とみやし ![]() 富谷市 | |||||
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国 |
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地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 宮城県 | ||||
市町村コード | 04216-1 | ||||
法人番号 | 1000020042161 | ||||
面積 |
49.18km2 | ||||
総人口 |
51,611人 [編集] (推計人口、2025年2月1日) | ||||
人口密度 | 1,049人/km2 | ||||
隣接自治体 | 仙台市、黒川郡大和町、宮城郡利府町 | ||||
市の木 | マツ | ||||
市の花 | キク | ||||
富谷市役所 | |||||
市長 | 若生裕俊 | ||||
所在地 |
〒981-3392 宮城県富谷市富谷坂松田30番地 北緯38度24分00秒 東経140度53分43秒 / 北緯38.399936度 東経140.895303度座標: 北緯38度24分00秒 東経140度53分43秒 / 北緯38.399936度 東経140.895303度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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ウィキプロジェクト |
富谷市(とみやし)は、宮城県中部に位置する市。1970年代から仙台市の北側郊外のベッドタウンとして発展している。
市境の内、南辺を仙台市と、東辺の一部を宮城郡利府町と共有し、それ以外の東・北・西を黒川郡大和町に囲まれる(黒川郡#近代以降の沿革参照)。仙台との境は旧宮城郡と黒川郡を分ける分水嶺となっており、市内を流れる河川は全て北流して大和町の吉田川へと流れ込む。市内は、富谷丘陵と、複数の吉田川支流がつくり出す河川沿いの細長い谷底平野で構成される。
江戸時代初期に、西川(吉田川支流)の右岸(南岸)の奥州街道沿いに富谷宿(北緯38度23分55.3秒 東経140度53分7.6秒 / 北緯38.398694度 東経140.885444度)が設置された。この宿場は「富谷新町」「富谷新町宿」とも呼ばれた。現在、市役所など公共施設が集中する市の中心部は旧「富谷新町」の北側、西川(吉田川支流)の左岸(北岸)に広がっており、旧宿場も含めて「しんまち地区」と呼ばれている。
市内北部に、奥州街道・富谷宿からの中心部、低地の農業地帯(2015年農家数は241戸[1])が広がる。また、西部を縦断する国道4号沿いを中心に郊外ショッピングセンターやロードサイド店舗、工場・流通企業が集積し、南西部にかけての丘陵地帯にニュータウンが広がる。
富谷市は、仙台市都心部、あるいは泉中央を中心とした商圏に含まれているが、泉区内から続く国道4号(奥州街道、陸羽街道)沿いのロードサイド店舗開発が市内にも及び、イオンモール富谷、コストコ富谷倉庫店などの大規模商業施設の開発が行われて、隣接地域からの集客力が大きく増している。
増加 10.0 % 以上 7.5 - 9.99 % 5.0 - 7.49 % 2.5 - 4.99 % 0.0 - 2.49 % | 減少 0.0 - 2.5 % 2.5 - 5.0 % 5.0 - 7.5 % 7.5 - 10.0 % 10.0 % 以上 |
本市は、仙台都市圏におけるベッドタウン機能を担うことで人口増を実現してきた(#住宅地開発参照)。新興住宅地は1971年(昭和46年)の東向陽台を皮切りに、国道4号沿いの丘陵地に次々造られた。新興住宅地は、市の総面積の18%を占めるに過ぎないが、全市民の9割以上が居住する。
1991年(平成3年)の将監トンネルの開通[2]、および、1992年(平成4年)の仙台市地下鉄南北線・泉中央駅開業とバスターミナル設置で仙台市都心部までの所要時間が大幅に短縮したため、バブル崩壊後の失われた10年においても人口増は衰えず、地価も上昇し続けた。地価は1999年(平成11年)頃をピークに低下し始めたが、その分、安くマイホームが得られる魅力と、トヨタ自動車東日本を初めとする大松沢丘陵やその周辺の工場集積地(黒川郡大和町・大衡村)への通勤に便利な立地であるため、人口増加が続いている。
平成の大合併期には仙台市との合併、黒川郡内での合併、単独町制などの選択肢が議会で議論された[3]が、本市は2013年(平成25年)には推計人口で単独市制人口要件の5万人に達すると予測されたため、「合併しない宣言」を出し、単独町制を維持して市制を施行する道を選択した[4][5]。単独市制人口要件は法定人口を根拠とするため、2015年(平成27年)国勢調査後の2016年(平成28年)4月に市制施行を目指すと町長が町議会で表明[5]し、2009年(平成21年)12月には「市制検討プロジェクトチーム」を発足させた。住民基本台帳人口では2012年(平成24年)12月25日[6]、推計人口では2013年(平成25年)8月1日[7]に5万人を突破し、2015年(平成27年)国勢調査でも5万人以上となったため、2016年(平成28年)10月10日付で単独市制を施行して、宮城県下14番目の市となった[8]。
仙台市の北側の隣接した内陸に位置しているために、海洋性の影響を受ける仙台市宮城野区にある仙台管区気象台とは異なり気候は内陸性気候の特徴が出て冷涼・寒冷である。冬季は、日本海側の雪雲の影響も受けやすく積雪も少なくない。
原則は、「黒川郡富谷町」が「富谷市」に変わっただけだが、以降の部分は次のように変更された[9][10]。
富谷市域は新興住宅地の開発に伴い、人口が急増している。下図の人口統計によると、1970年(昭和45年)には4,912人であった人口が、2015年(平成27年)には51,591人と、45年間で10倍以上にまで増加している。また、平均年齢は40.9歳(2015年(平成27年)国勢調査、当時は富谷町。小数第2位を四捨五入[11])と、全国の46.4歳[12]に比べ非常に低い平均年齢である。
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富谷市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 富谷市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 富谷市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
富谷市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
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伊達政宗の御鷹場があったといわれる。また、可愛がっていた鷹が鷹狩中に死んでしまったために、甕(かめ)に入れて丁重に埋葬したという言い伝えのある『甕杉』も存在している。(地元では「亀杉」と云われる。鷹乃杜地域内)
昔々富谷のある山里に、 お政という絶世の美女がいた。お政に求婚する者は数多く、紫太夫もその中の一人だった。
ある日おまさが修験者に占ってもらうと「その美男こそ魔性のものに違いない」と言って、ある秘策を授けた。その夜も、求婚しに来た男に「明日の夜はっきりと返事をいたします」と言い、お政は男の着物の裾にそっと糸を縫いつけた。
翌朝糸をたどってみると、それは大きな木の洞の中に続いており、そこで初めて、紫太夫が大蛇の化身であることがわかった。
その夜、おまさは修験者に言われたとおり男に言った。「熊谷の源内にある大きな木にコウノトリの巣がある。その巣から卵をとってきてくれたら、あなたと結婚しよう」。紫太夫はいつになく寂しそうな表情を見せ、それ以後おまさを訪ねてくることはなくなった。
数日後、その噂を聞いた里人たちが源内にある大きな木に行った。するとそこには、バラバラに切断された大蛇の死骸があった。あの夜、大蛇は卵を奪うためにコウノトリと格闘になったのだ。大蛇が卵をかかえたコウノトリをぐるぐる巻きにした瞬間、コウノトリは自慢の羽をはばたかせて大蛇を殺した。大蛇の体は十個の破片となって飛び散った。里人たちは「大蛇は命がけで娘を愛していだんだねぇ…かわいそうだごど…」と、十個の死骸を十ヶ所に葬り、それぞれに宮を建て、ねんごろに弔った。
その10の神社を「十宮」と呼んでいたのが、「富谷」と書かれるようになったといわれている[22]。
歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 備考 |
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初代 | 山本良盛 | 1889年4月 | |
2代 | 佐々木久四郎 | 1890年2月 | |
3代 | 内ヶ崎儀左衛門 | 1894年10月 | |
4代 | 安藤林左衛門 | 1898年5月 | |
5代 | 奈良坂権六 | 1914年7月 | |
6代 | 高平久吉 | 1922年9月 | 在職中死去 |
7代 | 安藤林左衛門 | 1927年3月 | |
8代 | 内ヶ崎昇 | 1929年7月 | |
9代 | 山田儀三郎 | 1937年9月 | |
10代 | 内馬場歳之助 | 1941年9月 | |
11代 | 大友順治 | 1945年11月 | |
12代 | 山田儀三郎 | 1951年5月 | |
13代 | 内ヶ崎康治 | 1955年5月 |
歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 備考 |
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初代 | 内ヶ崎康治 | 1963年4月 | |
2代 | 浅野重雄 | 1967年4月 | |
3代 | 若生照男 | 1983年4月 | 在職中死去 |
4代 | 若生英俊 | 2007年2月11日 | |
5代 | 若生裕俊 | 2015年2月12日 |
歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 備考 |
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初代 | 若生裕俊 | 2016年10月10日[27] |
(総務省統計局 平成12年国勢調査)
以下は富谷市に本社を置く(置いた)企業の一部(※アイウエオ順)
※江戸時代には富谷宿付近で茶が盛んに栽培されていた。
市内に本店を置く金融機関は存在しない。以下は支店の一覧である。
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画像外部リンク | |
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現時点で富谷市に鉄道路線は存在しない。富谷市は宮城県内で鉄軌道線が通っていない唯一の市である。最寄り駅(バス乗継割引適用駅)は、仙台市泉区の仙台市地下鉄南北線の八乙女駅および泉中央駅である。
富谷村時代には仙台軌道(1926年に仙台鉄道に改称)が通っていた[36][37][38][39][40][41]。1923年(大正12年)、当時の富谷村北部に志戸田駅が開業した。仙台軌道には旧・富谷宿(現・しんまち地区)に最寄りの富谷駅も同時に開業したが、この駅の所在地は宮床村(現・大和町小野字向原)だった。1950年(昭和25年)に台風被害で運行休止となり、そのまま廃止された。
1992年(平成4年)、仙台市は仙台市地下鉄南北線の泉区泉ヶ丘までの延伸を調査した[42]。また、黒川郡の首長および議長で組織する「緑の未来産業都市くろかわ建設推進協議会[43]」も、1993年(平成5年)度および1994年(平成6年)度に「新交通システム事業化計画調査」を行い[44]、泉中央駅から北上して仙台北部中核工業団地[45]に至り、そこから東に向かって大郷町を経由し、さらに南下して宮城郡利府町のJR利府線の利府駅に接続する約40キロメートルの区間を調査・検討した[46][47]。しかし、開業目標の2020年(令和2年)に黒川郡の人口が13万8559人まで増加すると仮定しても[注 2]、最も人口が集中する富谷町(当時)の区間でさえ採算がとれないとして、延伸構想は棚上げされた[46][47]。
2002年(平成14年)2月、黒川郡4町村が2025年(令和7年)には20万9873人まで人口が増加するとの仮定の上で、軌道を中心とした郡内の公共交通機関の将来像の報告書を公表した[46][47][48][49]。その報告書では、最も実現性が高いとされた泉中央 - 泉ヶ丘 - 大衡の建設費が、地下鉄南北線延伸で530億円、ライトレール新設で468億円であり、これに大郷町や利府町を何らかの形でつないで循環するとした[49]。しかし、仙台市は1999年(平成11年)に「アクセス30分構想[50]」を策定して、都心回帰やコンパクトシティを志向するようになっており、地下鉄南北線延伸には消極的だった[46][47]。
仙台北部中核工業団地やその周辺では、2007年(平成19年)にセントラル自動車(現・トヨタ自動車東日本)が進出を表明すると、関連企業や電子機械工業の進出が次々発表された。2009年(平成21年)に開催された「緑の未来産業都市くろかわ建設推進協議会」の同年度総会で、企業の従業員の足を確保するためとして、2002年(平成14年)公表の報告書で示された構想の推進を各首長などが求めた[49]。しかし、宮城県も仙台市も費用対効果を疑問視して、この構想の推進に否定的だった[49]。2015年(平成27年)の富谷町長選挙において、泉中央駅から富谷町までのライトレール設置を公約に掲げた若生裕俊が当選したが、この公約は仙台市との具体的な話し合いに基づくものではなかった[51][52]。
このような中、2019年に富谷市は都市・地域総合交通戦略(基本構想)を策定し[53]、2020年には都市・地域総合交通戦略総合(基本計画)として仙台市地下鉄南北線の泉中央駅から富谷市明石台地区までの約3.4km区間を最重要課題と位置づけ、地下鉄整備またはガイドウェイトランジット整備を掲げている[54]。2021年には地下鉄整備に向けて、地下鉄整備を想定した際の基本計画や費用便益分析、PFI方式による整備手法の検討調査を行っている[55]。2024年11月の第3回市地域公共交通活性化協議会においては、地下鉄だけでなくBRTや、都市索道での導入も検討していくとした[56][57][58]。
国勢調査による人口は、戦前が約4千人、戦後は1963年(昭和38年)の町制施行があっても1970年(昭和45年)まで約5千人だった[63]。
1971年(昭和46年)、仙台市に近い市域南辺の泉市(現・仙台市泉区)との市町境となっている丘陵地に向陽台団地(泉市内の住所は「向陽台」、当町の住所は「東向陽台」)が造成され、分譲が始まった[64]。さらに次々と町内の丘陵地に新興住宅地が造られ、人口が急増。1977年(昭和52年)には人口が1万人を突破[65]、1986年(昭和61年)には2万人を突破[66]、1995年(平成7年)には3万人を突破[67]、2004年(平成16年)には4万人を突破[67]、2013年(平成25年)には5万人を突破した[7]。
このような人口急増により、1985年(昭和60年)の国勢調査から人口増加率の全国番付で上位に顔を出すようになり、人口集中地区 (DIDs) が町内にも設定されるようになった[63]。さらに2000年(平成12年)にDIDが2地区に増え、2010年(平成22年)には合計3地区となった。(富谷I:富ヶ丘、鷹乃杜、日吉台の一部、富谷II:東向陽台、明石台の一部)(富谷Ⅲ:成田の一部)
市内の大規模戸建用住宅団地の沿革・規模等は以下の表の通り[64]。2011年(平成23年)1月末日現在の住民基本台帳による人口および戸数も付記した[64]。計画戸数に対し現戸数は約95%が充足している計算だが、核家族を想定して各戸3-4人で計画人口が算出されているため、家族の形も変化した現在では人口の充足率は7割を超える程度である[64]。
2011年(平成23年)1月末日現在の当町の住民基本台帳による人口は47,981人[68]であるため、町の面積の約18%を占める下記の新興住宅地の住民は全町民の 91.6 % におよぶことになり、当町が「ベッドタウン」と呼ばれる所以となっている。なお、下記の新興住宅地以外に住む町民の同月の人口は4,016人であるため、奥州街道の宿場町「富谷宿」や農村部という、旧来からの居住地の人口は新興住宅地が分譲開始される前の1970年(昭和45年)当時より減っていると見られる。
開発地区名 | 住所 表記 |
位置 | 面 積 (ha) |
開発時期 | 分譲時期 | 計画戸数 (戸) |
現戸数 (戸) |
戸数 充足率 |
計画人口 (人) |
現人口 (人) |
人口 充足率 |
備考 |
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合計 | 882.4 | 1970年6月 | 2003年7月 | 15,806 | 14,932 | 94.5% | 60,727 | 43,965 | 72.4% | |||
向陽台団地 | 東向陽台 | 北緯38度20分26.6秒 東経140度54分4.2秒 | 45.5 | 1970年6月 | 1971年10月 | 1,270 | 1,278 | 100.6% | 4,700 | 3,272 | 69.6% | 泉市(現・仙台市泉区)側は向陽台団地「向陽台」 |
鷹乃杜団地 | 鷹乃杜 | 北緯38度22分0.4秒 東経140度52分15.5秒 | 32.9 | 1972年1月 | 1973年8月 | 1,120 | 978 | 87.3% | 4,144 | 2,582 | 62.3% | |
富谷ニュータウン | 太子堂 | 北緯38度24分41.2秒 東経140度53分24.8秒 | 20.2 | 1972年4月 | 1974年2月 | 550 | 456 | 82.9% | 2,035 | 1,245 | 61.2% | |
富ヶ丘ニュータウン[注 1] | 富ヶ丘 | 北緯38度21分53.4秒 東経140度51分59.3秒 | 55.4 | 1973年2月 | 1974年7月 | 1,419 | 1,698 | 119.7% | 5,250 | 4,324 | 82.4% | 泉市(現・仙台市泉区)側は泉ヶ丘ニュータウン「泉ヶ丘」 |
あけの平団地 | あけの平 | 北緯38度22分47.9秒 東経140度52分30.3秒 | 57.7 | 1980年1月 | 1983年8月 | 1,573 | 1,508 | 95.9% | 5,820 | 4,269 | 73.4% | |
ひより台団地 | ひより台 | 北緯38度24分15.6秒 東経140度53分2.7秒 | 62.1 | 1980年11月 | 1985年9月 | 1,118 | 937 | 83.8% | 4,137 | 2,561 | 61.9% | |
南富谷サニータウン | とちの木 | 北緯38度23分17.2秒 東経140度52分54.4秒 | 10.6 | 1982年4月 | 1984年4月 | 276 | 435 | 157.6% | 1,172 | 1,181 | 100.8% | |
パルタウン大富 | 日吉台 | 北緯38度22分36.7秒 東経140度52分2.5秒 | 61.3 | 1986年8月 | 1988年7月 | 1,268 | 1,228 | 96.8% | 5,072 | 3,617 | 71.3% | 大和町側はパルタウン大富「もみじヶ丘」 |
グランヒル明石台 | 明石台 | 北緯38度20分55.4秒 東経140度53分28.5秒 | 106.2 | 1987年2月 | 1989年11月 | 2,280 | 2,234 | 98.0% | 8,960 | 7,222 | 80.6% | 仙台市泉区側はグランヒル明石台「明石南」 |
グリーンヒル | 川又山 | 北緯38度24分28秒 東経140度52分51.4秒 | 7.1 | 1988年11月 | 1991年6月 | 166 | 153 | 92.2% | 664 | 505 | 76.1% | |
新富谷ガーデンシティ | 成田 | 北緯38度21分49.5秒 東経140度53分29.4秒 | 255.2 | 1988年1月 | 1995年5月 | 2,750 | 2,586 | 94.0% | 11,000 | 8,506 | 77.3% | |
清水仲団地 | 清水仲 | 北緯38度23分49.3秒 東経140度53分42秒 | 8.8 | 1995年2月 | 1999年4月 | 135 | 179 | 132.6% | 540 | 512 | 94.8% | |
ハーモニータウン富吉台/杜のまち | 杜乃橋 | 北緯38度23分7.7秒 東経140度52分14.2秒 | 36.5 | 1995年4月 | 1998年7月 | 700 | 337 | 48.1% | 2,800 | 1,093 | 39.0% | 大和町側はハーモニータウン杜のまち「杜乃丘」 |
シンフォニータウン上桜木 | 上桜木 | 北緯38度21分37.7秒 東経140度52分37.3秒 | 61.8 | 1999年1月 | 2003年7月 | 531 | 331 | 62.3% | 2,158 | 1,065 | 49.4% | |
とみや大清水21 | 大清水 | 北緯38度22分5.6秒 東経140度52分40秒 | 61.1 | 2000年10月 | 2003年5月 | 650 | 594 | 91.4% | 2,275 | 2,011 | 88.4% |
富谷市で利用されている市内局番は次のとおり。