地蔵寺 | |
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本堂と不動堂 | |
所在地 | 徳島県板野郡板野町羅漢字林東5 |
位置 | 北緯34度8分13.99秒 東経134度25分54.93秒 / 北緯34.1372194度 東経134.4319250度座標: 北緯34度8分13.99秒 東経134度25分54.93秒 / 北緯34.1372194度 東経134.4319250度 |
山号 | 無尽山 |
院号 | 荘厳院 |
宗派 | 真言宗御室派 |
本尊 | 地蔵菩薩(延命地蔵)、胎内仏・地蔵菩薩(勝軍地蔵) |
創建年 | (伝)弘仁12年(821年) |
開基 | (伝)空海(弘法大師) |
正式名 | 無尽山 荘厳院 地蔵寺 |
札所等 |
四国八十八箇所5番 阿波西国三十三観音霊場(東部)第24番 |
文化財 | 本堂、五百羅漢堂など5件(国の登録有形文化財) |
法人番号 | 1480005003833 |
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地蔵寺(じぞうじ)は、徳島県板野郡板野町羅漢にある真言宗御室派の寺院。無尽山(むじんざん)荘厳院(しょうごんいん)と号す。本尊は地蔵菩薩(延命地蔵)と、その胎内仏の地蔵菩薩(勝軍地蔵)。四国八十八箇所第五番札所、阿波西国三十三観音霊場(東部)第24番札所。
寺伝によれば弘仁12年(821年)、嵯峨天皇の勅願により空海(弘法大師)が一寸8分(約5.5 cm)の甲冑を身にまとい馬にまたがる姿をしていると云われる勝軍地蔵菩薩を自ら刻み、本尊として開創したと伝えられる。
嵯峨・淳和・仁明の3代の天皇の帰依が篤かった。宇多天皇の頃、紀州熊野権現の導師であった浄函上人が、熊野権現の託宣によって霊木に2尺7寸(約80 cm)の延命地蔵菩薩を刻み、前述の勝軍地蔵菩薩を胎内に納めたという。
本尊が勝軍地蔵というところから源義経などの武将の信仰も厚くかった。当時は伽藍の規模も壮大で26の塔頭と、阿波・讃岐・伊予の3国で300あまりの末寺を持ったという。しかし、天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火によりすべて焼失。江戸時代、徳島藩主蜂須賀氏の庇護を受け、歴代住職や信者の尽力により再興された。
2024年末、一年以上かけて行われていた本堂と不動堂の屋根の吹き替え天井の修復が終了した。
山門を入って行くと右に大銀杏がありその先で石畳が交差している。左に進むと左手に手水鉢があり、正面奥に本堂が建つ。その右手には不動堂・恵比須堂があり、石畳を戻ると手水鉢の向かいに水琴窟のある水子地蔵がある。大師堂は本堂に向かい合わの位置にある。大師堂の右に淡島堂がある。納経所は山門の正面にある庫裏の右端である。庫裏の左前には八角堂がある。