てんかわむら 天川村 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 奈良県 | ||||
郡 | 吉野郡 | ||||
市町村コード | 29446-2 | ||||
法人番号 | 2000020294462 | ||||
面積 |
175.66km2 | ||||
総人口 |
1,057人 [編集] (推計人口、2024年5月1日) | ||||
人口密度 | 6.02人/km2 | ||||
隣接自治体 | 五條市、吉野郡黒滝村、川上村、上北山村 | ||||
村の木 | スギ | ||||
村の花 | オオヤマレンゲ | ||||
他のシンボル | コマドリ | ||||
天川村役場 | |||||
村長 | 車谷重高 | ||||
所在地 |
〒638-0305 奈良県吉野郡天川村大字沢谷60 北緯34度14分31秒 東経135度51分19秒 / 北緯34.24192度 東経135.85533度座標: 北緯34度14分31秒 東経135度51分19秒 / 北緯34.24192度 東経135.85533度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
天川村(てんかわむら)は、奈良県の南部に位置する村。キャッチフレーズは「天の国」「木の国」「川の国」。
世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の主要構成要素である修験の山、大峰山があり、そのふもとには天河大弁財天社がある。
奈良県の中央部南に位置し「近畿の屋根」と称される大峰山脈の山々が聳える。近畿最高峰の八経ヶ岳(1,915m)を擁し熊野川源流の天ノ川(てんのかわ)が流れる。近畿南部にありながら高所であるため冷涼な気候は、夏は避暑地、秋は紅葉の名所として観光客を集めるが、冬季は極めて寒冷である。
洞川付近に以下の鍾乳洞がある[1]。
原始遺跡はほとんど発見されておらず、古くは人々が定住するにはいたらなかったが、そんな深山幽谷の地であったことが修行者たちの「行場」を開くきっかけとなり、7世紀に役行者小角により金峰山・大峯山が開山されて以来は人々の定住を促し山岳修験道の根本道場として栄えた。奈良時代には遣唐使が持ち帰った興福寺所蔵の「華原磬[2]」の台座の石[注釈 1]として白石(結晶質石灰岩)を切り出し運搬した記録が、正倉院の文書の中に残されており公式的な文書に天川村が登場する最初といえる。 平安時代には宇多天皇、藤原道長などをはじめ多くの人々が大峯山へ御岳詣をしている[4]。大峯山で修行した弘法大師空海はこの地を経て平原の幽地である高野に至ったという記録もあり、伝承では籠り道場となった場所が籠山(こもりやま)、庵を結んだ場所が庵住(いおすみ)という地名になったとされている[5]。
大峰連山の一つ弥山に祠られた弥山大神の歴史も古く天河大弁財天社の創建とその隆盛とともに聖域化され、これらに前後して「天ノ川」という河川名が生まれたと考えられている。村は天河神社の信仰を核に繁栄し南朝による課役免除の恩典もあり経済的にも安定していた。また村は弓竹の矢の産地としても知られ南朝方、織田・豊臣両氏にも矢竹を上納している。江戸時代には天川23ヶ村は天領とされ年貢の他に矢竹を上納し幕府の役人である代官によって統治されていた[4]。
明治22年 | 現在 |
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奈良県 | |
吉野郡 | |
天川村 |
衆議院議員選挙の選挙区は「奈良県第3区」、奈良県議会議員選挙の選挙区は「吉野郡選挙区」(定数:2)となっている[8]。
2017年(平成29年)10月1日、「天川村をきれいにする条例」が施行された。条例の骨子は次の3つである。
条例が制定された背景には、モラルのない観光客が河川でバーベキューを行い、ゴミ・調理用具・椅子などを放置して帰る事例が多発していたことがある[12][13][14]。
隣接の五條市とは仲が悪く、大峰山弥山遭難事故における登山道の標識の設置においても悶着があった。
(※2014年6月現在)
各郵便局とも集配局。また各郵便局ともゆうちょ銀行のATMが設置されており、洞川郵便局ではホリデーサービスを実施。
※天川村内の郵便番号は以下の通り。
天川村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 天川村の年齢・男女別人口分布(2005年) | ||
■紫色 ― 天川村
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | ||
天川村(に相当する地域)の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
村内を鉄道路線は走っていない。最寄り駅は、近畿日本鉄道(近鉄)吉野線下市口駅(大淀町)。