てしおちょう 天塩町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 北海道地方 | ||||
都道府県 | 北海道(留萌振興局) | ||||
郡 | 天塩郡 | ||||
市町村コード | 01487-7 | ||||
法人番号 | 3000020014877 | ||||
面積 |
353.56km2 | ||||
総人口 |
2,661人 [編集] (住民基本台帳人口、2024年10月31日) | ||||
人口密度 | 7.53人/km2 | ||||
隣接自治体 |
天塩郡遠別町 宗谷総合振興局:天塩郡幌延町 上川総合振興局:中川郡中川町 | ||||
町の木 | エゾヤマザクラ | ||||
町の花 | ハマナス | ||||
町の鳥 | コガラ | ||||
天塩町役場 | |||||
町長 | 吉田忠 | ||||
所在地 |
〒098-3398 北海道天塩郡天塩町新栄通8丁目1466-113 北緯44度53分17秒 東経141度44分43秒 / 北緯44.88819度 東経141.74531度座標: 北緯44度53分17秒 東経141度44分43秒 / 北緯44.88819度 東経141.74531度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
天塩町(てしおちょう)は、北海道北部の西海岸に位置する町。北海道内第2位の長さで北海道遺産に選定されている大河、天塩川の河口に位置する。大ぶりなヤマトシジミの産地として有名。
北海道北部の留萌管内最北部、天塩川下流左岸に囲まれるように位置している。
役場などのある中心市街地はこの河口部に位置し、雄信内(おのぶない・オヌプナイ)集落は国道40号沿いに位置している。
この両市街地・集落に酪農従事者世帯以外の住民の大半が居住している。
天塩町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 天塩町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 天塩町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
天塩町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
ケッペンの気候区分によると、天塩町は湿潤大陸性気候に属する。寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。降雪量が多く、周辺の自治体と同様に特別豪雪地帯に指定されている。冬季に-20℃を下回る気温が観測されることが珍しくなく、寒さが厳しい。
天塩(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 7.9 (46.2) |
8.5 (47.3) |
14.2 (57.6) |
21.4 (70.5) |
25.9 (78.6) |
30.0 (86) |
33.8 (92.8) |
32.5 (90.5) |
32.3 (90.1) |
23.5 (74.3) |
17.2 (63) |
12.3 (54.1) |
33.8 (92.8) |
平均最高気温 °C (°F) | −2.3 (27.9) |
−1.8 (28.8) |
1.9 (35.4) |
8.1 (46.6) |
14.0 (57.2) |
18.3 (64.9) |
22.3 (72.1) |
23.6 (74.5) |
20.8 (69.4) |
14.4 (57.9) |
6.7 (44.1) |
0.3 (32.5) |
10.5 (50.9) |
日平均気温 °C (°F) | −5.4 (22.3) |
−5.3 (22.5) |
−1.4 (29.5) |
4.3 (39.7) |
9.6 (49.3) |
13.8 (56.8) |
18.1 (64.6) |
19.5 (67.1) |
16.2 (61.2) |
10.4 (50.7) |
3.5 (38.3) |
−2.5 (27.5) |
6.8 (44.2) |
平均最低気温 °C (°F) | −9.9 (14.2) |
−10.8 (12.6) |
−6.1 (21) |
−0.4 (31.3) |
4.6 (40.3) |
9.1 (48.4) |
14.0 (57.2) |
15.2 (59.4) |
10.7 (51.3) |
5.3 (41.5) |
−0.1 (31.8) |
−6.1 (21) |
2.1 (35.8) |
最低気温記録 °C (°F) | −30.6 (−23.1) |
−28.5 (−19.3) |
−22.0 (−7.6) |
−11.0 (12.2) |
−5.7 (21.7) |
−2.9 (26.8) |
2.0 (35.6) |
4.5 (40.1) |
−1.2 (29.8) |
−5.2 (22.6) |
−10.2 (13.6) |
−25.5 (−13.9) |
−30.6 (−23.1) |
降水量 mm (inch) | 44.6 (1.756) |
31.5 (1.24) |
34.4 (1.354) |
41.4 (1.63) |
61.2 (2.409) |
56.0 (2.205) |
109.2 (4.299) |
123.5 (4.862) |
124.1 (4.886) |
127.0 (5) |
100.5 (3.957) |
60.1 (2.366) |
915.4 (36.039) |
降雪量 cm (inch) | 219 (86.2) |
167 (65.7) |
118 (46.5) |
14 (5.5) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
0 (0) |
1 (0.4) |
49 (19.3) |
191 (75.2) |
- (298.8) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 16.4 | 12.0 | 10.2 | 9.5 | 9.5 | 8.8 | 9.1 | 9.4 | 11.7 | 15.1 | 16.5 | 17.2 | 147.0 |
平均月間日照時間 | 52.7 | 78.7 | 138.3 | 166.5 | 185.3 | 153.9 | 150.8 | 159.8 | 173.7 | 127.4 | 54.7 | 31.7 | 1,473.5 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[2] |
天塩川河口は、サロベツ原野にかけて長く発達した砂嘴(浜堤)によって形成された天然の防波堤(この部分は幌延町に属する)により非常に良港であったこと、海山の豊富な天然資源に恵まれていたことから、古くからアイヌ人等によってコタン(集落)が築かれ、泊地及び交易の要衝地となった。江戸時代初期に和人(松前藩)が進出してくると、アイヌ人と和人との交易地となり、後に和人によってテシホ場所(番所)が置かれた。
明治期には北方警護を兼ねた農業地開拓事業が実施され、東北・北陸地方などから多くの開拓民が入植した。また、天塩川の流域の森林や、開拓地から切り出して舟運等によって運搬された木材等の集積地となり、材木問屋の支店が居並び木材産業が栄え、江戸期以来伝統のニシン、サケマスなどの漁業を営む者、海運業者・各種商工業者が進出し人口が増加、郡役場、警察、営林署などの各行政施設も置かれ、道北における中核都市の一つとして大いに栄えた。また、一帯は北海道ではじめて近代商業捕鯨が行われた地域であり、かつてはコククジラやザトウクジラの様な大型のクジラも沿岸に多数が見られたとされている[3]。
大正期に入り、現・宗谷本線が敷設されると、舟運による木材の集積地としての役目を終えることになり、また、開拓が進み森林資源が減少したことと、海外の値段の安い輸入木材の需要増加によって林業は次第に衰退していくことになった。
昭和期になり、町民悲願の鉄道が1935年(昭和10年)に開通。鉄道の開通は天塩の文化水準・町勢向上に寄与することになったが、戦争勃発により青壮年世代が兵役により削がれ生産人口が減少し、また、昭和中期のニシンの水揚量の激減により漁業が次第に衰退していった。そして、道北各町村と同様、戦後高度経済成長期以降の大都市への人口流出による過疎が進行し現在に至っている。
中心市街地には、木材の集積地として、また、ニシン漁等の漁業基地だったことなどの各種産業がかつて栄えていた頃の面影を残している。
漁業(シジミ漁、サケ漁等)、農業(酪農)、林業の一次産業中心である。
天塩町内の集配業務は「098-33」区域が天塩郵便局、「098-31」区域は雄信内郵便局が担当していたが、2007年にいずれも幌延郵便局に移管された。その後、「098-33」区域については郵政民営化後の2011年に天塩郵便局内に新設された郵便事業音威子府支店天塩集配センターに移管、2012年の日本郵便株式会社発足後は再び天塩郵便局の集配担当区となった。なお「098-31」区域は現在も幌延郵便局が担当している。
最寄りの駅は次のとおりとなる。2駅とも幌延町に所在する。
かつては国鉄羽幌線が通っており、町内には更岸駅、干拓仮乗降場、天塩駅、中川口仮乗降場、北川口駅、西振老仮乗降場、振老駅、作返仮乗降場の駅・仮乗降場が設置されていたが、1987年(昭和62年)3月をもって廃止された。