孫敏漢

孫 敏漢
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 釜山広域市
生年月日 (1975-01-02) 1975年1月2日(49歳)
身長
体重
179 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 1次ドラフト
初出場 1997年4月12日
最終出場 2015年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • NCダイノス (2019 - 2022)
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗大韓民国
五輪 1996年2000年
WBC 2006年2009年
オリンピック
男子 野球
大韓民国の旗 大韓民国
2000 野球
ソン・ミンハン
各種表記
ハングル 손민한
漢字 孫敏漢
発音: ソン・ミンハン
ソン・ミナン
ローマ字 Son Min-han
本人表記: Son, Min Han
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孫 敏漢(ソン・ミンハン、 1975年1月2日 - )は、韓国の元プロ野球選手投手)。大韓民国出身。

来歴・人物

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高麗大学卒業後、地域優先ドラフトでロッテ・ジャイアンツに入団。

指名の際、ロッテは孫の釜山高校の同期で、大学時代までバッテリーとして一緒にプレイしてきた捕手・陳甲龍(チン・カブヨン)との間で選択に迷っていたが、投手である彼を指名した。このため、陳はウェーバー方式で行われる2次ドラフトでOBベアーズに指名された。

入団当初は同期入団した文東煥(ムン・ドンファン)とともに、将来投手陣を支えるエース候補として期待された。しかし、入団して3年間は故障でこれと言った活躍はできず、4年目の2000年に12勝を挙げてようやく期待に応えた。この年、2000年シドニーオリンピックの韓国代表に選ばれ、銅メダルを獲得。兵役を免除される。

翌年の2001年は15勝で最多勝のタイトルを獲得。しかし、その後3年間はまた不振に陥り、一桁勝利に止まる。しかし、2005年は復活して最多勝と最優秀防御率の2冠に輝き、MVPを受賞。2006 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表にも選ばれ、アメリカ戦で先発し好投し勝ち投手になった。

その後はロッテのエースとして、チームの投手陣を支える大黒柱の役割を果たした。2007年まで低迷するチームを一人で支えた姿は、往年のエースである崔東原(チェ・ドンウォン)や尹学吉(ユン・ハッキル)を連想させた。

2008年から韓国プロ野球選手会会長となり、プロ野球選手労働組合の設立に奔走。シーズン後、フリーエージェントの権利を獲得して行使した。日本プロ野球への進出もささやかれたが、元所属チームのロッテ・ジャイアンツに残留し、年俸7億ウォンと球界最高年俸選手の1人となった。 2009年ワールド・ベースボール・クラシックの代表に選ばれ、投手陣の最年長としてキャプテンを務め、チームをまとめる役割を果たした。しかし、個人的には調子が上がらず練習試合などで不振を極めたため、韓国代表が準優勝の成果をあげる中で、1度も登板できずに終わった。さらにプロ野球のレギュラーシーズンでも6月にようやっと1軍初登板を果たすなど、この時の不調は後まで長く尾を引き、この年は通算100勝を達成したが6勝どまりで5年ぶりに2ケタ勝利を達成できず、10月にはアメリカで肩の手術も受けた。2010年は術後のリハビリもあって、2軍戦で1試合登板したのみで1軍登板は1試合もなかった。結局肩の故障が癒えず、2011年2年連続で1軍登板がなかったため、オフに自由契約となった。

また2011年限りでプロ野球選手会会長を退任したが、その前から当時の選手会事務総長とともに、不正取引などで巨額の損失を選手会に与えたとして背任罪疑惑がかけられるようになり、2012年1月朴栽弘を中心とする選手会の新執行部から告訴される事態となった。その後嫌疑は晴らされ、2012年は無所属のままシーズンを終えた。2013年1月25日、当時選手会会長の朴栽弘の現役引退記者会見に呼ばれ、過去の嫌疑についてマスコミの前で謝罪した。同年4月15日、以前から入団を検討していたNCダイノスと申告選手(1軍の試合に出場できない選手)として契約した。その後正式契約を結び、6月5日SKワイバーンズ戦で3年9ヶ月ぶりの1軍登板を果たし、勝利投手にもなった。2014年はリリーフとして自己最多の52試合に登板した。2015年は韓国プロ野球史上初となる40代での2ケタ勝利を記録したが、同年限りで現役を引退した。引退後はNCの少年野球育成部門に携わる。

2018年10月より、NCのコーチに就任するも2022年シーズン終了後に退任した。

2023年より釜慶高等学校野球部のコーチとなった。

投球スタイル

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制球力を武器に最速149km/h、平均140km/h台半ばの速球と多彩な変化球を低めに集める技巧派投手。また、韓国投手としては珍しくフォークを武器にしていた。

打球判断も素早く、大抵のピッチャー返しは浮き球もゴロも関係なしにほとんど自分でカバーする優れた守備能力を併せ持っていた。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1997 ロッテ 9 4 0 0 -- 1 3 1 0 .250 128 30.0 23 2 20 0 1 17 3 0 17 16 4.80 1.43
1999 10 2 0 0 -- 0 0 1 0 ---- 84 19.1 19 2 6 0 1 9 0 1 13 12 5.59 1.29
2000 28 28 4 1 -- 12 7 0 0 .632 707 174.1 153 16 55 0 6 117 1 0 68 62 3.20 1.19
2001 29 29 0 0 -- 15 6 0 0 .714 760 173.1 184 18 69 0 4 110 9 0 89 81 4.21 1.46
2002 23 22 2 1 -- 4 9 0 0 .308 586 142.1 144 19 30 1 4 82 5 0 68 58 3.67 1.22
2003 18 18 1 0 -- 3 11 0 0 .214 473 109.1 115 17 38 1 5 54 2 0 67 59 4.86 1.40
2004 42 11 0 0 -- 9 2 8 0 .818 433 108.2 90 8 29 3 2 88 4 0 36 33 2.73 1.10
2005 28 26 1 0 -- 18 7 1 0 .720 678 168.1 149 9 38 2 2 105 4 0 54 46 2.46 1.11
2006 25 24 2 1 -- 10 8 1 0 .556 664 161.2 147 4 39 6 9 96 3 0 54 50 2.78 1.15
2007 30 30 0 0 -- 13 10 0 0 .565 797 194.0 191 17 48 4 2 95 4 0 74 72 3.34 1.23
2008 26 26 1 0 -- 12 4 0 0 .750 733 179.0 183 12 40 4 1 80 5 0 66 59 2.97 1.25
2009 14 14 0 0 -- 6 5 0 0 .545 311 69.1 87 3 28 0 4 20 1 0 41 40 5.19 1.66
2013 NC 28 6 0 0 -- 5 6 9 3 .455 250 60.1 56 4 23 0 3 22 1 0 24 23 3.43 1.31
2014 52 1 0 0 -- 4 4 1 9 .500 210 48.1 56 5 14 1 3 23 3 0 20 19 3.54 1.45
2015 26 19 0 0 -- 11 6 0 0 .647 444 105.0 122 8 15 0 5 50 3 0 65 57 4.89 1.31
通算:15年 388 260 11 3 -- 123 88 22 12 .583 7258 1743.1 1719 144 492 22 52 968 48 1 756 687 3.55 1.27
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

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  • 61 (1998年 - 2011年、2013年途中 - 2015年)
  • 54 (2013年 - 同年途中)
  • 81 (2019年 - 2022年)

タイトル

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  • 最多勝:2回(2001年、2005年)
  • 最高勝率:1回(2001年)
  • 最優秀防御率:1回(2005年)

表彰

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  • MVP:1回(2005年)

関連項目

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外部リンク

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