安田 善治郎(やすだ ぜんじろう、1946年(昭和21年)8月1日 - )は、岐阜県羽島市出身のフィールドホッケー選手・監督である。
岐阜西工から明治大学に進学。大学4年で1968年メキシコシティーオリンピックの日本代表として出場して11位となる。
卒業後の1969年(昭和44年)に岐阜女商に赴任。インターハイ20回優勝の強豪に育て上げる。
その実績を買われ、1978年(昭和53年)から1982年(昭和57年)まで女子日本代表コーチを務める。1987年(昭和62年)からは監督に就任し、1990年(平成2年)W杯11位、アジア大会3位に成績を残し同年退任。
1996年(平成8年)県民栄誉賞を受賞。
2001年(平成13年)、女子日本代表監督に復帰。2004年(平成16年)のアテネオリンピックに導く。
五輪後、周囲から慰留もされたが、恩田昌史に禅譲し勇退。
2007年(平成19年)、男子日本代表コーチに就任。