女木島(めぎじま)は、瀬戸内海にある島。香川県高松市女木町に属する。郵便番号は760-0092(高松中央郵便局管区)。また、女木島は「雌」、男木島は「雄」を指し、両者で雌雄島(しゆうじま)を成す[1]。
高松港の北々東約4キロメートルの海上にあり、北々東軸約4キロメートル、北西軸約1キロメートルの細長い島である。高松港と女木島の南端は約3キロメートルである。また、女木港の北々東約4キロメートルに男木港があり、女木島の北端と男木島の南端は約1キロメートルである。島の面積は2.62平方キロメートル、周囲は8.9キロメートル、最高点のタカト山は216.0メートル[2]である[3]。
洞窟直上の鷲ヶ峰の山頂に、360度の多島海が眺められる展望景観などを有し、1934年(昭和9年)3月16日、国立公園として初の[注 1]、瀬戸内海国立公園[4]に指定された[5]。
島の人口は168人、世帯数は107世帯、過疎化が進んだ状況である[6][注 2]。島民のほとんどが、女木港周辺の東浦に集住するが、西浦にも集落がある[注 3]。狭い平地と段々畑による畑作と、漁業の半農半漁の島である。かつて女性は、重い荷物を頭上にのせて運ぶ「頭上運搬」が日常の風景であった[7]。そして、桃太郎伝説にちなんだ女木島の愛称は、「鬼ヶ島」である[3]。
山頂からの展望景観に加え、民家を囲うオーテ(石垣)は、女木島独特の景観である[8]。そして、鬼ヶ島大洞窟・海水浴場・モアイ像・2000本の桜などで観光客を集める。
女木島の読みは、「めぎしま」と「めぎじま」の2通りが見られるが、国土地理院と海上保安庁[9]が定めた「めぎじま」とする[2]。
女木島は北側の標高186.8メートルの鷲ヶ峰、南側の標高216.0メートルのタカト山、両者の間の標高153メートルのズッコウ山(日蓮山)の山並みから成る[2][10]。基盤岩は花崗岩類、上層部は玄武岩質火山礫凝灰岩、頂部は讃岐岩質玄武岩溶岩(カンラン石玄武岩)で覆われるが、浸食(開析)が進んで平坦面は残っていない。そして、鷲ヶ峰の鬼ヶ島大洞窟の出口の上方に崖があり、見上げると柱状節理の岩柱が見える[11]。島の中央の東西両岸に小規模の堆積平野が見られるほかは、傾斜地である[12]。
鎌倉時代は四国本土の豪族、香西氏の領地であった。室町時代の末から江戸時代の初期は香西氏の一族、直島の高原氏が所有していたが、1672年(寛文12年)に幕府の直轄地(天領)となる[1]。
天領の時代は直島・女木島・男木島を「直島三か島」と称し、備中松山藩領地・倉敷代官所支配・大坂城代支配・高松藩預地など、たびたび支配者が変わるが、幕末は備中倉敷代官の支配下にあった[1]。
1871年(明治4年)、明治維新後の廃藩置県で、香川県香川郡へ編入された。1890年(明治23年)、自然村の女木島と男木島で、行政村の雌雄島(しゆうじま)村が成立する[1]。
明治以降は、農漁業地から商工業地の高松市・阪神地域への人口供給の一般的傾向をもつ。大正期から昭和初期には、アメリカ160人の他、ブラジル・カナダに移住している[8][12]。
いくつかの説がある[8]。
- 那須与一が射落とした扇の一部が流れ着いたことから「メギ」という名がついた(このあたりでは「壊れる」ことを「めげる」と言う)。
- 北隣にある男木島と合わせて、2つの島を男女に見立ててオギの「オ」に対応するものとしてメギの「メ」がついた。
- 「ギ」は、木の多い「木島」、防御地を意味する「城島」と考えられる。
- 「紀」と呼ばれる出雲系種族が住みついた。
- 『古事記』にまつわる「姪姫(玉依姫)」から名づけた。
- 1890年(明治23年) - 女木島と男木島が町村制を施行し、行政村の香川県香川郡雌雄島村が成立。雌雄島村大字女木島になる[10]。
- 1937年(昭和12年) - 島民がズッコウ山の山頂に日蓮上人像を設置[10]。
- 1956年(昭和31年) - 女木島灯台が点灯、供用開始となる[1]。
- 1956年(昭和31年) - 雌雄島村は高松市に合併する。女木島は高松市女木町となる。女木出張所が開所、小・中学校も市立に改称する[1]。
- 1957年(昭和32年) - 離島振興法の指定を受ける。
- 1958年(昭和33年) - 市立女木中学校を閉校、市立城内中学校に統合する(その後、市立高松第一中学校に統合)。
- 1960年(昭和35年) - 四国電力の電力供給で点灯する。
- 1976年(昭和51年) - 簡易水道が完成し、給水船による水輸送を開始する。
- 1976年(昭和51年) - 日本電信電話公社のダイヤル電話が即時通話となる。
- 1997年(平成9年) - 海底移水管が完成し、本土と水道網が直結する。
- 1997年(平成9年) - 鷲ヶ峰展望台( 女木島山頂園地)が完成する。
- 2002年(平成14年) - 女木海水浴場の親水護岸・突堤などの海岸環境整備が完了する。
- 2007年(平成19年) - 女木港ビジターバースが完成する。
- 高松~女木島~男木島を結ぶ、定期便(雌雄島海運)[13]が運航されている。高松港(サンポート)からフェリーで女木港まで20分、女木港~男木港まで20分である。他に船便は無い。
- フェリーの到着時刻に合わせて「女木港~鬼ヶ島大洞窟」を往復する定期バス[14]が運行されている(冬季は運休、鬼ヶ島観光自動車)。その他は、レンタサイクルが唯一の交通手段。
島内の市立女木小学校は、小学生がいないため休校中(2016年現在)。中学生は、本土の市立高松第一中学校へ海路で通うことになる。
- 女木島郵便局
- 高松市女木出張所:〒760-0092 香川県高松市女木町字宮ノ上203番地1
- 高松市女木診療所
- 女木コミュニティセンター(公民館)
- 鬼ヶ島大洞窟 - 鷲ヶ峰の山頂近くにある全長400メートルの人工洞窟は、1931年(昭和6年)に高松市に在住の郷土史家、橋本仙太郎が発見。桃太郎伝説と洞窟を結びつけ、島の愛称「鬼ヶ島」の由来となる。その後、観光洞窟として開発される[10]。
- 鷲ヶ峰展望台 - 女木島山頂園地の展望台(鬼ヶ島大洞窟の直上)[5]。
- 3000本の桜[15] - 女木島は桜、男木島は水仙と、花の咲く雌雄の島として注目されている[5]。
- オーテ - 民家の周りに築かれた、高さ3~4メートルの強固な石垣は、冬の季節風に対する防風防潮石垣(大手)である[16]。
- モアイ像 - 世界七不思議の一つ、イースター島(チリ共和国)の倒れたモアイ像を修復した、クレーンメーカー「タダノ」のテスト用の模刻品。「イースター島モアイ修復プロジェクト」の完了後に、高松市に寄贈されたものである[17]。この企業メセナ活動は、メセナ大賞では異例で別格の、審査員特別賞を受賞している[18]。
- 鬼ヶ島海水浴場 - 女木島海水浴場として、環境省の快水浴場百選に選定されている。
- 夕陽と朝日の展望地 - 「日本列島夕陽と朝日の郷づくり協会」の日本の夕陽百選に選定されている。
- 野営場 - 島の北東に香川県の女木島野営場がある[19]。島内で最大のキャンプ場である。
- 鬼ヶ島おにの館[14] - 島の総合観光案内所・無料の「鬼の博物館」・館内食堂が併設され、バスの乗車券・レンタサイクルを扱い、待合所として使用されている。
- 映画
- 小説
- その他
- ^ 雲仙国立公園および霧島国立公園と同時指定。
- ^ 国勢調査、1950年(昭和25年)の雌雄島村の人口は2139人、2015年(平成27年)10月の女木町と男木町の合算人口は355人である。
- ^ 西浦の集落には16世帯が居住する(2016年8月現在)。
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