寿都郡(すっつぐん)は、北海道(後志国)後志総合振興局の郡。
人口5,076人、面積440.9km²、人口密度11.5人/km²。(2024年12月31日、住民基本台帳人口)
以下の2町を含む。
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。
江戸時代、寿都郡域は和人地となる。松前藩によってスツツ場所が開かれ、寛永4年4月には寿都神社が創建されている。
陸上交通は、沿岸部に渡島国から天塩国増毛郡へ至る道(国道229号の前身)が通じ、また胆振国山越郡からの道はもともと寛政・文化年間よりもあとに黒松内在住の利右衛門が木賃宿と渡船を営んでいたが、安政年間に黒松内越(道道寿都黒松内線の前身)が開削され、これは黒松内を通り追分で分岐しそれぞれ寿都と歌棄郡に通じていた。黒松内越は歌棄場所請負人桝屋栄五郎の父・定右衛門が黒松内以北を、黒松内以南は箱館弁天町の福治郞、千代田の才太郎の2人が工事を請け負っている。海上交通は北前船の航路も開かれていた。
江戸時代後期の文化4年には、寿都郡域は天領とされた。文政4年には松前藩の元に戻されたものの、安政2年再び天領となり、津軽藩が寿都に出張陣屋を築き警固にあたった。安政6年の6藩分領時から戊辰戦争までは津軽藩領となっていた。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して寿都郡が置かれた。郡の成立時、東に隣接する歌棄郡とは朱太川で境界を成し、緑橋より上流の黒松内地区は当初胆振国虻田郡に属していた。