みやだむら 宮田村 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(甲信越地方) | ||||
都道府県 | 長野県 | ||||
郡 | 上伊那郡 | ||||
市町村コード | 20388-2 | ||||
法人番号 | 5000020203882 | ||||
面積 |
54.50km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
8,361人 [編集] (推計人口、2024年9月1日) | ||||
人口密度 | 153人/km2 | ||||
隣接自治体 | 伊那市、駒ヶ根市、木曽郡上松町、木曽町 | ||||
村の花 | 梅の花 | ||||
特別シンボル | コマウスユキソウ | ||||
宮田村役場 | |||||
村長 | 小田切康彦 | ||||
所在地 |
〒399-4301 長野県上伊那郡宮田村98番地 北緯35度46分08秒 東経137度56分39秒 / 北緯35.76889度 東経137.94422度座標: 北緯35度46分08秒 東経137度56分39秒 / 北緯35.76889度 東経137.94422度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
宮田式農業で知られる。 木曽駒ヶ岳、千畳敷、宝剣岳など、中央アルプスの主要な山岳観光地を抱えている。 2019年3月、中央アルプスは中央アルプス国定公園となったが、宮田村は特別保護地区の80.6%を占めている。 また、津島神社の祇園祭は神輿を打ち壊す奇祭として知られている。
宮田村は大字の設定が無い自治体であり、住所表記時には「宮田村」の直後に番地を記載する。
村の西端には中央アルプスの最高峰である木曽駒ヶ岳がそびえ、東端に天竜川、南端に太田切川が流れており、東のなだらかな平野部と、西の駒ヶ岳まで至る深い山地からなっている。
宮田村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 宮田村の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 宮田村
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
宮田村(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
「中越式」で知られる中越遺跡に代表される多くの遺跡が物語るように、この地では、古くから人々が生活を営んできた。
村名は平安時代の律令に関する資料である「延喜式」や、百科事典的な資料「倭名類聚抄」の中に出てくる「宮田」による。 この時代は東山道の宮田駅が置かれ、この地方の中心地であった。
江戸時代は高遠藩に属して三州街道の宮田宿が置かれ、交通の要衝として信濃十五宿にも数えられて、伝馬や中馬の中継地点として、また近代以降は木曽駒ヶ岳の登山基地として賑わっている。
合併(後述)前の(旧)宮田村は、1954年に町制を施行し宮田町となっていた。 その後近隣町村と市町村合併し、(旧)駒ヶ根市となった。 当初は旧赤穂町(現駒ヶ根市)等の市制施行のための合併で、その後分立させる計画だったが、合併後に駒ヶ根市議会が否決。激しい住民運動の末、宮田村として分立した。 宮田町として復活せず、宮田村として復活したのは、この間に長野県の条例が改正により、町となる人口要件の変更が行われており、その条件を満たさなくなったためである。
村内に高等学校はない。県内の公立高校で第3学区(南信)の区域にあたる。
中心となる駅:宮田駅