小野塚 彩那 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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名前 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カタカナ | オノヅカ アヤナ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Ayana ONOZUKA | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
種目 | フリースタイルスキー | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | 石打丸山スキークラブ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1988年3月23日(36歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 |
新潟県南魚沼郡塩沢町 (現:南魚沼市) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
居住地 | 新潟県南魚沼市 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 158cm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 50kg | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
ワールドカップ戦歴 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
デビュー年 | 2011年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
総合優勝 | 2014-15季 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
最高成績 | 1位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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小野塚 彩那(おのづか あやな、1988年3月23日 - )は、日本のフリースタイルスキーハーフパイプ元選手。新潟県南魚沼郡塩沢町(現:南魚沼市 塩沢)出身。
塩沢町立塩沢小学校、塩沢町立塩沢中学校、新潟県立湯沢高等学校、専修大学商学部卒業。[要出典]
実家は南魚沼市にある石打丸山 四季を楽しむ宿 勝田屋(勝田屋旅館)を経営している。[要出典]
名前の「彩那」は、アルペンスキーヤーだった小野塚の母が長渕剛のファンであり、小野塚の6日前に生まれた長渕の娘・文音に由来している[1]。小学生時代の夢は「鳥になりたい」ことだったという[1]。高校生時代は走り高跳びで130cmを悠々と跳び越える身体能力を持っていた[2]。
スキージャンプの国体出場経験者の父親の指導のもとで2歳からアルペンスキーを始め、小学校3年で新潟県大会を優勝した[3]。以後アルペン(ジャイアントスラローム)競技で宮様スキー大会や全日本学生スキー選手権大会等で優勝経験を持つ。その後は全日本スキー技術選手権大会に出場するなどスキー選手として活動する。
2011年のシーズンからフリースタイルスキー選手に本格的に転向し、スキーハーフパイプ種目に専念し、2014年ソチオリンピックへの挑戦を宣言し[4]、そのシーズンからFISワールドカップシリーズに参戦した。
2012-2013年シーズンのワールドカップ開幕戦となったカードローナ・アルパイン・リゾート(ニュージーランド)大会で3位となり、続くパークシティ (ユタ州)(アメリカ合衆国)の第3戦で2位となるなど進境著しいところを見せて臨んだ2013年フリースタイルスキー世界選手権(オスロ/ノルウェー)ではスキーハーフパイプで予選1位で決勝を迎え、決勝では80.4点をマークして日本選手として初となる銅メダルを獲得した[5]。
2014年1月、ワールドカップアメリカブリッケンリッジ大会で2位となり2月、2014年ソチオリンピックにフリースタイルスキーの新種目:女子ハーフパイプ代表に選出され[6][7][8]、2月20日の競技当日は予選を4位で通過すると、決勝では2本とも綺麗に技を決めて2本目の83.20点が採用されて3位となり、この種目では初、日本人女性スキー選手としては里谷多英(モーグル)以来2人目となるメダリストとなった[9][10][11][12]。
2014年3月12日、新潟日報スポーツ特別栄誉賞を受賞[13]、同日、新潟県民栄誉賞受賞[14]。2014年4月7日、南魚沼市市民スポーツ栄誉賞受賞[15]。
2014年12月、アメリカのコロラド州ブリッケンリッジで行われたDEW TOURで3位、2014-2015年シーズンのワールドカップ開幕戦コッパーマウンテン大会で3位となった。
2015年1月22日、Winter X-Games 2015で、日本人女子初2位になった[16]。
2月、アメリカのユタ州で行われたワールドカップパークシティ大会で優勝、最終戦フランスのティグネス大会は2位に終わり、全3戦のポイントで争うワールドカップ種目別で初優勝した[17]。
2015-2016年シーズン開幕戦のワールドカップハーフパイプニュージーランドカードローナ「WINTER GAMES NZ」大会で前日予選で2位につけ決勝では3位になった[18][19]。12月、アメリカのコロラド州ブリッケンリッジで行われたDEW TOURで優勝。1月、ワールドカップ第2戦マンモスマウンテン大会(U.S. Freeskiing Grand Prix Copper Mountain Grand Prix)で優勝。1月30日、Winter X-Games 2016で銀メダル。2月6日、ワールドカップ第3戦パークシティー大会(U.S. Freeskiing Grand Prix Park City Grand Prix)で2位。X-Games オスロ大会では1本目で大きく転倒し7位と出遅れたが3本目で3位になった。最終戦となったティーニュ大会では4位となり、2年連続の種目別優勝。
1月、Winter X-Games 2017で銀メダル、2月、ワールドカップマンモスマウンテン大会(U.S. Freeskiing Grand Prix Copper Mountain Grand Prix)で3位となる。
3月16日、フリースタイルスキー世界選手権のスキーハーフパイプの予選で88.60点の2位となり、上位6人による決勝に進出。3月18日に行われた決勝では2回目に89.80点(1回目80.00点、3回目88.20点)を出し優勝した。
3月18日、祖父の命日に日本勢初の金メダルを獲得した[20][21]。
1月24日、自身のブログで現役引退を表明。