小林光一 名誉三冠 | |
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名前 | 小林光一 |
生年月日 | 1952年9月10日(72歳) |
プロ入り年 | 1967年 |
出身地 | 北海道旭川市 |
所属 | 日本棋院東京本院 |
師匠 | 木谷實 |
名誉称号 | 名誉三冠 |
名誉称号 | 名誉棋聖・名誉名人・名誉碁聖 |
概要 | |
タイトル獲得合計 | 60(歴代4位) |
七大タイトル合計 | 35(歴代3位) |
七大タイトル | |
棋聖 | 8期 (1986-93) |
名人 | 8期 (1985・88-94) |
本因坊 | 挑戦者 (1982・90-92) |
王座 | 挑戦者 (1985・92) |
天元 | 5期 (1976・85-86・98-99) |
碁聖 | 9期 (1988-93・99・01-02) |
十段 | 5期 (1984-86・99-00) |
世界タイトル | |
富士通杯 | 優勝 (1997) |
小林 光一(こばやし こういち、1952年9月10日 - )は、囲碁のプロ棋士。名誉棋聖、名誉名人、名誉碁聖。北海道旭川市出身。東京都小金井市在住。木谷實九段門下。日本棋院東京本院所属。前妻の小林禮子(1996年逝去)との間に一男一女、後妻との間にも子どもがいる。長女小林泉美、娘婿の張栩、孫の張心澄、張心治もプロの囲碁棋士。門下に河野臨、大矢浩一、酒井真樹、大木啓司、金澤秀男、桑原陽子、穂坂繭がいる。
タイトル獲得数歴代4位。棋聖8連覇、名人7連覇、碁聖6連覇など、数々のタイトル連覇記録を樹立し、歴代2位の3つの名誉称号を持つ。棋道賞「最優秀棋士賞」7回(歴代3位タイ記録)、秀哉賞7回。6年連続賞金ランキング1位(1988-1993)。史上3人目の通算1400勝達成。
2006年から2007年5月まで、日本棋院副理事長を務めた。
1963年、木谷實が弟子の加藤正夫(現名誉王座、この時は初段)・佐藤昌晴・宮沢吾朗(共に現九段)・伊藤明雄を連れて旭川へ指導巡業に来た際、旭川囲碁会館を経営していた地方棋士の早勢勝美に紹介され木谷と会う[1]。この頃小林は道内の大会で優勝し、天才少年と新聞などにとりあげられていた。宮沢に4子、伊藤に2子で打ってもらい木谷道場への入門が許された。しかしこの数ヶ月後、木谷は二度目の脳溢血で倒れた。脳溢血は2回目は回復しない場合が多く危険な状態だった。こんな中でなぜ弟子にしてくれたのか木谷の4女に後年聞くと、自分の具合が悪く現役の棋士としてはもう無理なので最後のひと頑張りで弟子を育てようとしたという。
1965年 四谷木谷道場に入門。内弟子になった最初の日に、腰におもちゃのピストルをぶら下げた子供が部屋や廊下あたりを走り回っていた。小林は近所の子が紛れ込んだと思っていたが、これが当時8歳でのちにタイトル戦でライバルとなる趙治勲(後の二十五世本因坊治勲)だった[2]。既に旭川代表になるまでの実力だった小林だが、入門してすぐ佐藤昌晴に3子で負かされ、天狗の鼻を折られた。さらに定先くらいの手合で1、2歳年上の小林より8歳の趙治勲のほうが強いことに小林はショックをうけた。道場では趙治勲と同じ部屋に住んだ。内弟子時代には加藤正夫(現名誉王座)によく打ってもらった[3]。
1967年 プロ試験合格。入段。同年、二段に昇段。1968年 三段に昇段。1969年 四段に昇段。1970年 五段に昇段。1971年 六段に昇段。1973年 七段に昇段。
1974年 13歳年上の女流棋士 木谷禮子(師匠木谷の三女)と結婚。
1976年 八段に昇段。
1977年 第2期天元戦で杉内雅男九段を3-1で下し初のビッグタイトル天元戦優勝。長女泉美誕生。この頃弟子を受け入れ始める。木谷師匠の婿であるため木谷道場に入門を希望していた子どもたちを任される流れになった[3]。1978年 (26歳) 九段に昇段。
1982年 本因坊戦挑戦。
1984年 第22期十段戦で兄弟子の加藤正夫十段を3-2で破り初の十段位、二度目の公式タイトルに就く(以降、三連覇)。
1985年 第10期名人戦でライバル趙治勲名人に挑戦し4―3で破り初の名人位に就く。同年、第11期天元戦で兄弟子の石田芳夫天元を3-0で破りタイトル奪取。第23期十段戦で兄弟子の大竹英雄九段を3-0で破り防衛。賞金ランキング1位。
1986年 第10期棋聖戦で趙治勲棋聖を4-2で破り棋聖奪取。趙治勲棋聖の四連覇を阻止。一気に四冠王となる。第24期十段戦で武宮正樹九段を3-0で破り防衛。第33期NHK杯優勝。賞金ランキング1位。
1987年 第11期棋聖戦で武宮正樹本因坊を4-1で破り防衛。
1988年 第12期棋聖戦で加藤正夫名人を4-1で破り防衛。第13期碁聖戦で加藤正夫九段を3-0で破りタイトル奪取。第13期名人戦で加藤正夫名人を4-1で破りタイトル奪取。この時期、日中名人戦などで対戦した中国棋士をことごとく降し、中国では「鬼小林」と呼ばれ恐れられた。賞金ランキング1位。
1989年 第13期棋聖戦で武宮正樹本因坊を4-1で破り防衛。第14期碁聖戦で今村俊也八段を3-1で破りタイトル防衛。第14期名人戦で淡路修三九段を4-1で破りタイトル防衛。
1990年 第14期棋聖戦で大竹英雄IBM杯を4-1で破り防衛。5連覇で名誉棋聖の資格を得る第15期碁聖戦で小林覚九段を3-0で破りタイトル防衛。第15期名人戦で大竹英雄九段を4-2で破りタイトル防衛。賞金ランキング1位。
1991年 第15期棋聖戦で加藤正夫王座を4-3で破り防衛。第16期碁聖戦で小林覚九段を3-2で破りタイトル防衛。第16期名人戦で林海峯天元を4-1で破りタイトル防衛。賞金ランキング1位。
1992年 第16期棋聖戦で山城宏九段を4-3で破り防衛。第17期碁聖戦で小林覚九段を3-1で破りタイトル防衛。第17期名人戦で大竹英雄九段を4-3で破りタイトル防衛。各五連覇により名誉名人・名誉碁聖の資格を得る。本因坊戦、王座戦挑戦。賞金ランキング1位。
1993年 第17期棋聖戦で加藤正夫九段を4-3で破り防衛。8連覇達成。第18期名人戦で大竹英雄九段を4-1で破り防衛。6連覇達成。第18期碁聖戦で林海峯九段を3-0で破り防衛。6連覇達成。賞金ランキング6年連続1位。[4]
1994年 第19期名人戦で林海峯天元を4-0で破り防衛名人七連覇。1995年 NEC杯優勝。
1997年 世界囲碁選手権富士通杯優勝。同年竜星戦優勝。名人戦挑戦。1998年 15歳年下の女性と再婚。天元位奪取
1999年 第37期十段戦で彦坂直人十段を3-0で破り十段位奪取、さらに第24期碁聖戦で依田紀基碁聖3-2で破り碁聖奪取。第25期天元戦で工藤紀夫九段を3-0で破り天元防衛同年、阿含・桐山杯優勝。棋聖戦挑戦。
2000年 第38期十段戦で中野寛也九段を3-0で破り十段位防衛。
2001年第26期碁聖戦で山下敬吾碁聖を3-2で破り碁聖奪取。2002年 (50歳) 碁聖防衛。第11期竜星戦優勝。本因坊リーグ入り。
2003年 第12期竜星戦優勝。長女泉美、張栩と結婚。2004年 第51期NHK杯優勝。NEC杯優勝。史上初の父娘対決(後掲)2006年 日本棋院副理事長(-2007年)
2011年 第36期棋聖戦リーグ入り。第1回囲碁マスターズカップ準優勝。
2012年 9月10日に満60歳の誕生日を迎え、名誉棋聖・名誉名人・名誉碁聖を名乗る(普段は序列が上の名誉棋聖で記載される。メディアなどでは名誉三冠とも記載されている[5])。名誉名人を名乗るのは、囲碁界初であった。
2016年 第6回囲碁マスターズカップ優勝。
棋戦 |
三大タイトル |
他七大タイトル |
国際タイトル |
他大会 |
タイトル | 年 | ||
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優勝 | 1 | 新鋭トーナメント戦 | 1972 |
優勝 | 2 | 首相杯争奪戦 | 1972 |
優勝 | 3 | 早碁選手権戦 | 1973 |
優勝 | 4 | 首相争奪杯 | 1974 |
優勝 | 5 | 新鋭トーナメント戦 | 1975 |
優勝 | 6 | 首相争奪杯 | 1976 |
優勝 | 7 | 新人王戦 | 1976 |
優勝 | 8 | 新人王戦 | 1977 |
奪取 | 9 | 天元 | 1977 |
優勝 | 10 | 早碁選手権戦 | 1982 |
奪取 | 11 | 十段 | 1984 |
防衛 | 12 | 十段 | 1985 |
奪取 | 13 | 名人 | 1985 |
奪取 | 14 | 天元 | 1985 |
奪取 | 15 | 棋聖 | 1986 |
優勝 | 16 | NHK杯 | 1986 |
防衛 | 17 | 十段 | 1986 |
防衛 | 18 | 天元 | 1986 |
防衛 | 19 | 棋聖 | 1987 |
優勝 | 20 | 早碁選手権戦 | 1987 |
防衛 | 21 | 棋聖 | 1988 |
奪取 | 22 | 碁聖 | 1988 |
奪取 | 23 | 名人 | 1988 |
防衛 | 24 | 棋聖 | 1989 |
防衛 | 25 | 碁聖 | 1989 |
防衛 | 26 | 名人 | 1989 |
防衛 | 27 | 棋聖 | 1990 |
防衛 | 28 | 碁聖 | 1990 |
防衛 | 29 | 名人 | 1990 |
防衛 | 30 | 棋聖 | 1991 |
防衛 | 31 | 碁聖 | 1991 |
防衛 | 32 | 名人 | 1991 |
防衛 | 33 | 棋聖 | 1992 |
防衛 | 34 | 碁聖 | 1992 |
防衛 | 35 | 名人 | 1992 |
防衛 | 36 | 棋聖 | 1993 |
防衛 | 37 | 碁聖 | 1993 |
防衛 | 38 | 名人 | 1993 |
優勝 | 39 | 鶴聖戦 | 1994 |
防衛 | 40 | 名人 | 1994 |
優勝 | 41 | NECカップ | 1995 |
優勝 | 42 | 富士通杯 | 1997 |
優勝 | 43 | 鶴聖戦 | 1997 |
優勝 | 44 | 竜星杯 | 1997 |
優勝 | 45 | 早碁選手権戦 | 1997 |
奪取 | 46 | 天元 | 1998 |
優勝 | 47 | NEC杯 | 1999 |
奪取 | 48 | 十段 | 1999 |
奪取 | 49 | 碁聖 | 1999 |
優勝 | 50 | 阿含桐山杯 | 1999 |
防衛 | 51 | 天元 | 1999 |
防衛 | 52 | 十段 | 2000 |
優勝 | 53 | 鶴聖戦 | 2001 |
奪取 | 54 | 碁聖 | 2001 |
防衛 | 55 | 碁聖 | 2002 |
優勝 | 56 | 竜星杯 | 2002 |
優勝 | 57 | 竜星杯 | 2003 |
優勝 | 58 | NEC杯 | 2004 |
優勝 | 59 | NHK杯 | 2004 |
優勝 | 60 | マスターズ戦 | 2016 |
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全盛時代に多用した小林流布石は好成績を挙げ、世界で流行布石となった。味や含みを残さず、早々と部分部分の形を決めて打つ「決め打ち」は有名。
木谷實九段 | |||||||||||||||||||||||
禮子 元女流名人 | 小林光一 名誉三冠 | ||||||||||||||||||||||
小林泉美 元女流二冠 | 張栩 元五冠 | ||||||||||||||||||||||
張心澄 | 張心治 | ||||||||||||||||||||||
趙治勲とは1980年代から90年代にかけて幾度となくタイトル戦で激突し、囲碁界において「小林・趙時代」を作った。対局は129局(2011年現在)に及び、同一カードとしては史上最多。対戦成績はほぼ五分(2011年現在で小林の63勝66敗)で、現代碁界きってのライバル関係にある。なお、若手時代は石田・加藤・武宮の「黄金トリオ」に対して、趙・小林は「シルバーコンビ」と呼ばれた[8]。
本因坊戦には過去4回登場しているが、すべて趙に敗れ、いまだ獲得に至っていない。特に1990年から三年連続の挑戦は、ことごとく趙の大逆転勝利に終わり、大三冠達成を阻まれた(それぞれ2-0、3-1、3-0からの逆転負け)。「大一番に好局なし」という言葉を覆したこのドラマチックな七番勝負は、現代日本囲碁界のハイライトともいわれている。
他
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棋聖 | 十段 | 本因坊 | 碁聖 | 名人 | 王座 | 天元 | 他棋戦 | 棋道賞 | 備考 | ||
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棋聖戦 1-3月 |
十段戦 3-4月 |
本因坊戦 5-7月 |
碁聖戦 6-8月 |
名人戦 9-11月 |
王座戦 10-12月 |
天元戦 10-12月 |
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1972年 | 新銳首相杯 | 新人 | |||||||||
1973年 | 早碁 | 殊勲 | |||||||||
1974年 | 首相杯 | 敢闘 | |||||||||
1975年 | 新銳 | 連 | |||||||||
1976年 | 杉内雅男3-1 | 新人王首相杯 | 敢闘 | ||||||||
1977年 | 新人王 | 殊勲 | |||||||||
1978年 | |||||||||||
1979年 | リーグ入り | ||||||||||
1980年 | 5位 | ||||||||||
1981年 | 5位 | 加藤正夫2-3 | 技能 | ||||||||
1982年 | 趙治勲oxoxxx | 3位 | 早碁 | 勝 | |||||||
1983年 | 4位 | ||||||||||
1984年 | 加藤正夫3-2 | プレーオフ | 勝 殊勲 | 4位 | |||||||
1985年 | 大竹英雄3-0 | 趙治勲oxooxxo | 加藤正夫0-3 | 石田芳夫3-0 | 最 勝
哉 |
1位 ( | 6190)|||||
1986年 | 趙治勲oxxooo | 武宮正樹3-0 | 加藤正夫xxxx | 苑田勇一3-1 | NHK杯 | 1位 ( | 7020)|||||
1987年 | 武宮正樹oooxo | 加藤正夫1-3 | 2位 | 趙治勲 2-3 |
早碁 | 2位 | |||||
1988年 | 加藤正夫oooxo | 加藤正夫3-0 | 加藤正夫xoooo | 最 連
哉 |
1位 ( | 8861)||||||
1989年 | 武宮正樹xoooo | 今村俊也3-1 | 淡路修三xoooo | 最哉 | 1位 ( | 8688)||||||
1990年 | 大竹英雄 oxooo 名誉棋聖 |
趙治勲xoooxxx | 小林覚 3-0- |
大竹英雄oxxooo | 林海峰 1-3 |
最哉 | 1位 (10604) | ||||
1991年 | 加藤正夫xooxoxo | 趙治勲 ooxxxx |
小林覚 3-2 |
林海峰 oxooo |
最哉 | 1位 (10130) | |||||
1992年 | 山城宏 xxooxoo |
武宮正樹1-3 | 趙治勲 oooxxxx |
小林覚 3-1 名誉碁聖 |
大竹英雄 oxoxoxo 名誉名人 |
藤沢秀行2-3 | 最 多
哉 |
1位 (11199) | 史上初の七大タイトル 名誉称号二冠・三冠 | ||
1993年 | 加藤正夫xxoxooo | 林海峰 3-0 |
大竹英雄ooxoo | 最哉 | 1位 ( | 8884)||||||
1994年 | 趙治勲 oxxxox |
大竹英雄2-3 | 林海峰 1-3 |
林海峰 oooo |
鶴聖 | 2位 | |||||
1995年 | 武宮正樹xxxox | 柳時熏 2-3 |
NEC杯 | 4位 | |||||||
1996年 | 4位 | ||||||||||
1997年 | 趙治勲 oxoxxx |
鶴聖 | 3位 | ||||||||
1998年 | 4位 | 工藤紀夫xooxo | 5位 | ||||||||
1999年 | 趙治勲 xxoxox |
彦坂直人ooo | 依田紀基xxooo | プレーオフ | 工藤紀夫ooo | NEC杯 | 優 | 2位 | |||
2000年 | 中野寛也ooo | 山下敬吾xxoox | 陥落 | 柳時熏 xxx |
4位 | ||||||
2001年 | 王立誠 >oxoxx |
山下敬吾oxoxo | 鶴聖 | 8位 | |||||||
2002年 | 結城聡 ooxo |
竜星 | 10位 | ||||||||
2003年 | 依田紀基xxoox | 竜星 | 12位 | ||||||||
2004年 | NHK杯
NEC杯 |
5位 |