おおとねまち 大利根町 | |||||
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廃止日 | 2010年3月23日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 旧・加須市、北埼玉郡騎西町、北埼玉郡北川辺町、大利根町→加須市 | ||||
現在の自治体 | 加須市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 |
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地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 埼玉県 | ||||
郡 | 北埼玉郡 | ||||
市町村コード | 11425-1 | ||||
面積 | 24.47 km2. | ||||
総人口 |
14,214人 (推計人口、2010年2月1日) | ||||
隣接自治体 |
埼玉県:加須市、北葛飾郡栗橋町、 北埼玉郡北川辺町 茨城県:古河市 | ||||
町の木 | キンモクセイ | ||||
町の花 | キク | ||||
大利根町役場 | |||||
所在地 |
〒349-1193 埼玉県北埼玉郡大利根町北下新井1679-1 | ||||
座標 | 北緯36度08分27秒 東経139度39分51秒 / 北緯36.14072度 東経139.66417度座標: 北緯36度08分27秒 東経139度39分51秒 / 北緯36.14072度 東経139.66417度 | ||||
特記事項 | 市外局番:0480(町内全域・久喜MA) | ||||
ウィキプロジェクト |
大利根町(おおとねまち)は、かつて埼玉県北東部、北埼玉郡にあった町。旧・武蔵国埼玉郡。東京都市圏(東京通勤圏[1])。
加須市との合併以前は、「豊野台」および「新利根」以外の地名において、下記地名の前に「大字」を付していた(例:北埼玉郡大利根町大字北下新井字野中)。
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代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
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1 | 中島林蔵 | 1955年2月6日 | 1963年2月5日 |
2 | 篠塚糾夫 | 1963年2月6日 | 1973年6月11日 |
3 | 橋本幸雄 | 1973年7月29日 | ? |
4-5 | 篠塚糾夫 | 1976年4月14日 | 1984年4月13日 |
6-8 | 江森藤男 | 1984年4月14日 | 1996年4月13日 |
9-12 | 島田徳三 | 1996年4月14日 | 2008年4月13日 |
13 | 柿沼トミ子 | 2008年4月14日 | 2010年3月22日 |
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当町は北葛飾郡栗橋町・北埼玉郡北川辺町との合併を目指し、新市名を「東埼玉市」(新設合併)としたが、当町の島田徳三町長(当時)が、合併協議会の会長を務めながら町内の反対派の動きを静観したこともあり、2004年9月26日の住民投票で当町の反対多数で合併は撤回となった。
その後、島田町長は町議会から辞職勧告を受け、いったん辞職したが出直し選挙で当選し、自立を明言した。しかし2008年3月23日の町長選挙で、元埼玉県知事特別秘書で周辺自治体との積極的な合併を公約とした柿沼トミ子が当選した。その後、同年9月3日に加須市の大橋良一市長から北埼玉郡騎西町・北埼玉郡北川辺町とともに1市3町の合併を提案され、柿沼町長は前向きな姿勢を示した。2010年3月23日に合併(新設合併)し、新たに「加須市」となった。
市外局番は、町内全域が「0480」。同一市外局番の地域との通話は市内通話料金で利用可能(久喜MA)。収容局は大利根局。
郵便番号は町内全域が「349-11xx」(郵便事業栗橋支店)である。
町域をJR宇都宮線と東武日光線がかすめるが、鉄道駅は存在しない。しかし東部の旗井地区などは久喜市の栗橋駅が近いため、駅周辺の市街地、住宅地の一部を構成している。
栗橋駅西口開設に伴い、旧栗橋町と共に「栗橋・大利根土地区画整理一部事務組合」を設立後、栗橋駅西土地区画整理事業も行われ、大利根地域側は2017年に換地処分となり、旗井一丁目 - 三丁目、北下新井一丁目が新たに成立した[2]。また、南に隣接する野中土地区画整理事業は2022年現在施工中であり[3]、このため旧当町域は鉄道駅が存在しないにもかかわらず、合併後も人口が増加傾向にある[4]。
かつては町営循環バスがあったが、廃止された。
町営循環バス廃止後は、タクシーが唯一の公共交通機関である。タクシーの営業区域は県南東部交通圏で、春日部市・草加市・越谷市・久喜市・八潮市などと同じエリアとなっている。