姫井 由美子 ひめい ゆみこ | |
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柏駅の前にて(2012年) | |
生年月日 | 1959年2月14日(65歳) |
出生地 | 岡山県岡山市中区 |
出身校 | 岡山大学大学院法学研究科 |
前職 |
司法書士 行政書士 |
所属政党 |
(民主党→) (国民の生活が第一→) (日本未来の党→) (生活の党→) (生活の党と山本太郎となかまたち→) (自由党→) (旧国民民主党→) 立憲民主党 |
称号 |
法学修士 司法書士 行政書士 |
選挙区 | 岡山県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2007年 - 2012年12月4日 |
選挙区 | 岡山市第1区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1999年4月 - 2007年 |
姫井 由美子(ひめい ゆみこ、1959年〈昭和34年〉2月14日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)、岡山県議会議員(2期)、自由党岡山県連代表などを歴任した。
岡山県岡山市中区出身。岡山県立岡山操山高等学校卒業。岡山大学法文学部第二部を経て、同大学院法学研究科修了。1982年に司法書士試験合格、父の後を継いで司法書士・行政書士事務所を開業する。全国青年司法書士協議会副会長、岡山青年会議所常任理事などを歴任。
1999年、民主党公認候補として岡山県議会議員選挙(旧岡山市第1選挙区選出)に立候補し、初当選。以後連続2期を務めた。その間、民主党岡山県連の副幹事長などを務める。
2006年12月に参議院選挙立候補を表明し、2007年の第21回参議院議員通常選挙岡山県選挙区において、自由民主党前職で自民党参議院幹事長の片山虎之助を破り初当選。選挙運動の際に「姫の虎退治」をキャッチフレーズに活動し、初当選後は今回の参院選の象徴区とされた。
2008年8月28日、渡辺秀央、大江康弘ら共に新党・改革クラブ(のちの新党改革)の結成に参加する意向を明らかにし、その日の昼に民主党に離党届を提出した。しかし、菅直人らの説得を受け翌日にすぐさま翻意した。その後、記者会見にて今後も民主党員として頑張る旨の報告をした。この離党騒ぎは、不倫スキャンダル(後述)や自著出版騒動などで民主党内に居場所がなくなっていたためとされる。県連とのしこりは大きく残ったが、菅や江田五月のとりなしで事なきを得る。尚、菅の本籍は元々岡山であり、妻(旧姓は姫井)の出身地でもある[1]。
2011年4月14日、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派連合のメンバーとして名を連ねる[2][3]。
2012年6月10日、民主党岡山県連は、2013年の参院選で姫井を公認しない方針を決定した[4]。姫井の不倫疑惑や離党届の提出騒動などを問題視した結果であるとしている[4]。
2012年、野田内閣の消費増税方針に反発し、7月2日に民主党に離党届を提出し[5][6][7]、7月3日に受理された[8][9]。同年7月11日、国民の生活が第一の結党に参加した[10]。
2012年10月23日には、同年12月の第46回衆議院議員総選挙に、国民の生活が第一の第2次公認候補となることが決まった。岡山から千葉8区へ国替えとなり[11]、その後、国民の生活が第一は日本未来の党へ合流したため、同党公認として立候補。なお、参議院議員として半年余の任期が残っていたが、立候補と共に退職(自動失職)となった。結果は18,846票(得票率8.2%、4位)で落選し、比例区との重複立候補で名簿1位であったものの、小選挙区得票率が10%に届かず、供託金を没収された。
2013年7月の第23回参議院議員通常選挙では比例区からの立候補を模索していたが、最終的に断念。
2016年7月10日に執行された第24回参議院議員通常選挙に生活の党と山本太郎となかまたち公認で比例区から立候補し、4年ぶりの政界への復帰を目指したが落選した[12]。同年11月25日に自由党(生活の党から改称)岡山県総支部連合会の設立を届出て、代表に就任した[13]。
2019年6月19日、国民民主党総務会で同年執行予定の第25回参議院議員通常選挙の比例区候補として擁立されることが決定した[14]。7月21日の投開票の結果、落選。
2021年10月31日投開票の第49回衆議院議員総選挙にて立憲民主党公認で比例中国ブロック単独での立候補が発表された[15]。投開票の結果、落選。
夫がおり、一男一女の母。