富士屋ホテル | |
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![]() 本館(登録有形文化財) | |
ホテル概要 | |
正式名称 | 富士屋ホテル |
ホテルチェーン | 富士屋ホテルチェーン |
設計 |
山口仙之助(創業者) 山口正造(花御殿) 宮内省内匠寮(菊華荘) 中島健 (造園家)=庭園 石本建築事務所=改修(2018-2020)[1] |
施工 | 鹿島建設=改修(2018-2020)[3] |
運営 | 富士屋ホテル株式会社 |
所有者 | 富士屋ホテル株式会社 |
前身 | 藤屋旅館 |
レストラン数 | 5[2]軒 |
部屋数 | 120(改修前148)[2]室 |
スイート数 | 11室 |
敷地面積 | 25,089[2] m² |
延床面積 | 17,935[2] m² |
駐車場 | 112[2]台 |
開業 | 1878年7月15日 |
最寄駅 | 宮ノ下駅 |
最寄IC | 山崎インターチェンジ |
所在地 |
〒250-0404 神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下359 |
位置 | 北緯35度14分39.02秒 東経139度3分32.5秒 / 北緯35.2441722度 東経139.059028度座標: 北緯35度14分39.02秒 東経139度3分32.5秒 / 北緯35.2441722度 東経139.059028度 |
公式サイト | 公式サイト |
富士屋ホテル(ふじやホテル)とは、神奈川県箱根町の宮ノ下温泉にある、富士屋ホテル株式会社が経営する、1878年(明治11年)創業の老舗ホテル。現在は国際興業グループに属している。日本初の本格的リゾートホテルとして箱根・宮ノ下に誕生した。創業者の山口仙之助が築いた一棟の洋館は、数々の増改築を経て、箱根を象徴する壮大な建築群のホテルとなった。自然災害を含む幾多の大難をも乗り越え、平成9年(1997年)には建物の多くが登録有形文化財に。そして、2年以上に及ぶ大改修を経て、令和2年(2020年)に新生した。
国道1号に面しており、年始の箱根駅伝中継では選手の位置関係を表現する際に使われることもある箱根のランドマーク的な存在。現存する本館は唐破風を取り入れた和洋折衷の木造建築であり、明治の建築様式を現代に伝えている。
創業者である山口仙之助は「外国人の金を取るをもって目的とす」[4]という言葉を残し、「外国人を対象とした本格的なリゾートホテル」をめざしたという。古くは宿泊客に外国人が占める割合が高く、19世紀末に外国人専用ホテルに指定されたほか、戦後しばらくは連合国軍専用であった時期もあったこともあり、日本文化を伝える展示や工夫がされている。
山口仙之助は箱根の発展に力を注ぎ、私費で道路を開いたり水力発電の会社も立ち上げた。3代目の山口正造は乗合バスの運行もはじめた。山口正造はホテルマンの育成にも力を注ぎ、1930年(昭和5年)富士屋ホテルトレイニングスクールを立ち上げている。このスクールは山口正造の死により途絶えたが、のちに立教大学観光学部設立によりその意志が引き継がれている。
昭和天皇やタイ国王、オーストリア皇太子などの皇族、王族が宿泊しているほか、ウィンストン・チャーチルやヘレン・ケラー、チャーリー・チャップリンなど、箱根を訪れる国内外の多くの著名人に愛用されている。また別館にはジョン・レノンとオノ・ヨーコが滞留していたこともあり、ホテル内ツアーで宿泊した部屋を見学することができる。
また、第二次世界大戦末期の1945年には、東京への連合国軍機による空襲を避けたドイツや満洲国、汪兆銘政権などの同盟国の大使館員及び武官などの宿舎としても使用された。
一部の客室設備や共同部などは一度もリニューアルされず、竣工当時の面影を残しながら営業を続けていた。設備や建物の老朽化に伴い、2018年3月31日を以って一時的に休業。大浴場の設置や建物の耐震改修工事・一部の食堂棟の建て替えを行い、2020年7月15日にグランドオープンした[2]。