大倉山ジャンプ競技場 Okurayama Ski Jump Stadium | |
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施設情報 | |
正式名称 | 札幌市大倉山ジャンプ競技場[1] |
所在地 | |
国 | 日本 |
自治体 | {{{自治体}}} |
所在地 | 札幌市中央区宮の森1274番地 |
位置 | 北緯43度03分4.77秒 東経141度17分24秒 / 北緯43.0513250度 東経141.29000度座標: 北緯43度03分4.77秒 東経141度17分24秒 / 北緯43.0513250度 東経141.29000度 |
起工 | 1931年 |
開場 | 1932年 |
改修 | 1952年、1964年、1970年、1982年、1986年、1996年、1998年 |
所有者 | 札幌市 |
管理者 | 札幌振興公社(指定管理者)[2] |
サイズ | |
K点 | 冬季123 m、夏期120 m |
ヒルサイズ | 冬季137 m、夏期134 m |
ヒルレコード |
男子 - 148.5 m カミル・ストッフ 女子 - 145 m 伊藤有希 サマー男子 - 143.5 m - 小林陵侑、栃本翔平 サマー女子 - 136.5 m 高梨沙羅 |
大会 | |
オリンピック | 1972年札幌オリンピック |
世界選手権 | 2007年ノルディックスキー世界選手権札幌大会 |
ワールドカップ | 2016/17 男子第21-22戦(LHx2) |
大倉山ジャンプ競技場(おおくらやまジャンプきょうぎじょう)は、札幌市中央区にあるスキージャンプの競技場(ラージヒル)。宮の森ジャンプ競技場とともにナショナルトレーニングセンター競技別強化拠点施設になっている[3]。
1923年に三角山に建設された国内初の固定スキージャンプ台「シルバーシャンツェ」を皮切りに、以後三角山では4年間で3基のジャンプ台が建設され、ジャンプ競技の中心地として用いられたが、三角山のジャンプ台は30m級にとどまっており、世界の潮流から遅れた状況にあった[4]。
1928年に秩父宮雍仁親王が来道した際に、将来の冬季五輪開催を見据え、札幌に国際級の大型ジャンプ台を造る必要性を大野精七らに訴え[5][6]、大倉喜七郎が私財を投じて建設計画を進めることとなった[4]。1929年にはノルウェーからジャンプ台造りの第一人者であるオラフ・ヘルセット中尉らが来札し、当時は無名の山に60m級のジャンプ台を造ることを決めた[6]。
1931年に大倉土木(現・大成建設)が4カ月間をかけ建設し、10月にジャンプ台は完成した[4]。建設費を賄い札幌市に寄贈した大倉喜七郎の厚意に報いて「大倉シャンツェ」と命名した(「シャンツェ」はドイツ語で「ジャンプ台」という意味)[7][8][6]。なお、無名の山に「大倉山」と名づけられると[9]、「大倉山シャンツェ」と呼ばれるようになった。
1957年、雪印乳業が当時の80m級ジャンプ台の北側に隣接して60m級の台(P点60m、K点69m)を設置し、札幌市に寄贈した。「雪印シャンツェ」と呼ばれ、雪印杯全日本ジャンプ大会が1958年から1969年まで開催されたほか、国民体育大会も開催された。
その後、1972年札幌オリンピックの会場として大改造され、「大倉山ジャンプ競技場」となった。一方で「雪印シャンツェ」は廃止され、跡地は観客席となった。
サマージャンプやナイタージャンプが可能な設備を整えており、国内大会や国際大会を数多く開催している。ジャンプ台とその周辺は観光地になっており、標高307mの展望ラウンジからは札幌の市街地や石狩平野、石狩湾を一望することができるほか、ジャンプ台の下には札幌オリンピックミュージアム、大倉山クリスタルハウスがある。公式キャラクターとしてエゾモモンガをモデルとした「くらやん」が誕生している[10]。
宮の森ジャンプ競技場共々老朽化が進み、2024年現在は国際スキー連盟(FIS)の定める国際規格に適合しない問題を抱えている。そのため、ラージヒルを改修し国際規格に適合させると共に、観客席を縮小して旧雪印シャンツェ部分にノーマルヒルを増設しデュアル化する構想があり、2024年11月には札幌市が正式にデュアル化構想を推進する姿勢を表明した。併せて現在のリフトをゴンドラ化するなど、バリアフリー化も推し進めるとしている[11]。
年月日 | 氏名 | 記録 | 大会名 |
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60m級 | |||
1932 | 浜謙二 | 34.0 m | |
1932 | 山田四郎 | 44.5 m | |
1932 | 龍田峻次 | 47.0 m | |
1932 | 浜謙二 | 48.0 m | |
1932 | 小島謹也 | 49.5 m | |
1932 | 松山茂忠 | 51.5 m | |
1933 | 浅木武雄 | 56.0 m | |
1934 | 龍田峻次 | 61.5 m | |
1934年1月28日 | 伊黒正次 | 67.0 m | 第3回大倉シャンツェ建設記念ジャンプ大会 |
1937年2月28日 | 星野昇 | 70.0 m | 第8回宮様スキー大会 |
1938年1月9日 | 安達五郎 | 70.0 m | 第7回大倉シャンツェ建設記念ジャンプ大会 |
1939年2月26日 | 浅木文雄 | 79.0 m | 第10回宮様スキー大会 |
80m級 | |||
1952年2月25日 | 柴野宏明 | 84.0 m | 第23回宮様スキー大会 |
1955年2月27日 | 吉沢広司 | 86.5 m | 第33回全日本選手権 |
1956年3月11日 | 菊地定夫 | 87.0 m | 第27回宮様スキー大会 |
1957年3月17日 | 佐藤憲治 | 90.0 m | 第28回宮様スキー大会 |
1957年3月22日 | 菊地定夫 | 91.0 m | オリンピック強化合宿記録会 |
1958年3月9日 | 佐藤耕一 | 92.0 m | 第29回宮様スキー大会 |
1961年3月4日 | 松井孝 | 94.0 m | 第3回HBC杯 |
1962年3月4日 | 菊地定夫 | 94.0 m | 第33回宮様スキー大会 |
1963年2月22日 | 菊地定夫 | 102.0 m | 第2回STV杯 |
1964年2月28日 | 菊地定夫 | 103.5 m | 第3回STV杯 |
1969年3月7日 | ヨセフ・マトウシュ | 104.0 m | 第11回HBC杯 |
K点110m | |||
1971年1月7日 | 笠谷幸生 | 112.5 m | 第12回NHK杯 |
1971年3月20日 | 金野昭次 | 114.5 m | 全日本スキー連盟公式記録会 |
1974年1月13日 | 笠谷幸生 | 115.0 m | 第13回STV杯 |
1977年1月16日 | ヴァルター・シュタイナー | 115.5 m | 第16回STV杯 |
1978年1月15日 | ビョルン・ナース | 118.0 m | 札幌オリンピック記念国際スキージャンプ競技大会 |
1982年3月7日 | 八木弘和 | 119.0 m | 第53回宮様スキー大会 |
1985年2月15日 | 秋元正博 | 122.5 m | 第27回HBC杯 |
K点115m | |||
1987年1月18日 | 嶋宏大 | 120.0 m | 第26回STV杯 |
1987年1月25日 | プリモジュ・ウラガ | 121.0 m | ワールドカップ |
1990年1月13日 | 安崎直幹 | 121.5 m | 第17回HTB杯 |
1990年1月14日 | アンシ・ニエミネン | 123.5 m | 第29回STV杯 |
1992年1月11日 | 原田雅彦 | 123.5 m | 第19回HTB杯 |
1992年3月7日 | 西方仁也 | 123.5 m | 第34回HBC杯 |
1993年2月24日 | 須田健仁 | 124.5 m | 第34回NHK杯 |
1994年1月23日 | イェンス・バイスフロク | 125.0 m | ワールドカップ |
1994年1月29日 | 葛西紀明 | 127.0 m | 第21回HTB杯 |
1994年1月30日 | 葛西紀明 | 135.0 m | 第35回NHK杯 |
K点120m、ヒルサイズ134m | |||
1997年1月11日 | 原田雅彦 | 127.5 m | 第24回HTB杯 |
1997年1月12日 | 吉岡和也 | 128.0 m | 第36回STV杯 |
1997年1月19日 | ディーター・トーマ | 134.5 m | ワールドカップ |
1997年3月9日 | ファルコ・クリスマイヤー | 138.0 m | 第68回宮様スキー大会 |
1998年2月1日 | 原田雅彦 | 140.5 m | 第9回TVh杯 |
2002年1月13日 | 原田雅彦 | 141.0 m | 第41回STV杯 |
2005年3月25日 | 金子祐介 | 145.0 m | 第6回伊藤杯ファイナル |
2010年1月11日 | 葛西紀明 | 145.0 m | 第52回HBC杯[21] |
2012年1月21日 | 伊東大貴 | 146.0 m | 第39回HTB杯 |
K点123m、ヒルサイズ137m | |||
2016年3月19日 | 中村直幹 | 128.0 m | 第17回伊藤杯ファイナル |
2017年1月21日 | クレメンス・アイグナー | 140.0 m | 第44回HTB杯 |
2017年2月4日 | 栃本翔平 | 146.0 m | 第29回UHB杯 |
2019年1月26日 | カミル・ストッフ | 148.5 m | ワールドカップ |
年月日 | 氏名 | 記録 | 備考 |
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K点110m | |||
1974年1月13日 | アニタ・ウォルド | 97.5 m | 1974年STV杯公式記録会[22] |
K点120m、ヒルサイズ134m | |||
2004年1月31日 | 小浅星子 | 121.0 m | 第16回UHB杯 |
2004年2月1日 | 山田いずみ | 124.0 m | 第15回TVh杯 |
2007年1月21日 | 山田いずみ | 128.5 m | 第19回UHB杯 |
2007年10月28日 | 葛西賀子 | 131.0 m | 第1回伊藤杯サマーファイナル |
2008年1月14日 | 山田いずみ | 132.0 m | 第50回HBC杯 |
2011年1月11日 | 高梨沙羅 | 141.0 m | 第53回HBC杯[23] |
K点123m、ヒルサイズ137m | |||
2016年3月19日 | 伊藤有希 | 145.0 m | 第17回伊藤杯ファイナル[24] |