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大阪市立大学 | |
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登録有形文化財である1号館(2019年8月) | |
大学設置 | 1949年 |
創立 | 1880年 |
学校種別 | 公立 |
設置者 | 公立大学法人大阪 |
本部所在地 |
大阪府大阪市住吉区杉本3丁目3-138 北緯34度35分33.85秒 東経135度30分27.14秒 / 北緯34.5927361度 東経135.5075389度座標: 北緯34度35分33.85秒 東経135度30分27.14秒 / 北緯34.5927361度 東経135.5075389度 |
学生数 | 8,230 |
キャンパス |
杉本(大阪府大阪市住吉区) 阿倍野(大阪府大阪市阿倍野区) 梅田サテライト(大阪府大阪市北区) |
学部 |
商学部 経済学部 法学部 文学部 理学部 工学部 医学部 生活科学部 |
研究科 |
経営学研究科 経済学研究科 法学研究科 文学研究科 理学研究科 工学研究科 医学研究科 看護学研究科 生活科学研究科 創造都市研究科 都市経営研究科 |
ウェブサイト | https://www.osaka-cu.ac.jp/ja |
大阪市立大学(おおさかしりつだいがく、英語: Osaka City University)は、大阪府大阪市にある公立大学である。略称は市大(しだい・いちだい)、OCU。
2022年(令和4年)4月1日に大阪公立大学が開学(新設)したため、大阪公立大学開学前の学生(開学時の2年次生以上)の卒業、修了をもって廃止される予定である[1]。
大阪市立大学は1928年(昭和3年)に大阪商科大学として設立された、現在では8学部11研究科を擁する公立文理総合大学である。平成29年度公立大学便覧[2]によると、学生数は8,211人で日本の公立大学としては東京都立大学(学生数9,160人)に次ぐ2番目の規模である。また、旧制大阪商科大学は日本初の市立大学であり、国立の一橋大学、神戸大学と共に旧三商大の一つに数えられている。運営は2019年(平成31年)4月から公立大学法人大阪が行っており、2022年(令和4年)には大阪府立大学との統合が予定されている[3]。
学部学生数6,554人、大学院学生数1,737人、計8,291人、教員数730人(2021年5月現在)[4]。
沿革から、国ではなく市民が作り上げた大学という意識が強く、都市・大阪の発展に貢献する都市大学であることが強調されている。また、大阪商科大学が開学した際に当時の大阪市長関一が述べた[5]「国立大学のコッピー(コピー)であってはならぬ」という言葉が有名である。また、2010年(平成22年)に策定された大阪市立大学憲章[6]には建学の伝統として「自主独立」「自由進取」が挙げられている。
大学公式サイトに記載されている大学ランキングについての情報は以下のとおりである[7]。
『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』(英国『タイムズ』紙系の教育専門誌)によるTHE世界大学ランキングに毎年ランクインしており、2019-2020 では、第801-1000位、アジア第185位、国内第29位である。
『世界大学学術ランキング』(ARWU)(Shanghai Ranking Consultancy(中国・上海市)が発行)では、2019年(令和元年)は第501-600位、国内第17-19位である。
『QS世界大学ランキング』(英国、クアクアレリ・シモンズ社)では、2019年(令和元年)は第541-550位、アジア第148位、国内第21位である。
2021年(令和3年)12月31日時点、大阪市立大学に関係する人物でノーベル賞を受賞したのは、旧制大阪市立医科大学に1年間在籍した眞鍋淑郎、大学院時代に在籍した山中伸弥と理工学部で教鞭をとっていた南部陽一郎の3名である。
五代友厚ら当時の大阪財界有力者によって1880年(明治13年)に創設された「大阪商業講習所」および同講習所を改組して設立した市立大阪商業学校が源流[8]。東京高等商業学校(現一橋大学)に次ぐ2番目の官立高等商業学校誘致を神戸市と争って敗れた大阪市が1901年に市立大阪商業学校を改組して独自に大阪高等商業学校を設立した。この経緯から現在でも一橋大学、神戸大学とは旧三商大として交流がある。
その後、都市計画学者でもあった関一第7代大阪市長により、日本初の市立大学として1928年に学部・予科・高等商業部を持つ旧制大阪商科大学が誕生した[9][10]。
1949年に大阪市が設置していた大阪商科大学・大阪市立都島工業専門学校・大阪市立女子専門学校を統合して新制大阪市立大学が発足、商・経済・法文・理工・家政の5学部を設置した。1953年には法文学部を法学部・文学部に、1959年には理工学部を理学部・工学部に分離した。また、1955年に大阪市立医科大学を編入し医学部を設置。1975年、家政学部を生活科学部に改称。2003年(平成15年)には独立研究科、創造都市研究科を設置し、8学部9研究科体制となる。2004年(平成16年)4月には、これまでの看護短期大学部が医学部看護学科に昇格。2006年(平成18年)4月から、公立大学法人大阪市立大学の設置運営する大学となった。2008年(平成20年)には看護学研究科を設置し、2018年(平成30年)には創造都市研究科を基礎とした改組により、独立研究科都市経営研究科を設置、(旧課程としての創造都市研究科が終了するまで)現在の8学部11研究科体制となる。2019年(令和元年)には大阪府立大学との統合を見据えて運営法人を公立大学法人大阪に統合した。
大阪市立大学の公式サイトでは創立年を1949年としているが、大学が発行している公的な大学史である「大阪市立大学百年史 全学編 上巻」(1987年 大阪市立大学百年史編集委員会)では大学の創立を1880年としている。また、大学の設置に関しては新制大学となった1949年を起点としているため、本稿でも同書の公式見解を元に創立年を1880年、設置年を1949年とする。
商神マーキュリーの羽翼(旧制大阪商科大学の伝統を表す)と大阪市章(澪標)とに大学の二文字を組み合わせたもので、1962年に制定された。
1号館をモチーフにデザインされたものが2006年に決定された。なお、このシンボルマークは広報用であり、学章とは併用して用いられている。また、これと同時に「都市で学び、夢をつかむ」というスローガンも制定された。なおシンボルマークに使用されているワシントンヤシは、2017年6月に伐採され、現存していない。
シンボルカラー(スクールカラー)は3色設定されている。体育会などで従来使用されてきたえんじ色がファーストカラー、青がセカンドカラー、灰色がサブカラーである。
1934年に竣工した鉄筋コンクリート造の大阪市立大学を象徴する建物である。旧制官立三商大の一つであった大阪商科大学時代に本館として建造された。モダニズム建築の特徴をよく表しており、国の登録有形文化財でもある[11]。2019年現在でも教室や事務室として利用されている。
伝統的に愛校心を強調する校風でなく、スポーツ対外戦がさほど強い訳でもないため、学生に広く浸透した歌はない。また、校歌を持たない。
大阪府知事や大阪市長らをメンバーとする大阪府市統合本部において、大阪府立大学との統合が議論[15]されており、2013年1月、外部有識者からなる「大阪府市新大学構想会議」が「新大学構想〈提言〉」を出した。提言によると、両大学を取り巻く現状について、国際的な大学間競争が激化する中で、両大学とも規模も小さく(ただし、上述の通り大阪市立大学は、日本国内公立大学の中では最も規模が大きい)、このままでは埋没しかねないと指摘している。そして、市立大の工学部と府立大の工学域など、両大学で重複する分野を見直し、今後集中すべき分野や補強が必要な分野に人的資源を再配分することも必要だとしている。新大学は、文学部、法学部、商学部、経済学部、理学部、地球未来理工学部、獣医学部、看護学部、医学部、工学域、生命環境科学域、現代システム科学域、人間科学域、都市経営研究科で構成される構想である。学生数を単純合計すると、全国の公立大学で最大規模となる。
当初は2016年度の統合を目指していたが、2014年4月25日、延期が発表された[13]。
その後、2015年2月に両大学間で『「新・公立大学」大阪モデル(基本構想)』が取りまとめられた[14]。2017年4月1日に両大学の法人統合に向けた「新法人設立準備室」を設置。両大学の運営法人を2019年4月に統一する関連議案が大阪府議会で2017年11月8日に可決、大阪市議会でも2018年2月23日に可決された。
2019年4月1日、両法人の統合により新しく公立大学法人大阪が発足。2022年4月1日、統合法人が設置する新大学が開設する。新名称は「大阪公立大学」が用いられる[注釈 1]。
なお、大阪市立大学の学生(2021年度時点で1年次生以上)が在籍する間、大阪市立大学は引き続き存続する。2022年度から2025年度までの大阪市立大学の学長予定者は大阪公立大学学長予定者と兼任する。
部門、講座は、大阪市立大学学則による。
部門:経済理論部門[18]、経済統計論部門[19]、経済史部門[20]、経済政策論部門[21]、経済構造論部門[22]、国際経済論部門[23]
部門:基礎法学[24]、公法[25]、私法[26]、社会法[27]、国際関係・外国法[28]、政治・行政学[29]
21世紀COEプログラムの採択数は3件だった。
グローバルCOEプログラムの採択数は1件だった。
毎年4月中旬に「ふたば祭」(2006年よりこの名称)が開催される。
毎年11月上旬に「銀杏祭」(ぎんなんさい)が開催される。銀杏祭では仮装コンテスト、無料のプロコンサート、お笑い芸人によるライブなどが行われる。
1889年の大阪商業学校第一回水上運動会に端を発するボートレース。毎年5月下旬の2日間、大川(旧淀川)で運動系サークル、文化系サークル、ゼミ/研究室、市民などの部門に分かれナックル・フォアによるトーナメントが行われる。
毎年6月上旬に大阪府立大学とスポーツで対戦する。
毎年6月に「三商戦」(さんしょうせん)と呼ばれる体育会系部活動によるスポーツ対抗戦が開催される。三商とは、戦前に三校しか存在しなかった旧制商科大学の流れを汲む一橋大学(旧制東京商科大学)、神戸大学(旧制神戸商業大学)、大阪市立大学(旧制大阪商科大学)の三校を指す。同じく毎年11月には、文科系ゼミにおいて三大学間で学問研究を討論する「三商ゼミ」が開催される。
数多くの大学が統合してできているという大学の性質上、新制大学が設立された1949年以来50年以上にわたって学部ごとの同窓会のみが存在していた。全学同窓会が設立されたのは2012年であり、初代会長には卒業生で元学長の児玉隆夫が就任した。傘下には従来から存在した有恒会(文系4学部)、理学部同窓会、工学部同窓会、医学部同窓会、生活科学部同窓会、看護系同窓会が引き続き活動している[85]。
杉本キャンパスは道路を挟んで本館地区、旧教養地区、理工地区の3つに分かれている。
大阪市阿倍野区旭町1丁目に所在する。JR大阪環状線・大和路線を隔てて天王寺公園の南側に位置する。
大阪市北区梅田1丁目に所在する。大阪駅前第2ビル6階。JR大阪駅とJR北新地駅の中間に位置する。
大阪市立大学法科大学院は、司法試験合格率52.20%、全国の法科大学院中、第16位(平成17年-平成29年)[91]。
平成30年司法試験では、合格率17.74%となった[92]。
2021年(令和3年)の司法試験では、法科大学院別の合格者順位は同点23位(8人)であり、合格率は18.6%であった[93][94]。
2019年(令和元年)12月1日時点で19社の大阪市立大学発ベンチャー企業が設立されている。事業分野は医療・健康、電池・電子、自転車・自動車関連、地質・土壌調査、ナノテクノロジーなどである[95]。
大阪商大時代、第二次世界大戦中の1943年から1945年にかけて反戦・マルクス経済学の研究会を組織した教員・卒業生・学生らが検挙、投獄された事件。学問の自由に関わる重大事件として取り上げられる。
2005年から2008年にかけて同大学工学部都市基盤工学科に入学した卒業生・在学生(当時)併せて70人について、同大学が、一級建築士試験の受験に必須となる、設計製図科目をカリキュラムに含めていなかったため、受験資格を取得できなくなっていたことが、2012年3月に判明した。同学科は、2005年に土木工学科から改称したものだが、この際に、設計製図科目を開講することを怠っていたためであるとしている[96]。