニッポン、SUPER GT、ル・マン24時間レース)での解説者も務めている。過去のドライバー経験だけでなく、土屋エンジニアリングでメカニック修行を積んだ経験から、ドライバー・エンジニア双方の目線で視聴者にレースの魅力を伝えている[11]。
年 | チーム | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント |
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1994年 | CERUMO Co.,Ltd | トヨタ | SUZ Ret |
13位 | 2 | |||||||||
TOEI | FSW 16 |
TSU 19 |
SUZ 9 |
SEN 8 |
TOK 17 |
MIN 9 |
TAI 11 |
SUG 5 |
SUZ 9 | |||||
1995年 | ENDLESS | SUZ 6 |
TSU 14 |
MIN | SUZ 9 |
TAI 7 |
SUG | FSW 10 |
SUZ 11 |
SEN | 1 | |||
1996年 | カリスマ・ラリーアート | HKS | SUZ 9 |
TSU 16 |
MIN DNS |
FSW 7 |
SUZ 6 |
SUG 5 |
SEN 3 |
SUZ DNS |
FSW C |
6位 | 7 | |
1997年 | チームノバCARISMAラリーアート | SUZ 3 |
TSU 2 |
MIN 1 |
FSW 1 |
SUZ 6 |
SUG 3 |
SEN Ret |
TRM 3 |
FSW C |
SUZ 6 |
3位 | 31 | |
2000年 | PAL SPORT | 日産 | SUZ 3 |
TSU DNS |
FSW | MIN 14 |
TAI Ret |
SUZ Ret |
SUG 12 |
TRM 17 |
SEN 4 |
SUZ 5 |
8位 | 9 |
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 順位 | ポイント | |||
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2000年 | Olympic KONDO Racing Team | SUZ | TRM | MIN | FSW | SUZ | SUG | TRM | FSW | MIN 10 |
SUZ | NC | 0 | |||
2001年 | AUTOBACS RACING TEAM AGURI | SUZ 10 |
TRM 11 |
MIN 3 |
FSW Ret |
SUZ 3 |
SUG Ret |
FSW 14 |
MIN 2 |
TRM 6 |
SUZ 5 |
8位 | 17 | |||
2002年 | Team LeMans | SUZ 2 |
FSW 6 |
MIN 3 |
SUZ Ret |
TRM 2 |
SUG 4 |
FSW Ret |
MIN 7 |
TRM 6 |
SUZ 2 |
4位 | 27 | |||
2003年 | Forum eng, ARTA Team LeMans | SUZ 14 |
FSW Ret |
MIN 2 |
TRM 4 |
SUZ 5 |
SUG 7 |
FSW 6 |
MIN 12 |
TRM 6 |
SUZ 4 |
8位 | 16 | |||
2004年 | Team LeMans | SUZ 11 |
SUG 10 |
TRM 7 |
SUZ 11 |
SUG 9 |
MIN 5 |
SEP Ret |
TRM Ret |
SUZ 5 |
13位 | 4 | ||||
2005年 | Forum Engineering Team LeMans | TRM 5 |
SUZ Ret |
SUG 4 |
FSW Ret |
SUZ Ret |
MIN 5 |
FSW 5 |
TRM 3 |
SUZ Ret |
8位 | 13 | ||||
2006年 | DHG TOM'S RACING | FSW 9 |
SUZ 10 |
TRM Ret |
SUZ 7 |
AUT 9 |
FSW Ret |
SUG 8 |
TRM 8 |
SUZ 5 |
13位 | 2 | ||||
2008年 | DoCoMo TEAM DANDELION RACING | FSW 8 |
SUZ 14 |
TRM 14 |
OKA 12 |
SUZ1 16 |
SUZ2 Ret |
TRM1 8 |
TRM2 14 |
FSW1 11 |
FSW2 11 |
SUG 14 |
17位 | 4 |
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回数 | 総合順位 | クラス順位 |
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1998年 | クラージュ・コンペティション | フレドリック・エグブロム パトリス・ガイ |
クラージュ・C51-日産 | LMP | 126 | DNF | DNF |
年 | チーム | 使用車両 | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
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1998年 | 土屋エンジニアリング | トヨタ・コロナEXiV | Y | FSW1 2 |
FSW2 5 |
TRM 3 |
SUG1 Ret |
SUG2 7 |
SUZ1 5 |
SUZ2 5 |
MIN1 4 |
MIN2 Ret |
TAI 5 |
FSW Ret |
6位 | 78 |
LAWSON IMPUL | KONDO RACING | SG 5ZIGEN | Team LeMans | TP Checker IMPUL | PIAA NAKAJIMA | ||||||
1 | 松田次生 | 3 | 横溝直輝 | 5 | 金石年弘 | 7 | 本山哲 | 20 | 平手晃平 | 31 | ロイック・デュバル |
2 | ブノワ・トレルイエ | 4 | ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ | 6 | 平中克幸 | 8 | 石浦宏明 | 32 | 小暮卓史 | ||
PETRONAS TEAM TOM'S | DoCoMo DANDELION | CERUMO/INGING | ARTA | STONEMARKET・BLAAK CERUMO/INGING | |||||||
36 | アンドレ・ロッテラー | 40 | 松浦孝亮 | 47 | ロニー・クインタレッリ | 55 | 井出有治 | 67 | ロベルト・ストレイト | ||
37 | 荒聖治 | 41 | 土屋武士 | 48 | 立川祐路 | 56 | 伊沢拓也 |