おおつちちょう 大槌町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 岩手県 | ||||
郡 | 上閉伊郡 | ||||
市町村コード | 03461-4 | ||||
法人番号 | 9000020034614 | ||||
面積 |
200.42km2 | ||||
総人口 |
10,060人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 50.2人/km2 | ||||
隣接自治体 | 宮古市、遠野市、釜石市、下閉伊郡山田町 | ||||
町の木 | けやき | ||||
町の花 | 新山つつじ | ||||
町の鳥 町の魚 |
かもめ さけ | ||||
大槌町役場 | |||||
町長 | 平野公三 | ||||
所在地 |
〒028-1192 岩手県上閉伊郡大槌町上町1番3号 北緯39度21分30秒 東経141度53分58秒 / 北緯39.35825度 東経141.89944度座標: 北緯39度21分30秒 東経141度53分58秒 / 北緯39.35825度 東経141.89944度 大槌町役場(2013年6月) | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
大槌町(おおつちちょう)は、岩手県上閉伊郡に所在する町。東側で太平洋に面しており、三陸地方[1]、三陸ジオパークの一部をなす。
縄文時代の遺跡が多く見られる。振興山村、辺地、過疎地域の指定を受けている。
町内にある蓬莱島は、NHKで放送された人形劇『ひょっこりひょうたん島』のモデルといわれ[2]、町内の防災行政無線で流れる昼のチャイムには同番組のテーマソングが使われている。
約200平方キロメートルの町域は海岸部から西北へ内陸部に広がっており、9割が林野である[3]。大槌川と小鎚川が、北上山地に発してほぼ並行に南東方向へ流れ、三陸海岸の大槌湾へと注いでいる。そこに形成された沖積平野に町の中心部がある。大槌湾の北には船越湾がある。
人口は約1万1000人[3]で沿岸部に集中しており、鉄道(三陸鉄道リアス線)や主要道路(国道45号)も海岸近くを走っている。西部の山間地域にも集落がある。
下記が主要な地形として挙げられる。 山
峠
河川
近海・沿岸地形
当町は湧水の町でもある。大槌川と小鎚川に注ぐ雨水が川の伏流水とともに地下に浸透し、河口付近の扇状地に湧出する[6]。水が急勾配を下ることで海側の圧力を抑え込む[6]ため、かつては海から50 mも離れていない場所であっても淡水が得られていた[7]。町中心部の町方地区では、この水が出る自噴井が約180か所存在しており[6]、生活用水のほか、水産加工・酒造・豆腐作りなどの産業にも活用されていた[7]。またサケ・マスの孵化場にも利用されている[8]。
大槌川では、湧水域に生息するイトヨが確認されており、岩手県内では唯一の生息地となっているほか、冷水の清流のみに育つバイカモも見ることができる[8]。
東北地方のうち三陸地方に含まれ、岩手県内の地方区分である、県北・沿岸・県央・県南のうち、沿岸地方に属する。
cf. 岩手県の地方区分図[9]
cf. 岩手県の市町村全図[10]
cf.[11]
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戦国時代、当地は周辺地域の有力武将であった大槌氏の支配下であった。大槌氏は九戸政実の乱や岩崎合戦で南部氏方の武将として活躍した。大槌氏は特産の南部鮭の交易で財を成したが、中央集権化を進める南部利直によって謀反の嫌疑をかけられ、処罰された。大槌氏亡き後、この地は大槌城代が置かれて盛岡藩の管理下となり、その後は大槌代官所(南閉伊代官所)が置かれ、現在の山田町と釜石市の一部を含めた地域の行政を管轄した。
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、大槌町も強い揺れに襲われた。町内では新町に地震計が設置されていたが、震度は不明となっている。隣接する市町村では、釜石市が6弱、宮古市と遠野市で5強、山田町は5弱であった[12]。加えて、この地震が引き起こした津波とそれによって発生した津波火災により、町は壊滅的被害を受けた[13][注 1][注 2]。
発災時、町長・加藤宏暉を始めとする町職員幹部ら約60人は災害対策本部を立ち上げるべく町庁舎2階の総務課に参集したが、余震が続くためにいったん駐車場へ移動し、さらに津波接近の報を受けて屋上に避難しようとしたものの、約20人が屋上に上がったところで津波が到達。町長と数十人の職員は避難が間に合わず、庁舎の1・2階を襲った津波に呑み込まれて、そのまま消息が途絶えた[14][15]。町長以外にも課長級の職員が全員行方不明となったため、行政機能が麻痺した[16][17]。県都である盛岡市から車で数時間かかる地勢も災いして被害の全容が外部に伝わりにくく、周囲から孤立した状況がしばらく続いた。
JR山田線の大槌駅は駅舎などが津波で流失し、線路にも大きな被害が出た[18]。
東京大学海洋研究所付属の国際沿岸海洋研究センターは、人的被害こそなかったものの、建物は3階まで津波に洗われ、特に壊滅的状態となった1・2階では紙媒体と電子媒体による保存データの全てが失われた。また、港に係留してあった研究船は沈没した[19][14]。
三陸海岸初の双胴型高速旅客船である釜石市所属の観光船「はまゆり」(109 t、200人乗り)は、定期検査のために赤浜地区の岩手造船所で陸に揚げられた3時間後、津波にさらわれた。第2波が来たときには防波堤を越えて内陸へ押し流され、150 mほど北にある2階建ての民宿の屋根に引っかかり、その上に乗る形でほぼ無傷のまま止まった[20][21][22]。
避難所生活を送る人たちのために民謡を歌って慰問活動をしていた地元の女子中学生臼澤みさきがテレビの報道番組に映り、それがきっかけとなって2012年7月に歌手デビューした[23]。
歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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山崎三雄 | 1999年(平成11年)5月 | 2007年(平成19年)5月7日 | 2期。 | |
加藤宏暉 | 2007年(平成19年)5月8日 | 2011年(平成23年)3月20日 | 1期目在任中に殉職。左記の退任日は死亡が確認された日付[注釈 1]。 | |
- | 東梅政昭 (とうばい まさあき) |
(代行:2011年3月11日) | (代行:2011年6月20日) | 副町長として町長職務を代行。 |
- | 平野公三 | (代行:2011年6月21日) | (代行:2011年8月28日) | 町職員(課長)。法の規定により町長職務を代行[注釈 2]。 |
碇川豊 | 2011年(平成23年)8月29日 | 2015年(平成27年)8月27日 | 元総務課長。1期。 | |
平野公三 | 2015年(平成27年)8月28日 | (現職) | 元会計管理者(前述の職務代理者を務めた総務課長からの異動)。3期目。 |
町の組織は次のとおり[38]。
大槌町は地上一般放送事業者として地上一般放送局の免許を取得、フルセグおよびワンセグエリア放送を実施[39]していた。
免許人 | 局名 | 呼出符号 | 物理チャンネル | 周波数 | 空中線電力 | ERP |
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大槌町 | 大槌町小槌エリア放送 | JOXZ2CK-AREA | 49ch | 689.142857 MHz | 10 mW | 7.9 mW |
大槌町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 大槌町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 大槌町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
大槌町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
平成22年(2010年)国勢調査から27年(2015年)調査にかけて人口は23.02%の減少で、岩手県全体の3.80%を大きく上回っただけでなく、陸前高田市の15.20%、山田町の14.99%などを超える県内最大の減少率だった。なお平成の大合併以前の区分も含めれば宮古市の一部となった旧田老町の26.27%が県内最大の減少率である[41]。
直営局
小学校
中学校
震災後、町内の情報が少ないと感じた菊池由貴子が2012年に『大槌新聞』を創刊し、2021年3月に休刊するまで385号を発行[3]、その体験を『わたしは「ひとり新聞社」岩手県大槌町で生き、考え、伝える』(亜紀書房)として2022年に書籍化した[43]。
公式サイト
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