国家情報院 | |
---|---|
국가정보원 | |
2021年から使用される国家情報院のエンブレム | |
組織の概要 | |
設立年月日 | 1961年6月10日[1] |
継承前組織 |
|
管轄 | 大韓民国政府 |
本部所在地 | ソウル特別市瑞草区 |
標語 | 我々は陰で働き、日当たりを目指す 우리는 隂地에서 일하고 陽地를 指向한다 |
人員 | 非公表 |
年間予算 | 非公表 |
行政官 |
|
上位組織 | 大統領 |
ウェブサイト | www.nis.go.kr eng.nis.go.kr |
国家情報院 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 국가정보원 |
漢字: | 國家情報院 |
発音: | クッカヂョンボウォン |
日本語読み: | こっかじょうほういん |
英語表記: | National Intelligence Service(NIS) |
大韓民国国家情報院(だいかんみんこく こっかじょうほういん、英語: National Intelligence Service)は、韓国の大統領直属の情報機関・秘密警察。
1961年6月10日に設立された中央情報部(KCIA)を直接の前身とし、それを拡大改組する形で1981年4月8日に創設された国家安全企画部(こっかあんぜんきかくぶ、英語: Agency for National Security Planning)を経て、1999年1月21日、国家安全企画部を縮小改組する形で創設された[2]。緊急通報用電話番号は111(国家保安ホットライン)。
「国家情報院法」第3条にはその職責を
などと規定されている.
国家情報院は危機管理とその監視機能を担当し、南北が対立する状況下での安全保障維持を目的とする。この法には政治関与禁止条項があるが、安全企画部時代には遵守されず、国内政治に深く介入して野党や言論機関に対する工作をして来た。初代院長である李鍾賛はこのような工作の排除、組職の構造改革、経済・産業・通商・技術分野の情報収集強化などを策定した。院長の下に第1次長(海外部門担当)・第2次長(国内部門担当)・第3次長(北朝鮮部門担当)で構成される。
国家情報院法により国家情報院の組織、所在地、職員数などの情報は機密に該当するため公開されない。ただし、本部所在地はニュースを通じておおよその位置に公開されており、他にも韓国の主要都市に支部が設置されている。
国家情報院の院訓は前身の韓国中央情報部時代から変更を重ねている[3][4][5]。2022年には職員アンケートでの大多数の支持を受け、約24年ぶりに創設時の「我々は陰地で働き、陽地を志向するか(우리는 음지에서 일하고 양지를 지향한다)」に変更された。当時国家情報院長を務めていた金奎顕は、これについて「過去に戻るのではなく、初心に戻り国と国民のため黙々と献身する情報機関本来の役割に忠実にならなければならないという意味」と説明している[6]。
国家情報院の職員(技能職を除く)は、1級~9級に分かれる。4級以下は、職列(情報、治安、捜査、工業、通信、電算)名を職名の前に冠する。以下の表は、国家情報院職員法施行令に基づく。なお、対応する軍・警察の階級は、他部門からの特別採用時に付与される職級に基づく[7]。
級 | 職名 | 朝鮮語 | 対応する軍の階級 | 対応する韓国警察の階級 |
---|---|---|---|---|
1級 | 管理官 | 관리관 | - | - |
2級 | 理事官 | 이사관 | 大佐 | 治安監 |
3級 | 副理事官 | 부이사관 | 中佐・大佐 | 警務官 |
4級 | 情報書記官 | 정보서기관 | 少佐・中佐 | 総警 |
5級 | 情報事務官 | 정보사무관 | 大尉・少佐 | 警正 |
6級 | 情報主事 | 정보주사 | 中尉・大尉 | 警衛・警監 |
7級 | 情報主事補 | 정보주사보 | 上士・准尉・少尉・中尉 | 警査 |
8級 | 情報書記 | 정보서기 | 中士・上士 | 警長 |
9級 | 情報書記補 | 정보서기보 | 下士 | 巡警 |
前身のKCIA、安企部の部長を含む。
代 | 氏名 | 任期 | 備考 |
---|---|---|---|
初 | 金鍾泌 | 1961年5月20日 - 1963年1月6日 | |
2 | 金容珣 | 1963年1月7日 - 1963年2月20日 | |
3 | 金在春 | 1963年2月21日 - 1963年7月11日 | |
4 | 金炯旭 | 1963年7月12日 - 1969年10月20日 | |
5 | 金桂元 | 1969年10月21日 - 1970年12月20日 | |
6 | 李厚洛 | 1970年12月21日 - 1973年12月3日 | |
7 | 申稙秀 | 1973年12月4日 - 1976年12月5日 | |
8 | 金載圭 | 1976年12月6日 - 1979年10月26日 | |
- | 尹鎰均 | 1979年10月27日 - 1979年10月30日 | 職務代行 |
9 | 李熺性 | 1979年10月30日 - 1979年12月12日 | |
- | 尹鎰均 | 1979年12月13日 - 1980年4月13日 | 職務代行 |
10 | 全斗煥 | 1980年4月14日 - 1980年7月17日 | |
11 | 兪学聖 | 1980年7月18日 - 1982年6月1日 | |
12 | 盧信永 | 1982年6月2日 - 1985年2月18日 | |
13 | 張世東 | 1985年2月19日 - 1987年5月25日 | |
14 | 安武赫 | 1987年5月26日 - 1988年5月6日 | |
15 | 裴命仁 | 1988年5月7日 - 1988年12月4日 | |
16 | 朴世直 | 1988年12月5日 - 1989年7月18日 | |
17 | 徐東権 | 1989年7月19日 - 1992年3月30日 | |
18 | 李相淵 | 1992年3月31日 - 1992年10月8日 | |
19 | 李賢雨 | 1992年10月9日 - 1993年2月2日 | |
20 | 金悳 | 1993年2月26日 - 1994年12月23日 | |
21 | 権寧海 | 1994年12月24日 - 1998年3月4日 | |
22 | 李鍾賛 | 1998年3月5日 - 1999年5月25日 | |
23 | 千容宅 | 1999年5月26日 - 1999年12月23日 | |
24 | 林東源 | 1999年12月24日 - 2001年3月26日 | |
25 | 辛建 | 2001年3月27日 - 2003年4月24日 | |
26 | 高泳耉 | 2003年4月25日 - 2005年7月10日 | |
27 | 金昇圭 | 2005年7月11日 - 2006年11月22日 | |
28 | 金万福 | 2006年11月23日 - 2008年2月11日 | |
29 | 金成浩 | 2008年3月26日 - 2009年2月12日 | |
30 | 元世勲 | 2009年2月12日 - 2013年3月21日 | |
31 | 南在俊 | 2013年3月22日 - 2014年5月21日 | |
- | 韓基範 | 2014年5月22日 - 2014年7月15日 | 職務代行 |
32 | 李丙琪 | 2014年7月16日 - 2015年3月1日 | |
- | 韓基範 | 2015年3月1日 - 2015年3月18日 | 職務代行 |
33 | 李炳浩 | 2015年3月18日 - 2017年5月31日 | |
34 | 徐薫 | 2017年6月1日 - 2020年7月2日 | |
- | 崔容煥 | 2020年7月3日 - 2020年7月28日 | 職務代行 |
35 | 朴智元 | 2020年7月29日 - 2022年5月11日 | |
- | 権春沢 | 2022年5月11日 - 2022年5月26日 | 職務代行 |
36 | 金奎顕 | 2022年5月26日 - 2023年11月26日 | |
- | ホン・ジャンウォン (홍장원) | 2023年11月26日 - 2024年1月16日 | 職務代行 |
37 | 趙太庸 | 2024年1月17日 - 現職 |
保守派と共謀して行っていた政治工作の1つとして「北風工作」「銃風工作」と呼ばれる謀略を実行していたことが知られる。
北朝鮮と安企部との間にホットラインが開設されており、これを通じて1997年の大統領選挙戦終盤の12月15日から17日にかけて、38度線の休戦ラインに2,3個の小隊を投入して、韓国側に武力挑発をするように北朝鮮に要請していた[21]。
12月15日、新政治国民会議の趙世衡非常企画団長は、「金大中候補を落選させるために北風工作や38度線休戦ラインで武力挑発を意図している北朝鮮に対する特別警告声明」を発表。この声明で「国民会議は北朝鮮が投票日直前に、去る4・11総選挙の時と同じように休戦ラインで武力挑発を敢行、韓国内に恐怖心を煽り、結果的に与党に有利に働く北風工作を絶対に容認しない」と警告。安企部に対しては「国民会議が入手した情報どおりに、もし休戦ラインで北による軍事的挑発行動が実際に発生した場合、安企部との全面戦も辞さない」と通告した[21]。
大統領選終了後、李鍾賛に部長が交代し、安企部が選挙戦中に行っていた「北風工作(銃風工作)」の詳細が明らかになった。安企部の発表によれば、1997年12月、青瓦台の呉静恩行政官、眞露グループの韓成基顧問、実業家の張錫重の3人が共謀し、韓と張が北京で北朝鮮側と接触。「投票日の2,3日前に板門店警備区域内で銃撃戦を行ってくれ」と要請した。敵対関係にある北朝鮮と内通して戦争状態を演出することにより、韓国民に恐怖心を与えて大統領選を与党に有利に運ばせようとしたとされる。北朝鮮が韓国の選挙で、特定の候補に有利になるような工作を続けていたことも判明した[21]。
韓国では、選挙時期に北朝鮮関連の事件「北風」が起こるとされる。例えば、1987年の大統領選挙期間中に大韓航空機爆破事件が発生し、1996年4月11日の総選挙直前には、朝鮮人民軍による「板門店での武力示威事件」などが発生した[21]。
鄭在文議員が北京で北朝鮮側と接触した相手は「96年4月11日総選挙直前の武力挑発と同じことをやってやろうか?」と逆提案したともされる[21]。
2017年5月の大統領選挙前に、朴槿恵大統領の弾劾結論発表の数日前に憲法裁判所に弾劾関連の動向を査察した疑惑があるとSBSにスクープとして報道され、国家情報院と憲法裁判所は不可能と否定したが、当時大統領候補だった文在寅は国家情報院への批判を行い、文在寅陣営と共に民主党は国会情報委員会の招集を要求し、文在寅の支持者も国家情報院を波状的に批判していた。
しかし、10月30日に文在寅政権による国情院改革発展委員会が、この報道の調査結果で「査察を行ったといえるほどの資料・文献は発見されず、(国情院の)憲裁担当官が憲裁関連の報告書を作った事実はなく、実際に憲裁へ出入りした事実はない」「査察疑惑が事実と認められるほどの事由は発見されなかった」と表明した。
朝鮮日報は、文大統領とその当選で大統領府に勤めている文在寅陣営関係者の誰も説明責任を果たさずに国情院への「清算」作業は拡大していることや、疑惑を最初に報じたSBSの記者を大統領府行政官としたことを批判した[22]。