天竜峡(てんりゅうきょう)とは、長野県飯田市にある天竜川の峡谷。国の名勝に指定されており、また天竜奥三河国定公園の一部となっている。竜の字を旧字とした天龍峡と記述されることもある(後述)。
暴れ川と言われた天竜川が切り開いた絶壁が続く渓谷である。花崗岩の岸壁にはアカマツやモミジが自生し、新緑や紅葉が見事で、その風光明媚な景色は観光客にも好評である。天竜峡温泉もある。
天竜峡は、諏訪湖を水源とし、伊那谷を通って太平洋に注ぐ天竜川の流域にある。命名は、岡山の漢学者阪谷朗廬によるものである[1]。阪谷は弘化4年(1847年)に当地を訪れている。右岸側の高台には、朗廬の天竜峡碑(漢文)が建立されている。
1882年(明治15年)には、当地の蘭方医で文人としても知られた関島良致(関島松泉)の招請を受け、書道家の日下部鳴鶴が天竜峡の10の奇岩を選定し天竜峡十勝とした[1]。これらの岩は上流より以下のように命名され、それぞれに鳴鶴自筆の銘が彫られている。
1927年(昭和2年)、東京日日新聞などによる日本新八景の選定に際しては、渓谷部門の読者投票で313万票を得て1位になったが、審査員による最終選考からは漏れた。これに憤慨し、飯田地方では東京日日新聞の不買運動が起きたと言われている[2]。八景には漏れたものの、日本二十五勝には選定された。
1934年(昭和9年)には国の名勝となり[1]、市丸の新民謡『天竜下れば』のヒットと合わせて多くの観光客を集めた。
しかし天竜峡付近はもともと狭隘で土砂を溜めやすかったため、河床が上昇し十勝の一部は水面下に沈んだり砂に埋もれるなどした(これには下流にある泰阜ダムの設置が影響しているといった見解もある[3])。その後、1984年から天竜峡下流側で川底からの砂利採取を継続的に行うことで、河床が低下し景観がある程度回復した(たとえば、芙蓉峒の文字のうち「芙蓉」までが水面上に現れるようになった)。
1969年には近隣地域とともに天竜奥三河国定公園に指定された。1975年には中央自動車道の飯田インターチェンジが供用開始され、1977年の昼神温泉湧出とあわせ、天竜峡を訪れる観光客も増加した。1989年の天竜峡温泉湧出により、観光客は60万人にも達したが、その後は低迷している[4]。
2008年(平成20年)には三遠南信自動車道の部分開通、天龍峡インターチェンジの供用開始に伴い同年を「天龍峡再生元年」と位置づけ、100年をかけて100年前(明治末 - 昭和初期)の景観を取り戻す「天龍峡百年再生プロジェクト」の開始が宣言された[5]。またこれに合わせて地元では、新字体である「竜」の字を各種碑文や名勝指定[6]で用いられている旧字体の「龍」表記に戻す運動が進められている。
2019年(令和元年)11月17日には、三遠南信自動車道・天龍峡インターチェンジ - 龍江インターチェンジ間開通と同時に天龍峡大橋と、橋桁下遊歩道「そらさんぽ天龍峡」が整備された。[7]。
船下りは飯田市における著名な観光スポットとなっている。2016年(平成28年)には「天竜川の舟下り」が飯田市民俗文化財に指定された[8]。
伊那節に「天竜下れば しぶきに濡れる 持たせやりたや 持たせやりたや 桧笠」という歌詞があり、南信州新聞が宣伝にこの歌詞が使われたため、船下りと共に「天竜下ればしぶきに濡れる」という言葉が広く認識されている。
注釈
参照