うつい けん 宇津井 健 | |
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本名 | 宇津井 健 |
生年月日 | 1931年10月24日 |
没年月日 | 2014年3月14日(82歳没) |
出生地 | 日本・東京府東京市深川区(現:東京都江東区) |
死没地 | 日本・愛知県名古屋市 |
身長 | 173 cm |
血液型 | A型 |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 映画・テレビドラマ・演劇 |
活動期間 | 1952年 - 2014年 |
配偶者 | 一般人との結婚を二度 |
主な作品 | |
映画 『スーパージャイアンツ』シリーズ 『人間の壁』 『松川事件』 『新幹線大爆破』 『沈まぬ太陽』 『相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜』 テレビドラマ 『ザ・ガードマン』 『赤い衝撃』 『野々村病院物語』 『たんぽぽ』 『いのち』 『さすらい刑事旅情編』シリーズ 『信長 KING OF ZIPANGU』 『ごくせん』 『渡る世間は鬼ばかり』 『相棒』 |
宇津井 健(うつい けん、1931年〈昭和6年〉10月24日 - 2014年〈平成26年〉3月14日[1])は、日本の俳優。身長173cm、血液型はA型。東京府東京市深川区(現在の江東区)出身。
俳優座養成所(第4期生)を経て、新東宝に入社。新東宝倒産後は大映に移籍、大映倒産後はフリーとなる。大映在籍時からテレビドラマにも進出し、以来60年近くに渡り第一線で活躍した。代表作は『スーパージャイアンツ』シリーズ、『ザ・ガードマン』、『新幹線大爆破』、『赤いシリーズ』、『さすらい刑事旅情編』、『信長 KING OF ZIPANGU』、『渡る世間は鬼ばかり』など。
千葉県立千葉高等学校卒業。早稲田大学第一文学部演劇専修中退。勝新太郎とは幼馴染であった。大学時代は馬術部に所属。在学中の1952年に俳優座養成所に第4期生として入団。同期には佐藤慶・中谷一郎・仲代達矢・佐藤允らがいる。この間に1953年の映画『思春の泉』で初主演をした。配役理由は「裸馬を乗りこなす」ことが条件だったため、適任者がなかなか見つからず、宇津井に白羽の矢がたった[2]。仲代、佐藤慶、中谷からは「ほんとにもう……。健ちゃん、馬に乗れて良かったね」と羨ましがられた。
翌1954年に新東宝に入社し、若手スターとして活躍、『鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)シリーズ』では主演を務めた。新東宝が倒産した1961年には大映に移り、映画では脇に回ることが多くなる。
1960年代半ばから1980年代前半まで、大映テレビの大黒柱として同社制作による数多くのテレビドラマに出演する。
1965年に開始された『ザ・ガードマン』は、30%を超える高視聴率をマークし、1971年までの約7年に亘って放映された代表作の1つ。
山口百恵と共演した「赤い」シリーズでは「山口百恵の父親役」で百恵とともに一世を風靡。また、「赤い」シリーズの前作となるTBS系ドラマ『顔で笑って』では、主題歌「パパは恋人」を山口百恵とデュエットしている[注釈 1]。
『たんぽぽ』出演以降、橋田壽賀子作品にはたびたび起用され、「橋田(石井)ファミリー」の一員と見なされた(2006年4月6日からは、11年ぶりに『渡る世間は鬼ばかり』で藤岡琢也に代わり岡倉大吉<主役>を演じていた)。
平成に入ってからは『ごくせん』にて主人公の祖父役で出演し、宇津井になじみの薄かった若い世代にも顔が知られた。
子供思いの父親・祖父役に当たり役が多く、「温厚で気が優しく根は熱血」といった役柄が多かった(悪役を演じることは滅多になかった)。
自宅にはトレーニングルームがあり、テレビショッピングで購入したトレーニング機器が沢山置かれている[3]。ただし有酸素運動は嫌いだという。また、ドラマの収録時の空き時間には持参した鉄アレイで体を鍛えていた[4]。座右の銘は「才能の器は小さい、努力の器は大きい」[5]。
2014年3月14日午後6時5分、愛知県名古屋市の病院にて慢性呼吸不全のため死去[6]。82歳没。2013年ころから肺気腫を患い、知人の医師が勤務する名古屋市の病院に通院していたが、死去の1週間程前から容態が急変、11日には緊急入院し処置を受けていた[7]。
2006年4月に最初の妻を亡くした。その後、一般女性と内縁関係を築くようになり、宇津井の死去当日にその女性と再婚していた。その女性が宇津井の告別式で喪主を務めた[8]。
宇津井の死去を受けて、主演ドラマ『ザ・ガードマン』の企業モデルとなったセコムがオフィシャルツイッターにて追悼コメントを発表し[9]、長年の親友だった仲代達矢が「私1人が取り残された」と故人を偲んだ[10]。墓所は川崎市春秋苑。
映画作品の遺作は、2013年8月31日公開『劇場版 タイムスクープハンター -安土城 最後の一日-』。テレビドラマの遺作は2013年5月27日、6月3日の2週にかけて前・後編で放送された『渡る世間は鬼ばかり 2013年スペシャル』であった。最後の渡鬼収録時は肺気腫の影響もあって呼吸が困難であったため、撮影の合間に呼吸器をつけて息を整えながら臨み、1分以上の長台詞も最小限に抑える配慮の下で無事に乗り切った。
2014年4月20日にテレビ朝日で放送された『相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜』において、エンディング場面で追悼のテロップが流された。5月1日、ホテルオークラ東京でお別れの会が開かれ、水谷豊、三浦友和ら1000人が出席した。
早稲田大学に入学直後、新宿で颯爽と馬に乗る同大学の馬術部員に惹かれ、馬術部に入部[11]。以来、乗馬歴は60年に及び、乗馬技術のみならず馬の習性・乗馬用具にも造詣が深く、日本の俳優の中でも、屈指の馬術の達人の一人として挙げられている[12]。上述の通り、乗馬のおかげで初主演を早々に得るなど、「役者としての幸運なスタートが切れたのも、ひとえに乗馬のおかげ」と語っている。映画・テレビドラマで乗馬のシーンでは愛馬を持ち込み撮影に臨むほどで、『武田信玄 (NHK大河ドラマ)』の第四回川中島の戦いでは、愛馬を駆っているシーンを観ることができる。
自身の愛馬はアメリカ合衆国やアラビアから輸入したものを自ら調教し、暇さえあれば愛馬を預けてある山梨県の牧場に通っていた[13]。70歳の時に妻が病気になったため、愛馬を手放し、一旦乗馬を止めたが、2011年11月22日に放送されたドキュメンタリー番組『旅のチカラ 「宇津井健80歳 馬上人生を過ぐ」』(NHKBSプレミアム)では10年ぶりに乗馬をした。かつて輸入したかったが、いろいろな障害で愛馬にできずに断念した、念願のアンダルシア馬で、1泊2日の乗馬旅をしている[14]。馬肉も食し「お皿の上に乗っかっている物を可哀想がっても仕方ない。おいしく頂く事が供養だ」と語っていた。
☆は大映テレビ制作作品。